-サードセクター-
あの実技訓練から数日後のとある午前。
俺たちチームは、傑聖高校の特別カリキュラムである『社会視察』の一環として、街の外れにある「サードセクター」と呼ばれる区画を訪れていた。
「うわぁ……なんか空気が全然違うね」
先輩がそう呟く。
確かに、他の場所とは違い明確に異様な雰囲気を醸し出していた。
俺がこの時代で初めて見た、空を覆う透明なチューブや極彩色のホログラム広告が飛び交う中心部とは打って変わり、このサードセクターと言われる場所ではまるで時間が何十年も巻き戻ったかのように古びていた。
ひび割れたアスファルト、錆びついたトタン屋根の建物、そして路地裏に漂うカビと生活排水の入り混じったような嫌な臭いがしていた。
「酷いことに、この世界は能力の発症以降ステータスリングのランクによって明確に差別がされるようになってしまったんだ。そんな、ランク制度の導入により被害を被った方たちの多くが最後の砦として、このサードセクター周辺で生活することになったりしているんだ」
漆黒の制服を一切汚すことなく、涼しい顔で歩きながら和真が解説する。
すれ違う人々の左手首には、一様に鈍く淀んだ色のリングがはめられていた。
彼らの目は、朝日高校の生徒たちと同じように、あるいはそれ以上にどんよりと濁っていた。
「才能がない」というレッテルをシステムによって可視化され、社会の底辺に固定された者たちの諦観なのだろうか。
「フン……光の届かぬ掃き溜めか。だが、我が魔力に惹かれて寄ってくる魑魅魍魎どもには気をつけろよ人間ども」
結衣は相変わらず左腕の包帯を押さえながら大げさなポーズをとっているが、治安の悪い周囲の空気に怯えているのか、俺の背中から片時も離れようとしない。
俺は深くため息をついた。
この世界は狂っている。
能力という名の「才能」がすべてを決定づけ、それを持たない者は人間としての尊厳すら削り取られていく。
俺がかつていた時代でも才能による見えない階級は存在したが、ここまでシステムとして露骨に構造化されてはいなかった。
「あっ、こら! 待てクソガキ!」
不意に、路地裏から怒鳴り声が響いた。
見ると、みすぼらしい服を着た十歳くらいの少年が、 柄の悪い男に首根っこを掴まれて宙吊りにされていた。
少年の手から汚れたリンゴが転がり落ちる。
「ご、ごめんなさい……お腹が空いてて……」
「謝って済むかよ! Eランクのゴミ虫が俺の店から万引きしやがって!」
男の左手首のリングが黄色く光り、彼の手から微弱な電撃が放たれた。
おそらくCランク程度の「放電」の個性だ。
バチッ! という音と共に少年が苦痛に顔を歪めて悲鳴を上げる。
「や、やめろ……っ!」
「うるせえ! お前みたいな底辺は生きてるだけで社会の迷惑なんだよ!」
男がさらに強い電撃を浴びせようと腕を振り上げた、その瞬間だった。
「やめろぉぉぉっ!!」
俺の隣から、黒い弾丸が飛び出した。
レイ先輩だった。
彼は一切の躊躇なく男に突進し、その細い体で体当たりを食らわした。
「ぐおっ!? なんだてめぇ!」
「子供相手に、能力を使って苛めるなんて……ヒーローが許さないぞ!」
レイ先輩は少年を背中に庇い、男をキッと睨みつけた。
だが、男はレイ先輩が着ている傑聖高校の制服を見て一瞬怯んだものの、彼のリングの数値が「C+」であると気づくと、下卑た笑いを浮かべた。
「なんだ、エリート校の生徒かと思ったら俺と大して変わらねぇ底辺じゃねえか。正義の味方ごっこか? 笑わせんな!」
男の両手から、先ほどよりも強い青白い火花が散る。
「先輩! 戻ってください、学校の規則で一般人の方との私闘は……!」
俺の制止も聞かず、レイ先輩は両手を広げて一歩も引かない。
「結城くん、規則より大事なものがあるんだ。ここで見捨てたら、僕は一生本当のヒーローにはなれない!」
「死ねぇっ!」
男の放った電撃が、レイ先輩に向かって一直線に飛んでいく。
先輩の自己蘇生は怪我を治せても痛みを消せるわけではない。
まともに食らえば無事では済まない。
和真は相変わらず、少し離れた場所から冷ややかにこの光景を観察している。
結衣は「ひっ」と悲鳴を上げてしゃがみ込んでしまった。
……ああもう、本当に。
俺はブレザーのポケットに突っ込んだ右手の指先をわずかに弾いた。
狙うのは、男の電撃でも男自身でもない。
男とレイ先輩の間にある『空気中の微小な水分』だ。
ピキィィン……!
俺の放った目に見えない極小の冷気が男の電撃の軌道上に、絶対零度の「見えない氷のレンズ」を瞬時に形成した。
電気は純度の高い氷の中では極端に伝導率が下がる。
「……えっ?」
男の放った電撃は、レイ先輩の鼻先数センチの空中で「見えない壁」にぶつかったかのように不自然に屈折し、そのまま男自身の足元にある水たまりへと逆流した。
「ギャアアアアッ!?」
自らの放った電撃を足元からモロに浴びた男は、カエルのように飛び上がり、白目を剥いてその場に気絶した。
「あれ? 倒れた?」
目を固く閉じていたレイ先輩が、恐る恐る目を開けて首を傾げる。
「先輩、すごいじゃないですか。先輩の気迫に押されて、あいつ勝手に自滅しましたよ」
俺が涼しい顔ですっとぼけると、先輩は「えへへ、僕のヒーローオーラが効いたのかな!」とあっさり信じ込んだ。
先輩はしゃがみ込み、庇った少年の頭を優しく撫でた。
「怪我はないかい? もう大丈夫だよ。これ、あげるからもう万引きなんかしないでお母さんと美味しいもの食べなよ」
先輩は自分の財布から数枚のお札を取り出し、少年の手に握らせた。
少年は涙ぐみながら「ありがとう、ヒーローのお兄ちゃん…!」と深く頭を下げて走り去っていった。
「フン……光の戦士よ、なかなかやるではないか。私の出番はなかったようだな」
「結衣ちゃんも、後ろから魔力を送ってくれてありがとうね!」
相変わらずの痛々しい会話を繰り広げる二人。
だが、ふと和真の方を見ると、彼は気絶した男と走り去る少年を交互に見つめ、ひどく冷たい、虚無のような瞳をしていた。
「くだらないね。底辺同士が傷つけ合い、能力という暴力で優劣を決める。こんな世界、最初から間違っているのに」
「和真? なんか言ったか?」
「ううん、なんでもないよ。結城くんたちの連携、見事だったねって言ったんだ」
いつもの優しい笑顔に戻った和真。
だが、このサードセクターの澱んだ空気の中で見せた彼の横顔に、俺は得体の知れない薄ら寒さを感じずにはいられなかった。




