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それでも、歩いてゆく  作者: 八代敬次
第1章 日常の終焉

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12/32

2:札幌の異変

今日はここまでです

            見えるもの、見えないもの





 窓ガラスの震えが止まっても、結城智はしばらく手を離せなかった。


 指先に、まだ振動が残っている気がした。


 窓の向こうでは、ナナカマドの赤い実が風に揺れていた。雨上がりの庭には細い陽射しが差し込み、濡れた落ち葉が光っている。


 見慣れた住宅街だった。


 なのに、鳥が一羽もいない。


「……結城さん?」


 背後から呼ばれ、智は振り返った。


 窓の修理を依頼した女性が、心配そうに立っていた。


「大丈夫ですか?」


「ああ、すみません。ちょっと考え事を」


「さっきの音、何だったんでしょうね」


「分かりません。地下で何か工事をしているような音でしたけど」


「工事……」


 女性は窓の外を見た。


「最近は、地下って聞くだけで怖くなっちゃいますね」


 智は曖昧に頷いた。


 同感だった。


 昨日までは、地下という言葉に恐怖を感じたことなどない。


 地下鉄。地下駐車場。地下倉庫。


 どれも人間が造り、人間が使っている場所だった。


 けれど今は、その言葉の向こうに、灰色の皮膚と黄色い目が浮かぶ。


 智は工具箱を閉じた。


「窓の方は、もう大丈夫です。ただ、また重くなるようなら連絡ください」


「ありがとうございます」


 女性は財布を取りに行き、戻ってくると、修理代と一緒に小さな袋を差し出した。


「これ、よかったら」


 中には、個包装のどら焼きが二つ入っていた。


「いや、そんな。いただきすぎですよ」


「いいんです。お昼、まだでしょう?」


「……まだです」


「ほら、やっぱり」


 女性は嬉しそうに笑った。


 智は断りきれず、袋を受け取った。


「ありがとうございます。あとでいただきます」


「お仕事、気をつけてくださいね」


 その一言に、智は少しだけ言葉を詰まらせた。


 昨日も、似たようなことを言われた。


 けれど、今日はその意味が違って聞こえた。


「……はい。気をつけます」


 智は頭を下げ、玄関を出た。


 背後で扉が閉まる。



 カチャン



 ごく普通の、金属製の錠前が掛かる音だった。


 その小さな音が、妙に心地よかった。




     *




 午前十時四十二分。


 作業車に戻った智は、運転席でスマートフォンを開いた。


 画面には、佐伯から新しいメッセージが届いていた。


『さっき変な揺れなかったか?』


 智はすぐに返信した。


『あった。地震みたいな感じだったな』


 数秒後、返事が来る。


『こっちもだ。建物が一瞬鳴った』


『気をつけろよ』


 そう送ると、佐伯から笑顔の絵文字が返ってきた。


 智はスマートフォンを置いた。


 自分だけが感じたわけではない。


 それが分かったことで安心するかと思ったが、逆だった。


 少なくとも、離れた場所でも同じような振動が起きている。


 局所的な工事の音ではないのかもしれない。


「……何が動いてるんだ?」


 智はハンドルに手を置いた。


 その時、視界の端に淡い青色が滲んだ。


 昨日から現れる、あの光だった。


 智は息を吐いた。


「今度は何だよ」


 半透明の板が浮かび上がる。



 《周辺環境に変動を検出》



 続いて、細い文字が現れた。



 《情報の取得を試行します》



 智は目を細めた。


 周辺環境。


 それは、さっきの振動のことだろうか?


 画面の下に、何かが表示された。



 《対象:未特定》


 《取得結果:不完全》



 それきりだった。


「……不完全、ね」


 智は苦笑した。


 随分と頼りない。


 今朝は窓の戸車を正確に判定していた。


 摩耗。


 交換推奨。


 あの表示は、確かに役に立ちそうだった。


 しかし、今は違う。


 何かが起きたことは分かっても、その正体までは教えてくれない。


 智は、試しに車のダッシュボードを見つめた。


 ――これを調べられるか?


 青白い板が、わずかに揺らいだ。



 《対象物を認識しました》


 《樹脂成形部品》


 《状態:正常》



「……へえ」


 今度は、助手席に置いた工具箱へ目を移した。



 《対象物を認識しました》


 《金属・樹脂複合製品》


 《状態:使用可能》



 智は少し身を乗り出した。


「じゃあ、これは?」


 足元に置いていた古いドライバーを持ち上げる。


 先端は長年の使用ですり減り、柄にも細かな傷があった。



 《工具:ねじ回し》


 《先端部:摩耗》


 《使用上の注意:滑りやすい状態》



「……なるほど」


 智はドライバーを回してみた。


 確かに先端が減っている。


 最近は使いにくくなっていたが、まだ使えると思って工具箱に入れっぱなしにしていたものだ。


「お前まで注意してくれるのか」


 誰にともなく呟き、ドライバーを置いた。


 その時、ふと疑問が浮かんだ。


 この表示は、どこまで正しいのだろう。


 表面から見える情報を整理しているだけなのか。


 それとも、内部の状態まで分かるのか。


 智は車内を見回した。


 そして、助手席の足元にある小さな懐中電灯を手に取った。


 仕事で使う、手のひらほどのLEDライトだ。


 昨夜から点灯しなくなっていた。


 電池切れだと思っていたが、まだ交換していない。


 智はライトを見つめた。



 《携帯照明器具》


 《状態:動作不能》


 《推定原因:電源供給不良》



「……ほう」


 智は眉を上げた。


 推定原因。


 その言葉が気になった。


 断定ではない。


 智はライトの蓋を開け、電池を取り出した。


 接点に白っぽい汚れが付着している。


「ああ、こっちか」


 予備の電池に交換し、接点を軽く清掃する。


 スイッチを押す。


 ぱっと白い光が点いた。


「よし」


 青白い板が変化した。


 《状態:正常》


 智は思わず笑った。


「便利だな、おい」


 昨日までの恐怖とは別の感情が、胸の奥に生まれていた。


 面白い。


 仕組みは分からない。


 誰が作ったものなのかも分からない。


 けれど、目の前の不具合を調べ、直す。


 その行為は、自分が長年続けてきた仕事とよく似ていた。


 分からないものを、少しずつ確かめる。


 原因を探す。


 仮説を立てる。


 試してみる。


 そして、結果を見る。


 智は懐中電灯を工具箱に戻した。


 その時、青白い板に新しい文字が浮かんだ。



 《情報取得の精度がわずかに向上しました》



「……え?」


 智は顔を上げた。


 しかし、文字はすぐに消えた。


 代わりに、いつもの基本情報が現れる。



 《個体名:結城 智》


 《年齢:47》


 《種族:人間》


 《状態:適応済》


 《固有適性:未判定》



 智は、しばらく画面を見つめた。


「……使えば、何か変わるのか?」


 答えはなかった。


 だが、胸の奥に小さな期待が芽生えていた。


 この不思議な力を、もっと知りたい。


 そんな気持ちだった。




     *




 午前十一時二十八分。


 智は、次の現場へ向かう途中で電話を受けた。


 取引先の設備会社からだった。


『結城さん、今どこにいます?』


「白石の方です。どうしました?」


『ちょっと急ぎで見てもらいたい現場がありまして』


「何の不具合です?」


『小さな店舗なんですけど、シャッターが途中で止まってしまうらしいんです』


 智は時計を見た。


 午後の予定までは、まだ少し時間がある。


「場所は?」


『菊水の方です。規制区域からは外れてるんですけど、近くの道路が混んでるみたいで』


「分かりました。行けると思います」


『助かります。店の人が困ってまして』


「ただ、部品交換が必要なら今日中には難しいかもしれませんよ」


『それは伝えておきます』


 電話を切る。


 智はカーナビに目的地を入力した。


 菊水。


 古い建物と新しいマンションが混在する地域だった。


 大通りから一本入ると、昔ながらの商店が残っている。


 智は車を発進させた。


 途中、信号待ちで空を見上げた。


 雲が低い。


 札幌の秋は、冬の入口に立っているような季節だ。


 冷たい雨が降り、朝晩の気温が下がり、いつ雪が降ってもおかしくない日が近づいてくる。


 そんな街で、店のシャッターが閉まらないというのは、決して小さな問題ではない。


 防犯にも関わる。


 風雪にも関わる。


 そして、店を開けられるかどうかにも関わる。


「……早めに直してやりたいな」


 智はアクセルを踏んだ。




     *




 正午過ぎ。


 目的の店舗は、古い二階建ての建物の一階にあった。


 小さな惣菜店だった。


 ガラス越しに、揚げ物や弁当が並んでいるのが見える。


 店の前には、半分ほど下がったシャッターがあった。


 その下をくぐるようにして、店主らしい男性が出てきた。


「結城さんですか?」


「はい。お待たせしました」


「いやあ、助かります。朝からこんな状態で」


 男性は、五十代半ばくらいだろうか。


 白いエプロンを着て、額に汗を浮かべていた。


「今朝、開けようとしたら途中で止まっちゃって。何とか上げたんですけど、今度は下ろせなくなって」


「電動ですか?」


「ええ」


「何か異音はしました?」


「昨日の夕方くらいから、ちょっと変な音がしてました」


 智はシャッターを見上げた。


 スラットの一部が、わずかに斜めになっている。


 ガイドレールにも擦れた跡があった。


「……少し歪んでますね」


「やっぱり?」


「とりあえず、無理に動かさないでください」


 智は工具箱を開いた。


 電源を確認する。


 操作スイッチ。


 ガイドレール。


 シャッターケース。


 順番に調べていく。


 その時、青白い板が現れた。



 《対象物を認識しました》


 《電動シャッター》


 《状態:動作異常》


 《推定原因:機械的抵抗の増大》



 智は、思わず口元を緩めた。


「……やっぱりな」


 表示は、自分の見立てと一致していた。


 ガイドレールの歪み。


 スラットのずれ。


 それらが抵抗になっているのだろう。


 智は店主に声をかけた。


「少し調整してみます。危ないので、しばらく操作しないでください」


「分かりました」


 智はシャッターの状態を確認しながら、調整を始めた。


 レールの固定。


 スラットの噛み合わせ。


 異物の有無。


 長年の経験で身についた手順だった。


 そして、青白い板は、その作業を横から見ているように表示を変えていった。



 《抵抗箇所を検出》


 《調整推奨》



 智は、指示された場所を確認した。


 確かに、わずかな歪みがある。


「……すごいな」


 小さく呟く。


 こんなことまで分かるのか。


 智は、少しずつ作業に夢中になっていった。


 不思議な表示が教える情報。


 自分の経験。


 その二つを照らし合わせることが、妙に楽しかった。


 やがて、シャッターの動きが軽くなった。


「……よし」


 智は工具を置いた。


 店主に声をかける。


「一度、動作確認します」


「お願いします」


 智は操作スイッチの前に立った。


 シャッターを少し上げる。


 滑らかに動いた。


 続いて、下げる。


 途中までは、問題ない。


 智は青白い板を見た。



 《機械的抵抗:軽減》


 《動作状態:改善》



「……いけそうだな」


 智は、もう少し下げようとした。


 その時。


 ――ぎんっ!


 鋭い金属音が響いた。


 智は顔を上げた。


 シャッターの上部。


 ケースの内側から、何かが弾けるような音がした。


「……っ!」


 次の瞬間、シャッターが大きく震えた。


 がたがたがたっ!


 スラットが波打つ。


 ガイドレールが、嫌な音を立てる。


 智は反射的に停止ボタンを押した。


 だが。


 止まらない。


「……何だ?」


 シャッターが、さらに下がる。


 しかも、異様に速い。


 智の顔から血の気が引いた。


「離れて!」


 店主に叫ぶ。


 その瞬間、店の奥から小さな声がした。


「お父さん?」


 智は振り向いた。


 小学生くらいの男の子が、店の入口に立っていた。


 手には、小さな紙袋を持っている。


 何が起きているのか分からない様子だった。


 そして、その頭上で。


 シャッターが、勢いよく落ち始めた。


     *


 智の身体が動いた。


「下がれ!」


 男の子へ向かって走る。


 シャッターは、すでに胸の高さまで下がっていた。


 間に合わない。


 智は歯を食いしばった。


 右腕を伸ばす。


 男の子の肩を掴む。


 そして、店の奥へ突き飛ばすように押した。


 その直後。



 ――ガシャアアン!



 シャッターが、地面に叩きつけられた。


 激しい金属音が、通りに響き渡った。


 智は、ぎりぎりのところで身体を引いた。


 シャッターの下端が、靴のつま先を掠める。


 冷たい風が、足元を抜けた。


「……っ!」


 智は、その場に膝をついた。


 心臓が、激しく鳴っていた。


 店主が駆け寄る。


「大丈夫か!」


 男の子は、店の奥で尻もちをついていた。


 驚いた顔で、こちらを見ている。


 怪我はなさそうだった。


 智は、ようやく息を吐いた。


「……よかった」


 店主が男の子を抱き起こした。


「何やってんだ! 危ないだろ!」


 怒鳴る声が、震えていた。


 男の子は泣きそうな顔をした。


「ごめんなさい……」


 智は、ゆっくり立ち上がった。


「……すみません」


 店主が振り向く。


「え?」


「俺の確認不足です」


 智は、シャッターを見つめた。


 完全に閉じたシャッター。


 その下端が、わずかに歪んでいる。


 もし男の子が、あと一歩前に出ていたら。


 考えるだけで、背筋が冷たくなった。


 智は唇を結んだ。


 自分は、何をしていた。


 青白い表示に気を取られていた。


 機械的抵抗が軽減した。


 動作状態が改善した。


 その文字を見て、安心してしまった。


 本来なら、もっと慎重に確認するべきだった。


 巻き取り機構。


 ブレーキ。


 電気制御。


 異音が出ていた以上、レールの調整だけで済ませていいとは限らなかった。


 智は拳を握りしめた。


「……馬鹿だな、俺」


 小さく呟く。


 その時、視界の端に青白い板が浮かんだ。



 《対象物を認識しました》


 《電動シャッター》


 《状態:重大な動作異常》


 《推定原因:巻き取り機構の損傷》



 智は、画面を睨んだ。


「……今さらかよ」


 思わず、声が出た。


 画面は、何も答えない。


 ただ、静かに浮かんでいる。


 智は深く息を吐いた。


 そうだ。


 この光が悪いわけではない。


 判断したのは、自分だ。


 信用しすぎたのも、自分だ。


 智は、ゆっくりと顔を上げた。


「……すみません。これは、今日ここで直せる状態じゃありません」


 店主は、まだ男の子の肩を抱いていた。


「……そうですか」


「安全確認ができるまで、絶対に操作しないでください。専門のシャッター業者にも来てもらう必要があります」


 智は頭を下げた。


「本当に、申し訳ありませんでした」


 店主は、しばらく黙っていた。


 そして、小さく息を吐いた。


「……子供が無事だったから、いいです」


 その言葉が、智の胸に重く残った。


 よかった。


 確かに、よかった。


 だが、それで済ませていいことではない。


 智は、シャッターを見つめた。


 金属の表面には、細かな傷が走っていた。


 その向こうに、青白い文字が浮かんでいる。



 《動作状態:危険》



 智は、目を閉じた。


 見える。


 確かに、以前より多くのことが見えるようになった。


 だが。


 見えることと、分かることは違う。


 分かることと、正しく判断できることも違う。


 その違いを、智は痛いほど思い知らされていた。




     *




 午後一時十九分。


 智は、店の外に立っていた。


 設備会社へ連絡し、シャッター専門業者の手配を依頼した。


 店主には、状況を説明し、改めて謝罪した。


 幸い、怪我人はいなかった。


 しかし、修理は中断となった。


 智は工具箱を車に積み込んだ。


 その時、店の入口から男の子が顔を出した。


「……おじさん」


 智は振り向いた。


「ん?」


 男の子は、少し迷ったように足元を見た。


 そして、小さな声で言った。


「……ありがとう」


 智は、一瞬言葉を失った。


 あの時、男の子を突き飛ばすようにして助けた。


 怖い思いをさせたはずだ。


 それなのに、礼を言ってくれる。


 智は、ゆっくりとしゃがんだ。


 男の子と目線を合わせる。


「……怖かったな」


 男の子が頷いた。


「うん」


「怪我、してないか?」


「してない」


「そっか」


 智は、小さく笑った。


「よかった」


 男の子は、少しだけ笑い返した。


 その笑顔を見て、智は胸の奥が痛くなった。


 もし、間に合わなかったら。


 もし、あと一瞬遅れていたら。


 その笑顔は、失われていたかもしれない。


 智は、男の子の頭を軽く撫でた。


「……もう、あのシャッターには近づくなよ」


「うん」


「約束だ」


「うん!」


 男の子は元気よく頷いた。


 そして、店の中へ戻っていった。


 智は、しばらくその背中を見送っていた。


 やがて、ゆっくり立ち上がる。


 右腕に、わずかな熱を感じた。


 包帯の下。


 昨日、怪物に引っかかれた場所。


 そこが、じんわりと熱を帯びていた。


 智は腕を押さえた。


 すると、視界の端に青白い板が現れた。



 《行動履歴を更新しました》



 智は目を細めた。


 文字が変わる。



 《危険回避行動を確認》



 続いて。



 《判断傾向を記録しました》



 智は、しばらく画面を見つめた。


 昨日も、似たような表示を見た。


 行動履歴。


 固有適性。


 そして、今の判断傾向。


 この光は、何かを調べている。


 自分のことを。


 自分が何を見て、何を考え、どう動くのか。


 それを、記録している。


 そんな気がした。


「……気味が悪いな」


 智は小さく呟いた。


 しかし、画面から目を離せなかった。


 自分の行動が、何かに評価されている。


 それは、不快でもあり、不思議でもあった。


 そして、少しだけ。


 恐ろしかった。




     *




 午後一時四十七分。


 智は車を発進させた。


 空は、さらに暗くなっていた。


 厚い雲が低く垂れ込め、街全体が薄い灰色に沈んでいる。


 道路沿いの電光掲示板には、交通規制の情報が流れていた。


 その下を、人々が足早に歩いていく。


 智は、信号待ちでふと空を見上げた。


 鳥がいない。


 さっきの住宅街でもそうだった。


 いつもなら、電線にカラスが止まっている。


 歩道の隅でスズメが餌を探している。


 だが、今日は。


 空が、妙に静かだった。


 智は眉をひそめた。


「……何か、おかしいな」


 その時、遠くから低い音が響いた。




 ――ゴオオオオ……




 朝、住宅街で聞いた音だった。


 智はハンドルを握る手に力を込めた。


 今度は、車の中でもはっきり聞こえた。


 ダッシュボードが、かすかに震えている。


 信号機の柱が、微妙に揺れた。


 歩道の人々が、足を止めた。


 誰かが空を見上げる。


 別の誰かが、地面を見る。


 音は、空からではない。


 地下からだった。




 ――ゴオオオオオ……




 智の胸が、ざわついた。


 その時。


 視界の中央に、青白い板が現れた。



 《周辺環境の変動を検出》


 《情報取得を試行します》



 文字が、細かく揺らいだ。


 そして、



 《解析不能》



 智は息を呑んだ。


 画面が、わずかに歪んでいる。


 今まで、こんなことはなかった。


 青白い光が、一瞬強くなった。


 その直後。



 《警告》



 文字が、赤く変わった。


 智の心臓が跳ねた。



 《周辺空間に異常を検出》


 《原因:不明》


 《安全な場所への移動を推奨します》



 智は、ゆっくりと顔を上げた。


 信号は、まだ赤だった。


 前の車も、後ろの車も、動いていない。


 歩道では、人々が不安そうに辺りを見回している。


 その時。


 道路の向こうで、何かが弾ける音がした。


 ――パキン。


 智は目を見開いた。


 アスファルトの表面に、細い亀裂が走った。


 一本。


 二本。


 三本。


 まるで、黒い線が地面を這うように伸びていく。


「……またかよ」


 智の声が震えた。


 そして、交差点の中央で。


 地面が、ゆっくりと沈み始めた。




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