思わぬデート
「……せっかくだし、見て回ろうか」
「……うん」
俯きながら小さく頷く花音を見て、俺は一瞬不安になる。
(嫌……なわけじゃないよな? 無理に付き合わせちゃってないかな……)
そんな微かな気まずさを抱えつつも、俺たちは二人きりで館内を巡った。ひと通り見終えて水族館をあとにし、帰りの電車に乗り込む。
並んで座席に腰を下ろすと、ガタゴトと心地よい揺れが全身を包み込み、だんだんと眠気が襲ってきた。
ぼんやりと向かい側の窓の外を流れる景色を眺めていたが、ふと隣に意識を向けると、花音はすでにすやすやと心地よさそうな寝息を立てていた。慣れない人混みと広い館内を歩き回って、疲れてしまったのだろう。
無防備な寝顔をそっと見つめていると、不意に彼女の薄い唇に視線が吸い寄せられた。
――頭の中に、ほのかちゃんの時のことが嫌でも蘇る。
あの時は、触れ合うことすら拒絶反応が出そうになって逃げ出してしまった。女の子と恋愛をすることなんて、俺には一生不可能なんだと思い知らされた。
(……でも、花音となら……?)
本当に、無理なんだろうか。
花音の手を握った時、嫌悪感なんて微塵もなかった。それどころか離したくないと強く願ったし、今だって破裂しそうなほど心臓がうるさく鼓動している。
ほのかちゃんの時とは、絶対に違う。
だけど――。
暗い予感とも迷いともつかない思いが、静かに胸の奥に澱のように溜まっていった。
その後も、四人で遊びに行ったり放課後にファストフード店へ寄ったりすることが何度かあった。俺は最近、毎日がすごく楽しくて、学校生活が充実していると素直に感じていた。
……だけど。
ほんの少し、本当にほんの少しだけだが、結菜さんと黒木の俺に対する態度が変わってきている気がした。
なんだろう、変に気を遣われているような……変に温かい目で見られているような、妙な違和感があった。
それから数週間が経った、ある日の放課後。
下駄箱を出て外へ行こうとすると、外は激しい土砂降りの雨だった。朝の天気予報では晴れと言っていたはずなのに。
予報が外れたせいで傘を持っていない生徒が多かったらしく、鞄を頭の上にかざして走っていく者や、早々に諦めて濡れながら帰る者の姿が多く見られた。
俺は念のためにいつも置き傘や折りたたみ傘を鞄に入れていたので、それをカチリと開く。
と、ふと横を見ると、花音がポツンと佇んで雨空を見上げていた。
「天気予報、外れちゃったね。海斗君は準備が良いんだね」
花音は俺に気づくと小さく笑いかけてくれたが、どこかいつもの笑顔とは違う、微かな違和感があった。
「あのさ……途中まで、一緒に入る?」
口に出した直後、急に激しい不安が押し寄せる。
(もし『相合傘なんて嫌だ』って拒絶されたらどうしよう……)
けれど、花音は嫌がる素振りも見せず、パッと表情を明るくした。
「あ、いいの? ありがとう、助かっちゃった」
(……周りからからかわれたり、変な誤解をされたりするのは気にしないのかな)
それとも、最近こうして一緒に過ごす時間が増えたから、俺に対して余計な警戒心を持たなくなっただけだろうか。
ぐるぐると巡る思考を押し殺し、俺はそっと傘を差し出して彼女を中へと招き入れた。
花音を自分の左側に入れて、傘の面積の大半を彼女の上にかざす。
しばらく歩くうちに自分の右肩が冷たく濡れていくのに気づいたけれど、そんなこと、今の俺にはどうでもいいことだった。
しばらくは学校のことや、黒木たちカップルの呆れたノロケ話など、他愛もない世間話をしながら歩いていた。
けれど、人通りのまばらな通りに入ったあたりから、どちらからともなく無言になっていく。バシャバシャと激しいリズムで傘を叩く雨音だけが、二人の間に響いていた。
すると、前を見つめたままの花音が、ぽつりと静かに口を開いた。
「私ね……フラれちゃったんだ」
「……え!?」
言葉の意味が理解できず、足が止まりそうになる。
フラれた……?
(フラれたって、どういうことだ……!? 彼氏なんていなかったはずだし、だとしたら……ずっと誰かに片思いをしてたってことか……?)
ズキン、と心臓を締め付ける強烈な痛みが走る。まるで視界が一瞬で真っ暗になったかのようだった。
「うん……ちゃんと告白したんだけどね。だめだったの」
下を向いたまま話す花音の表情は、ここからは見えない。中学の頃より身長が伸びた俺の位置からは、俯く彼女の顔を覗き込むことすらできなかった。
花音の歩調が少しずつ遅くなっていくのに気づき、俺もそれに合わせて歩みを緩める。
「え……それ、誰に……?」
「悠真くん。海斗君も、仲良いよね……?」
「っ……悠真……!?」
先ほどとは全く違う意味で、鼓動が跳ね上がった。
悠真――。
今でも黒木を交えてたまに遊ぶ間柄ではあるが、自分に脈がないと悟ってからは、俺の中で特別な存在ではなくなっていた男だ。
(花音も……悠真のことが好きだったのか)
自分と同じ人間を好きになっていたという事実に、どこか感覚が似ているような不思議な親近感を覚える。
――けれど、それ以上に。
花音が自分以外の男を想い、その男のために心を痛めているという現実が、俺の胸をどうしようもないほど深く、鋭く抉り破っていた。




