失恋〜社会人へ
(……そうか)
脳裏の中で、バラバラだったピースが急に合致した。最近、黒木や結菜さんの態度が妙だったのは、これだったのだ。
花音に好きな人ができて、しかも告白することを知っていたから。
そして……俺が花音をどう思っているかに気づいていて、気を遣ってくれていたのだ。
ふと見ると、隣を歩く花音の肩が静かに震えていた。雨の音に消されているけれど、彼女はきっと泣いている。
視界のすぐ先に、数年前に閉店してしまった小さな商店の軒先が見えた。そこには雨をしのげる屋根と、古びたベンチがひとつ置かれている。
「……あそこに、座ろうか」
声をかけると、花音は小さくこくんと頷いた。
二人でベンチに腰を下ろすと、花音はポケットからハンカチを取り出し、メガネを外して溢れる涙を拭い始めた。
その姿があまりにも痛々しくて居たたまれなくなった俺は、すぐ横にある自動販売機へと向かった。温かいお茶のペットボトルを二つ買い、そのうちの一つを花音に差し出す。
「……ありがとう」
お茶を受け取ると、花音は少しだけ落ち着いたように見えた。けれどすぐには口をつけず、両手で大切そうに温かいペットボトルを包み込み、冷えた指先を温めている。
その温もりが、彼女の傷ついた心まで温めてくれたらいいのにと、願わずにはいられなかった。
「悠真くん、すごく優しくてね……。困った時とか、いつも手伝ってくれて……」
「……ああ」
(そうか……あいつ、俺にだけじゃなくて、誰にでも優しかったんだな……)
「いつの間にか好きになっちゃってて……思い切って告白したんだけど、ダメだったの……」
途切れ途切れに語る花音の瞳から、再びぽろぽろと大きな涙が溢れ出す。
目の前で震えるこの細い肩を抱きしめて、「俺じゃダメなのか」なんて……ドラマのセリフみたいに言えたなら、どれだけいいだろう。
けれど俺には、肩を抱き寄せることすらできない。
触れることへの恐怖と自分の不甲斐なさに苛まれながら、俺はただ自分の膝の上で、爪が食い込むほどぎゅっと拳を握りしめることしかできなかった。
その日、涙を拭った花音を送っていき、「またね」とそっと手を振って別れた。
その後も何度か四人で集まることはあったものの、雨の日のあの出来事以来、俺たちの間にはどこか言葉にできない薄い膜のようなぎこちなさが漂っていた。
そして高校二年の秋、黒木と結菜さんが別れた。
二人の破局はあっけないものだったが、それをきっかけにして、俺たちが四人で集まる大義名分は完全に失われてしまった。
花音と二人きりで会う勇気も出せないまま、季節だけが通り過ぎていく。卒業後、俺と花音はそれぞれ別の大学へ進学し、メッセージのやり取りも自然と途絶えていった。
……こうして、俺の甘く歪んだ初恋は、不完全燃焼のまま静かに幕を閉じたのだ。
――――――
それから数年が経ち、俺は社会人になった。
都内にあるコスメブランドの会社に就職した。
高校時代のトラウマや花音への未練は、胸の奥底にある「開けてはいけない鍵付きの箱」の中に仕舞い込んだ。自分は女の子と付き合うことも、いわゆる「普通」の家庭を築くこともできない。そう静かに諦めを受け入れたことで、不思議と心は落ち着いていた。
元々コスメ関係に興味があったわけではない。むしろ昔の俺は、「男が化粧なんて」とどこか冷めた目を向けていた方の人間だ。
二流大学を卒業し、自分の学歴でも入れそうな手頃な企業の中で、比較的業績の良さそうな会社を数社受けた。その中でたまたま内定が出たのが、今のコスメブランドの会社だったのだ。
決して強い情熱を持って入社したわけではなかったが、職場の環境には恵まれた。
入社してすぐ、同期の中でも特に親しくなったのが高柳と山中の二人だった。
高柳は黒髪短髪で爽やかなスポーツマンタイプ。対する山中は、明るい茶髪で誰とでもすぐに打ち解ける人見知りしないタイプだった。
初めて三人で飲みに行った夜のことだ。
仕事の愚痴や他愛もない話で盛り上がっている最中、山中がビールジョッキを傾けながら、なんてことのない世間話のようなトーンであっけらかんと言い放った。
「あ、そういえば俺、ゲイなんだよね」
あまりにも軽い告白に、俺と高柳は一瞬固まり、同時に声を上げた。
「……え!?」
二人して目を見開いて驚いたが、高柳は引くどころか「マジで!?」と目を輝かせ、興味津々といった様子で根ほり葉ほり質問を投げかけ始めた。
「え、いつ気づいたの?」「どういう男が好きなの?」とカラッとしたノリで聞く高柳の姿に、俺はどこか救われるような心地がしていた。
――それ以上に、自分のセクシュアリティを隠すことなく、堂々と口にして笑っている山中の姿が、俺には眩しく、どこか神々しくすら見えていたのだ。
自分はずっと、自分のセクシュアリティを「異常」で「欠陥」だと思い込み、隠し続けて生きてきたというのに。
そんな俺の胸の打ちを見抜くはずもなく、高柳が居酒屋のノリでニヤニヤしながら山中に尋ねた。
「じゃあさ! もし俺たち二人から選ぶとしたら、どっちがタイプなの?」
「えー、それ聞く?」
山中は困ったように笑い、少しだけ間を置いた。
それから、どこか少しだけ照れたような表情を浮かべ、俺の目をじっと見つめて言った。
「……断然、一ノ瀬海斗」
「おい! 俺フラれたんだけど!」と高柳が爆笑する声が遠くで聞こえる。
直球で指名された俺の心臓は、思いがけない熱を帯びてドキンと大きく跳ね上がっていた。




