-緊急事態-
そんなやり取りの後、俺たちは実習を行うために訓練所まで赴いた。
そして、俺たちが到着したことで実習が始まった。
その日の実技訓練は、本来なら簡単な仮想空間での『拠点防衛』のはず―――だった。
だが、ダイブして数分後に思わぬ展開が起きた。
『――警告。システムエラー発生。未確認のデータコードが混入。環境シミュレーターに異常』
無機質なアナウンスと共に、仮想の街の空が赤黒く染まり、空間がノイズのようにバグり始めた。
「な、なんだこれ!?」
俺が驚愕する中、地面の瓦礫が禍々しい形に融合し、三メートルを超える巨大な異形のバケモノへと姿を変えた。
『測定不能、推定ランクA』
「嘘だろ……なんでこんなバケモノが!!」
聞いていた話と違う。
教師に中止を要請しようとしたが、通信機からはザーザーという砂嵐の音しか聞こえない。
ログアウトすら強制的にロックされていた。
「誰かが、外部からシステムをハッキングしてる……?」
俺はハッとして周囲を見渡した。
なぜ気づかなかった、先ほどまでいた和真がいつの間にかいなくなっている。
いつもなら余裕の笑みを浮かべているはずの彼が、このバグ空間の中で、まるで最初から存在しなかったかのように姿を消していた。
「ギャァァァッ!!」
異形のバケモノが咆哮を上げ、巨大な腕を振り下ろしてくる。
「結衣ちゃん、危ないっ!」
レイ先輩が飛び出し、結衣を突き飛ばした。
ドゴォォン!!
先輩が、バケモノの腕の直撃を受けて壁まで吹き飛ばされる。
「がはっ……! あ……ぁ……」
「先輩っ!!」
自己蘇生の能力があるとはいえ、Aランク相当の攻撃をまともに受ければ、限界はすぐにやってくる。
先輩は血まみれになり、ピクリとも動かなくなってしまった。
「あ……あぁ……っ」
結衣は尻餅をついたまま、ガタガタと全身を震わせていた。
バケモノの赤く光る目が、今度は結衣を捉える。
「いや……来ないで……!」
結衣は左腕を前に突き出すが、魔弾は出ない。恐怖で集中力が完全に切れているのだ。
「私……漆黒の堕天使なんかじゃない……! 痛いのは嫌だ、死にたくない……っ!!」
ついに結衣の口から、中二病の殻を破って、怯えきった「本当の少女」の悲鳴が漏れた。
バケモノの巨大な拳が、結衣を押し潰そうと振り下ろされる。
(……クソッ!)
俺は結衣の前に躍り出ると、能力の出力をギリギリまで絞り、ポケットの中で右手を振るった。
直前、バケモノの拳の関節部にある水分を「絶対零度」で凍結させる。
ギシッ……!!
振り下ろされるはずの拳が、結衣の頭上わずか数センチで不自然に空気を噛み、ピタリと止まった。
「……え?」
結衣が間抜けな声を漏らす。
俺はそんな結衣に背を向けたまま、冷や汗を流しながら吐き捨てた。
「おい。お前がただのビビりな普通の女子だってことは、俺はさっき教室で知った」
「結城、くん…?」
「でもな! ここで気絶してる馬鹿な先輩は、お前が『最強の堕天使』だってことを、一ミリも疑わずに信じ切ってるんだよ!」
俺の言葉に、結衣はハッと息を呑んだ。
ボロボロになって倒れているレイ先輩。
彼は、結衣が強がって被っていた「痛いキャラクター」を、一切馬鹿にすることなく、本気で「かっこいい」と受け入れてくれた、初めての人間だ。
「結衣」
俺は肩越しに、怯える少女を真っ直ぐに見た。
「一人ぼっちから逃げるためのキャラなら、今すぐやめろ。でも、もしお前が、自分を信じてくれたあの馬鹿な先輩を守るために、本当に『漆黒の堕天使』になりたいって言うなら」
俺は、凍りついたバケモノの拳を睨みつけた。
「俺も、お前のその痛い設定を、全力で信じてやる」
空気が、静まり返った。
結衣は目を見開き、そして…ポロポロと涙をこぼした。
防衛機制でしかなかった設定。
虚勢。
嘘っぱち。
俺には彼女の気持ちは十分に理解できる。
でも、その嘘っぱちの自分に、初めて「仲間」ができたのだ。
「ふっ、フフフ……」
結衣が、立ち上がった。
その顔からは、もう先ほどまでの怯えは消え去っていた。
涙を拭い、彼女は自ら右目の眼帯を引きちぎり、地面に投げ捨てた。
「我が力は、世界を拒絶するためのものではない……!」
結衣の左目と、隠されていた右目が、同時に強い光を放つ。
この世界における能力は、「強烈な自分らしさ」の発現だ。
彼女は今、過去の自分を守るための『逃げの中二病』を捨て、仲間を守るための『攻めの中二病』へと、その精神の在り方を完全に書き換えたのだ。
「世界よ、我が真の姿に平伏せ……! 我は漆黒の堕天使、西城結衣!! 我が眷属に手を出した罪、その命で購え!!」
結衣の左腕の包帯が、凄まじい魔力……いや、個性因子の奔流によって弾け飛ぶ。
これまでとは桁違いの、文字通り「暗黒星雲」のような漆黒の重力球が、彼女の腕から生み出された。
「消えろぉぉぉっ!!」
放たれた重力球が、バケモノの胸ぐらに直撃する。
空間そのものを削り取るような圧倒的な破壊力。
バグによって生み出されたAランク相当のバケモノは、断末魔を上げる暇もなく、漆黒の光に飲み込まれて跡形もなく消滅した。
これが、本来の彼女の能力ということなのだろう。とんでもない存在だ。
『――ターゲットの消滅を確認。システムエラー修復。ログアウト処理を開始します』
無機質なアナウンスが響き、仮想空間の空が元の色に戻っていく。
「やった、やったぞ人間! 見たか私の力を!」
荒い息を吐きながら、結衣が俺の方を振り返って無邪気に笑った。
「……ああ。痛いけど、ちょっとだけかっこよかったぞ。堕天使」
俺がため息混じりに笑うと、結衣は顔を真っ赤にして「ふ、ふんっ!」とそっぽを向いた。
「う、うーん……あれ? 敵は……?」
そんな中、どうやらレイ先輩が自己蘇生を終え、ふらふらと立ち上がる。
結衣は慌ててレイ先輩に駆け寄った。
「フンッ、貴様が寝ている間に、私がチリにしてやったわ! 感謝するのだな!」
「わぁっ! さすが結衣ちゃん、最強の堕天使だね!」
二人のやり取りを見ながら、俺は胸の奥に温かいものが広がるのを感じていた。
結衣は過去を忘れたわけじゃない。
ただ、かつての防衛機制を「今の自分が幸せになるための本当の力」へと昇華させたのだ。
俺もいつか彼女のように、この「平穏なモブ」という殻を破って、本当の自分をさらけ出せる日が来るのだろうか。
「……素晴らしい奇跡だね」
ふと、ログアウトの光に包まれる直前。
視界の端の瓦礫の上に、いつの間にか戻ってきていた和真が立っているのが見えた。
彼は、結衣とレイ先輩が笑い合う姿をどこか酷く悲しそうな、冷たい瞳で見下ろしていた。
その瞳に宿る絶望の深さに、俺が気づくのは、もう少し先のことになる。




