-変化-
そして、次の日の朝。
『――続いてのニュースです。昨夜未明、第三セクター付近において、またしても「能力消失事件」の被害者が発見されました。被害者は傑聖高校の三年生で…』
教室のモニターから流れる無機質なニュースキャスターの声に、クラスの空気が重く沈んだ。
どうやら、ここ最近、学園内や街で奇妙な事件が頻発してるらしい。
それは、『能力消失事件』。
文字通り、強力な個性因子を持つ生徒やプロヒーローが、ある日突然、その能力を完全に失ってしまうという不可解な現象だ。
被害者たちには外傷もなく、ただ「何か黒い影に包まれた」という曖昧な記憶しか残っていないらしい。
「能力が、消える…。そんなこと、本当にあり得るのかな……」
レイ先輩が、ステータスリングを不安そうにさすりながら呟く。
この世界の人間にとって、能力はアイデンティティそのものだ。
それを失う恐怖は計り知れない。
「フン、愚かな。何者かが世界の理を書き換えようとしているのだ。我が『暗黒星雲』も狙われるかもしれんな」
結衣が大げさに腕を組むが、その声もどこか強張っていた。
俺も嫌な予感を感じていた。
能力至上主義のこの世界において、能力を失うことは「社会的な死」を意味する。
被害に遭ったエリート生徒たちは皆、絶望のあまり学校を去っているという。
そんな事を想いつつ、ふと和真の方を見ると、彼はモニターのニュースを見つめたまま、一切の感情を読み取れない静かな瞳をしていた。
彼は今、何を思っているのだろうか。
いつも通りの授業を終え、昼休みを迎えた。
俺は一人で屋上のフェンスにもたれかかり、缶コーヒーを開けていた。たまには一人でいる時間も大事なのだ。
しかし、そんなチルタイムは長くも続かなかった。
「あ、結城くん! 見ーっけ!」
勢いよく屋上のドアを開けて飛び出してきたのは、御門恭子だった。
「お前な、あんまり俺に話しかけるなよ。また嫉妬に狂った連中に刺されそうになる」
「えへへ、ごめんごめん。でも、結城くんが最近疲れてるみたいだったから」
恭子はそう言うと、俺の隣に並んでフェンスから街を見下ろした。
風が彼女の髪を揺らす。
俺を八十年後の未来へ連れてきた、底知れぬ力を持つ少女。
だが、こうして隣にいると、ただの年相応の無邪気な女の子にしか見えない。
「……結城くん、ブラックコーヒーなんて飲んでるの? 苦くない?」
「別に。昔からこれだ」
「嘘だぁ。結城くん、本当は甘党でしょ? 昔から、考え事して煮詰まった時や、誰かの前で無理して強がってる時は、絶対に左手の親指の付け根を強く擦る癖があるもん」
その言葉を聞き、俺の思考が一瞬止まった。
「……え?」
缶コーヒーを持つ手が止まる。
俺の左手の親指は、まさに今、無意識のうちに人差し指の付け根を強く擦っていた。
心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。
「お前……なんで、その癖を知ってるんだ……?」
「えっ?」
「俺が甘党で、無理している時にこの癖が出るなんて親父とお袋くらいしか知らないはずだ。いや、親ですら、俺が中学生になってからは気づいていなかった。それを、なんで八十年後の未来にいるお前が知ってるんだよ」
俺の低い声に、恭子はハッと息を呑み、血の気を引かせた。
「あ…いや、その、ほら! 私、時間超越の能力があるから! 過去の結城くんのことも、未来からずっと観察してたっていうか……!」
明らかに動揺している。視線が泳ぎ、作り笑いが引きつっていた。
「恭子、お前は……一体誰なんだ?」
俺が一歩近づくと、恭子は「ご、ごめん! 授業始まっちゃう!」と逃げるように背を向け、屋上から駆け去ってしまった。
残された俺は、微かに冷たくなった缶コーヒーを握りしめながら、得体の知れない違和感に包まれていた。
ただのタイムトラベラーじゃない。
彼女は俺の人生の、もっと深い部分を知っている。
まるで、俺と『家族』であったかのように。
そんなモヤモヤした考えを巡らせるうちに、放課後を迎えていた。
恭子の言葉が頭から離れず、俺は一人で校舎の裏手にある旧校舎のエリアを歩いていた。
ここはあまり人が寄り付かないため、考え事をするにはちょうどいい。
しかし、その静寂は不快な音によって破られることになった。
「やめろ……! 頼む、やめてくれっ!!」
悲痛な叫び声。
俺は思わず、声のする方へ走ると、旧校舎の裏路地で、一人の男子生徒が地面に這いつくばっていた。
確か、二年生のトップクラスにいる、重力操作の能力を持つ先輩だ。
だが、その先輩は今、得体の知れない『泥のような漆黒の闇』に足元から飲み込まれようとしていた。
「俺の……俺の能力が……!! ああぁぁっ!!」
先輩の左手首にはめられたステータスリングの光が、ランクAから、B、C……と、猛烈な速度で明滅し、光を失っていく。
そして、俺は瞬時に理解した。
これが、ニュースで見た『能力消失事件』の現場なのだろう。
『関わるな。逃げろ』
俺の理性が、全力で警鐘を鳴らす。
だが、先輩の瞳に浮かぶ絶望の色は、かつて才能がないと宣告され、すべてを失った過去の俺自身の目と、痛いほどに重なった。
「――そこから離れろ!」
俺は気づけば、闇に向かって飛び出していた。
ポケットから右手を突き出し、先輩を飲み込もうとしている漆黒の闇に向かって、全開の冷気を放つ。
パキィィィンッ!!
空中の水分が瞬時に凍りつき、巨大な氷の壁が闇と先輩の間を分断した。
だが。
「……なっ!?」
俺の放った絶対零度の氷壁が、漆黒の闇に触れた瞬間、まるで酸に溶かされるように音もなく崩れ去っていったのだ。
物理的な温度など関係ない。
その闇は、あらゆるエネルギーを『無』に還す、次元の違う代物だった。
闇の触手が、氷壁を突き破り、今度は俺に向かって襲いかかってくる。
(避けられない……!)
そんな死を覚悟したその瞬間。
俺の脳裏に、先日結衣を助けた時に感じたあの奇妙な感覚がフラッシュバックした。
温度を奪う冷気じゃない。俺の力の本当の根源は…もっと深淵にあるもの。
「止まれ……っ!!」
俺は祈るように、残されたすべての力を右手に集中させた。
――カァァァン……。
瞬間、世界から音が消えた。
いや、音だけではない。
風の揺らぎも、舞い上がる埃も、そして俺の眼前に迫っていた漆黒の闇の触手でさえも。
すべてが、ピタリと静止していた。
視界の色が、まるで古い白黒映画のようにモノクロームに染まっている。
「これは……」
俺の能力の正体。
それは単なる『氷』ではない。
対象の分子運動を極限まで奪い去り、行き着く先にあるもの。
――『事象の凍結』。
つまり、空間の時間を局所的に停止させるという、神の領域の力だった。
これが、十三人の一人に選ばれた、始祖の力の片鱗なのだろう。
「素晴らしいよ、結城くん」
そんな自身の能力に感嘆している中、静止したモノクロームの世界の中で聞き馴染みのある声が聞こえた。
この空間で唯一、色を持った存在が、ゆっくりと暗がりから歩み出てきた。
漆黒の制服。
そして、足元からとめどなく溢れ出す、あの忌まわしい『闇』。
「和、真……?」
俺は息を呑んだ。
能力消失事件の犯人。
エリートたちの能力を次々と奪っていた黒幕は、俺の隣で優しく微笑んでいた、チームメイトだった。
和真は、俺の凍結した時間の中でも平然と動いていた。
彼の放つ【闇】が、俺の【氷】と相殺し合っているのだ。
「やっぱり君は、僕と同じだ。始祖の力。世界に選ばれてしまった、哀れな器なんだね」
和真は、いつも見せていた優しい微笑みではなく、深い深い悲しみと諦観に満ちた瞳で俺を見つめた。
「お前、なんでこんなことしてるんだ。みんなの能力を奪うことが、お前の目的なのか?」
俺の問いに、和真は静かに首を振った。
「奪う? 違うよ、結城くん。僕は、彼らを『救って』いるんだ」
「救う、だと…?」
「この世界は間違っている。個性因子なんてものが存在するから、人間は能力で格付けされ、期待され、あるいは絶望する。君だって、そうだったんだろう?」
どうやら、俺の事情を既に知っているらしい。
そんな和真の言葉は、俺の心の古傷を的確にえぐってきた。
「才能がないと蔑まれた君。そして、才能がありすぎたせいで、誰にも『黒桐和真』という人間そのものを見てもらえず、国益のための兵器として生み出された僕」
和真の闇が、彼の足元で悲鳴のように蠢いた。
「能力があるから悲劇が生まれる。なら、能力という前提そのものを、この世界から消し去ればいい。そうすれば、誰も才能に苦しむことのない、平等な世界が来る」
それが、黒桐和真という少年の狂った、極端すぎる救済の論理なのだろう。
彼の意見に、共感できない部分がないわけでもないのが正直な感想だ。
だが…それはあくまで、この時代に来る前の俺の話だ。
俺はどうやら、この時代での出会いを通じて少し変わったのだ。
「和真…お前は狂ってる。結衣も、レイ先輩も……能力のおかげで、自分らしさを見つけて前を向けたんだぞ!」
「それは一時的な錯覚にすぎないよ。いずれ彼らも、能力という呪いに飲まれて破滅する。だから……僕がすべてを無に還す。傑聖高校のメインシステムを掌握し、この街の……いや、世界のすべての個性因子を、僕の闇で食い尽くす」
和真は足元の闇に沈み込むようにして、その姿を消し始めた。
「明日の正午。傑聖高校は僕の闇に沈む。結城くん。君なら僕の闇に耐えられる。どうか、君だけは、僕の創る新しい世界で、君の望む、平穏なモブとして生きることを選んで欲しい。」
そんな一方的な言葉を残し、和真は俺の前か消えた。
「待てっ! 和真!!」
俺が手を伸ばした瞬間、空間の凍結が限界を迎え、ガラスが割れるような音と共に世界の時間が動き出した。
色彩と音が戻った裏路地には、能力を奪われて気を失った先輩と、俺だけが残されていた。
「……クソッ!!」
俺はコンクリートの壁を力任せに殴りつけた。
平穏なモブとして生きる。
それが俺の望みだったはずだ。
和真の言う「能力のない平等な世界」は、かつての俺が喉から手が出るほど欲しかった世界かもしれない。
だが。
『ヒーローは、どんな時でも仲間を見捨てないからね!』
レイ先輩の馬鹿みたいな笑顔が。
結衣の不器用な涙が。そして、俺を信じて未来へ連れてきてくれた恭子の顔が、次々と脳裏に浮かぶ。
「面倒くさいこと、しやがって」
俺の左手首で、Eランクに偽装されたステータスリングが、主の感情に呼応するように微かに熱を帯びた。
誰の期待も背負わない。
それは変わらない。
だが、俺の大切な「居場所」を壊そうとする奴がいるなら。
「……ぶっ飛ばしてやる」
俺は倒れた先輩を背負い、決意と共に暗闇の路地を歩き出した。
事態はついに、取り返しのつかない破滅へと向かって動き始めていた。




