第73話 フリューゲン王の苦悩
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フリューゲン王の苦悩
王の間には静寂が満ちていた。重厚な絨毯の上を歩く足音すら、どこか場違いに響くほどに。
玉座に腰かけるフリューゲン王は、ひとり深く思考に沈んでいた。その手には、臣下が持ち帰った報告書。グリーンドラゴンの出現、被害の広がり、そして討伐任務の進捗。
その最後に書かれているのは、たった三人の若者による討伐作戦の開始――カール=キリト、セリア=レインハルト、リアナ=クラウゼ。
「……わしは、やりすぎたかもしれんな」
ぽつりと漏れたその声には、国王の威厳よりも、一人の父親としての苦さが滲んでいた。
カール――あの若造。身分はなかったが、あらゆる実績を積み上げ、気がつけば王都でも名の知れた冒険者となり、貴族社会にすら足を踏み入れていた。そして、よりにもよって、愛娘エミリーゼの心を射止めてしまった。
「……ふん、あやつめ」
あの日のことを思い出す。エミリーゼが真剣な眼差しで「結婚を考えているの」と言った時のことを。血が逆流するかと思った。王としての面目も、理性も、吹き飛びそうになった。
――なぜ、よりによってあやつなのだ。どうして、わしの娘が。
羨ましさと、妬ましさ。王である前に、ひとりの父親である。その胸のうちをかき乱す感情は、あまりにも人間的で、情けないものだった。
だが、王は感情だけでは動けない。
グリーンドラゴンの脅威は日々増していた。各地に飛来し、村を焼き、民を恐怖に陥れるその姿。軍を動かすべきだという声もある。しかし、それには時間がかかる。戦力をまとめ、後方支援を整え、補給路を確保しなければならない。何より、隣国との緊張状態も続いている今、戦力を一箇所に集中させるのは致命的な隙となる。
「軍は、動かせぬ。今は、まだ……」
声にした瞬間、歯がみした。無力感が、骨の奥まで染み込んでくる。王としての決断は、常に国全体の均衡を見据えたものになる。だが、民が死ぬ。娘の愛した男が、危地に向かう。それをただ見ていることしかできない現実。
「くそ……!」
拳が玉座の肘掛けを打つ。力加減を忘れるほど、悔しかった。
――なぜ、わしがあの男に頼らねばならんのだ。
剣聖とはいえ、たった一人の剣で、竜と相対するなど正気の沙汰ではない。リアナの魔術、セリアの槍も確かに一級品だ。だが、それで竜を仕留められる保証などどこにもない。
「だが、それでも……」
彼らしかいなかったのだ。この国の現状において、迅速に動けて、なおかつ実力があり、竜との戦いに臨める者たち――その条件をすべて満たす者たち。
そして、娘のために命を懸けることを、ためらいもせず受け入れる男。
「……本当に、惜しい。こんなかたちで、託さねばならぬとは」
フリューゲン王は立ち上がり、窓の外を見やった。王城から望む空は、どこまでも澄んでいる。だが、その遥か彼方で、若者たちは命をかけた戦いの最中にある。
かつて自分が若かった頃を、ふと思い出した。誰かを守るために剣を握り、理不尽に立ち向かった日々。そういう男たちが、王国を支えてきた。
「……ならば、信じてやるべきか。あの男を。娘の想いを」
エミリーゼは、もう子どもではない。王としてではなく、父として娘を見つめたとき、彼女が選んだ道に反対する理由は、何ひとつとして見つけられなかった。
「もしも、あやつが帰還した暁には……祝福してやるか。すぐには無理だが、少しくらいは、笑ってやれるかもしれんな」
口元にわずかな笑みが浮かぶ。それは、王ではなく、父としての顔だった。
「……帰ってこい、カール=キリト。わしの娘を泣かせるなよ」
その言葉は、誰に向けたのか、自分でも分からない。だが確かに、心からの本音だった。
王は再び椅子に腰を下ろし、報告書を閉じる。その瞳には、かすかに迷いが残るものの、ひとつの決意が宿っていた。
王として、父として――フリューゲンは、ただ祈るしかなかった。
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