-模擬戦-
***
とある日曜日の朝。
日本のヒーロー育成における最高峰と呼ばれる『傑聖高校』の巨大な正門前に、俺たちは立っていた。
天を突くような白亜の時計塔と、要塞のように堅牢な門構え。
周囲を歩くエリートたちの洗練されたオーラに、俺はすでに胃が痛くなりそうだった。
正門をくぐる生徒たちの左手首には、軒並み『ランクB』以上の高ステータスを示すリングが誇らしげに輝いている。
「すっごぉーい……! テレビで見たまんまだ! 結城くん、見てよあの校舎、まるで城塞みたいじゃないか!」
そんな中、隣で目を輝かせているのは我が市立朝日高校ヒーロー同好会会長、久遠レイ先輩。
彼は二年生で俺の一つ上の先輩にあたるのだが、休日用のダボっとしたパーカーを着ているせいで、その小柄でひ弱な体格が余計に際立っている。
すれ違う傑聖のエリート生徒たちから「なぜあんな低ランクがここに?」と怪しまれる視線を向けられていたが、先輩は全く気にする様子もなく無邪気にはしゃいでいた。
羨ましい精神だ。
「先輩、あんまりはしゃぐと模擬戦の前に体力切れますよ。もう息上がってるじゃないですか」
「えへへ、ごめんごめん! でもさ、傑聖高校の方からわざわざ僕たちをご指名で模擬戦に招待してくれるなんて夢みたいだよ!まぁ、結城君目当てだろうけど!」
屈託なく笑うレイ先輩を見て、俺は深くため息をついた。
先輩は純粋に喜んでいるが、俺の心境は最悪だった。
先日、あのランクA+の化け物――黒桐和真は『傑聖高校からの使い』として俺たちに招待状を渡してきた。
だが、いくらなんでも話が不自然すぎる。
日本トップのエリート校が、なぜ俺が編入したばかりのただの一般校の、しかもあんな弱小ヒーロー同好会にピンポイントで目をつけたのか。
「絶対にあの女が裏で糸を引いてるだろ……」
絶対的な確証はないが、多分そうなのだろうと納得していた。
そして、入り口で入校の手続きを済ませ、案内された地下の巨大な『量子シミュレーター・アリーナ』という場所に足を踏み入れた瞬間、俺のその予想は確信に変わった。
「結城くーーんっ!」
全面が白銀の特殊合金で覆われたアリーナの中央。
待ち構えていた漆黒の制服姿の和真の横から、春の陽だまりのような満面の笑みを浮かべた少女が一直線に俺に向かって走ってきた。
世界に八人しか存在しない規格外の【ランクS】であり、俺をこの八十年後の世界に連れてきた張本人、御門恭子だ。
「結城くん、結城くん! 来てくれたんだね! もう、本当に会いたかったよぉ!」
ドフッ、という鈍い音とともに、恭子が俺の胸に勢いよく飛び込み、ギュッと抱きついてきた。
甘いシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
「ちょっ……おま、離れろ! 先輩が見てるだろ!」
「えへへ、やっとこの温かさだ。あ、初めまして、御門恭子です。結城くんがお世話になってます!」
「わぁっ、テレビで見たことある! あのランクSの御門さん!! 結城くん、すごい知り合いがいるんだねぇ!」
俺に抱きついたままペコリとお辞儀をする恭子と、目を輝かせるレイ先輩。
俺は頭を抱えながら、引き剥がすのを諦めて恭子をジト目で睨みつけた。
「……この模擬戦、お前が仕組んだな?」
「うっ……」
恭子はビクッと肩を揺らし、上目遣いで俺を見た。
「だって、結城くんに嫌われたくなくて前はああは言ったけどやっぱり、どうしても傑聖に来てほしかったんだもん!だから私、学校側に『どうしても実力を確認してほしい人がいる』って掛け合って、黒桐くんにお願いして招待状を持っていってもらったの」
やはりそうか。
黒桐和真があの場に現れたのは恭子からの依頼だったのだ。
「御門さんの頼みとあれば、断るわけにはいかないからね」
和真が柔らかな微笑みを浮かべながら一歩前に出た。
「でも結城くん。傑聖高校は能力至上主義の極致だよ。いくらランクSの御門さんの推薦とはいえ、実績のないランクEの君を特例で入学させるには学校側を納得させるだけの『確固たるデータ』が必要なんだよね」
「ちょっと待て、そもそも傑聖なんかに行くつもりは――」
「ルールは簡単だよ」
そんな俺の言葉を遮り、和真が静かに告げた。
「五分間、僕の攻撃を耐え抜くか、あるいは僕に一撃でもクリーンヒットを入れることができれば、君たちの勝ちね。ではもう始めちゃおう、環境シミュレーター起動」
俺に喋る隙も与えず、どうやら始めるらしい。
和真の声に反応し、先ほどまで真っ白だったアリーナの床と壁が瞬時に仮想の『廃墟の街』へと姿を変えた。
瓦礫の山とひび割れたアスファルト。
空の明るさまで完璧に再現されている。
問答無用。
俺の底を暴くために、ランクA+の化け物が本気で「試し」に来るのだろう。
「では、始めようか」
和真がそう言い、突如として試合の始まりを合図するブザーが鳴った。
***
先輩はとてもやる気が満々だ。
「よしっ、結城くん! 作戦は僕が突っ込んで隙を作るから、君が背後から――」
しかし、俺らが対峙している相手は、やる気だけでどうにかなる相手ではないのだ。
「行くよ」
レイ先輩が指示を出そうとした瞬間、突如として和真の足元の影が、まるで意思を持った蛇のようにうねり、爆発的に膨れ上がった。
「――『宵闇の腕』」
和真の静かな呟きと共に、周囲の瓦礫の影から、漆黒のドロドロとした巨大な腕が何本も這い出し、凄まじい速度で襲いかかってきた。
「うわぁっ!?」
レイ先輩が悲鳴を上げて飛び退く。
俺も慌てて瓦礫の陰に身を隠したが、闇の腕は容赦なくコンクリートの塊を粉砕し、逃げ惑うレイ先輩を的確に追い詰めていく。
「がはっ……!」
避けきれず、闇の腕の薙ぎ払いを腹に受けたレイ先輩が、ボールのように吹き飛ばされ地面をバウンドした。
「先輩!」
「い、痛い……! ゲホッ、でも、こんなのじゃ倒れないぞ……」
ひ弱な体躯でありながら、レイ先輩は血を吐きながらも即座に立ち上がった。
その瞳の奥には、異常なまでの『僕は絶対にヒーローになる』という狂気的な思い込みが燃えているのだろう。
だが、精神力だけでは物理的な戦力差はどうにもならない。
この世界ではハッキリと力の差が現れる。
和真も俺と同じでそう思っていたのか、悲しそうに目を伏せた。
「……久遠先輩。あなたの心は立派だけど、ランクがEじゃ僕の闇には触れることすらできない」
和真が右手を軽く握り込むと、先輩の足元の影が沼のように変質し、先輩の細い両足をズブズブと飲み込み始めた。
「なっ、動けない!?」
「さぁ、どうしたの結城くん、先輩を助けないの?」
和真の背後から、これまでで最大質量の『闇の塊』が先輩めがけて大砲のように撃ち出された。
直撃すれば間違いなく骨が砕けるだろう。
俺は瓦礫の陰で、深く息を吐いた。
正直、この模擬戦にはギャラリーがちらほらいるし、無数の監視カメラも回っているはずだ。
目立つ行為はなるべく避けたい。
でも……仕方ない。
先輩もそろそろ危ないし、バレないようにやるしかない。
俺は長袖のジャージの袖口から指先だけを出し、和真の死角となる位置から先輩へと迫る『闇の塊』の軌道上に向けて極小の冷気を射出した。
単なる氷の壁ではない。
空中の水分を分子レベルで凍らせ、屈折率を精密に操ることで周囲の景色と同化させる、誰の目にも見えない『絶対零度の透明な壁』を空中に創り出す。
――ガツゥゥゥンッ!!
凄まじい衝突音がアリーナに響き渡った。
先輩の鼻先わずか数センチの空中で、和真の放った強力な闇の塊がまるで『見えない壁』に激突したかのように理不尽に弾け飛び、四散したのだ。
「……え?」
死を覚悟して目を瞑っていたレイ先輩が間抜けな声を漏らす。
和真もまた、わずかに目を見開いて硬直していた。
「……おかしいなぁ。今の軌道、確実に直撃するはずなんだけどな」
和真が呟く中、俺は瓦礫の陰からひょっこりと顔を出しわざとらしく首を傾けてみせた。
「なんかよくわからないけど誰かが助けてくれたんですかね、先輩大丈夫そうですか?」
「う、うん! なんかよくわかんないけど大丈夫!」
単純なレイ先輩は俺の言葉をあっさりと飲み込み、影の沼から力ずくで足を引っこ抜く。
そして、再び無謀にも和真に向かって突進していった。
和真は俺の顔をじっと見つめ、何かを確信したように小さく微笑むと、再び闇の腕を展開した。
だが、ここからが俺の「すっとぼけ裏方作業」の真骨頂だ。
和真の闇の攻撃が先輩の急所を捉えそうになるたび、俺は死角からピンポイントで冷気を飛ばし、闇の軌道のわずか数ミリ横の空間を凍結させて攻撃を逸らしていく。
見えない氷のレンズを空中に乱反射させ、和真の狙いを物理的に狂わせる。
「危なっ! ……うわっ、また攻撃が勝手に逸れたぞ!?」
「多分、和真自身能力をまだ扱いきれてない部分があるんじゃないんですかね」
適当な御託を並べ立てながら俺は涼しい顔で氷の操作を続ける。
表立って戦うよりも、己の力を100%隠しながら相手の攻撃を無力化する方がよっぽど高度な処理能力を要求されるのだ。
だが、能力操作に関しては不思議なほどに簡単にできるものだったのだ。
自分自身でもよく理由はわかってないが、恭子の言っていた氷の継承者?として選ばれているかなんかが理由なんだろうと、そう個人的には納得していた。
そんな中、レイ先輩は何度も殴られ、吹き飛ばされ、すでに立っているのが不思議なほどのダメージを負っていた。
しかし、俺の密かな防御の甲斐もあって和真による決定打は避け続け、そして何より、先輩のその『異常な精神力』が和真の計算を徐々に狂わせていた。
「ハァ……ハァ……! まだだ、まだ終わってない……!」
ボロボロのひ弱な体。
だが、先輩が立ち上がるたびに、その体に微かな『光』が宿り始めていることに俺は気づいていた。
「レイ先輩。どうしてそこまで立ち上がるんですか。もう諦めましょう。先輩の体はとうに限界を超えているはずだ……」
短時間ではあるが一緒に過ごしていき、そんな言葉が先輩に届くはずはないと俺は知っている。
だが、現実は残酷だとも俺は知っている。
才能のない者は――。
俺がそんな否定的な思考を巡らせている中、先輩は叫ぶ。
「ヒーローは……勝つまで負けないんだよ!」
先輩が血塗れの顔で笑い、強く踏み込んだその瞬間。
彼の折れかけていた足の骨が、突如として一瞬に『再生』するような不気味な音を立てていた。
「先、輩……?」
先輩の傷がみるみる回復していく。
俺が聞いた話では、個性因子は単なる器に過ぎず、そこに強烈な「自分らしさ」への思い込みが結合した時に能力が発現する。
どうやら、先輩の中に眠っていた無色の因子が極限状態での『僕は絶対に倒れないヒーローだ』という強烈すぎる自己認識と結びつき、物理的限界を超えて『自己蘇生』という個性として具現化したのだ。
今、この瞬間に。
「……すごい。諦めない不屈の心が能力として実ったんだね」
和真が驚愕に目を見張る。
その一瞬の隙を突き、レイ先輩の渾身の拳がついに和真の頬をわずかに掠めた。
ピーッ!
その瞬間、アリーナに終了を告げる無機質な電子音が鳴り響いた。
どうやら、あっという間に五分間が経過していたのだ。
「……僕の負けだね」
和真は頬の傷をそっと撫でながら、ふっと柔らかく微笑んだ。
その直後、限界を迎えていたレイ先輩の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
俺は慌てて駆け寄り、その細い体を支えた。
「ほんと、無茶苦茶ですよ先輩」
「えへへ……結城くん、見たかい。僕の勝ちだ!」
先輩は満足げに笑い、そのまま気絶してしまった。
俺の否定的な考えを破り、先輩はどうやら奇跡を起こしたのだろう。
これは後で謝らないといけないと思いながら、アリーナのホログラムが解除される。
そして、恭子が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ねっ、黒桐くん! 私の言った通りでしょ! 結城くんの氷、すごく綺麗で強かった!」
「はい。見事な氷の操作でした。僕の目を誤魔化しきり彼を守り抜いた。君の力は傑聖高校でも類を見ない強さだよ。僕も君が入学してくれると嬉しいな」
そんな言葉を聞き無邪気に喜ぶ恭子に、俺は静かに首を振った。
「断る。俺は目立たないモブとして平穏に生きたいんだ。傑聖みたいなエリート校に行くなんて絶対にごめんだ」
「えっ……」
「もし学校側に俺の力をバラすなら、俺は泣きながら『自分には力なんてありません!』って言い張る。どんな試験でも一切本気を出さない。徹底的にただの底辺ランクEを演じ切って指一本貸さないからな」
俺の頑ななストライキ宣言に、恭子は悲しそうに眉を下げた。
だが。
俺は腕の中で気絶している、世界一ひ弱で、馬鹿で、最高にカッコいい先輩の顔を見下ろした。
「……でも」
俺は恭子と和真を真っ直ぐに見据え、不敵に笑ってみせた。
「もし、このひ弱な先輩も『一緒』に傑聖に入れてくれるよう学校に掛け合ってくれるなら、裏方として、少しだけ協力してやってもいいですよ」
恭子と和真は呆気にとられたように目を瞬かせた。
自分の力を隠すための交渉材料として、まさか「先輩を道連れにする」という条件を出してくるとは思わなかったのだろう。
「あははっ!」
やがて、恭子が満面の笑みで吹き出した。
「本当に結城くんは優しいね! わかった、私から学園長にお願いしてみる!レイくんのあの土壇場の覚醒データと私の推薦があれば、きっと特例で許可が降りるはずだよ!」
和真も嬉しそうに頷いた。
……言質はとった。
俺はため息をつきながら、気絶している先輩を背負い直した。
「傑聖高校、か。最高に面倒くさいことになったな」
呆れるように呟きながらも、なぜか俺の足取りはここ数年で一番軽かった。
そして、恭子はそんな俺の姿をみて誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
「――おじいちゃん、今度は幸せになってね」
彼女の目には薄っすらだが、涙が浮かんでいた。




