-過去-
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『――あぁ、素晴らしい。また出力が上がっている。彼はまさに、国家の最高戦力だ』
『ああ。だが、あまり近づくな。あの【闇】は、触れたものを分子レベルで虚無に還す。安全装置が外れれば、我々など一瞬で消し飛ぶぞ』
黒桐和真の幼少期の記憶は、常に無機質な白い壁と、分厚い防弾ガラス越しに自分を観察する大人たちの「冷たい瞳」で埋め尽くされている。
彼が生まれ持った個性因子は、約一千年前から受け継がれる十三の始祖の力の一つ、【闇】だった。
彼も十三人の一人の選ばれた存在となっていた。
あらゆるエネルギー、物質、そして事象そのものを飲み込み、無に還す絶対的な力。
その発現は、和真がまだ五歳の時だった。
おもちゃのブロックで遊んでいた最中、些細な感情の乱れから漏れ出した闇が、自宅のリビングの半分を、そこにいた愛犬ごと「空間から削り取って」しまったのだ。
『ひっ……! 来ないで、化け物っ!』
その日を境に、両親の和真を見る目は「愛情」から「絶対的な恐怖」へと変わったのだろう。
そこから、和真は国の特務研究機関の地下深くへと隔離された。
彼に与えられたのは、太陽の光が一切入らない、純白で無機質な四畳半の隔離室だけ。
壁の向こうには、彼を観察するための分厚い防弾ガラスと、数台の監視カメラが24時間稼働していた。
「……ねえ、お母さんは?いつ迎えに来てくれるの?」
幼い和真がガラス越しに尋ねても、白衣を着た研究員たちは決して目を合わせようとはしなかった。
彼らはインターホン越しに、ひどく事務的な声で指示を出すだけだ。
『被検体01、感情の波長が乱れている。直ちに呼吸を整え、能力の抑制プロトコルを実行しろ』
「被検体…? 僕は、和真だよ……」
『警告する。抑制プロトコルを実行しろ。さもなくば、鎮静ガスを投入する』
そこに、普通の子供が経験するような温かい食卓や、友達との外遊びはない。
食事は、壁に設けられた小さなスリットから、栄養だけを計算された味気ないペーストがトレイに乗って押し出されてくるだけだった。
和真が少しでも恐怖や悲しみで泣き叫び、無意識に【闇】を漏らそうものなら、部屋には容赦なく催眠ガスが撒かれ、彼は意識を強制的に刈り取られた。
彼らは和真の「瞳」を見ていない。
彼らの網膜に映っていたのは、和真という人間ではなく、和真が作り出す『兵器としての闇』だけだった。
ある日、一人の若い研究員が和真に同情し、こっそりと一冊の絵本を差し入れてくれたことがあった。
和真は久しぶりに触れる「人の温もり」に心から喜び、絵本を抱きしめた。
だが、その過剰な喜びという感情の起伏が、彼の能力の安全装置を外してしまった。
気がついた時、和真の腕の中にあった絵本は、彼の足元から溢れた闇によって、分子レベルで虚無に消え去っていた。
『ああ……ダメだ。やっぱりお前は、愛や喜びすらも破壊してしまうバケモノなんだな』
絶望した若い研究員が放ったその言葉が、和真の心に決定的なトドメを刺した。
(誰も、僕を見てくれない)
(僕が何かを愛せば、僕の能力がそれを壊してしまう)
いくらテストで満点を取っても。
いくら能力の制御を完璧にこなしても。
大人たちは「すごい能力だ」と褒め称えるだけで、「えらいね、和真くん」とは決して言ってくれなかった。
黒桐和真という少年の心は、強大すぎる才能という檻の中に完全に閉じ込められていたのだ。
やがて、彼は一つの狂った、しかし純粋すぎる結論へと至る。
(この世界に『能力』なんてものがあるから、いけないんだ)
才能がある者は、その能力という記号だけで評価され、中身を見てもらえない。
才能がない者は、無能というレッテルを貼られ、社会の底辺で絶望を強いられる。
個性因子。
そんな不条理なシステムが存在する限り、人間は永遠に本当の「自分」を見失い、悲劇を繰り返す。
『なら、僕の【闇】ですべての能力を消し去ってしまえばいい』
誰も才能に怯えず、誰も才能に縛られない。
全員が空っぽの、ただの人間になれる「平等な世界」。
それこそが、和真が思い描いた、あまりにも孤独な救済の形だった。
傑聖高校に入学したのも、その計画のためだ。
日本中のエリートが集まるこの学園のメインシステムを掌握し、自身の闇を増幅させて都市全域の個性因子を食い尽くす。
その準備を進める中で、彼は一つの奇妙なチームと出会った。
才能がないのに、絶対に折れない心でヒーローを名乗る久遠レイ。
孤独から逃げるために、滑稽な中二病を演じ続ける西城結衣。
そして――自分と同じ強大な【始祖の力】を持ちながら、それをひた隠しにして底辺を演じる、田中結城。
和真は、彼らが能力というシステムに苦しめられながらも、もがく姿をずっと観察していた。
最初は、彼らもまた能力社会の犠牲者であり、自分が救済をしてやらなければならない哀れな存在だと思っていた。
だが、どうやら彼らは違ったみたいだ。
底辺同士で傷つき、時に滑稽に振る舞いながらも、彼らは決して「自分らしさ」を手放さず、不器用な絆を深めていった。
(わからない。どうして君たちは、そんなに笑えるんだ)
中間試験のサバイバル演習を終えた日の夕暮れ。
和真は、校舎の屋上から、夕日に照らされた街を見下ろしていた。
あの三人の眩しすぎる姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
彼らを見ていると、自分の抱いている「能力のない平等な世界」という崇高な理想が、ひどく冷たく、虚しいものに思えてくるのだ。
「……結城くん」
和真は、左手首のA+のリングを静かに撫でた。
「君たちは、僕の計画のノイズだ。これ以上君たちと一緒にいたら、僕の心が揺らいでしまう」
黒桐和真の足元から、ドロドロとした漆黒の闇が音もなく溢れ出す。
その闇は、彼の孤独と悲しみを象徴するかのように、周囲の光をすべて飲み込んでいった。
計画を、早めなければならない。これ以上、あの温かいチームに居場所を感じてしまう前に。




