ミモザの城ー王国の御令息・4
言い放ったロベールに、ぐっと体ごと体重をかけてのしかかられた。逃れようとするルナの衿に、ロベールの指がかかり布の裂ける音がした。
後ろで素早く動く気配がし、執事長がロベールを引き剥がそうとする。
覆い被さり首筋に顔を埋めるロベールの肩越しに、ルナは執事長と視線を合わせて「大丈夫」と声には出さずに伝えた。
執事長の顔に一瞬驚きが浮かぶ。ルナはもう一度「大丈夫」とうなずく。執事長は、伸ばした腕を戻しはしたものの、ロベールに手の届く位置にいる。
首筋に触れるロベールの唇と吐息が不快で、突き飛ばしたくなるけれど、今はそうすべきではない。何がなんでも揉め事は避けたい。
ルナは呼吸を整えるとゆっくりと瞬きをし、自分からロベールの耳許に唇を寄せた。
「がっかりですわね」
甘く響くよう小声で囁くと、ロベールの動きが瞬時に止まった。さらに首に腕を回して、ロベールに抱きつくようにする。
「ほんと、失望しましたわ」
クスクスと笑うルナから、ロベールが勢い良く体を起こした。ルナの腕が簡単にほどける。もともと力など入れていない。
ルナはソファーに押し倒された状態のままロベールを見上げ、目を細めて笑って見せる。
「王国の殿方は恋愛上手だと聞いていましたのに、この程度ですの?」
「これなら公国紳士の方がよほど素敵ですわね。……聞くほどにもない」
乱れた髪に手をやる。髪を巻き上げていた櫛を一気に引き抜いて、頬に落ちた髪を耳へと丁寧にかけた。
「もっと素敵に口説いて下さるかと思えばなんてこと」
言いながら自ら身体を起こし、ロベールの胸をトンと掌で突いてやれば、面白いように座っていた元の肘掛けソファーへと戻って行く。
鳩が豆鉄砲をくらったような顔とは、正にこれだろうとルナに笑いが込み上げる。
「どんな一夜の恋を下さるかと思えば。残念・ですわ」
言葉を重ね、膝上まで捲れ上がったスカートをを戻して、指先で衿を確認する。わざとではないにしても、やはり縦に裂けているようだ。これでは、この城にいる間は着られないだろうとのん気にも考える。
大して肌は見えないけれど、夜巡りの護衛と廊下で出くわしでもしたら面倒ではある。
部屋を見回すと、ルナの手の届く小卓にレース編みのテーブルクロスが敷かれているのが目に入った。
立ち上がりざまに指で端を持ち上げ、首から肩へ巻き付ける。ほどいた髪を整えてその上から背中に流した。
「ロベール様、今夜はお酒が過ぎましたわね? 私もそう。きっとお互い朝には何も覚えていない」
そうでしょう? ルナは片眉だけ上げて微笑を浮かべた。
「朝には忘れる」と教えてくれたのはアランだ。きっと王国には、そう言えば酒の席での振る舞いの全てが許されるような風習があるに違いない……聞いた事はないけれど。
便利なのでルナも活用させてもらうことにする。
ロベールはルナにひたりと目を据え、瞬きひとつしない。酔った赤い顔のまま惚けている。
「では、今夜はこれでは失礼を」
ロベールに向かい、過去に一度もしたことのない淑女がするような礼―――平民のルナがこれをするのは、相手を小馬鹿にするようであまり勧められたことではない―――をした。
執事長にロベールを止めようとしてくれた事への感謝の意味を込めて、ルナが笑みを向けると、執事長は深々と一礼してからドアを開けてくれた。
執事長に軽く会釈を返して歩き出す。
廊下の角を曲がった所で一気に脚から力が抜けた。
壁にもたれて、浅い呼吸を繰り返す。今になって緊張を感じる。部屋から出られはしたが、このやり方が正しかったのか。そもそも具体的にどう逃げるかなんて、公国では誰も教えてくれなかった。
……頭痛までしてきた。ルナは壁に背中を押し付けて、その場にズルズルと座り込んだ。横座りした脚から伝わる床の冷たさが心地よくさえある。
静かな廊下に小さく響く足音が、ルナの耳に届いた。
酔いを全く感じさせない確かな足取りは、ワインを飲みすぎたロベールのものではない。
「でも今出たドアの辺りから始まったような気がする」と考えて、執事長の開けてくれたドアの陰になる位置に、誰かいたのだと思い当たる。
曲がらないで真っ直ぐ通り過ぎてくれれば良い。そう願った足音は、ピタリとルナの前で止まった。
執事長が時折、気遣わしげにドアに目を向けるのを見て、近くにいらっしゃるのではないか、とは思っていた。
低い声が頭上でする。
「何をされた?」
―――そう、この方。アラン様が。
「何もされていません」
ルナはこめかみを押さえていた手を膝の上で揃え、ゆるゆると声の主を見上げた。壁掛け燭台の灯りで見るアランの表情はひどく険しい。険しくとも、美男ぶりは損なわれないものだとルナは感心する。
「何があった?」
ルナの返答が気に入らなかったのか、眉間のシワが深まる。
「なにも」
ひっそりとルナは笑んだ。
侯爵家のワイナリーで造られた美味しいワインを勧めて下さって、ロベール様も私も二人してお酒が過ぎたのでお開きになった、それだけです。そうアランに説明する。
「それで、角を曲がるなり座り込むのか」
アランの声が、さらに低くなった。




