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第47話 抗うな

 山田は自分の部屋に笹川を招き、2人隣り合ってそれぞれコントローラーを握りながらアクションRPGをプレイしていた。別々のモニターにそれぞれの画面が出力されているいわゆる協力プレイである。今は雑魚モンスターのゾンビを狩りながら低確率で出現するワイトが湧き出るのを待っていた。

 「ゲームでさ、ゾンビって出てくるけど……実際居たら人権ってあると思う?」

 山田は単調な作業を紛らわせようと何となしに尋ねた。目線はモニター、両手はコントローラーから離すことはない。彼の操作する剣士が効率の良い動きで敵にダメージを与えている。


 笹川も山田に劣りこそするも操作する魔術師の特性を生かして敵と戦っている。火属性の魔法を遠距離から放ち、できるだけ複数を巻き込むように狙いを定めている。

 「死んでいるから、ない……のかな、死の定義にもよるし。ほら、一度死んだって言われてからも生き返る人ってたまにいるから、死んだ、じゃなくて、死んでいる、ね」


 「でもさ、モノにもよるけれども、動いて、簡単な会話していることもあるじゃない?」

 「ああ、あるね。アニメとか漫画とか……」

 山田が想像しているのは別のゲームに登場するキャラクターであった。それに対して笹川が真っ先に思い当たったものは漫画の中に登場する中ボス的立ち位置のゾンビだった。彼はその名前を言おうとしたが、あまりにもマイナーな漫画のキャラクターであった。


 山田はいち早く近場の敵を全滅させると、メニューを開いてポーションを使用した。青白い光が剣士の体を包み、HPバーが満たされてく。が、そのエフェクトが終わる前に彼は隣のマップへ駆けていった。


 「それで、ゾンビって人間を襲ってくるから、殺す……というか、倒すよね。それって、人を殺すのと何が違うのかなって」

 山田の問いは答えようと思えば単純に答えることができる。事実、笹川は大して考えることなく思ったことを口にした。

 「人間じゃなくてゾンビだから?」


 「その境界ってどこかにあるのかな」

 しかし、一度考えだすと暗く深い質問となってしまうのである。

 「家族とかからしたらさ、檻に入れて管理するからそのままにしてくれってこともあるんじゃない? 動いている姿や、こちらの言葉に反応する姿を見ることができるだけでいい、って」


 「そうだね。逃げ出したら大変だけど……」

 笹川は曖昧な返事をしながらゾンビの攻撃を避ける。緩慢な動作から繰り出される技に敢えて早めに回避コマンドを入れているのは使用キャラのモーションから無敵フレームが発生するまでの時間が長いためであった。一部では設定ミスともバグとも囁かれているが、真相は不明である。


 「ということはそれ、まだその家族にとってはゾンビじゃなくて人間って扱いになるんじゃないかな? 外野がなんて言ってもさ……」

 山田は再び湧いてきたゾンビに攻撃を当てていく。


 「うん、他の人に迷惑をかけなければ、そうかもしれないね。でも……逃げなくても、多分どこかで負担、というか危険なんだよね。だから、家族にとっては人間だと思っていても、ゾンビかも」

 魔術師の魔法から漏れたゾンビが飛びかかってきた。その爪が空を掻いたように見えたが、ギリギリ接触判定に引っかかってダメージを受けた。笹川が小さく口を開ける。


 「でも、絶対に感謝されることもないんだよね。それに、多分、ただ音や光に反応しているだけで、人間みたいに意味を分かっていて反応していないし。それで、ワクチンとかで治るならいいけれど、そうじゃないなら……」

 剣士の方は敵陣に突っ込んで武器を振るっている。スーパーアーマー判定を生かし、多少敵の攻撃を受ける前提でコンボをつなぎながら効率よくダメージを与えていく。

 「なんだっけ? あれ……、あっ、シシュフォスの岩」


 「そう、それだよね。何をやっても何の意味もないってあれ……」

 笹川もようやく範囲内の敵を倒し終わり、HPとMPを回復しようとメニュー画面を開いたところで「あっ……」と声を漏らした。

 「ワクチンの効果があるかどうかじゃないかな? 人間に戻ることができるならゾンビになっている間も人権があるって扱いになるんじゃないかな。こんな風に倒しまくることなんてできなくなるよね」


 「でも向こうは攻撃してくるよね、本能で。ゾンビを守る人権団体とかも出てきそうだし」

 「確かにあるかも」

 2人はモニターから目を離さず、指先を巧みに動かし、ゲームの世界を楽しみながら取り留めもない話を続けていく。


 「正当防衛でも攻撃できなさそうだし、檻に入れたり鎖で縛ったりするのもなんか大騒ぎになりそう」

 ゾンビと人間の境、ある意味哲学的な、空想の話をしながらゾンビを倒し、再ポップさせるためにフィールドを移動して、またゾンビを倒していくと――。


 「あ、ワイト出た。西の宝箱のところ」

 笹川の画面右奥に今までのゾンビと同じ形の赤黒い色違いが出現した。


 「ん、あと30秒で行くからとりあえずデバフ頼める?」

 山田はそう言うとメニューを素早く開き、加速魔法をかけて剣士を走らせ出した。


 「オッケー。適当に削っとくね」

 ワイトと一定の距離を保ちつつ敵の攻撃モーション終了後に素早く魔法を放つ。しかし、ワイトはデバフに抵抗を示した。

 「結構ステータス高かったっけ」

 「んー、何度やれば結構かかったような」


 「じゃもう少し……」

 魔術師が続けざまに魔法を撃っていく。MPがゴリゴリと削れていくが、そのうちの1発がかかって緑色の成功判定が発生した。

 「あ、通った」

 笹川が呟いた途端、追いついた剣士が笹川のモニターに映りすぐさまワイトに切りかかった。


 「よしっ、こっちが囮と攻撃やるから支援よろしく」

 「オッケー」

 後はもう2人の連係プレイでワイトは半ば封殺されていくだけであった。2人とも前衛にも後衛にも慣れたもので、たまに邪魔をしてくるゾンビを追い払いながら討伐していく。しかし、これで終わったわけではない。


 「古銭落とさなかったね」

 「うん、ドロ率低いから……。またゾンビ狩りからだ」

 彼らの目的とするアイテムをドロップしなかったためである。


 「ここらへんで一番ドロ率高いはずだけど、結構落ちないね」

 「でもここで5枚集めてピクシーリング交換しておくと後がすごい楽なんだよね」

 再びゾンビ狩りが始まった。もちろんこのゲームを楽に進めることも目的の1つである、といえばあるのだが、一番の目的は何よりも、「このゲーム」から気を逸らして精神を落ち着かせることである。





 徳田が死んだ翌日、同じグループのメンバーたちは喪に服すことも特になく、毎度の調子でお茶会を開いており、利原の部屋に招かれた福本と依藤はレモンティーを楽しんでいた。

 ヌワラエリヤにカットされたレモンとミントを添えられた淡い色の紅茶を口に含むと途端に清涼感が広がる。体に溜まった悪いモノがそのまま洗い流されていくような、徳田のもたらした死の穢れも吹き飛ばしてしまうような爽やかさである。


 ただ、そこで繰り広げられる会話は徳田がいようがいまいが大して変わらなかった。


 「やっぱり自己責任じゃない?」

 利原が誰も座っていない席を一瞥した。特に誰の席とも決まっていないが、そこによく座っていた者は……昨日の犠牲者である。


 「そうよネ。自分で蒔いた種は自分で回収しないと」

 福本は空席を見向きもせずティーカップに指をかけて軽く揺すった。

 「まあ、子供の場合は保護者の責任のこともあるけれど」


 「ホントそうよね。親がきちんと躾して、子供がそれをきちんと聞いていれば普通の物で怪我することなんてないのよ」

 利原もすまし顔でカップを持ち上げて同じように爽やかな香りを胸に吸い込んだ。

 「だって遊具とかエスカレーターとか、危ないは危ないけれど、普段使っているものに危なくないものなんてまずないじゃない? 要は、普通の使い方しない方が悪いんじゃないのってことなのよ」


 (でも、子供って何するのか本当に分からないし……)

 依藤は自分の息子が公園で遊んでいる光景を思い出した。どこか朧気な記憶の中で元気に動き回る息子はすべり台を滑っていたが、次の順番を待っていた子供が何を考えたのか、てっぺんから飛び降りて――。


 福本はずいっと前のめりになって口を意地悪く開いた。

 「そういう人が使わなきゃいいだけじゃないかしら。どうして普通の人まで何でもかんでも不自由になっていくのか、本当に分からないわ。その分無駄にコストがかかって、普通の人たちの負担になっていくでしょ? できないひとはやらない、使わない。それを無視して怪我をしたら自己責任、でいいのにネ」


 利原の方は対照的に背筋をピンと伸ばしたまま口角をピクリと動かした。

 「そうじゃない? だって、包丁だってちゃんと使わなきゃ指を切るし、火だって扱い方次第では火事になるじゃない? それに車だってスピード出してぶつかったら危ないに決まっているし。正規の使い方ができないんだったらもう使わせなければいいのよ」

 そして、彼女は一拍置くとさりげなく手を振りながら「ほら、火と刃物の使い方を見れば馬鹿か利巧か分かるでしょ」と言った。


 「あら。利原さんその指輪……」

 福本が目ざとく目の前でひらひらと動いた光に反応すると、利原はなんでもない風を装いながらも両眉をしっかりと高く上げて見せびらかした。

 「あ、これ? 祖母から昔貰ったんだけど、ふと懐かしくなってね。アンティークらしいんだけど」

 3人の目は自然とその宝石に注がれる。利原は数秒間堪能すると、さっと手を隠すようにして話を戻した。


 「それに食べ物だってそうでしょ? お餅でも何でも、食べ方を間違えれば死んでもおかしくないものなんてたくさんあるじゃない。それで料理作った人に文句言うのってなんか筋違いよね。そんなのが許されたらアルコールなんて毎年何人殺しているのよ」


 「ホントそうよネ」

 福本は相変わらずほくそ笑みながらどんどん話を加速させていく。

 「車っていえば、子供が飛び出してくることあるけれど、あれもう、100%子供が悪いのよね。もし当たっちゃったら、いっそ変に治療費とか払わせられ続けるよりもう一回轢いて止めを刺した方が慰謝料とか少なくなるんじゃない? だって、そういう子供の親ってまともじゃないでしょ、どうせタカってくるわ」


 「そうよそうよ、みんなのためよ。そういう人間が子孫を残さないで死んでいって自然淘汰されていくのよ」

 利原は冷たく笑うと再びレモンティーを口に運んだ。


 依藤もティーカップを口元で傾けながらチラチラと2人を観察する。

 (でも、そんなことになったらみんな運転が荒くなるんじゃない……?)

 しかし依藤はわざわざ口に出すことはなかった。あと20日かそこらの付き合いであり、この話がどう転ぼうが「透明な殺人鬼ゲーム」を進めるのに何の影響もない。むしろ対立する方が損である。


 「私だって分からないことはたくさんあるけれど、動物としての危機感っていうのかしら、何をしたらどうなるって、それを認識できていないんだから。それって自分の責任じゃない?」

 彼女たちは飽きることなく同じ話を延々と小一時間ほど続けた。自分たちと自分たちの大切な人たちが良ければそれでよい、と考えているのであった。





 柘植は寝室の椅子に座りながらN県の地方紙を読み漁っていた。向かいには座る瑞葉はN県の地方紙に目を通している。地方欄だけを調べているとはいえ手間がかかることには変わりない。誰かの素性を調べようにも初めの取っ掛かりがなければ、あとは片っ端から総当たりをする他ない。従っていつの間にか時間が過ぎていた。


 「瑞葉、そろそろ昼食にしようか」

 柘植が置時計をちらりと見ると山積みになった地方紙の上につい今しがた調べ終わった新聞を乗せた。名前を呼ばれた少女はニコニコと笑って頷いた。

 柘植が立ち上がると瑞葉も待ちきれないように立ち上がる。2人は寝室からダイニングへの短い距離を一緒になって歩いた。正確には瑞葉が柘植の前にぴったりと貼りつくように歩いていたのであるが。


 ダイニングに着くとすぐ瑞葉は柘植から離れ、自分の席にちょこんと座った。

 「今日は蕎麦にしようか。種類は何でもいい?」

 瑞葉がコクコクと頷く。柘植はスマホをポケットから取り出すと「ににぉろふ」を起動し、「天ざる2人前。後はそば茶」と注文した。


 すぐさま料理がテーブルの上に現れる。趣のある食器に盛りつけられた蕎麦も天ぷらも決して色鮮やかではないが、見た目だけで明らかに美味であると分かるものである。2人は手を合わせると箸を掴んだ。


 柘植はまずワサビを蕎麦に付けて麺つゆに浸し、硬めに茹でられた麺を啜った。

 (美味い。段違いだ)

 爽やかな辛みと苦みを含むワサビ、カツオと昆布の出汁が上品に口いっぱいに広がる。蕎麦の風味もしっかりとしており、刻み海苔とネギの香りが味に彩を加える。

 (今まで食べたこともないほど高級だと分かる。それなのに、明らかに私好みの味だ)


 続いて柘植はカボチャの天ぷらに手を伸ばした。天つゆを少しだけつけて噛り付く。薄い衣の中に程よい硬さのカボチャが現れる。決してべたついておらず、しかしパサついているわけでもない。カボチャの主張しすぎない甘みが天つゆとよく合っている。

 (天つゆで食べる用のカボチャ、と言ったところだろう。私がそうやって食べるのが好きだからそれに合ったものが提供されている。何もつけずに食べたいと思っていれば、違うカボチャや衣が使われるのだろう。すべてが調和するように素材から選ばれている)

 箸が止まらない。再び柘植は蕎麦をつゆに付けた。


 瑞葉も真似をして蕎麦を美味しそうに食べている。柘植が蕎麦に手を伸ばせば瑞葉も蕎麦に手を付け、茄子の天ぷらをかじれば同じ天ぷらを選ぶ。違いと言えばワサビの減りくらいである。


 シシトウもレンコンも海老も白身魚もそれぞれの素材の味が衣の中にぎゅっと凝縮されている。それ単品でも、蕎麦とともに食べても美味い。

 (しかし、麺を食べるのにこの空間は便利、かもしれない)

 柘植は舌鼓を打ちつつ思った。どう啜っても多少つゆが飛び散るものだが、それらの水滴は全て不要なものとしていつの間にか片付けられている。そんなつまらないことを考えながら彼は一通り最高級の味を楽しんだ。



 しめに温かい蕎麦茶をゆっくりと飲みながら柘植が余韻に浸っていると瑞葉はメモ帳をパラパラと捲り、そこにボールペンで何かをサラサラと書いた。

 『そばおいしかったです』


 「そうか。夕食も蕎麦にする?」

 『また今度にします』


 「そうだね。美味しいけれども、こればかり食べていたら我慢が出来なくなりそうだ。また今度にしよう」

 柘植がそう答えると瑞葉は大きく頷いて蕎麦茶の入った湯呑に手を伸ばした。

 (瑞葉も蕎麦が好きなのか……。今更な話だが……。いや、私の好きな食べ物だから好きと言っているというか、好きになったのだろう。そんなに表情に出ていたのか……)


 食事を摂ることはここで生活する上での数少ない癒しの一つである。本を読み、ゲームで遊び、誰かと話すことでも心の疲れを取り除くことができるが、やはりその中でも動物としての欲を満たし、ここで際限なく用意できるものと言えば食事である。





 広間の中央には大きさがバラバラな白いブロックが歪な円状に置かれており、参加者たちはそこに集まりつつあった。それまで壁際に座っていた者たちもどこかしらのタイミングで立ち上がりそこへ向かわなくてはならない。


 岩倉が広間に入ったときちょうど誰かが彼女の傍を通った。彼女はその女の臭いに辟易しながらも顔には出さずポケットにスマホを戻したが、同じ場所に仕舞っていたハンカチに指を引っ掛けた。丁寧に折りたたまれた純白の柔らかいそのハンカチはストーカーが全財産を叩いてでも手に入れようとするほどのものであり、それは小さな勢いをつけて彼女がしゃがんでも到底手の届かないところまで行ってしまった。


 (あっ)

 ちょうど床に落ちたハンカチのすぐ近くにスーツ姿の男の足があった。柘植だ。


 (あの人に拾ってもらおう)

 岩倉は少女らしい困り顔に潤んだ瞳を浮かばせて柘植の目を見つめた。彼女の目論見通りなのか単に善意なのか、柘植はハンカチの飛んできた方をチラッと見ると、拾いに向かった――が、すぐ隣でパタンと音がすると足を止めた。彼の隣の、ちょうど陰になっていたところにいた瑞葉が躓いて手をついていた。


 「瑞葉、大丈夫?」

 柘植はすぐにしゃがみこんで瑞葉の怪我の有無を確かめ始めた。瑞葉はこくこくと首を縦にする。ハンカチを拾いに行く様子はない。

 岩倉はその様子をじっと見つめ、頬を膨らまそうとしたが――。

 「由香里ちゃん、これ落ちてたよ」

 いつの間にかハンカチは白川の手に収まっていた。


 「あ、うん、ありがとう」

 岩倉は可愛らしい笑顔を浮かべ手を伸ばした。白川はほんのわずかの間その一級品のコレクターズアイテムを惜しそうに見つめたが、きょとんとした顔の岩倉に負けて彼女の手の上に置いた。


 2人の少女たちは白いブロックに並んで腰を掛けた。柘植と瑞葉もやや離れたところに隣り合って座る。話し合いが始まるまで多少の余裕はあるが、特に立っているべき理由もなかった。ただ無駄に目立つだけである。





 定刻になれば広間は暗くなり、天井近くにモニターが現れる。そこに映るのはマイクを片手にしたニニィの姿であった。

 「さあ、『透明な殺人鬼ゲーム』24日目の始まりです。司会は私、ニニィでお送りします。さて、今日の参加者も全員。10分後に投票が行われます。では、スタートっ」


 「さて、今日の不要な人物は誰でしょう? どなたか提案はありますか?」

 今日もまた松葉がイニシアチブを取る。昨日あった出来事がまるで些事であったというような、普段と変わらない口調である。


 「なら、あたしが行こうかね」

 その質問に答える者も一昨日と変わらない。椅子に座ったまま吉野が意地の悪い笑みを浮かべるとよく通る声で参加者の注意を惹いた。

 「加藤――」


 広間の空気が一気に変質した。ここには2人の加藤がいる。その2人の背中にひどく冷たく、凍り付くような戦慄が走った。どちらの名前が呼ばれるのか――どちらか一方の名前が呼ばれることだけは確かである。半ば死の宣告に近い。そして――。


 「――育夫サン、あんたはあたしたち全員にとって価値があるのかい?」


 「俺っ! 俺かっ?」

 加藤……育夫は素早く反応をすると勢いよく立ち上がった。


 「わたっ……わたしっ……」

 「加藤ちゃんじゃない方の加藤だったよ、大丈夫だよ」

 一方の加藤芽生は両腕で自分の体を強く抱きしめてガタガタと震えており、隣に座る乙黒に背中をさすられている。


 (よかった。私じゃない)

 さらにその2つ隣に行儀よく座る岩倉はほっと胸を撫で下ろしていた。しかしそれを決して表に出さず、体を縮めて手を震わせ、全身で怯えるか弱い少女を表現している。加藤と大して関係のない参加者たちは岩倉と同じように体の力が抜けていく。


 ただ、同じグループのメンバーにとって、いやそれ以上に本人にとっては生死にかかわる大事である。ようやく加藤は激しい動悸を収めると言葉の続きを口から出した。

 「俺は……、力仕事には自信がある! 勉強だってできないわけじゃないんだ! それに……」

 しかし、すぐ言葉に詰まってしまった。その隙を吉野は見逃さない。

 「まあ、そんなに力は要らないだろう? ある程度あれば十分だ。人間の力なんて道具を使えば簡単に超えられるだろう? それに――」

 そして、吉野は心底気味悪くニッタリと口元を歪めた。

 「それだけ腕力があるってことは素手で人を殺せるってことだろう?」


 「おい! 待てよ! 俺たちを馬鹿にしてんのか!」

 途端に時田が大声で噛みついて立ち上がった。鼻の穴を大きく膨らませ、犬歯をむき出しにして今にも襲い掛かろうとする。しかし、吉野は「何を言ってんだい?」と一笑に付した。


 「てめえ、ふざけんなよ! まずなあ、人が話しているのに割り込むんじゃねえよ!」

 火に油を注がれた時田はますます牙をむき出しにし、隣の中川も同じような表情を取る。その行動こそが吉野の挑発を裏付けてしまっているのだが、頭に血が上っている彼らには考え付く由もない。さらに吉野のペースにはまっていく。

 「へえ? あたしには加藤サンが話し終わったように見えたけどねえ。どうなんだい? 加藤サン?」


 突然話のバトンが思いもよらぬところから回ってきた加藤は考えがまとまらない。

 「俺っ、俺はまず、そんな誰かを怪我させることなんてするわけがない! それになあ、道具を使うのにも力がいるし、知っていなきゃいけないんだ! 俺たちがやっていることはそんなに簡単じゃないんだ!」

 頭にはとにかく返事をしなければならないと浮かんでいる。


 わずかに遅れて中川が援護に出た。

 「加藤さんはなあ! 段取りよく仕事できんだぞ。ライントラブルだってなあ!」

 「それになあ、ボイラー技士の特急の資格もあるんだぞ!」

 時田も加勢する。2人以外も無言の応援を送り、彼らの言うことが正しいと後押しする。


 「ああそうだ! それに俺はエネルギー管理士の資格も持っているし、真っ当な人付き合いもできているから、コミュニケーションには問題ない。結婚だってしている!」

 「そうだ、加藤さんと話していて嫌になったことなんてねえからなぁ!」


 あくまで他の参加者たちが思うよりもであるが、加藤とそのグループのメンバーは吉野に対して善戦していた。ひたすら加藤が生き残るべき理由を話す彼ら以外の参加者はただ静かに座っている。弁の立つ者たちも特に何かを言うことはない。庇う理由はない。

 (もう何分経ったの……? このまま決まって……。だって……)

 誰彼のやり取りをちらちらと眺めながら岩倉は心の中で念じていた。


 ただいくら言い続けていても、どこかしらのタイミングで言葉が途切れるものである。じっと吉野は目を細めその隙を待ち構えている。「コホン」と小さな咳払いが広間に聞こえた。

 「それが、何の役に立つんだい?」


 「おま、俺たちが……、なあ!」

 時田が大声で吠えたのを皮切りに彼の仲間たちは一斉に思いの丈をぶちまけた。それはこのゲームだけの話ではなく、ホワイトカラーから向けられるある種の視線に対する思いであった。

 「ああ、俺たちがいなきゃなあ、道路もビルもできねえんだぞ!」

 「ものづくりにはなあ、俺たちがいないと成り立たないんだ!」

 「それになあ、何でも運ぶことだってできないんだぞ!」


 「いやいや」

 吉野は目を細めると冷たい視線を加藤たちに送った。

 「あたしが言っているのは、ここで何の役に立つのかってことだよ。資格があって何かを扱えたところで、ここじゃ使えないだろう? ただの飾りだ」


 加藤は目を大きく見開いた。

 「ここで?」

 (車の運転はできても意味がない。工場で作っているものは……ここじゃ取り出せない。ラインに使われている技術は、知っている範囲で、特別ここで使える知識は……)

 探せばあるのだろう。しかし加藤はとっさに思いつくことができなかった。彼は唇を噛むと代わりに答えた。

 「そんなこと言ったら事務や経理なんかの机仕事の方が役に立たないだろ!」


 「おいふざけんなよ!」

 中川が追うように吠えた。

 「一番不要な奴を選ぶんだろ! 俺たちよりもずっと仕事のできない奴がいるじゃねえか! なあ!」


 「今は加藤さんの話をしているんですよ」

 松葉が実にさらりと話の腰を折った。怒りの矛先が分裂し、加藤たちの考えはますますまとまらなくなっていく。同時にその他の参加者の考えも分散していく。いずれにしても時間が来れば――。


 「ここで投票の時間ですっ。気になる結果はこの後すぐ!」

 モニターとともにニニィが姿を現した。

 参加者は暗黒の中に孤立して、それぞれが誰かに投票を行う。加藤に殺しの票を入れるのか、加藤に守りの票を入れるのか、さらに各人の票には1.0から1.9までの倍率がかかり、単純な多数決だけではなくある意味運の要素も加わって――。


 闇が晴れると広間には1つ透明なケースが現れていた。

 「今日の犠牲者は加藤育夫さんでしたっ」





 (やっぱり彼に決まったのね)

 岩倉は胸を微かに上下させて呼吸をしながら透明なケースの中を見た。

 (だって、別にいなくてもいいでしょ。別に代わりの人はたくさんいるんだし)


 (なんであの人はあの仕事に就いたんだろう? 一生ネジとか道とか作って何が面白いんだろう?)

 岩倉は、分かっていなかった。色々な職種の人が様々な役割を持って世の中を回しているということ、そして、必ずしも全員がやりたい仕事だけをやって生きているわけではないということを。


 加藤の瞳は絶望に染まりきってどこか遠くを見ていたが、ふわふわと体が宙に持ち上がると手足をばたつかせ、しかしどこかに引っかかることもなく、そのまま空中でもがいていたが、不意に首元に触れると何かを握りしめ、顔を赤くして歯を食いしばり、引っ張り、上下に、左右に、動かそうとするも逃れることができず、トン、と体が一段低くなると、顔全体を真っ赤にして、足をばたつかせたが、指の力が抜けて両手がするりと垂れると足首の力がだらりと抜け、ぶらさがったまま動かなくなった。


 「今日はここまで、続きはまた明日。司会は私ニニィでお送りしました。それでは、またお会いしましょう」

 ニニィが最後に小さくお辞儀をすると一瞬のうちに姿を消した。同時に透明なケースも床に沈んでいき、完全に中身が消えてから少しすると、参加者の体の自由が戻った。


 すぐに生き残った者たちは散り散りになって姿を消す。その中で仁木はその場から一歩も動くことができなかった。

 (首吊りって……一番楽な死に方じゃなかったの?)


 実際に痛みを感じている時間がどれくらいなのか、それは分からない。しかし、仁木が傍目で見る限り、加藤は苦しそうに暴れ回っていた。

 (上手くいかなかったら、後遺症は? 本当に痛みはないの? 自殺だと死んだあと極楽に行けないって本当? 死んだときの痛みを永遠に繰り返すってオカルトなのかな……?)


 (僕は、僕は……)

 仁木の目から涙が一筋零れ落ちた。

 (ちゃんと自殺することもできないんだ……。死ぬこともできないんだ……。臆病なんだ……)






 今日の犠牲者 加藤育夫

 一番大事な人 妻


 ニニィにアブられる前は工場の休憩室の隅で昼食を突いていた。彼は旧帝大卒であり、決して頭は悪くなくむしろ優れているのだが、そうであるが故に高卒からは根本から敵視され、他の大卒からも自分たちの世界を奪いかねないと邪険にされている。会社って社員の能力を発揮させて利益を上げるものだと思うんだけど、どうしてこういう連中は自分のつまらない損得を優先するのだろうってニニィはよく思うよ。さらに悪いことに、それをマネージャークラスが黙認あるいは実行していると中々改善は難しいんだけど、まあそういう会社にしか入ることのできなかった加藤自身の責任とも言えるよね。

 いつも読んでくださってありがとうございます。

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