第46話 牛耳よ
作中の宗教や神はフィクションであり、既存の宗教を悪く言うつもりことをご理解ください。
ミーティングを終えた後、吉野は柔らかい肘掛椅子にゆったりと腰を掛けていた。指には何もつけられていない。代わりにすぐそばのテーブルの上に無数のダイヤモンドで飾られた置時計があった。時計盤のすぐ下にはそうお目にかかることのできない大きさのものがはめられており、吉野はそれをじっくりと堪能していた。
(キレイなものは近くに置いておきたいものだね。ダイヤモンドは……いいねえ)
醜い顔が緩むほどの輝きを放ついくつもの瀟洒な模様が基盤の上を踊っている。
(しかし……徳田サンは自分を何だと思っていたのかねぇ。まるで自分がそう……実は一番優れているってくらいに)
目を細め分針に飾られた小粒の、と言っても相対的な話だが、ダイヤモンドと広間で大声を出し続けていた徳田を比べる。
(まあ、いいとこ同じ炭素だとしても木材……、ネズミの小便まみれの木材だね)
吉野は鼻で笑うと傍らのテーブルからブランデーの入ったグラスを取り、ゆっくりと回し、力強くしっかりとした香りを肺いっぱいに吸い込んだ。
(どうやってもこの時計に飾られることはないだろう? 現実が見えていたのかいなかったのか、まあ、目を背けていたことは事実だけどねえ。本人が自覚していたのかいなかったのか……)
口に入れるとまろやかな舌触りの中に強いアルコールの刺激が混ざり合い、果物特有の芳香が口の中に広がった。グラスをわずかに傾けると透き通った琥珀色の液体が揺れ動く。吉野は悦に入った。
(それで建材になるかっていえば……自分が鋼鉄みたいな面して混ざっているからねぇ。使い道がないのに、全く……)
トントントン……と指先でテーブルを叩く音がする。普段吉野の周りにこの手の人物はいない。意図的に近づかせていないからである。それでも何かの折に目にすることはあり、その度に同じように指先でどこかを叩いているのである。
(粗製の木材にはそれ相応の仕事があるんだから……ダイヤモンドでも鋼鉄でもないのに……)
すぐにその音は止まった。目の前にある絢爛豪華な置時計が吉野の機嫌を直したわけではない。元々吉野がこの仕草をするのは件の相手が用無しだと周囲の人に伝えるためであった。今この部屋にいるのは吉野1人だけなのだから、意味はない。
(ま、人間は材料じゃないからね。実力次第で別の物になることができるのに、どうしてああいう手合いは何もしないで自分が成長すると思っているんだろうね)
(しかし……徳田サンは何がしたかったんだろうねぇ。突然あんなこと言いだして……)
吉野は目を細めると置時計から目を離し、今度は隅に寄せられたメンバー用の椅子をじっと見た。
(彼女の性格からしてもう少し慎重だと思ったがね、少なくとも、先にミーティングで提案しそうなものだけどねぇ……)
(徳田さんのしたことは誰も事前に知らなかったようだし)
つい先ほどのミーティングで吉野がメンバー全員に徳田の件を尋ねたとき、誰もその計画を聞いていたと言わなかった。仮に嘘をついていたとしても吉野には長年培った嘘を見抜く能力がある。だから徳田の行動が突飛で不自然なものにかんじたのである。
(いくら他人様にケチをつけるのが好きだからって自分の命を捨ててまでするかって……そうとも思えなかったけれども)
メンバー用の椅子は柔らかいクッションが張られており、1つ1つの椅子が傷一つなく、磨かれたマホガニーで骨組みがしっかりと作られていて室内の装飾にマッチしている。ただ、吉野の座る椅子と比べれば安物に過ぎなかった。
(何だかんだ参っていたのか……、ま、いいさ。結果は変わらないんだ。死んだヒトはどうやっても生き返らない。それに……)
「大して役に立っていたわけじゃないしね」
吉野は背もたれに後頭部をつけて上を向くと目を閉じて口を歪めた。
(ただの1票の価値、それだけ。他のメンバーと大して変わらない。むしろ、有能なメンバーが狙われにくくなったってことだけはよかったのかもね)
静かな部屋の中に時計の振り子が滑らかに揺れる静かな音が聞こえ、ブランデーの芳香が漂っている。柔らかな背もたれや座面が体を包み込み、その空気に浸っているだけで幾らか払ってもよいと思ってしまうほどの憩いがそこにある。
(残すなら……誰だろうねえ。まあ、誰でも大して変わらないけれど……)
再び目を開けると、そこには燦然と輝く大小のダイヤモンドがあった。吉野は首をわずかに動かして複雑な光の変化に酔いしれながら漠然と考えた。
(依藤サンは宝石に詳しいからねえ)
真っ先に挙げられたのは彼女の名前であった。性格や知性よりもまず重要視されたのはその人の持つ専門知識と技術であった。
(まあ、本当ならあの中で一番生き残ってもらっていいんだけど、ここじゃいくらでもいいものが融通できるんだ……。ここに限ってはせっかくの強みが台無しだね)
しかし、それが実用的でなければ評価しないという非常にシンプルなジャッジを下してもいる。
(福本サンと利原サンは頭が切れる方だね。ミーティングのときにもまともな意見を持っているし、話し合いのときにもそこそこ演技ができているし、観察もできている)
その2人が先の考えを知ったら不満を抱くだろう。どちらも総合的な実力で言えば依藤を上回っていて、それが当然の評価だと考えているからであった。このゲームにおいて何を以て総合的な実力というのか誰にも分かることではないが、2人は絶対的な自信を持っていた。
(あとは元木サンと政所サンもまあ、できる方だけどね。前に出なけりゃ評価されないってわけよ)
吉野の観察眼は鋭く、相手の地力を見抜くことは容易である。ただ、見抜くだけである。わざわざそれを教えるようなこともしないし、伸ばそうとすることもない。あくまでも表に出さなければ吉野の評価にはつながらないのであった。
(あとはもう大して変わらない。ただの数合わせだね)
最後に大きく鼻から息を吐くと暇つぶしの評価は終わった。残りの人物たちも当然長所や特技はあるのだが、ただの五十歩百歩であった。いや、吉野からすれば全員の価値は団栗の背比べであった。
(まあ、却ってその方がいいのさ。あたしのやり方を疑わない、仮に疑っていたとしても口に出さない、だから彼女たちは高い確率で生き残ることができるわけだ)
むしろ何も余計なことをしないという点で数合わせたちは評価されていた。
吉野はグラスを掴むと少しだけ残っていたブランデーをグイッと飲み干した。
「ま、あくまでも、だね。まずは生き残ることが最優先」
そして、グラスをテーブルに戻すと肘掛けを両手で掴み、重たそうに立ち上がった。
(何よりも大事なことを忘れちゃいけないからね)
リビングから部屋の主がいなくなるとグラスも、ボトルも、そして置時計もテーブルからその姿を消していた。
*
古柿の部屋には純白の大理石で形作られた神の像がリビングの片隅に安置されている。彼女はその前に跪き、必死に目を閉じていた。
(神様……告解します)
「私は今日もこのゲームで生き残るために投票しました……。初日から23回、誰かを死なせるために投票しました……。吉野さんの指示に従って他の参加者を貶めました……。私は全てを心から後悔し、正すことを決心します……。私は更生します……。おゆるしください……」
答える者はいない。神の代理人はいない。何故ならば、彼女のやっていることはメジャーな宗教を模したオリジナルの儀式だからである。海外ドラマを見て出てくるいくつかのシーンを組み合わせて作り上げた真似事である。従ってそれが本来持つであろう意味をもたらすことは決してない。
しかし、古柿は室内に清浄な雰囲気が漂い出すように感じた。たとえまがい物であっても信じる気持ちがあれば、もしかしたら神の何かしらがあるのかもしれない。あるいは単に古柿がトリップしているだけかもしれない。
「神よ。いつくしみ深くわたしを顧み、豊かなあわれみによってわたしの咎をゆるしてください……。悪に染まったわたしを洗い、罪深いわたしを清めてください……」
返答はない。では、誰が彼女に神の意思を伝えるのか? 誰が彼女の罪をゆるすのか? 誰が償いの方法を指示するのか?
(……)
古柿は何も考えていなかった。己の良心と向き合っているわけでもなかった。
「私は悪人ではありません……。こうして、反省しています。だから……」
(投票先に選ばないで下さい……。お願いします……。死にたくない……、死にたくないんです……)
(私は善良な市民です。こんなゲームに巻き込まれて、仕方なく、誰かを殺……すかもしれない投票をしました。でも、こうやって反省しています……。本当ならやりたくないんです……)
ただ、彼女はここでこうしていても、明日もまた同じように彼女の言うところの罪を重ねるのである。そうしなければ生き残れないとしても、分かっていて彼女は罪を犯し続けるのである。つまり、彼女の言うところの告解の目的は、罪悪感の上に薄塗りの脆く白い被蓋をすること、そして、何かに彼女の意思を聞いてもらい、希望を叶えてもらうということであった。
では彼女の反省とは何なのだろうか? 何の意味も持たず同じことを繰り返すのであれば、神がいたとして、その告解をそれとみなすのだろうか?
少なくとも古柿はそれに満足しているのか、満足していないのか、彼女自身もよく分かっていない。一旦は椅子に座り直してスマホを見たり雑誌を読んだりするも、やがてまた先と同じように神の像の前に跪くのである。
*
鷲尾はリビングの床に敷かれた座布団の上に座禅をして静かに呼吸をしていた。周りには誰もいない。物音は微かに呼吸音が聞こえるくらいであるくらいであり、目を閉じて五感の1つを制限してもそれ以外の音は聞こえない。
(……)
まっすぐと背筋を伸ばし、彼は心臓の拍動がゆっくりと一定になるのを待ち、そして、落ち着きのある声で読経を始めた。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄――」
鷲尾は淀みなく言葉を続けていく。このゲームに参加してからもう何度唱えたか分からないが、言葉の持つ力やリズムが体に染み込んでいく。
彼は仏教徒ではなく、ただ人並みの敬意を持っている程度である。強いて言えば、これも特に仏教徒ではない祖母が縁側で唱えているものを耳に入れていた程度であったが、自然と覚えていたのであった。
毎日誰かが死んでいくのを目の当たりにしていれば誰もが少なからず精神に影響を与えてしまう。鷲尾は今日も自分の行いを静かに見つめ直していた。
自身の投票した人物が透明なケースの中に入っている。故意であっても過失であっても、誰かを死なせたことに変わりはない。そもそも死ななかったとしても、殺意を向けたことには変わりない。
「舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是――」
さらに、参加者は投票だけをしているわけではない。彼らは様々な策を講じている。徒党を組み、自分が生き残るためにできうるアクションを起こしている。そしてまた別の策を講じている誰かと作用し合っているのだから、結局誰であっても、ほとんど全ての行為が誰かを攻撃していることと変わらない。参加者間の違いと言えば、そのことを認識しているか、対峙しているかどうかである。
「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法――」
このゲームは人を殺す。これはこのゲームに限ったことではないし、殊に生物の命を絶つということに関しては、動物が生きていくには必要なことである。鷲尾はそれを認識していた。
「無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故――」
しかし彼が求めるものは古柿とは違っていた。無論生き残りたいという点は共通しているが、鷲尾は深く見つめていた。
「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多 故得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚――」
彼は必要に応じて生きるために行う行為だけと向き合っているわけではなかった。
「故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 般若心経」
最後の句を唱え終わると、鷲尾はゆっくりと深呼吸を行い、目を開いた。
(姉さんを巻き込むわけにはいかない。これは僕の罪だ)
彼の求めるものはこの「透明な殺人鬼ゲーム」を無事に終えることだけではなく、もっと深いものであった。このゲームに参加したことで彼は一層その考えが強くなった。
(来世がどうなっているのか……わからない。でも、僕はあのときの罪を清算しなければならない……。それが、彼らへの償いだとはっきり分かった。死ぬわけにはいかない)
*
田渕は床に胡坐をかいて壁によりかかり背を丸めながら明治時代の小説を読んでいたが、そこに書かれていた一節にふと目を奪われた。
『――きっと神様がお守りくださいますから――』
(神様……か……)
彼は続きを読もうとしたが――次のページを捲る指の動きが止まった。
(神なんてものがいるわけがないんだ)
読みかけの本をパタリと閉じるとその背で手のひらを軽く叩く。
(じゃなきゃあ俺たちみたいなホームレスが町に溢れているわけがない)
(貧しい人間がどれだけ祈っても、飢えて、生きていくのもギリギリで、大して変わらないじゃないか。信徒じゃなきゃ助けないってことか? それで無理矢理入信させるのが神のやり方なのか?)
田渕が駅前の通りに段ボールを敷いているときのことを思い出した。いくつもの脚が彼の目の前を行き来していたが、まるでそこに彼がいないかのように素通りをするか、あるいは早朝の電柱下であるかのように避けていた。
(あの中の一体いくつが神の恩恵とやらにあずかっていたんだ?)
(今日日、どれだけ世界が平和を訴えていても、戦争は終わっていない。個人同士の争いじゃ済んでいない。神様を信じている偉い連中が頭数揃えていても、やめようともしていない)
田渕は文庫本を傍らに置いてぼうっと向かいの壁紙を見た。
(それで、信仰されている神様ってのは、争うのをやめさせようともしない。悪がのさばっていても、別に捕まえて始末するわけでもない。改心させるわけでもない。結局人間が不完全にやっているに過ぎない)
乳白色の壁紙は不規則に直交するいくつもの直線が描かれている。その模様を床に座って眺めていると不思議と田渕は心が穏やかになるのである。普段根城にしている公園から見えるビル群に似ているためであった。
(それに、どんなに熱心に祈っても、難病にかかることだってあるし、治してくれやしない。あくどい奴に『信仰心が足りない』って言われて財産巻き上げられるのがオチだ)
ホームレス仲間の中には宗教にのぼせて寝食を潰した者もいた。藁をもすがる思いで購入したお札や何かの像、水や小物は、残念なことに、娘の病気には全く効果がなかった。それも娘が亡くなるまで気付くことがなく、今や彼は首からそれをぶら下げてぶつぶつと何かを呟きながらブルーシートを纏って徘徊している。
(そう、所詮、神ってのは人間が作った道具なんだ)
彼は静かに目を閉じた。途端に時間がゆっくりと流れるような奇妙な感覚がした。
(金儲け……、権力……、いくらでも使われているじゃないか。聖地……、聖域……何でもありだ。支配するための方便だ。歴史がいくつも語っているじゃないか……。政治の道具だ。誰かしらが盲目的に信じていても、そこにいるわけがない。支配者にとって都合の良い存在にすぎないんだ)
「もしかしたら、上級国民だけに神は手を差し伸べる、のかもな……」
あまりにも虚しい考えに田渕はうなだれると目元を指で押さえた。そうした存在を根っから信じていないのに、何故か連中にはそういうものがあるような、不気味な感覚が彼の中にあった。上り調子の存在にはとことん幸運が舞い込んでいるような様子を行き交う人々の身なりや仕草から読み取ることができてしまっていた。
それは強運なのか、運命なのか、あるいは田渕が信じないような神の加護があるのか、誰にも分からない。
*
深夜、水鳥はリビングの壁に寄りかかるようにして立っていた。そのたたずまいは何かのPVのワンシーンを切り取ったようである。誰かと待ち合わせをしていて相手がいつ来るのかそわそわしている、と見事に表現している。たまに行う仕草はちらりと手首を動かして腕時計の文字盤を見るくらいであったが、小さな物音がするとパッと顔を上げ、表情を明るくした。
「ああ、今日も来てくれてありがとう、詩ちゃん」
彼の視線の先には数秒前までいなかったはずの少女が俯きながら立っていた。名前で呼ばれたことに柳原はピクリと反応して頬を赤く染めた。
「あ、あの、遅れて、ごめんなさい」
「平気だよ。待っている間も詩ちゃんのことを考えていられたからね」
縮こまる柳原に過剰なまでのリップサービスを提供する水鳥は微笑んでいる。彼は数歩歩み寄ると「こっちを向いてほしいな。せっかくの可愛い顔を見せて」とウィスパーボイスで声をかけた。
「あの……」
柳原はおずおずと顔を上げると、何か言いたげに唇を小さく動かそうとした。しかし、水鳥と目が合うと、不思議と何も言えなくなっていく。それなのに目を逸らすこともできなくなっている。
「いつもありがとう。本当に助かっているよ」
水鳥は優しく温かい微笑みを見せた。
「それで、笠原先生は明日誰に投票するようにって言っていたのかな?」
柳原は上着に手のひらの汗を拭って、絞り出すような声で「あ、明日は……若林、さんです……」と答えた。彼女が夜中水鳥の部屋を訪れたのは、つまり、このためであった。
「若林、若林……光男さんだね?」
「はい……」
「守りの票はどうなっていたかな?」
水鳥の表情は変わらない。柳原はだんだん肩の力が抜けていくのを感じながらぎこちなく頬を緩ませた。
「えっと、いつもみたいに半分は笠原先生に、残りの半分は、明日は、順番通り栗林さんに入れてほしいって……」
柳原は、説明するたびに水鳥が喜んでくれているという確信を持ち、自然と体に熱を帯びていくのを感じた。口調も多少ハキハキとし始めて声量も上がっている。
「そっか……。先生の様子はどうかな? 怖くない?」
水鳥は甘いマスクを少しだけ儚げにぎこちない笑顔を作る。応えるように柳原は助けを求めた。
「はい。いつもみたいに優しいです。けど、たまに、無表情になって、ちょっと怖いかも……」
「大丈夫だよ」
水鳥は暖かい手のひらで少女の頭を撫でた。柳原の顔が真っ赤に染まり、手のひらには頭の熱気が伝わっていく。
「詩ちゃんが笠原先生のところにいても僕は大事なメンバーだと思っているからね、心配しないで」
初日に水鳥からの誘いを断った罪悪感がちくりと刺激される。
「だからもう少しだけ、頑張ってほしいんだ。詩ちゃんにしか頼めないんだ、こんなこと」
この年代の少女なら憧れて何ら不思議はない有名人からこう頼まれてしまえば柳原に断る理由はなかった。彼女はコクコクと頭を縦に動かした。
水鳥の手がスッと離れる。柳原が名残惜しそうな声を漏らした。その瞳を彼は貫くように見つめた。
「詩ちゃん、今日はいつもより元気がないみたいだけど、何かあったのかな? 良かったら話してくれるかな。力になりたいんだ」
「あ、あの……」
柳原の目が左右に動く。
「大丈夫、誰にも言わないよ。それに、この部屋には僕たち以外誰もいないよ」
水鳥は優しく見つめる。兄のようになのか、父のようになのか、あるいは……大切な人のようになのか……。水鳥の表情は如実に答えを示しているが、はっきりと口にすることはない。
柳原はごくりと喉を鳴らすと小さく口を開いた。
「私……、学校で……仲の良かった友達のこと、みんなと一緒に無視して……、その子……」
「それが今日夢に出てきて、でも、その子がみんなに嘘をついて、それで、みんな、先生に怒られて……」
前後関係をぐちゃぐちゃにして、荒い呼吸の合間に何とか言葉を口にしながら、彼女の目には大粒の涙がたまっていく。
「私……、私……」
柳原はついに何も言えなくなり、涙を堪え、唇を震わせた。もうどうにもできない。
「大丈夫、詩ちゃんは悪くないよ。こうやって謝ることができるのは詩ちゃんが優しいからだよ」
水鳥が優しく、蕩けるような笑顔で柳原を見つめると、彼女の目からポロリと涙が零れ落ちた。
「それにね、辛いときは家族のことを思い出すんだ。ほら、クリスマスや誕生日のときはお父さんとお母さん、お姉ちゃんと一緒に、パーティーをしたよね?」
「うん……、うん……」
涙が溢れる目をこすり、大きく頭を動かして、柳原は促されるがままに目を閉じた。
「そのときの幸せな気持ちを思い出してごらん。ね?」
その言葉を引き金に柳原はこのゲームに参加するまでの楽しかった日々を一気に思い出していく。春夏秋冬の、節目ごとの出来事が湧き上がる。クリスマス、誕生日だけではない。お正月に家族で神社にお参りしに行ったこと、夏休みに祖父の家に行ったこと、祭りに行って、家族旅行に行って、遊園地に行って……。
彼女は気づかないうちに涙をこぼしていた。しかしその涙は先のものとは別の種類のものであり、心なしか頬を伝う液体は温かい。
「その気持ちを忘れないでね。家族はずっと詩ちゃんの味方だよ。何か辛いことがあっても、そのときのことを思い出して」
「ね、涙を拭いて」
水鳥が優しく囁けば従う以外に術はない。
彼女が泣き止むまで水鳥は優しい言葉をかけ続けた。それから腕時計をちらりと見て寂しげに「もう、時間だね」と呟いた。
「僕たちがこっそり会っていることは誰かに知られないようにしないとね」
「詩ちゃん、また明日。バイバイ」
極上の微笑みを浮かべながら手を振る水鳥に答えるように柳原はぎこちなく手を振ると一瞬のうちに姿を消した。
柳原が部屋から去った後、水鳥は片手で顔を覆うとこめかみを指でギュッと押した。
(あと24日……。今のところ、何とかうまくいっている。大丈夫だ)
鋭い視線の先には彼が数分前まで相手をしていた人物の立っていたところがあった。
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どこまでも透明に
話題のオリジナル深夜アニメ。低予算で作られている割にはその年最高の評価と売り上げを叩き出した。紙芝居でも漫画でも実写でもなく、無意味にグリグリ動かすでもない、ザ・アニメ。荒廃した世界で姿を自由に変えることのできる1人の少女がどこかにいるかもしれない仲間を求めてただ歩き回りながら生きていく話。各話ごとに顔が違うので「3話の金髪青眼のラストの流し目が最高」とか「7話の黒髪ぱっつんが川辺で髪をかき上げるシーンが突き刺さった」とか、「12話の銀髪ショトカオッドアイが星空を見上げたときの寂しそうな表情がもう……」とか、色んな癖の人にぶっ刺さっている。また、数人の声優でCVを入れ代わり立ち代わり担当しており、グッズやキャラソンのバリエーションが豊富。
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