第2話 最初の仕事は猿退治
眉間とこめかみに痛みを感じて覚醒すると、鼻の奥に強い刺激を感じた。
あまりの匂いに、苦しいほどむせる。
痛みの原因はこのアンモニア臭らしい。
涙がにじみ、目尻から流れ落ちる。
「起きたね? そろそろ目的地なんだ、立ち上がってよ」
しみる目を押さえながら立ち上がる。
涙をぬぐい目を開けると、黒いヘルメットが目に入った。
視界のはっきりしない目をこすっていると、後ろに回られる。
「届かないからしゃがんで!」
肩に重みを感じ引き下げられ、膝を曲げる。
自分の体を見ると、スーツの上にハーネスが装着されていた。
背中と腰が引かれ、何かが密着する。
「これ着けて」
右手に渡されたのはゴーグルだった。
訳の分からぬままに、それを装着する。
両腕をホールドするように、後ろから抱きかかえられた。
「いっくよ!」
目の前には、ぽっかりと空いた空間。
立ち上がろうとすると、体をひねられ足を払われた。
バランスを崩して頭から、その虚無へと倒れこむ。
空が見えて、海が見えた。
海の中に、島があった。
風圧で顔が歪む。
激しい風の音が耳をふさぎ、口から息が吸い込めない。
どうやらオレは空を飛んでいるらしい。
違うな。
空を、落ちているんだ。
悲鳴も上げられず、オレはただただ、近づいてくる島を見ていた。
***
事態を諦観し、空の上で肩を落としていると横なぎの突風で体が回転する。
何度も空が見えて、何度も地上が見えた。
目が回る、思考が奪われる。
「くっそ! 見つかった!」
首のすぐ後ろから怒鳴り声が聞こえて、我に返る。
そうだ、誰かが背中にくっついていたんだ。
首を回して話しかけようとした瞬間、体が持ち上げられた。
違うな、落下速度が急減速したせいで錯覚しただけだ。まだ落下している。
パラシュートが開いた?
体が縦になる。
視界の端に巨大な建物が見えたが、風に流され見えなくなっていく。
「あそこへ行くんじゃないのか?」
ようやく声が出せるようになって、思いのほか大声が出た。
「風で流されているんだよ、仕方がないでしょ。奴らの妨害だよ、多分」
後ろから聞こえた返答に首を後ろへ回すが、近すぎて顔が見えない。
「妨害って? 敵でもいるの? 聞いてないんだけど!」
「もう地上に着くから口を閉じて! 舌噛むよ」
しばらくして、森の中の少し開けた場所に着陸した。
***
「まったく、なけなしの金で買ったスーツがしわしわだよ。それで、君は誰? ここどこ?」
オレの背中に引っ付いていたのは、オレの目の高さくらいの身長の小柄な女の子だった。
黒のつなぎのようなコンバットスーツを身に纏い、デイパックを背負っている。
腰のベルトにはいろんなものが取り付けられていた。
ショートボブの髪を整えて、彼女が答える。
「私は西園寺凪咲。ここは学園から50kmは離れていないと思う。2日あれば学園には辿り着くよ」
「あ、ども。御子柴総一郎です。もしかして歩くの?」
「私、空飛べないし。総ちゃんは空飛べるの?」
「いや、飛べないけど。って、総ちゃん?」
「ダメだった? 私はサッチャンでいいよ」
「ナッチャンじゃないの? まあ、それはいいとして。学園から迎えに来てくれたりしないの?」
「来ないんじゃないかな? 総ちゃんってば、あまり歓迎されていないだろうし」
「マジか? 胃が痛くなってきたんだけど……」
「ぐずぐずしていると獣たちが寄ってくるから行くよ」
「獣って?」
サッチャンが歩き出したので、鬱蒼とした森の中へついていく。
森の日の光は密集した木の枝葉で遮られ薄暗く、土と緑の入り混じった匂いが鼻腔に広がる。
時折響く鳥の鳴き声にびくびくしながら、サッチャンの背中を見失わないよう足を進める。
「なあ、この森に獣がいるのか?」
「静かにして、声で気づかれるよ。あと、匂いも極力抑えて」
「匂いは無理だろ?」
「総ちゃん、そこは気合いだよ。……止まって」
上の方でガサガサと枝の揺れる音がした。
脚を止めて上を見ると、枝から枝へ飛び移る何かの影があった。
サッチャンが腰からサバイバルナイフを抜いて逆手に持ち、オレの前に立った。
「私のそばから離れないで! 猿が来る」
「獣って、猿なのか?」
左上からガサッと音がして、1メートルくらいの黒い塊が飛んできた。
サッチャンが右腕を無造作に振り上げると、ドサリと黒い塊が足元に落ちる。
それは黒い長毛の手の長い猿だった。
開いた口には牙があり、手の爪は鋭く尖っていた。
これに襲われたら死ぬな。
「くそっ。数が多い」
サッチャンがサバイバルナイフをもう1本抜き二刀を構える。
「オレには武器ないのか?」
「漢なら拳で戦いなよ!」
左右から同時に飛び掛かってきた猿をサッチャンが一回転してなぎ倒す。
スーツのポケットから皮手袋を取り出し、装着した。
数度、手をグーパーと握って開いて、皮手袋を手になじませる。
「後ろはオレがやる」
体を反転させ、サッチャンに背中を向ける。
胸の高さで軽く拳を握り、肩の力を抜く。
五感を研ぎ澄ませ、周囲を探る。
木から飛び降りた猿がワンバウンドするようにジャンプして顔に向かって飛んでくる。
体をそらせて避けようとして、サッチャンの頭に後頭部をぶつけた。
痛みをこらえて、真上に来た猿の胸を目掛けて拳を叩きこむ。
「総ちゃん、痛い! こぶできた!」
「ゴメン! タッグ戦は慣れていない!」
サッチャンと背中合わせのまま回転する。
右上から飛び降りてきた猿を裏拳で叩き落すと、サッチャンがすかさずとどめをさす。
8匹の猿を仕留めたところで、森の音が止んだ。
残心を解かずにサッチャンへ問いかける。
「終わったかな?」
「第一ステージは終了したみたい」
「第二ステージもあるの?」
「それは、カニの味噌汁」
「……神のみぞ知る?」
そっぽを向いたサッチャンがデイパックから水のペットボトルを渡してくれた。
「それ、総ちゃんの分。1本ずつしかないから、一口だけだよ」
サッチャンは自分のペットボトルから一口だけ水を口に含むと、ゆっくりと飲み下した。
オレも同じようにゆっくりと水を飲んだが、のどの渇きは治まらない。
「どこかに湧水とかないのかな?」
「水場は獣が集まるから危険だけど……行く?」
「サッチャンものどが渇いているんでしょ? 行こうか」
「総ちゃんがそう言うなら仕方ないな」
早足になったサッチャンの背中を追いかけて、さらに森の奥へ進んでいく。
第二ステージが無いように神に祈りながら。




