第12話 走るのは苦手らしい、歩《あゆむ》だけに
星野の1限目は9時から始まった。
オレたち3人と1匹は教室の後ろに用意された席で、授業参観のように授業風景を眺めている。
教師は40前後の男で、この島に来てから初めて目にする大人だった。
「この島って、どれくらいの大人がいるんだ?」
「大人の定義によりますけど、高校課程を修了している国民が4割です。そのうち1割が教師で、ほかはさまざまな職業に就いています」
声を潜めて問うと、歩が小声で答えてくれる。
「教師と言っても、専業ではなく研究者ですけどね」
「子供はいないのか?」
「総一郎さんが言っているのは、小学生以下の子供ってことですよね? まだ少ないですけど、いますよ」
「まだ少ない?」
「未開の地ですから、家族で住む人が少ないんです。一般的な産業もほとんどないですし」
「なるほどな」
と答えたものの、この学園が何のために存在しているかも、オレはまだわかっていないんだけどな。
50分の講義が終わり、10分の休憩を挟んで実習時間となった。
クラスのほぼ中央に座っている星野を見ると、黙々と課題を解いているようだった。
「ここの学生って頭いいの?」
「どうでしょう? 頭がいいとか悪いとかって、定量的に測れるものじゃないですし」
「ほう。でも、試験で定量化しているだろ? レポートだって評価されるだろうし」
「それって、勉強ができたり、要領がよかったりするだけですよね。本来的な頭の良さって、また別なのかなって」
「ふーん。歩は頭いいんだね」
「……だったらよかったんですけど」
左からは授業が始まって以降、ずっと静かな寝息が聞こえている。
腕を組んで微動だにしないサッチャンを見ると、口からよだれが垂れていた。
膝の上のナツキも熟睡している。
「暇だな」
「そうですか? 私は総一郎さんとお話しできて楽しいですよ」
「それはよかった」
午後の2コマは授業を入れていないということで、星野に学舎を案内してもらうこととなった。
自然科学が主体らしいこの学舎は、上層階の研究室エリアから、さまざまな広さの教室がある中層階、そして昨日の武道場を含む実習・実験用の低層階へと分かれていた。教師たちの研究室名が並ぶドアを、オレたちはただ興味深く眺めながら通り過ぎていく。
「星野はこのあと、なんの授業なんだ?」
「基礎トレーニング」
「それじゃ、体育館か?」
「外を走る。1年生は基礎体力が必要だから、持久力がつくまで走らされる」
「うっしゃ! じゃあ、オレも走るかな。サッチャン、ジャージとシューズある?」
「一応、用意しているけど、本当に走るの? 私は走らないよ」
「歩はどうする?」
「えっ……ご一緒した方がいいですよね?」
「じゃあ、一緒に走るってことで。サッチャンは留守番な」
座りっぱなしで強張った体をほぐすようにストレッチをしていると、校庭に学生が集まってきた。
「20キロだから、青の標識をたどって。きつくなったら、案内板にショートカットのコースが描かれているから、それ見て」
星野が学生の集団から出てきて、告げてくる。なんとも優しいことだ。
それにしても、授業でハーフマラソンかよ。
「ん、ありがとよ。でも、オレは星野と並走するつもりなんだけど」
「はっ、ついてこれるの? おじさんでしょ」
「いや、オレってまだ24歳だし」
「……びみょう」
『目標時間は2時間だ、押し合わないように順次スタート!』
教師の声が響き、学生たちがランニングコースへ流れ出す。
オレたちは最後尾からゲートを通ると、「ピッ」と電子音が鳴った。
「歩は走るの苦手か?」
ジョギングほどのスピードも出ていないのに、すでに息を弾ませている歩に問いかける。
「はぁ、名前が『あゆむ』ですから……はぁ、歩く方が……はぁ、得意です」
「わかった。無理するなよ」
前の集団がまばらになってきたのを見て、星野がスピードを少し上げる。
「歩! あとでナツキに迎えに行かせるから、自分のペースでゆっくり走って来い!」
後ろに一声かけて、オレもスピードを上げる。
一人、また一人と抜いていく星野の後ろを2メートルほど空けて、オレもついて行く。足元にはナツキが機嫌よく、飛ぶように走っている。
後ろから見る星野は腰の位置が高く、背筋が伸びていて姿勢がよかった。高い位置でまとめられたポニーテールが、リズムよく揺れる。
「前傾になるな、体を起こして鼻から吸って口から吐くんだ。そのほうが呼吸も楽になるぞ」
「脚で走るんじゃなくて、腰を回転させろ。足は勝手に出る。足は尻で押し出すんだ」
学生を抜くときに簡単な指導をしながら、星野の背中を追いかける。
「腕振りは肩甲骨を寄せるイメージで、大きく振らなくていい。目線を落とさず、5メートル先くらいを見るんだ」
的確なアドバイスが効いたのか、心なしか星野のフォームが良くなり、ペースがさらに上がった。
青い標識を見ると、12キロとなっていた。
「ナツキ、歩を迎えに行ってくれるか?」
「ニャー」と鳴いたナツキは、路側の立ち木を蹴って方向転換すると、後ろに向かって猛ダッシュで消えていった。
さて、そろそろ本気で走るか。ストレス解消!




