後期祭ー騎士の姫君・4
「おからかいになるのも程々にしてください」
姫君に苦言を呈するセドリック。
照れた様子もかわいいわね・と姫君が目で語りかけ、わかりますとルナが受ける。
「声に出ていなくても、言っていることが分かる気がする……」
セドリックがため息を吐いた。
それを機に姫君が軽い動きで、すっと岩の上に立ち上がった。
「さて、呪術師殿。今後は、如何されるおつもりですか」
二百年も眠っていたとはとても思えない軽やかな動き。ようやく笑いのおさまった姫君に威厳が満ちた。
「まだ浅学の身で呪術師と名乗れるほどの腕を持ちませんので、今、姫君のお力になる事はかないませんが。いつかお役に立てますように精進する所存です」
セドリックも真顔になり、姫君に向かい自らの左胸に右手を当てて答える。
これが、高貴な方々に対す正式な姿勢なのだろうと、ルナは視線が煩くならないよう気をつけながら二人を眺めた。
「おそらく、あなたがここへ来たことで既に術は解けて、私はこの地から離れられるようになっています。私を呼び出したその香。当代の呪術師殿は、知らずに使っているようですが、その香は強すぎる。悪しき物をも呼び起こしてしまいます」
指摘されたセドリックは、目を見開いた。その様子を見る限り、姫君の言うように知らなかったようだ。
「当代まで、きちんと伝わっていないようですね。反魂香には幾つかの種類があり、使い分けが必要です。さらに他の香もあります。香の処方箋は揃っていますか」
薬師の真似事をしていて呪術の知識はないと口にしていた姫君だけれど、ルナには十分に呪術にも精通してみえる。
「いえ。断片的にしか伝わらず、元となる薬草の生育場所も不明な物が多く」
セドリックの返答に姫君が軽く顎をひいた。
「私の部屋の本棚に、赤い表紙の日記があります。その一段下にある青い表紙の薄い冊子が、呪術の処方箋です。差し上げましょう。行くことがあれば、持ち出して構いません。それを楽しい話を聞かせて下さった今夜の礼と致しましょう」
光栄ですと、セドリックが深く一礼する。
続けてルナが呼ばれた。
「彼のピンを持っていますね。いいの、そのままで」
ご所望ならばと、マントの打ち合わせからピンを外そうとしたところを止められた。
「いつかそのピンが呪術師殿の助けになるかもしれません。お持ちなさい。そしてこれを」
言いながら、ルナの手のひらに真鍮製の鍵を一本落とす。
「私の部屋の鍵です。城の西側の二階、角から二部屋です。本棚はこの部屋に」
思わずセドリックを見ると、小さく頷いている。遠慮はかえって失礼に当たるのだと理解したルナは、「若い頃に貴族のお屋敷でメイドをしていた」という女性に教えられた、平民に相応しい一礼をした。
「かつての優秀な呪術師のおかげで、ここにいる間も退屈はしていなかったけれど、今宵が最も楽しい時間となりました」
ルナにとセドリックに対して、優雅に姫君が述べる。
「またいつかお会い致しましょう」
姫君らしい非の打ち所のない笑みを浮かべた。その輪郭は、騎士の時と同じく、淡く夜に溶けかけている。
「良い男振りの呪術師の若君、会えて良かったわ。そして騎士の事を気にかけているけれど」
姫君は口角を美しく上げたまま、ルナに視線を向ける。
「あの者は、私の死後、親の勧める令嬢と結婚をして子供を何人ももうけたはずよ。死してから若い頃の姿に戻り私を探していたの。年寄りの姿ではなくてね」
姫君は「若作り」と毒づくが、ルナはそこに姫君から騎士への親愛の気持ちを感じる。
「だから、気にかけてやる必要などないの。あの者は幸せな人生を送ったのだから」
暗さの微塵もない声で、言い放つ。
この方なら「アレがいないならダンスは踊らない」と言い張るだろうと思われた。騎士を「アレ」呼ばわりする事が王家では一般的なのか、はたまたエステレイル姫君独自のものなのか聞きたいところではあるけれど。
もう時間がない。
「大円舞会のファーストダンスは」
声をかけるルナに、姫君がふわりと笑む。
「ファーストダンスは、どなたと?」
姫君の笑みが深まった。
「お父様よ。ピアノ講師をクビにすることを条件に、お受けしたの」
良い質問ね。姫君がくるりと身体を翻した瞬間に、その姿が消えた。
ランタンの灯りに照らされた平らな岩の上には、今の今まで無かったこんもりとした白灰が乗っている。
思わずルナが灰へと手をかざす。動きに合わせて風が流れ、灰を空中へと運んだ。なすすべもなく見守るうちに、灰は跡形も無くなり姫君の痕跡もまた、なくなった。
ただ何もない岩の上から視線を外さないルナの肩に、セドリックが労うように手を置いた。
「反魂香がなくなったんだ」
「さみしい? 若君」
セドリックに聞いてみる。
「いや、寂しくはない。なんというか、また会う気がして」
なぜだかと呟くセドリックのポケットに、姫君からもらった部屋の鍵を押し込む。
「私も。いつかまたお会いする気がして」
砦跡には自分たちの気配しかしない。
「戻ろう」
セドリックがルナの手を取った。ルナは素直に頷きセドリックをちらりと見る。姫君のキスのお相手を務めた男振りの良い呪術師の若君。
「……姫君の言った事は忘れていいから……戻ろう」
なぜかルナの思考を正確に読み取ったセドリックの手は、どこまでも優しかった。
今夜は気兼ねする必要などないのに、なぜかこっそりとキッチンの通用口から館に入る。
竈には夜でも灰のなかに種火を残してあるから他の部屋より暖かいのだと、セドリックが言い、ふたりで竈を背もたれにして座り込んだ。
言うとおり、背中からじんわりとした暖かさが伝わる。
「姫君は、お寂しくはなさそうでしたね」
「うん。でも僕達が行かなければ、ずっとあの場所から動けなかった。だから行って良かったんだ」
ルナの呟きをひろってセドリックが答える。
「本当にお綺麗な姫君でしたね」
「……うん」
「笑い声は鈴を転がすようで。……お会い出来て良かった」
「そうだね」
セドリックが繋いだ手を少し引き寄せる。ルナの頭がことりと、セドリックの肩に当たった。
「もたれるといいよ。僕も君の肩を借りるから」
「ありがとう……」
ルナの声はもう眠気を含んでいる。背中は暖かく、隣に人がいることで暖かさが増した。
ふたりはもたれ合って眠りに落ちた。
指先を繋いだままで。
ここまでで「収穫祭と騎士と姫君」編は終了です
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