第11話
不衛生な臭いが立ち込めている。腐敗臭と湿気とカビ、そして死臭を攪拌して垂れ流したような悪辣な臭いに、アンジュリーはむせ返った。
押し込められたのは王宮の地下牢の一室。リーゼロッテを手駒とされ、キリエの力をも封じられた彼女に、もはや頼るべきものは無く、暴力的な憲兵たちによって、冷たい石の床に放り投げられるのを甘んじるしかなかった。
文字通りの絶望的状況。結局のところ、貴族の令嬢は、魔力が無ければなにもできない無力な存在なのだ。あの憎き叔父の思い通りに家は奪われて、手を貸してくれた友人すら救えない。もはやここで生き恥をさらすほうが苦痛なのではないかと考え始めている。むしろ、絶望さえしてしまえば、契約に基づいて魂は魔女のものになるのではないか。楽になれるのであれば、もうそれでもいいかと、思ってしまった自分が嫌になる。
絶望せずしてどうしようか。この牢の中で朽ちるのを待つしかないのだ。もしかしたら兵士が気まぐれにおやつでもくれるかもしれない。または、体を売って逃がしてくれと懇願してみるか?そんなことさえ選択肢に入ることで、心が死んでいくのを感じる。しかし、そこまでの精神状態に追い詰められてもなお、アンジュリーの魂が奪われることはなかった。
そうだ。魂を奪いに来るはずのキリエには、もうそんな力が無いからだ。
「復讐することどころか、いま、ここで消えてしまうことすらできないなんて・・・。」
アンジュリーが、「ああああ!!」と、言葉にもならぬ叫び声を上げた。その声に反応して、空気が揺れ、地下牢の奥に、誰かの気配を感じた。
「アンナ=ユリアか・・・。くそ、お前まで捕らえられてしまったか・・。」
「ヴェロニカ!?」
弱弱しくはあったが、聞き覚えのあるもう一人の友の声が響いた。どこか近くの牢に入れられているのだろう。姿は見えないが、声は通る。幸運なことに、看守は居ないみたいだ。
「大丈夫なの!?フルーリエのやつ、貴女を殺すとか言ってたけれど・・。」
「ああ・・奴らには身体的には痛めつけられたがね。それでも、私の心を折ることはできなかったようだ。」
「痛めつけ・・・そんな・・大丈夫なの!?」
「大事には至らないような傷だよ、安心したまえ。憲兵の奴らは、エリートで差別主義者が多いが、実戦に出たこともなく、自らの手で人を殺したくはない臆病者なのだ。誰かにその役目を押し付けることに心血を注いでいる。」
アンジュリーが怪訝な顔をする。
「でも、痛めつけることはするのなんて、矛盾しているわ・・・。」
「彼らの中では矛盾していないんだよ。どうして、私たちが差別されているのか、という根源について、私は個人的に恐怖からくるものだと思っている。エルブロング家をはじめとする東方系貴族が帝都の貴族連中に差別されているのは、その武力が彼らに向かうことそ恐れているからだ。もし私を殺したら、その家は、エルブロング家の仇敵として狙われるかもしれない。でも痛めつけるくらいなら、みんなやっているし、いいだろう、そんな心理なんだろう。」
「そんな発想、どうかしている。そこまで武勇に優れる東方貴族が帝国に存在していてくれれば、逆に頼もしいとおもうけれど。」
ヴェロニカが、そんなアンジュリーの言葉に微笑んだ。むろん。アンジュリーには見えていないが。
「だれもがそう思ってくれると嬉しいのだけれどね。君みたいに、直接東方諸侯と領地を接していない南方貴族にとってはそうだろうね。でも、帝都の貴族はそうじゃない。何か『事』が起これば野蛮な東方系貴族は、数百年前みたいに帝国の寝首をかくかもしれない、と思っているのだ。」
「なるほど、憲兵たちは、恐れているからこそ、おいそれと貴女に手出しできないと。」
「まさに、そうやって脅したら、拳の力も、鞭の速度も緩やかになったよ。バカな連中だ。父上も、末の娘がひとり帝都で不審死したところで、武装闘争に出るなんてこと無いのに、差別主義者に冷静な判断なんてできないのさ。」
「無事なのはよかったけれど、姿が見えないから、不安になるね。」
「ああ、アバラは数本折られたかな、でも一応、五体は満足だよ。そういう君は?」
「私は、今のところなにもされてない。」
「そうか、なら、よかった。」
お互いの無事を確認するが、結局この最悪の状況は何も変わっていない。
「問題は、ここからどうやって脱出するか・・・だけれど。」
「このフロアのどこかにある通気口が地上につながっているはずだが、大人が入れる大きさではないな。」
「すると、正面突破しかないわね。」
「牢の鍵をなんとかできたら、という前提だけれどね。」
「・・・まさか、ヴェロニカは魔法使えたりしないよね。」
「使えていたら、すぐに殿下のもとに馳せ参じるだろうねえ。」
「うーん・・・」
振出しに戻ってしまった。結局、ここから抜け出すその術を、今の二人は持ち合わせていないのだ。
「お嬢様がた、お伏せになって!」
突如、通気口から響く声。声に続いて、突然の爆発音が響き渡る、それと同時に地下牢に煙が立ち込める。
「おーっほほほほ。遅くなりましたわね、お嬢さまがた。って、なんて辛気臭いところにいらっしゃるのかしら。辛気臭いどころか、物理的に臭いわ。ホーリーシットってやつね。」
天井に大穴が開き、がれきを踏みしめながら現れたのは、深紅の影。オフェリアではないか。そして、そのかたわらで、爆発を起こした主は・・・剣を携えている翡翠色の女、傭兵エレナだ。
「あなた、エレナ・・・さん・・!?オフェリアさんが殺したんじゃ・・?」
「殺してませんわ。あの後、わたくしが雇いましたの。商人ですもの、ハイリスク、ハイリターンを望んでこそ、でしょう。」
「ええっ!?」
「商人さんから、魔女との契約者、しかも2人と戦えるって聞いたから、それも楽しいかなって思ったのよ。」
「信用していいの・・?」
「お嬢さん、私のことは信用しなくていいわよ。お金を貰った分だけ、働く、それが傭兵だもの。商人さんが、ケチな憲兵よりも高い金を払ってくれた。それだけよ。」
「アンナ=ユリア様、エレナ・ヴィジランテへの依頼料は、利子を乗せてあとで公爵家に請求しますけれど、いいですわね?」
「もし断ったら・・・?」
「ファッキン契約破棄するしかないですわね。そしたら、どうなるのかしら、エレナ・ヴィジランテさん。」
「最初の、憲兵の契約を履行するしかないかな。」
「わ、わかった、もちろん、お父様の遺産から払う・・。」
アンジュリーは、商人というやつが、一番恐ろしいということを身をもって覚えた。
鍵どころか、重厚な牢の扉ごと、エレナの剣“エレンディラ”が切り捨てる。彼女に切れぬものは殆ど存在しない。先にアンジュリーを、次いでヴェロニカが助け出される。ヴェロニカは見るからに重症というのがわかる。痛みに耐えて、アンジュリーと会話できていたのだろうか、ところどころ痛々しい傷がみえる。
「くそ、立ち上がることも難しいとは・・。」
「動かないでくださいまし。ポーリア、応急処置を。それが済んだら、馬車で商会に運んで。」
「了解す・・」
瓦礫の横から顔をだしたポーリアが、ヴェロニカの手当をする。
「いや、私は殿下を取り戻さねば・・・。」
「その役目は私に任せて。」
無理に立ち上がろうとするヴェロニカをアンジュリーが制止する。
「大丈夫よ、彼女たちがいるから。報酬を支払うそのときまでは、彼女たちは味方よ。」
アンジュリーが、オフェリアとエレナの方を向いた。
「そうか、アンナ=ユリア。では、牢の外の保管室に、没収された私の剣があるはずだ。それを持っていくといい。」
「ありがとう、そうさせてもらうわ。」
***
3人は、不意をつかれて慌てふためく憲兵をねじ伏せつつ。王宮の地下から地上へと上がっていく。ヴェロニカの剣はコンツェシュと呼ばれる極長剣で、アンジュリーが扱うには重すぎる。だが、振り回して、相手の頭をぶん殴るには丁度いい大きさだ。
「ちょっと、失礼。」
オフェリアは、アンジュリーの手からコンツェシュをするりと抜き取り、後ろからアンジュリーを強襲しようとした憲兵の兜にたたきこんだ。頭蓋骨が割れて、その下の柔らかい何かが潰れるような鈍い音を立てて、憲兵は動かなくなった。鎧から、赤と黄が混ざった液体がこぼれてきている。
「お返ししますわ。」
アンジュリーは、深く考えないようにしながら、剣を受け取ると、二人を追いかけた。
「ノルトラインのお嬢さん?あなた、魔力を失ってるわね・・。」
「え、ああ、私?わかるの?」
アンジュリーは、走りながら突然エレナからそんな話を振られ、咄嗟のことに目を見開く。警戒するように、オフェリアを盾にするように距離をとる。
「ああ、いえ、だから寝首をかこうとかそういうことじゃないので安心してほしいのだけれど、私に一太刀入れた貴女が、こんな簡単に捕まるなんてありえないなって。」
「そういうことなら・・・。マルチェリーナとルシアンヌって2人の魔法少女に襲われて、殿下とともに魔女・・・キリエも奪われてしまって、今、魔力が使えないんだ。」
「そういうこと・・・じゃあ、取り戻したら、もう一度勝負しましょうね!」
「それは願い下げ・・かな・・。」
苦笑いしながらメインフロアにつながる階段を駆け上がった3人を、憲兵隊の大群が待ち構えていた。エレナがエレンディラを構えつつ、2人に向かって尋ねる。
「全員相手してもいいけれど、時間がかかりすぎるわね。どうする、お嬢さん、商人さん。お姫様はどちらに?」
「牢にいないってことは、執務室か、それとも・・・いずれにしても、あの二人と同じところに連れまわされていると思う。」
「じゃあ、どっちにしろ、その二人をぶっ殺せばいいってことね。」
エレナはそれを聞いて、一瞬目を閉じる。次に開いたとき、その目は赤く染まり、あたりを見回す。
「2階から、魔女の契約者の気配を感じる・・。」
「今のは・・?」
「魔力を見つける魔法みたいなもの。・・・内緒だよ。」
しかし、2階に上がる階段の前には、兵士がうじゃうじゃといる。
「さて、これは強行突破しかないかな・・。」
「エレナさん、道は別に階段だけではなくてよ?さっきの地下牢みたいに、ちょっとくらい壁や天井をデストロイ差し上げても、問題ございませんわ。きっと王女殿下も許してくれますわ。」
オフェリアがけしかけると、エレナが、剣の魔力を込めだした。
「そう・・じゃあ、いくわよ・・。二人とも、私に掴まって」
「えっ・・・まさか、本当に・・」
二人がエレナの肩に手を添えると、大きく剣を振りぬいた。虚空を切り裂き、それが波動となって、宮殿の天井を抉り、大きな崩落が起きた。
「ちょっとちょっと、やりすぎですわ!?」
オフェリアが叫ぶと同時に、エレナの体が宙に浮かび、肩に手を置いた二人とともに、2階に続く大穴へと吸い込まれていった。兵士たちは、半分は瓦礫に埋もれ、残った半分も、その様子を見守るしかなかった。2階へ上がる階段は破壊されてしまい、追いかけることもできない兵士がその場にのこされた。
「さて、2階のどちらかしら。」
オフェリアはさっきの出来事は無かったかのように冷静さを取り戻し、2階の廊下を見渡した。
「こっちの部屋から気配がするかな。」
「それは、王宮会議室・・・御前会議をする場だね・・。貴重な調度品も多いからあまり暴れたりはしないほうが・・・」
「おあつらえ向きの部隊ってことですわ!ド派手に乗り込みますわよ。」
またしてもオフェリアがエレナを唆す。エレナは、部屋の扉に向かって先ほどと同じような、魔力剣を叩き込み、壁ごとあたりを吹き飛ばす。
何をしていたかはわからないが、部屋の中にいたルシアンヌが呆気にとられた表情でこちらを見ている。アンジュリーの姿を確認すると、苦虫をつぶしたような顔に変わる。
「貴様・・くそ、憲兵は何をやっている。それにさっきの物音はなんだい・・さすがに乱暴がすぎるのじゃないか、アンナ=ユリア嬢・・・の偽物さんよ。」
「それはこっちの台詞よ。ヴェロニカをあんな目に合わせて、リーゼを洗脳するなんて、」
「・・・そしてそちらは、エレナ・ヴィジランテか・・。まさか、寝返るとはね。」
「あら、憲兵隊長様?わたくし、エヴァレット&ウィローズ商会代表オフェリア・エヴァレットもおりますわよ。」
悪態をつきながらも、ルシアンヌは魔法少女姿へと変身し、その剣先の無い処刑人の剣を構えた。
「殿下はどこにいったの!それにキリエは?」
「さあて・・・実家にでも帰ったんじゃないか?」
ルシアンヌは、何かを守るかのような位置取りをしている。彼女の後ろにあるのは、国王専用の控室だ。つまり、あそこに何か・・おそらくは、マルチェリーナとリーゼロッテだろう。
「王の間に、リーゼが居るのね・・?」
「確かめてみたらどうかね!!」
アンジュリーに向かって切り込んでくるルシアンヌ。咄嗟にエレナが前に踏み込んで切り結んで止める。
「ばかな傭兵だ。私になら敵うと思ってるのだろう?」
「アンナ=ユリアさんに自ら手を下さずに私に依頼したということは、そういうことなんじゃないの?」
「私は、そこらの下賤な奴らと違って、自ら手を下せる立場ではないからね!だからといって、傭兵より弱いとは限らないんだよ!」
ルシアンヌは口先だけでないようだ。エレナとその力は拮抗している。首を落とすための剣で、エレナの戦闘用の剣に引けを取らない動きをしている。だが、拮抗しているということは、魔力を失ったアンジュリーと魔力を持たないオフェリアがうまく立ち回れば、有利に動けるはずだ。
「少しぐらいなら・・」
「援護しますわ・・・」
アンジュリーは、幼少期に覚えた剣技を伝手に、慣れないコンツェシュを振り回す。その重さゆえに、有効打を与えることはできないが、ルシアンヌの動きを制限するには十分だ。オフェリアも、二挺拳銃を抜き、エレナの剣から間合いをとろうとするルシアンヌを怯ませている。
「そんなこざかしい・・こんな時に、私の部下たちがいれば・・」
「それはさっき片付けておいたから!」
「忌々しい傭兵がぁッ」
冷静さを失いつつあるルシアンヌ。さらに、うまく行動制限が効いたのか、エレナの剣先が、ルシアンヌを捕らえた。回避も防御も間に合わないだろう。一瞬、ルシアンヌの表情が恐怖にゆがむ。
「ひぐっぅ・・?!」
だが、彼女の首が宙を舞うことは無かった。エレナの剣が、突如現れた透明な防壁に阻まれる。弾かれたエレナが、剣ごとよろける。
「おや、騒がしいと思ったら、アンナ=ユリアさまですか。それにそちらの方は・・ああ、夜風の魔女の契約者さま・・たしか、ヴィジランテさまですね・・。そしてそちらのは・・たしか、商会の主エヴァレットさまでしたね・・。」
「リーナの魔女様」
混沌の魔女、ミオがどこからともなく現れて、ルシアンヌを守ったようだ。
「混沌の魔女・・・!キリエをどこにやったの!」
アンジュリーの呼びかけに、つまらなそうに答える。
「キリエ・・・羞明の魔女ですか。隠し持っていた魔具やら神器などを没収しましたから、今は抜け殻になっていますね。」
ミオは、何かを思い出したかのような表情を浮かべ、虚空から、黄金の天秤のような道具を取り出した。
「ああ、そういえば、羞明の魔女が<正義の天秤>を保有していましたよ、ルシアンヌさま。」
「魔女様、それは・・?」
ミオは、その天秤をルシアンヌに手渡す。
「これは、羞明の魔女に奪われていた神器<正義の天秤>です。もともとは、あなたが契約している、極刑の魔女ティアナ様がお持ちになっていた神器でしたが、このせいで真の力を発揮できないでいたのです。」
「つまり、これは私の魔女様のもの。」
「ええ、もう我慢しなくてもよいのです。ルシアンヌ様がしたいように、貴女の中のティアナ様を用いて、彼らを蹂躙してもいいのですよ。」
ミオの口ぶりからすると、ルシアンヌが契約している魔女は、ミオではなくて別の魔女のようだ。そして、天秤は、ルシアンヌの中に溶けるように飲み込まれていった。
「魔力が上昇していく・・・」
エレナが赤い目で見ながらつぶやいた。その言葉のとおり、ルシアンヌの装束が変容していき、法衣のような黒いローブを身に着け、禍々しい処刑具のような装飾が覆っていく。神聖なる縁取りをされた魔本が彼女を取り囲み、守るように展開された。その魔本自体もすさまじい魔力を帯びているようにオーラを放っている。
ミオは、ただその様子を、特に感慨もなく、冷静な表情で見守っている。だが、彼女が手を貸さなくても、ルシアンヌただ一人だけで3人をたやすく葬れるであろう威容があった。
「ここは、一旦退いた方がいいかもしれないわね・・。」
エレナが、はじめて弱音を吐いて、後ずさった。だが、その言葉を聞き逃すルシアンヌではなかった。
「3人とも、逃がしはしないけれどね。」




