第51話 担うな
「あっ」
画面に「GAME SET」の文字が表示された。凡ミスだ。
「若林さん……大丈夫?」
仁木が上ずった声で尋ねた。
2人は仁木の部屋で大きなモニターを前にして格闘ゲームをプレイしていた。これまで実力は拮抗しており、この日もお互いに使うキャラを度々変えながら対戦していたのだが、若林は明らかに凡ミスが多発していた。
「うん……」
若林はコントローラーを床に置くと、目元をぎゅっと強く押して弱々しく口を開いた。
「あの……、こんなこと言うのも変かもしれないけれど……。すごく、疲れるんだ。松葉さんと一緒にいると……」
「何かあった?」
仁木は分かるような分からないような不思議な感覚になった。彼には松葉がそこまでの人間であるとは思えなかった。
「うん……。仕事も多いんだけど、それだけじゃなくて……」
一言一言を絞り出すように床に声を落とす。
「変なこと言うかもしれないんだけど……。MPやスタミナを吸い取られる感じがするんだ」
(スタミナを吸われる感じ……?)
仁木は眉をひそめた。
(もしかして……あれ、か……?)
「松葉さんって、今、僕たちのリーダーでちゃんとしているから、悪い人じゃないと思うんだけど……でも……よく分からないんだ。心がざわついて……」
その声はまるで自分に言い聞かせているかのように籠っていた。仁木の体に冷たい電流が走った。
「それって……」
「松葉さん、いい会社に勤めているからちゃんとした人なんだと思うんだ……。僕みたいな底辺Y○utuberと違って……。だから自分がおかしいのかなって……。うまく言えないけれど、何か違和感があるような気がして」
若林は力なくコントローラーを手にした。
「多分、僕がダメなだけなんだけど」
次に操作するキャラにカーソルを合わせ始めるも、その目は濁りかけている。仁木はコントローラーを手に取らず、ゆっくりと口を開いた。
「それ、眠れる? あと、食欲とか……?」
若林は顔を上げると目を丸くした。そして、弱々しく笑った。
「ベッドに入っていると何故か勝手に眠れるんだ。本当に最低限くらいだと思うけど……。このゲームのシステムかな? でも、食欲はいつもの半分くらいしか……。それでも辛くないのはやっぱりこのゲームのシステムかもね」
「それ……」
仁木はその続きを言おうとして……開いた口から出せなかった。
(俺も同じ目に遭ったことがあるから分かる……、それ、俺の会社にもいたから……)
2人は再びゲームを開始した。
(でも、これを言ったら……)
仁木の使う素早いキャラと若林の使う似た性能のキャラが飛び道具と反射で牽制をしながらじわじわと距離を詰め――。
(俺と彼は元々別のグループだったから……)
滑るように前後に移動して一進一退の攻防を繰り返していたが互いに隙を見せたところを狙い狙われ――。
(彼を信用してないんじゃなくて、その背後が……)
今度は若林が勝った。
仁木はコントローラーを膝に置くとぐいっと背筋を伸ばし、若林を見据えた。
「そういうことって、ままあることだと思う」
「えっ?」
若林が素っ頓狂な声を上げて体の向きを変えた。
「ほら、みんな26日前から知り合いになったばかりだから、他人同士だし、まだ分かり合えていないだけなところもある。でもっ」
彼自身も驚くくらい声に力が籠る。
「自分がそう直感的に思うなら、それって絶対大事なことだから、信じて行動するんだ」
「うん。ありがとう」
悄然とした若林の瞳に微かに輝きが戻った。
「本当にありがとう」
「いや、全然、気にしないで」
仁木は目線を逸らして頬を掻くとコントローラーを握ってキャラセレクトに戻った。
(これくらいなら……大丈夫だよな?)
再び対戦が始まる。今度は操作するキャラが逆であるが、立ち回りはほとんど変わらない。
(引かれてないよな? 敵視されないよな?)
またしても一進一退の展開となり――。
(失敗していたら殺されるかもしれない。でも……)
あれこれと先の発言について考えて――。
(松葉が何を考えているのか分からない。彼の味方をしたら俺も巻き込まれるのか?)
(もう少し考えてから話せばよかった)
(でも、どうしても放っておけなかったんだ)
再び若林が勝った。
(でも、後悔はしない)
*
吉野が死に、グループのメンバーが投票とは関係のないところで死に、何かの毒を食べ物に盛られた可能性が大いにあるにも関わらず、それでも彼女たちの習慣が変わることはなかった。
室賀の部屋には3人の中年女性が集まっていた。
「これ、かぶせ茶っていうんだけどね。あんまり渋くなくて美味しいのよ」
彼女は「ににぉろふ」で取り出した緑茶をゲストの前に並べた。しかし、勧められた3人――政所も大浜も利原も茶碗に手を伸ばしたテーブルから持ち上げることはない。他のメンバーの出方を窺っている。
「アレよ? 毒なんて入っていないわよ」
室賀は努めて朗らかに見えるような笑顔を形作った。しかし、3人の手は重い。彼女は客より先に自分が口をつけるのに唇を軽く結んで抵抗を見せたが、結局自分から茶碗に手を伸ばしてかぶせ茶を飲んだ。
「うーん、やっぱり美味しいわ、これ」
「アレですよね? 逆に飲まないのも……」
政所がポツリと呟いた。
「疑っているみたいで室賀さんに悪いですよね? 毒を盛るなんてことをするのは吉野さんくらいだし、ね」
「そうよね。吉野さんが人でなしなだけで普通、あんなことしないわよね」
大浜はウンウンと頷くが、茶碗を持つ手は重い。
「あっ、それなら」
室賀が小さく手を叩いた。
「みんなが自分たちのスマホでこれを出してみるのは? 私は毒なんか入れていないけど、その方が安心してお茶ができるでしょ?」
「室賀さんを疑っているわけじゃないのよ?」
利原は室賀の顔色を窺いながら右手をそっとテーブルの下に下ろした。
「いいのよ、全然気にしなくて。『かぶせ茶』って言えば同じのが出てくると思うから」
室賀が全く気にする様子も見せず「お茶請けは『オランダせんべい』にしようと思っているの」とのんびり付け加える。
「全然、室賀さんの出したものを飲みたくないってことじゃないのよ? ただ昨日のことはやっぱり衝撃的だったし」
大浜もスマホを仕舞っているバッグの方にちらりと視線を動かす。
「いいのいいの、これからはみんなそういうルールにしない? そうすればみんな変に気を遣わなくていいでしょ」
室賀はそう言いながらせんべいの入った木製のお椀の方をチラチラと見て急かした。
「そうよね、そうしましょ」
3人はそれぞれがそれぞれのスマホを使って緑茶とお茶請けをテーブルの上に用意した。そして、すぐに湯呑に口をつけた。
「あっ、おいしい。これ」
大浜は目を見開いて自然と微笑んだ。
「そうね、おいしい」
「飲みやすいですね」
「でしょ? これ、前に親戚からもらったことがあるんだけどね、私も初めて飲んだ時ビックリして――」
室賀は表情を明るくすると「ほら、おせんべいもよかったら召し上がって」と持ち掛けた。自分が早く食べたいであろうことは明らかであった。
「最近、レジ袋有料化したじゃない?」
室賀がせんべいを片手に持ちながら思いついたことを口にした。
彼女たちはひとまず同じものを飲み食べして、そして、恒例の行事に移った。つまり、日常の不満を言い合うことである。
「それでね、うちのスーパーもそうなったんだけど、そしたら袋詰め台のところにあるビニール袋、あれをレジ袋代わりに何枚も使う人が出てきてね、みんな真似し始めたのよ」
「ああ、あれ地味に家計に響くのよね」
大浜がじっと室賀の顔を見ながらうんうんと頷く。
「そうしたらもうみんな止まらなくなってね。余計に何枚も取って家に持って帰り始めて、お店が必要分だけ使用してって言い始めて」
室賀はロールから何枚もビニール袋を切り離すような手振りを添えた。
「それで、今度は、1個1個をビニール袋に入れ始める人が出てきてね。それもわざわざエコバッグに入れて持って帰っていたのよ。しかも、そこで買った納豆のパックのやつ、3つ入っているやつをわざわざ分けて1つずつ別のビニール袋に入れていたのよ」
話に合わせてジェスチャーをしながら彼女は話をストーリーを進めている。
「えーっ、そこまでするんですか?」
依藤が口に手を当てて驚きを示した。あとの2人も同様であった。
「で、やっぱり真似する人って出てくるじゃない? それで、知り合いにここのお店の人の家族がいてね、それで聞いたんだけど、お店の方もレジ袋無料にしていた時よりも費用が掛かるようになったんですって。それで、どうなったと思う?」
室賀は3人の目を覗き込んだ。誰も返事をしないで顔にクエスチョンマークを貼り付けている。
「結局、そのお店の荷詰め台からビニール袋のロールがなくなったのよ。レジで入れてもらえる分はあるけれど、それ以外はナシ。で、レジの人によってあれを使うか使わないかって結構違うじゃない?」
「うんうん」
大浜がにこやかに頷いた。
「だから私とか、普通の人も困っちゃって。ほら、レジの人が付け忘れたときに言える空気じゃないのよ」
室賀はフーッと息を吐いた。
「最近は行ってないけど、他の人もそうみたいだから売り上げとか大変みたいなのよね」
地元のスーパーマーケットで起こった珍事件を何故このタイミングで話したのか、他にも話す機会はいくらでもあったのにそうしなかったのはそこまでパンチのある話ではなかったからであり、つまり、室賀は昨日の今日故に、平常に振舞おうとしていただけであった。
無論、後の3人も同じである。笑顔を浮かべる頬は度々引きつり、手汗を拭おうと何度か手拭きに手を伸ばし、意味もなく足を組み替えていた。
*
参加者が各人の部屋の他に自由に移動できるのは広間以外にない。一応許可なく入れるよう設定された人物の部屋であれば人によっては自由に出入りできるが、それも設定を解除すれば結局変わらない。従って広間には大抵何人かの参加者が特に用もなく、あるいは何かの目的があって、滞在している。
(今日はまたあれ、なんてことないよね?)
その中の1人、加藤は白いブロックの1つに座りながら身を縮ませた。昨日のような出来事がどこかで起こっているような気がしてしまう。
シーンとした空間を突然誰かが引き裂きに、毒を盛られたから助けてくれと叫びに、現れるかかもしれない。嵐の前の静寂のような気がしてならない。
(大丈夫だよね……? このブロックに毒なんて塗られてないよね? 座る前にウェットティシュで拭いたし、早耶香ちゃんにも一緒に見てもらったし……)
加藤はチラリと一緒に広間の監視をしに訪れたメンバーのいる方を見た。人3人分離れたところにいる沓内は静かにブロックに座りながらタブレットで何かを読んでいる。
(それに、究君も大丈夫って言ってくれたし……)
加藤は昨日のミーティングを思い出した。広間に毒が仕掛けられているというのは吉野のハッタリであり、全て安全だと説明する彼の言葉は疑いようもなかったし、不安げにしていた加藤に個別に「大丈夫だよ」と言いに来てくれたのである。疑えるはずがない。
(今のところ、誰も何もしていない……。大体そうだけど、たまに変なことをする人がいるから、それ、見逃さないようにしないと)
(見る場所が半分になったから少し楽になったけど……)
加藤はチラリと誰も使わなくなった広間の半分ほどのスペースを見た。その空間は予約制であり、そのためのホワイトボードが壁際に置かれているが、野口の死後誰も使うことのない場と化した。
(あのスペースって……誰かが何かして……何が起きるの?)
具体的にどうなると想像できないが、某がその空間を利用して何かよからぬことをするように思えてしまう。
(何も……起こっていないよね……?)
加藤はスマホの画面に触れると「ににぅらぐ」を起動した。最後の質問は『夏里花子、御法川加代子、元木信子の死因は?』であり、その答えは『ナイショだよ』あった。
(よかった。同じだ)
彼女は「ににぅらぐ」を閉じるとスマホで児童文庫を読み始めた。3人の少女が学校や近所の悩み事を解決していく王道のストーリーは小学生受けがよく、シリーズが続々発刊されており、小学校の図書館にずらりと並べられている。
(……)
数ページも進まないうちに文字を追う目の焦点が合わなくなる。
(何も……起こっていないよね……?)
加藤はスマホの画面に触れると「ににぅらぐ」を起動した。最後の質問は『夏里花子、御法川加代子、元木信子の死因は?』であり、その答えは『ナイショだよ』であった。
(よかった。まだ同じだ)
彼女は読書に戻った。
(……)
数ページも進まないうちに文字を追う目の焦点が合わなくなる。
(何も……起こっていないよね……?)
加藤はスマホの画面に触れると「ににぅらぐ」を起動した。最後の質問は『夏里花子、御法川加代子、元木信子の死因は?』であり、その答えは『ナイショだよ』であった。
(よかった。まだ同じだ……。今日は、大丈夫なのかな……?)
読書に戻るも、やはり、加藤は落ち着かない。どこかで何か大変なトラブルが起こっているのではないかと気になってしまう。「ににぅらぐ」を見ればニニィへの質問を見ることができ、そこから推測できるが、そもそも「ににぅらぐ」を使っていなければこの方法は使えない。
(本を読むよりも監視、しなきゃ……)
加藤はスマホの画面に並ぶ文字を目で追うのを止めた。そして、何気ない素振りをして広間にいる人物たちをさっと眺めた。
(変なことをしている人はいないみたい)
スマホの画面を見つめつつ、誰かがひそひそ声で何か話していれば聞き取れるように、動きを見せればわかるように、耳を尖らせる。
しかし、つい先ほど加藤が広間にいる参加者を確認したときには、誰も小声で会話できるくらいの距離にいるものはいなかった。
(本当に何も起こっていないんだよね……?)
加藤はスマホの画面に触れると「ににぅらぐ」を起動した。最後の質問は『夏里花子、御法川加代子、元木信子の死因は?』であり、その答えは『ナイショだよ』であった。
(大丈夫だよね……?)
だんだん良く分からなくなってくる。胸がバク、バクと鼓動を始める。
(どうしよ……? どうしよ……? でも、そうすれば……)
ちらりと沓内の方を見ると、やはり読書をしている姿が目に入るだけであった。
(誰か、誰か、助け……)
加藤は俯いて周囲から表情を隠した。そうして、必死に頭を働かせようとぎゅっと目を瞑った。
(助けて……ママ……、助けて……究君……)
彼女は胸に小さく温かいものが現れたような気がした。
(うん、ママなら大丈夫って言ってくれる……。心配し過ぎって言ってくれるもん……。究君も絶対に守るって、言ってくれたもん)
それから、その場にいない大切な人たちの言葉を心の支えにして、加藤は襲い掛かってくる不安を何とか跳ねのけることができた。だからと言って仕事をおろそかにすることもできず、彼女は時間まで神経を尖らせていた。
業務終了の合図が来るとすぐ、加藤は沓内とともに水鳥の部屋に行き、簡単に内容を報告するとすぐ自分の部屋に戻った。
(なんかすごく疲れた……)
(まだ、時間あるよね……?)
彼女はちらりと寝室の扉に目を向けた。
(少しくらいなら寝る時間、あるよね)
彼女はふらふらと吸い込まれるように寝室に向かい、スマホの「時計」でアラームをセットすると、靴を放るように脱いですぐベッドに潜り込んだ。
*
参加者は時間までに広間に集まって、そこで何かしらの話し合いをすることになっている。それ以外のときに話をしないのは、積極的にこのゲームに参加しているという姿勢を見せたくないからである。仮に1人2人がそう思ったとしても全員が集まることのできる時間を設けにくいということもあるということもあるが、つまり参加者は時間までに広間に集まってそこに円状に置かれている大小歪な白いブロックに腰を掛けて待っているのである。
時間が来た。広間の照明が落ちて天井付近にモニターが現れた。頭身の低い、白と水色を基調にした少女型のロボットのような存在、ニニィが映っている。
「『透明な殺人鬼ゲーム』、26日目、はっじまっるよー。みんな参加しているね。投票は10分後、それじゃ、すたーとぉ!」
彼女がいつもの子供の相手をするような甘ったるい声にやけに明るさを添加した声でゲーム開始の合図を告げると、モニターとともに姿を消した。
「さて、今日も不要な人物を――」
「いや、それよりも先に決めるべきことがある」
松葉の連日の行動を抑揚のない声が止めた。笠原だ。
「一体何でしょうか?」
松葉は薄っぺらい笑いを貼り付けたまま自分の話を遮った人物に問いかけた。
「『他人に飲食物を強要しない』。このルールを設けましょう」
笠原はそう言うと立ち上がり、他の参加者にくすんだ瞳を向けた。
「必要ないのではありませんか? それは9日目に決めた『人の嫌がることはしない』というルールの中に含まれていると思われます。人が用意したものを口にするのが嫌ならば嫌だと言って断ればよい話でしょう」
松葉は素早く合理的な答えを出すと笠原をじっと見つめて返事を待った。……回答はない。
「そうでしょうか?」
その美しい声が広間に聞こえると参加者の注意は先の2人から彼の方に向かった。水鳥は柔らかい微笑みを浮かべて全員によく届く声で語りかけた。
「人によっては断るのが苦手な場合もありますし、状況によっては難しい場合もあります。ですから、笠原さんの提案を全員で吟味しましょう」
「なるほど、確かにおっしゃる通りですが、結局同じことでしょう。毒殺など考えるのは吉野さんくらいです」
松葉が平坦に答えた。
「いえ、吉野さんのせいで毒殺できることが分かってしまいました。不安を排除するのにルールを設けたほうがよいと思いませんか?」
水鳥は滑らかな手振りを添えて他の参加者に訴えかける。
「このルールがなくて得をするのは毒殺を計画している参加者だけでしょう」
笠原が静かに付け加えると、松葉を凝視した。
「しかし、このようなルールのために時間を割くよりも、不要な人物を決めた方が私たち全員が生き残るのに有益だと思いますが」
だが松葉は笠原の圧を全く意に介さず、水鳥の方に目を向けている。
「多数決で決めましょう。トータライザー」
水鳥はいつの間にか立ち上げていた「ににぉろふ」に向かってオーダーを出した。参加者の手元にスイッチが一瞬のうちに現れる。そこから伸びるコードは彼らが形作る円の中心に向かっており、どの参加者から見ても0が2つ正面を向いている電光パネルにつながっている。
「『他人に飲食物を強要しない』。このルールを採用するのに賛成か反対かを手元のスイッチで投票してください」
唐突に展開される話に一部の参加者は全く追いつけていない。しかし、笠原の案は成立させても何か不利益があるようには思えない。広間がざわめいた。
「おい! 待てよ!」
しかし時田が大声で流れをぶち壊し、唐突に割り込んだ。
「そんなもんいちいち決めてらんねぇだろ! 俺たちが生き残るのには松葉さんの言ったことをした方がいいに決まってるだろおが!」
「ええ、そうですね」
松葉がすぐさま反応しその追い風に素早く乗った。
「1つ1つ細かくルールを定めていれば時間が足りなくなります。『人の嫌がることはしない』、これで十分でしょう」
「でも、怖くて断れないかもしれないじゃないですか?」
福本がさらに割り込む。
「『人の嫌がることはしない』だと解釈の違いが生まれませんか? そういう諍いで暴力振るわれたらどうするつもり?」
(今更暴力なんか気にしてられるもんじゃねえだろぉが!)
時田は喉元まで出かかった言葉を何とか押しとどめた。今まで何人殺してきたのか、生き残るためには何でもあり、と思うも、そんなことを言ったら袋叩きにあって、死ぬ。
水鳥が「んっ」と咳払いをした。大多数の注目が自然と集まる。
「松葉さんの言うように1つ1つを細かく決めている時間はありませんが、しかし、このルールに関しては決めておくべきではないでしょうか」
「ふざけんなよ!」
今度は中川がトータライザーを手元で振り回しながら妨害する。
「こうやってる時間も無駄じゃねえか! 早くこれ引っ込めろよ」
「ここでの生活で」
笠原が立ち上がったまま低い声を出した。
「食事が私たちに癒しを与えていることは疑いようがありません。むしろ大きく占めている。だから、飲食物は自由に摂りたいと思いませんか?」
「自分の分は自分で用意することにするのは?」
室賀が余計な口を挿むと時田が「いや別に気にしないならいいだろ、んなもん」と否定する。
全員がそれぞれの考えを持っている。それは単純にこの議題に対してどうかということのみならず、もっと複雑なものを背景に持っている。
「まあ、笠原さんの言うことも一理ありますね」
不意に松葉が意見を翻した。
「ただ次からこういう話はできるだけ『人の嫌がることはしない』で考えませんか? あくまでも私たち全員が生き残るのに有益なルールを決めることに私は賛成ですが、全てを細かく決めていたらとても時間が足りません」
その顔には薄笑いが浮かんでいる。
「私は何も全部細かく決めるつもりはありません。『他人に飲食物を強要しない』。吉野さんの件があったのだからはっきりさせた方がよいと思っただけです」
笠原が調子を変えずに答えた。
2人の間に決して穏やかとは言えない空気が流れる。水鳥が素早く入り込んだ。
「それなら、早速トータライザーを使って決めましょう」
時田たちは割り込――まない。松葉が賛成に移れば彼らには反対する手立てはなかった。
「笠原さんの提案した『他人に飲食物を強要しない』に賛成か反対か、手元のボタンで投票してください。今ここにいるのはええと……69人ですから、賛成か反対、どちらかに35票入ったら終わりにします。では、お願いします」
水鳥はゆっくりと聞き取りやすい声で説明を終えると早速手元のボタンに触れ、それから電光パネルに目を向けた。
すぐに賛成と反対の数票が入り、それからぽつぽつと票数は増えていく。隣と話をするひそひそ声が方々で聞こえる。やがて数字は増えていき――。
「賛成多数、です」
笠原がモニターを見て言った。と、同時にトータライザーは跡形もなく消えた。
「ええ。『他人に飲食物を強要しない』は賛成多数でした」
水鳥が笠原に優しい笑みを向けた。反応はないが、彼は何も気にすることなく続けた。
「次に松葉さんの提案したことも話し合いましょう。『人の嫌がることをしない』というルールで考える幅を広くするということで、どこまで広くするかですが……、松葉さん、何か案はありますか?」
再び話し合うべきか否かを話す時間もない。従って彼らは「人の嫌がることをしない」の適用範囲を決めようと話し合いを行ったが、あまりにも漠然としている上に残り時間も少ない以上、結論らしいものが出ることはなかった。そして――。
「もうすぐ投票の時間だよー」
再び現れたモニターからニニィがそう言うも、ニニィが現れたということは本当にもうすぐのことであるのは明白であった。
参加者は独立した闇の中に囚われると、そこでスマホ片手に投票を行った。死なせる人物と守る人物にそれぞれ1票ずつ入れると、その瞬間に彼らは元いた位置に戻っていた。1人を除いて。その1人は先ほどまでトータライザーのあった場所に置かれた透明なケースの中に入っていた。
「今日の犠牲者は北舛優香さんでしたー!」
*
(まあ、あいつなら妥当だな)
坂本は透明なケースの中を見ながら鈍い頭で思った。
(集団生活でああいうのが一番困るんだ)
脳裏にかつて似たような輩がやらかしてくれた嫌な思い出が湧き上がりそうになる。彼は意識を透明なケースの見えない角に集中させた。
(まあ、このゲーム的に言えば、水鳥の足を引っ張るくらいの仕事はしていたのか)
「はっじめまーす!」
ニニィがご機嫌なような声で言った。
北舛はケースの隅の隅に貼り付くようにして、涙とよだれを流し、足で床を押していたが、足元から中央まで引きずられ、仰向けのまま体を捩るも動かず、苦痛に顔が歪んだと同時にくるぶしからべろりと皮膚が剥がれ血が滲み、べり、べり、とそのまま繋げて膝の皮膚が、太ももの皮膚が剥がれ、やたら高級な服ごと皮膚が離れ、筋肉と脂肪がむき出しになり、腰から胸に至り、それと同時に指先からも皮膚が剥がれていき、最後に首、顔、頭皮と剥がれ、体液が漏れ、表面が乾き、苦悶で歪んだ顔にヒビが入ってまた体液が漏れるが……すぐに死ぬことはない。
「あー、これ、時間がかかるやつだ。あとはこっちでやっておくから今日はおしまいにするね」
ニニィが取り立てて何かの興味を持つこともなく言うと、透明なケースは微かに動き続ける北舛を入れたまま床に沈んでいった。
「それじゃ、まったあっしたー!」
体の自由が戻った大川はスマホをポケットから取り出し「投票箱」を開いた。名簿の一覧をスクロールして、目的の人物をタップする。
(もう、死んでる……)
そこには「北舛優香 死亡」と書かれていた。
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今日の犠牲者 北舛優香
一番大事な人 母
平和ボケ。両親に溺愛され、幸運にも彼女の人生に大きな不幸は存在せず、町にクマが下りてきたときに猟師が銃殺すると「かわいそう」とか言うタイプ。ニニィは、人間と動物の線引きはしっかりしないと碌なことにならないと思うよ。感情論じゃなくて、具体的に実現可能な解決策がないと。そういう人たちがクマの餌になるのは勝手だけど、人肉の味を覚え、人里の旨味を知ったクマは他の人にも牙を剥くんだよね。だから個人の問題でもないという話だし、そもそもそういう人たちは口だけで自分が矢面に立つことはないよね。結局かわいそうって言っている自分が可愛いだけだよね。だって、このゲームが始まってもう26日も経っているけれども、一度でも彼女は何かした?
いつも読んでくださってありがとうございます。
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