第17話 偽装して、潜って、迎え撃っちゃいましょう
リリアナ様は、少し話しただけで目に見えて呼吸が浅くなった。
私はすぐにバインダーを閉じる。
「……もう今日は休んでください」
「ですが……」
「起きているほど接続が揺れるなら、寝ている時がいちばん消耗が少ないはずです」
私が言うと、セイル様も短く頷いた。
「その通りだ。今夜は動くな」
リリアナ様は悔しそうに唇を噛んだあと、やがて小さく頷いた。
「……分かりました」
隣室へ戻っていく背中を見送ってから、私は大きく息を吐いた。
「で」
机の上に聖典とスマホを並べ直す。
「私とセイル様で行きます」
「当然だな」
「当然なんですけど、そのまま行ったら即終了です」
「私を誰だと思っている」
「顔が良くて有名な最重要危険人物です」
「後半が余計だ」
「大事です」
私は指を立てた。
「なので、セイル様には偽装してもらいます」
「偽装?」
「はい。地味なのじゃなくて、派手に」
セイル様の眉が寄る。
「派手に、だと」
「えらい人に化けてください」
沈黙。
私は真顔で続けた。
「高位司祭とか、封印監査官とか、とにかく誰も正面から止めにくい人です。細かい手続きより、まず通ることが大事なので」
「……雑だな」
「潜入なんてそんなものです」
「お前は時々、本当にろくでもない発想をする」
「でも合理的でしょう?」
セイル様は少し黙ってから、低く言った。
「……できなくはない」
「やった」
「短時間だけだ。長くは保たん」
「十分です。私は随行の記録係で行きます。詳細は現地で合わせます」
「現地で合わせるな」
「でもたぶん、そこまで詰める時間ないですよね」
それには反論がなかった。
研究室が少しだけ静かになる。
「目標は、第二祈祷庫の奥の保管庫」
私はスマホのメモを見ながら言った。
「失敗例の記録を見つける。持ち出しは危険だから、その場で読む。必要なら写す」
「見つからなければ」
「別の保管棚を漁る。見張りが来たら逃げる」
「簡潔でいいな」
「時間がないので」
そう言うと、セイル様は私を見た。
疲れている。顔色も悪い。
でも、その目だけはもう完全に覚悟を決めていた。
「……今夜だ」
「はい」
「戻れなくなるかもしれん」
「それでも行きます」
即答すると、セイル様の銀の瞳がわずかに細くなった。
「……やっぱり、馬鹿だな」
「知ってます」
私はバインダーを閉じた。
「じゃあ、派手な偽装、お願いします。どうせならめちゃくちゃ偉そうな人で」
「注文が多い」
「そこ、かなり大事なんで」
そう言い返してから、私はふと手元のバインダーを見下ろした。
「……あと、その前に」
「何だ」
「迎え撃つ準備もしておきます」
セイル様の眉がわずかに上がる。
「教会へ向かう前に、か?」
「だからこそです」
私は机の端にあった塔の見取り図を広げ、赤いペンで正面ホールを囲んだ。
「来るのは分かってるんですよ。だったら、帰ってきた時に“どうぞご自由に侵入してください”じゃ話にならないでしょう」
セイル様は無言で見取り図を覗き込む。
「正面ホールは開けます。ここがいちばん広いし、あなたの術式も使いやすい。側廊下は閉鎖。地下通路は遅延式を二重。リリアナ様の部屋へ続く導線には、緩衝結界を重ねてください」
「……細かいな」
「根回しと段取りは、事務職の本領です」
私は即答した。
「相手がえらい組織ならなおさらです。導線、順番、例外処理。そこを押さえれば、ちょっとくらい格上でも足を取れる」
セイル様は少しだけ目を細めた。
「お前の言うちょっとは信用できん」
「今回はかなり本気のちょっとです」
そう言いながら、私はさらに書き込んでいく。
「結界が破られたら合図は一回。正面侵入で二回。リリアナ様の部屋周辺に触れられたら三回。緊急時の退避先は研究室と東棟の空き保管庫。最悪、そこまで持ちこたえれば時間は稼げます」
「……会議室予約の延長みたいに言うな」
「でも似たようなものです。要は誰がどこで何をしたら一番まずいかを先に潰すだけなので」
セイル様の口元が、ほんの少しだけ動いた。
「……本当に、お前は妙な女だな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めていない」
そう返しながらも、セイル様はもう見取り図の横に新しい迎撃術式を書き込み始めていた。
黒いインクみたいな魔力が、紙の上で音もなく走る。
正面ホールに拘束鎖。階段下に迎撃槍。側廊下には侵入検知。リリアナ様の部屋の前には、緩衝と隠蔽を兼ねた薄い膜。
その手際の良さに、私は思わず見入る。
「……やっぱり、こういうの速いですよね」
「誰の塔だと思っている」
「顔が良くて有名な最重要危険人物の城です」
「そこへ戻るな」
でも、その声はさっきより少しだけやわらかかった。
私は見取り図を見下ろしながら、小さく息をつく。
よし。
これで、何もしていないわけじゃない。
来るなら来い。
その代わり、通る順番はこっちで決める。
「……じゃあ改めて」
私はバインダーを閉じた。
「塔の受け入れ準備は済みました。次は、教会に潜って答えを取りに行きます」
セイル様は短く頷く。
「ああ」
その一言が、正式な開始合図みたいに研究室へ落ちた。




