第53話 頼るな
今月もあと少し……書きたいです。
小野は朝食を終えた後、物理の参考書をタブレットに映しながらノートにシャーペンを走らせていた。
(ボールの2秒後の水平方向の速さは……高さ何mのビルから投げても水平方向の初速度が秒速5mだから……)
彼はノートに「vx=5m/s」と書き込んだ。
(次、2秒後の鉛直方向の速さは……式に当てはめて……)
ノートに単純な数式を書き込んでからそれを小野は頭の中で解いた。そして式の隣になんてこともない様子で答えを書いた。
(次は……)
静かな部屋の中にカリカリと黒鉛の削れる音がほとんど途切れなく鳴り続ける。彼は度々スマホの画面に映し出されているタイマーの数字を見ながら高校で使っている問題集を解いていた。
(落下地点は投げたところから何m……。まず何秒かかったか求めて……)
問題文を見た時点でアプローチの仕方が頭に浮かんでいる。後は式を立てて計算するだけであった。
ある程度のところでシャーペンを使う音が止まると今度は赤いボールペンが小さな丸を描く音に変わる。全問正解だ。そして、最後の回答に丸を付けた時点でちょうど良くタイマーが鳴った。
小野はその音にビクリと反応したがすぐにそれを止めるとそのままスマホを手にぎゅっと握った。そして、「7SUP」を起動した。
「誰からも来てない……」
そこに未読のメッセージはなかった。
(笹川君と山田君はもう、誘ってくれないのかな……?)
彼はいつしか2人が4人で集まる代わりに2人だけで集まっていると何となく気付いていた。彼らと小野はどこか波長が合わないことを彼自身分かっていた。
(袴田さんは……)
同年代の女子と2人きりで自分の部屋、あるいは相手の部屋にいることを想像しただけで、小野は顔が熱くなった。したがってその手の誘いを直接することはもちろん、メッセージを送ることさえも無理であった。
(それに、栗林さんと一緒にいるみたいだし……)
(……僕だけ独りだ)
小野は背を丸めて顔に暗い影を落とした。
(みんな何を考えているか分からないし……笠原先生も頼りになるのかならないのかよく分からないし)
心臓が嫌な跳ね方をする。群れから外れれば襲われるのが世の理であると彼は考えていた。
小野は立ち上がると机の天板に腰を下ろし、先ほどまで後ろにあったものを見つめた。それは精巧に作られた切り取った自然の一部であった。丈こそ足りないが、その下に入ればまるで自然の中にいるような錯覚を覚えることができる。もちろん花も枝も葉も全て造り物であるが、一見しただけでは気付かないほどよくできていた。
(これも、作ったけど……リラックスできるけど……)
小野は鼻を動かし、そこから漂う森林のような香りを感じた。陰に置かれたアロマディフューザーから静かに匂いが立ち上ることで、造り物の葉や幹に香りを付けていた。
(もう、なんか……)
小野は緑々しい葉の色が妙に色あせて見えた。ゆっくりと目を閉じる。
(どこかに入れてもら……えないかな……。ここにいても……)
(できるなら……松葉さんのところかな。一番このゲームを上手くやっているみたいだし……)
真っ先に浮かんだのは雄弁に話をする松葉の姿であった。
(松葉さん以外の人もすごくできるみたいだし……猪鹿倉さんとか……。僕でも投票数分くらいの役には立つから……でも……)
(時田さんたちは入れてくれるかな……)
次に、時田たちが同じグループのメンバーをアシストする姿が浮かんだ。
(ちゃんとグループになって吉野さんとかに立ち向かっていたし、少し怖そうだけど、別に犯罪者じゃないし……でも……)
(吉野さんのいたところは無理だし、水鳥さんのところはもっと無理だし……)
彼らの姿が思い浮かばなかったわけではない。ただ、そこに彼の居所がないことは考えなくても分かりきったことであった。
(笠原先生は何を考えているのか分からないし……、ここにいてもなんか、省かれているような感じがするし……)
最後に自分が所属しているグループを改めて評価したが、やはり居場所はないと彼は感じてしまった。
小野は机から降りると床に座り込み、じっと造り物の自然に目を向けた。
(でも、笹川君たちを敵にするのは……何か違う……。でも、向こうから誘わなくなったのは事実だし、自分が生き残るためなら……)
少なからず彼らとともに恐怖を乗り切ってきた分、小野はもう一歩先に踏み込むことができないでいた。
(それに、裏切ったら殺される……。でも独りでいたくない……怖い……苦しい……)
彼の目の前にある造られた空間は何も語りかけてこない。風が吹いていないために枝葉に全く動きがなく、不自然である。
(生き残るには……生き残るにはどうしたらいいんだろう?)
小野は目の前の一画に問いかけたが、当然返事はなかった。
(最初から……失敗だったのかな……? 笠原先生の誘いに乗ったから……。でも、他のところから誘いは来ていなかったし……、それに、自分から声をかけることなんてできなかったし……)
頭を悩ませても答えは出ない。彼はゆっくりと立ち上がり後ろを向いた。
(もう一回、問題集解いてよう。そうすれば考えなくていいし、それに……)
(真面目にやっていれば、多分、神様が見ていて……僕が死なないようになんか、やってくれると思うし……)
それがただの願掛けであると小野自身は知っていたが、そう考えていた。何故ならば、そうすれば問題集を解くのにも一層力が入り、そのため余計なことを考えることなく時間を過ごせるためであった。
*
(ああするしかなかったんだよね……)
丸橋は自分の部屋のソファに体育座りをしながら目の前の壁をぼうっと見つめていた。
(私たちが生き残るのにはああするしか、ないんだよね……)
彼女は弱々しく目を閉じるとこれまでの北舛の言動を思い出した。確かに彼女は優しかったし、いつも柔和な笑みを浮かべていた。しかし見方を変えれば緊張感もなくいつもへらへらしていたとも取れるものであった。
(……優し、かったよね、うん……)
丸橋による北舛の評価は揺れている。しかし、グループに所属している以上、水鳥の考えに従う以外の選択肢はなかった。
(ああするしかなかったんだよね……)
数日前、水鳥とそのグループのメンバーは仁多見を残して集合し、そこで仁多見に投票するよう指示を受けた。それから数日後、今度は北舛を残して集合し、またしてもそこにいない人物に投票するように言われた。一気に票を集めることが大事だと釘を刺され、後は水鳥から分かりやすい合図を送るのを待つだけであったが、その合図は丸橋の予想よりも早く、訪れた。
(仕方ないんだよね……。私たちが生き残るには……。でも……)
丸橋は胸に膝を押し付けるようにして一層縮こまった。
(私も失敗したことあるから……)
ぶるぶると細腕が震える。ぎゅっと手のひらで押さえつけるように抱きしめても、治まらない。
(ほんとはみんな、私が呼ばれていないところで集まっていないかな……? 私投票先に決められていないかな……? 誰かに聞いたら教えてくれるかな……?)
(教えてくれる人は……)
彼女は視線を落とした。目の前のテーブルに憔悴しきった丸橋の顔がうっすらと映る。
(いるの……? 仲のいい人なんていないし……)
誰、と名前が出てくる人物はいない。
(もし教えてくれても……それって……)
部屋の中はひたすらに静かである。自身の呼吸音がはっきりと聞こえる。
(嘘、つかれないよね……? 私、騙されやすいから、嘘つかれていても分からないよ……)
(もう……どうしよう……)
丸橋は唇を震わせると胸に膝を寄せた。
(究君を疑うなんて……良くないことなのに……。どうしたらいいか分からないよ……)
処理しきれない感情がついに決壊し、丸橋はじわりと目に涙を浮かべ、ポロリと膝にこぼした。
(もう分かんないよ。本当にそうだったらもう、何もできないよ……。だってホントにそうなのか、何が合図なのか、何も分からないよ……。究君がみんなに合図を送ったら私、死ぬ……)
(だって、究君がここまでみんなを引っ張ってきてくれたのに、信じないなんて……究君の方が大変なんだし……、でも私、が、死ぬのも、どうして……)
考えがまとまらない。なまじ自分の命がかかっている分、客観的に物事を考えているようで全くそんなことはない。一度溢れた涙は次から次に産生されていく。
丸橋はしばらくの間そうやって泣いていたが、やがて涙が枯れ始めると同時に頭がすっきりするように感じた。
(うん……究君に聞きに行こう。きっと、究君なら……。ダメだったら……、でも……それくらいなら……みんなとの約束……破っていないもんね……)
彼女はスマホを手に取ると「7SUP」を開き、水鳥の名前をタップするとそこにメッセージを入力した。
『聞きたいことがあります。今からお部屋に行ってもいいですか?』
返事が返ってくるまでの時間はとても長く感じるものである。それがたとえ1、2分の話であっても丸橋は胸がドキドキと激しく動くのを感じた。
『ちょうど今なら大丈夫だよ』
(あっ、よかった……)
丸橋はほっと息を吐いた。そして、今更なことであるが、前髪を整え、スー、ハ―と深呼吸をして脈を落ち着かせると、「カードキー」の水鳥の名前をタップした。一瞬のうちに彼女の姿はそこから消えた。
(よかった……。ホントによかった……)
十数分後、水鳥の部屋から戻った丸橋は自分の部屋を発ったときと同じく涙で目を腫らしながら、しかし微笑んでいた。
(究君に聞いてよかった……。究君を疑うなんてよくないことなのに、ちゃんと話を聞いてくれたし、違うって言ってくれた……)
彼女はよたよたとソファまで向かい、そこでストンと腰が抜けた。足が痺れて力が入らないが、それでも気にならなかった。
「あっ、おしぼり」
彼女の言葉にスマホが反応し、テーブルの上に温かいおしぼりと冷たいおしぼりが用意された。
(目の腫れ、取っておかないとだもんね。究君に言われちゃったし)
*
江守はベッドに座りながら毛布を体にかけ、ガタガタと震えていた。
(どうして夏里サンと御法川サン……死んじゃったの……。それに……)
彼女はもしかしたら自分が死んでいたかもしれないという事実に体を縮めた。
(私があのきんつばを取っていたのかもしれないのよね)
(みんな……)
江守には広間で死んだ3人の姿が鮮烈に残っていた。彼女たちの死は、視覚情報だけではなく、音として、熱や振動として、そして何より臭いとして伝わっていた。特に、独特のあの臭いは未だに鼻の奥に貼り付いているように不快で消える気配がなかった。
(……)
それだけならともかく、苦悶に満ちた声とは言えない音も、生暖かくざらざらした皮膚の感触も、全て脳裏に残っている。それらは全て間近で立体的に伝わってくる情報であった。透明なケースの中で起こっていることを毎日見ていたとはいえ、それらは平面的で遠くの出来事であった。従って3人の死に江守は全く慣れることがなかった。
彼女は毛布を頭からかぶるようにして何かから身を隠した。未だに震えは止まらない。何とか朝食を食べて歯を磨くくらいのことはできたが、それ以上に何かをすることができていない。
(死にたくない……死にたくない……)
江守は頭の中で必死に念じながら恐怖が踵を返すまでひたすらベッドの上で毛布にくるまりじっとしていた。部屋の明かりが無意味に輝いていた。
(やっと去っていった……)
朝食を終えてからしばらく経ったころ、ようやく彼女の恐怖は輪郭を保てずに霧散した。
(あの水とペレットってやっぱり効果あるのね。なんか落ち着くお薬が混ざっているのかしらね……)
江守は纏っていた毛布を肩から外すとベッドの上に丁寧に畳んだ。そして寝室のドアに手をかけた。
「お茶でも飲もうかねぇ」
そう口では言っても、いざダイニングの食卓を見ると一昨日死んだ参加者の姿が思い浮かぶ。彼女は俯いて唇を震わせ、同じく震えている足の行き先をリビングに変更した。
ようやくソファに座ると江守はスマホに向かって「お茶」と小声で呟いた。すぐさま目の前のテーブルに湯気の立つ湯呑が現れた。彼女はそれに手を添えた。じんわりと優しい温かさが手のひらに広がる。
(死にたくない……武志に会いたい……実希ちゃんに会いたい……制服姿も、花嫁姿も見たい……)
手のひらから体全体に熱が伝わると江守は次々に思い出していった。息子のこと、孫のこと、これまでの生活のこと……当然どれも失いたくないものばかりであり、彼女がそれらを失うということは一番大事な人も同時にそれらを失うということであった。
(だから……もう……やるしかない、のよね……。そうしないと……自分が殺されるかもしれないし……)
透明なケースの中で犠牲者が死んでいく様はどこか非現実的であったが、ケースの中の人物は皆と言ってもいいほど恐怖と苦痛を表情に貼り付けていた。そこに入れられたらどうなるのか、江守は容易に想像できた。そもそも透明なケースに入れられていない場合でもそれは変わらなかった。
(死にたくない……)
彼女は湯呑から立ち上る湯気をじっと見つめた。
(『他人に飲食物を強要しない』なんて言われなくてももう、勧められても口にするわけがないし……)
(気を付けないと……殺されるのよ……。できることは……もう、この部屋に誰も招かないようにして……、食べ物飲み物は毎回新しいものを用意して……、あと……広間のブロックをよく見て……、座布団を敷いて……、なるべく時間ギリギリに行って、背中を人に見せないようにして……)
警戒すべき点を挙げながら江守はだんだん気が昂っていた。無意識の内にわざと大げさに呼吸を行っている。
(そうよね、気を付けないと……。そうしないとまた殺されてもおかしくないのよね……)
(全員敵なんだから……同じグループの人たちも……いずれ吉野サンみたいに何かしてくるに決まっているのよね……)
江守は唇をぎゅっと結んだ。
(近づいてくる人なんて絶対に悪いことを考えている人なだけよね)
(でも、そんなあからさまにしていると……怪しいから殺してもいいって、きっかけを与える。だからね、疑っていることがバレないようにそういう人と関わっていくしかないのねえ……)
彼女の頭は、これまでと比べれば年不相応なほどに回転していた。
(でも部屋に引きこもることもできないし……やっぱり、どうしても、他の人と関わらなくちゃいけないの、だから、振りだけでもなんとかして……)
江守は手にしている湯呑を口に付けることはなかった。その中身が冷めることに気付くまでぎゅっと握り続けていた。
「そろそろ……」
江守は立ち上がるとスマホを手に持って「カードキー」を開き、行き先に広間を指定しようとした。しかし、人差し指はボタンに触れなかった。
(あと1分……、2分ならまだここにいられる)
心臓が激しく鼓動を始める。その反動で自身が揺れているような錯覚を覚える。息苦しくなる。
*
広間に集まる参加者は皆葬式に出るかのような悲痛な面持ちをしている。事実、葬式のように学生服姿とスーツ姿の参加者の姿がチラチラと見受けられるが、ただその葬式は誰のものになるのか分からないし、もしかしたら自分のものになるかもしれない。時が来ると同時にそこは薄暗くなり、一層葬式のような雰囲気を醸し出す。
「『透明な殺人鬼ゲーム』、27日目、はっじまっるよー。みんな参加しているね。投票は10分後、それじゃ、すたーとぉ!」
ニニィが昨日と同じくご機嫌に聞こえる声で開始の合図を告げると、モニターごと姿を消した。
「さて、今日も不要な人物を決めなくてはなりません。どなたか候補はありますか」
イニシアチブを素早く手にしたのはやはり松葉であった。
(……)
すぐに答える者はいない。聖人の皮を被り続けていたいのか、誰かを直接名指しするのをためらっているのか、それともそもそも答えるつもりがないのか、誰も何も言わない。松葉はゆっくりと立ち上がった。
「それなら私が言いますね。高橋美帆さん」
高橋の背中に地獄の冷気が振り掛かった。その冷たい気体は舐めるように腹や手足に伝わっていく。
「あなたはこのゲームにおいて必要な人物ですか?」
松葉は薄っぺらい笑みを貼り付けたまま相手をじっと見つめた。
「わ……わた、私……?」
唐突に自分の名前が呼ばれた高橋はすぐに頭が回らなかった。それに加えて参加者の視線が集中している。彼女は注目の的になることに慣れていない。
「ええ、あなたです。このゲーム中、あなたが生きていることは私たち全体の利益になりますか?」
松葉が同じことを繰り返して追い打ちをかけた。
「私……、私は……」
高橋は何かを言おうとしているが、言葉が出ない。取っ掛かりさえない。誰も庇いに現れない。代わりに彼女は他の参加者の顔を必死で見渡し、その中の1人に目を付けた。
「水、水鳥君……助けて!」
「僕、ですか?」
水鳥は目を丸くしてパチパチと瞬きをしたが、すぐに続けた。
「ええと、そうですね……。僕も高橋さんのことをよく知りませんので教えていただきたいのですが、高橋さんは何か得意なこと、あるいは僕たちの中で自分にしかできないことはありますか?」
「えっと、その……、でも……」
生き残るためのヒントが与えられても高橋は上手く反応できなかった。
「それなら、お仕事は何をされていますか?」
水鳥は柔らかい声で具体的な質問を行い、助け船を出した。
「あの、スーパーでお惣菜作って……」
しかし高橋は俯いたままボソボソと答えただけである。
「何か趣味はありますか?」
再び水鳥が優しく問い尋ねる。
「あ、絵を描くこと……かな」
高橋は変わらず聞き取りにくい声で返事を返した。ただ、それでも少しだけ顔を上げてはいた。
「運動は何かされていますか?」
まるで見合いのように水鳥から質問が飛んでくる。死ぬか生きるかの瀬戸際でなければ世の女性から嫉妬されるような甘い質問にも聞こえかねない。実際、彼の周りに座る参加者から高橋へ冷たい視線が向けられている。
「あ、ずっと美術部だったから……。でも、仕事で重い物も持つから普通の人よりあるかも」
高橋は少しだけ頬を緩めた。水鳥は優雅な微笑みを見せると「今のような感じで、自分の特技を言っていけば他の参加者へのアピールになりますよ」と言い、あとは微笑んだまま高橋に話す権利を委ねた。
「あの、えっと……」
それでも高橋の口から言葉らしい言葉は出てこない。眉を下げてチラチラと水鳥の方を向くが、その水鳥は微笑んだまま高橋を見ているだけである。
「えっと……私はスーパーで働いているから重い物も持てるし、料理もできます。あと、絵も描けるから役に立ちます」
そして、ようやく口にした言葉はそれであった。
「絵が描けると何の役に立つのでしょう?」
松葉が端的に切り返す。
「あの、え? 水鳥君……」
高橋の視線の先の人物は優雅な笑みを器用に浮かべたまま何も答えない。
「何の、役に立つのでしょう?」
松葉が詰め寄った。
「あの、絵を描けるから……」
何とか高橋が言えたのはそれだけであった。松葉はシンプルな結論を出した。
「つまり何の役にも立たないと、そういうことですね」
「ちが、ちがって……水鳥君!」
高橋が助けを求めたのはまたしても水鳥であった。しかし、彼はゆっくりと首を横に振った。
「残念ですが、ご自身で把握していない強みを僕が見つけてあげることはできません」
水鳥の動作や表情は他の参加者に本心でそう思っていると完璧に伝えるものであった。
「でも……」
「でもも何もよお!」
中川が大声で割り込んだ。
「自分が生き残るために自分の価値をアピールすんだろおが! 人任せにするもんじゃねえだろ!」
「あっ、でも……」
高橋の心臓は激しく鼓動している。
「なにも思いつかないならば今日の投票先は高橋さんに決まりですね」
松葉がどんどん話を先に進める。
「え、待って……」
手のひらにじわりと嫌な汗をかいていく。
「他に何かありますか? それでは残りの時間でどんなアピールをするか、高橋さんには考えていただくことにしましょう」
松葉はそう言い終えると白いブロックに腰を掛けた。
「まずは立って話せよ! 聞こえねえんだよ!」
時田がヤジを入れると彼の周囲に笑いが起こった。高橋は顔を真っ赤にすると言われた通り立ち上がった。
「でも、そんなこと言っても私より力がなくて頭が悪い人なんているじゃない……」
「今検討しているのは高橋さんがここでの集団生活に不要かどうかで、他の人についてはまた別日に考えることです」
わずかに見つけた逃げ口もあっという間に松葉に塞がれる。
「何をもって誰かを自分より不要な人物と思ったのか分かりませんが、今日の場合、単純に高橋さんが下位18名に入っていれば、どちらが先でどちらが後でも関係のない話です」
水鳥に助けを求めようにも彼の周囲からの刺すような視線が飛んでくる。
後はもう、自分を生き残らせるべき理由を話す以外に彼女ができることはなくなっていた。
(だって、私がいいなって思っていることも、みんなにはマイナスの評価になるかもしれないし……)
高橋はゴクリと唾を飲んだ。そして、自分の強みを話そうとするが、声は出なかった。喉や舌が乾いて貼りついていると思えるくらい音になっていなかった。
彼女は喉を揉んで、「あ……、あー……」と何とか声が出るようにした。
「えっと、わた、私は重い物を持つのに慣れているし、料理もできるし、働いているから、ちゃんと決まり事を守るし……言うこと聞くし……。だから、私はいた方がみんなの役に立つ、と思います」
それから高橋が口にしたのは先の言葉に似た台詞だけであった。その度に飛んでくるのは時田や中川のヤジ、水鳥の静かな視線、松葉の虫けらを見るような視線……。それらは無防備な高橋に突き刺さっていった。
次第に息は荒くなり、脂汗がジワリと湧き出し、立っているのでさえも無言の重圧のせいで難しくなり、頭は空回りし続ける。
そして――。
「そろそろ投票の時間だよー」
ニニィがそろそろと言いながらも彼女が現れたということはこの直後に投票の時間となることを表している。参加者たちは高橋の自己アピールを聞いてどう思ったのか、それを暗闇の中で票に反映させ、そして、彼らの周囲に光が戻った。
「今日の犠牲者は高橋美帆さんでしたー!」
*
(僕じゃなかった……)
望月は単純にそう思った。
(よかった)
彼は透明なケースの中に入っている誰かのことなど全く意識していなかった。ただテレビを見ているような感覚であった。
「はっじめまーす!」
ニニィは声色を明るくして言った。
高橋は透明なケースの端に立って荒く呼吸をしながら左右を見渡していたが、突然左腕が不自然に肩の高さまで持ちあがると指が弾け飛んでケースに赤っぽい染みを作った。尋常ではない痛みに高橋は大きく口を開いて右手で左腕を添え、その赤黒い何かから左腕を抜こうと全体重を後ろにかけるが、全く抜けることはなく、それどころかジワリ、ジワリ、と吸い込まれていき、彼女の苦痛は激烈に増し、ふっ、と一瞬の間があった後、一気に体が持っていかれて透明なケースを赤黒いまだらのケースに変えた。
「それじゃ……って、今日は昨日と同じセリフだったけど、使いまわしじゃないからね。それじゃ、今度こそバイバイ」
ふらふらと左右に揺れながらニニィはそう言うと、モニターとともに姿を消した。
(帰ろう)
体の自由が戻った望月はスマホを緩慢に取り出すと、「カードキー」を立ち上げた。
(怖かった……)
そして一瞬のうちに広間から姿を消した。
**
今日の犠牲者 高橋美帆
一番大事な人 母
パート先のスーパーマーケットでの評価は中の上。仕事はそこそこできるが、他のパートから浮いており、どんなに歩み寄ってもその分遠ざかって距離が縮まらない。というのも腐女子趣味を他人に知られたくないため。最近のトレンドは妻子持ちの店長×いつも閉店間際に来店する青年。しかし最近採用されたしょぼくれたおっさんが店長とやけに仲良くしている(主観)のを見て嫉妬(?)の炎を燃やしていた。なお彼ら3人とも男色の気はない。青年×店長はNGらしい。思想の自由は認められることだけれど、他人に迷惑をかけるのは絶対にダメだよね。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ブクマ登録評価感想のどれか1つでもいただけますと本当に助かります。
(ノ・ω・)ノよろしくお願いします!ヾ(・ω・ヾ)




