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第45話 牛耳るな

 今月もあと少しですね。もう少し頑張りたいです。応援ありがとうございます!

 柳原の部屋から小さなすすり泣きが聞こえており、その合間に「ごめんなさい……、ごめんなさい……」と呟く声が混ざっていた。今は早朝である。ということは、その声はこの部屋の主の物である。

 1時間ほど前から彼女はリビングのテーブルに突っ伏してずっとこの調子であった。


 (去年、美里ちゃんのこと、みんなと一緒になって無視して、ごめんなさい……)

 柳原が謝っていたのは先月、小学校で起こった事件についてであった。このゲームで死んでいった者に対する謝罪ではなかった。


 そして彼女は、その苛めの報いでこのゲームに参加することになってしまった、とこの頃考えていた。ここにいる理由がそれ以外に思い当たらなかった。

 (ごめ……、ごめんね、すごく悲しそうにしていたのに、私の方、絶対、見てたのに……)

 しかし――。


 (でも、あのとき、無視していたのは私だけじゃないし、一番イジメてたのは真保ちゃんだし……。だって、そんなに、こんなところに連れて来られるくらいのこと、私、してないのに……。どうして私だけ……)

 しかし、それが正当な報いだとは当然、思っていなかった。

 彼女はもぞもぞと尻を持ち上げて体重を分散させると涙と鼻水を手の甲で拭い、再び同じ姿勢を取った。

 (もっと悪いことしてる人いっぱいいるじゃん……。ニュースに出てる人とか、犯罪者とか……あと……、先生だって、苛め、知らない振りしていたじゃん……)


 その言い訳に気まずさを覚えたのか、柳原はビクッと背中を震わせた。

 (ごめんなさい、ごめんなさい……。ちゃんと美里ちゃんに謝ります……。いい子になります……。だから、ここから出してください……)


 (お願い……、お願い、お願いします……)

 答える者などいるはずもない。彼女自身も誰に頼んでいるのか分かっていない。ニニィに伝えたいのであれば「ににぅらぐ」を使うだろう。しかし、床に転がっているスマホの画面は黒一色である。神頼みなのか、それとも自分自身に向けてなのか、分からない。


 「もうやだ……、もう嫌だよぉ……。もう嫌! 嫌だよぉ……」

 ついに柳原は伏せたままテーブルに向かって声を漏らした。目をギュッと瞑って、口元をひしゃげ、くぐもった声を隙間から漏らす。

 「だって、美里ちゃんも悪いんだよ! 圭一君に言われてみんなの花壇壊したこと黙ってたんだし……」


 鼻をすするたびに背中を上下に揺らし、柳原はヒックヒックと息も絶え絶えの中、思うことを吐き出していく。

 「先生にっ、嘘つくから、クラス、みんなが怒られて、それで、作り直しになって……、それで……。だって、私よりも真保ちゃんがっ、どうしてっ、どうして……」


 「もう、やだよぉ……」

 柳原はついに堰を切ったように涙を流し始め、顔をくしゃくしゃにして嗚咽を漏らした。喉は枯れ、涙で目の周りを赤く腫らし、ひたすら「どうして、どうして……」と疑問を投げかけ続け、そして、そのまま気を失った。



 「詩ちゃん、詩ちゃん、大丈夫?」


 柳原は誰かが自分の肩を揺する感覚で目を覚まし、「んうっ」と声を漏らした。

 「詩ちゃん、大丈夫? 具合悪いの?」

 眩し気に細目を開けて上体を起こすと、隣にいたのは二瓶だった。


 「……うん。大丈夫、先生……ありがとう」

 柳原は俯きながら涙を拭ったが、顔を上げることなく床を見つめただ黙っている。まるで二瓶の存在が観葉植物か何かであるかのように何のリアクションも取っていない。


 二瓶が優しい声で「朝ごはん、食べられる?」と尋ねた。柳原は小さく頷いた。


 「よかった……」

 二瓶は胸に手を当てた。

 「そしたら今日も先生の部屋に行こう? みんな待っているよ」


 彼女はスマホをポケットから出すと柳原の手を握った。そして、指先を動かすと、そこから2人の姿が消えた。



*



 「政所さん、昨日のお菓子美味しかったわ、ありがとうね」

 「気になさらないでください」


 政所の部屋には同じグループのメンバーが数人集まり、ティータイムを楽しんでいた。ただし、部屋の主にとっては決して本意ではない。「たまには政所さんのお部屋にもお邪魔したいわ」などと元木が言ったために彼女は自分の部屋を開放したということであった。

 そこはデフォルトの内装からほとんど変わっておらず、ところどころに精巧な動物の置物が飾られているくらいである。生息地域別に配置されていることは多少の知識があれば分かるが、生息環境が再現されていることはなく、動物のフィギュアと台座以外には何もない。


 大浜と鰐部、室賀を含めた5人は柑橘系の果物を組み合わせたフルーツティーを飲みながらチョコレートを摘んでいた。さっぱりとした酸味ととろけるような甘みがお互いを引き立てており、どちらも別種の上品な苦さを含んでいる。とにかく体の内部から高貴になっていくような芸術的美味しさである。

 しかし、そこで行われる会話は芸術とはかけ離れている。


 「それにしても本当にアレよねー」

 元木は無意識の内にテーブルを指で叩いていた。

 「訪問販売とか営業とかああいうのとか、そういうのって本当に迷惑よねー」


 「ああ、アレね。だいたいこっちの予定も考えないで来る時点でおかしいのよ」

 鰐部が口元に持っていこうとしたカップを戻した。


 「よくあるわよね。特にお昼過ぎとかに」

 「私は日中仕事しているけれども、結構多いみたいね」

 その話題は彼女たちに共通する悩み、というよりも怒りの種であった。


 しかし、室賀は腕組みをすると首を傾げた。

 「でも田舎だと結構そういうことない? 近所の人が野菜とか送り物とか、おすそ分けに来て、そのままお茶ってこともあるでしょ?」


 (……)

 元木の表情が険しくなる。室賀は横目でそれを感じ取り、しれっと付け足した。

 「でもやっぱり知らない人の訪問って基本、煩わしいだけよね」


 「そうよね」

 元木はゆっくり瞬きをすると元の表情に戻った。そして、実にうんざりとした口調で話し始めた。

 「こっちがいらない持ってないってそうじゃないって何度言っても、何ヶ月かするとまた来るのよ。本っ当にいい迷惑よ。ねえ?」


 「そうよね、ほんと。ねえ、室賀さん?」

 鰐部がのんびりと同意する。


 「ええほんとねぇ」

 こちらも微笑みながら同意すると、元木はオーバー気味に手振りを加えて如何にそれが不快であるかをアピールしだした。

 「しかも人が会社休みの日に限ってピンポンピンポンって。こっちも予定もあるのに本当に邪魔なのよね。しかも最近は宅配業者の振りをしたのに遭って。『お届け物です』なんて言うから出てみたらポケットティッシュで、それに服装もそれっぽいので、なかなか出ていかなかったし……。旦那がいたらよかったんだけど、休日出勤でいなかったし……。何かいい方法ないのかしら?」


 話すだけ話して一旦満足した元木はカップを手に取った。他の4人も同じようにカップに手を伸ばし、大浜が「あ、そう言えば……」と思い出したように呟いた。


 「なになに?」

 室賀が勢いよく前のめりになった。元木もカップから口を離すと目を輝かせる。注目が集まったことに大浜は照れ笑いを浮かべ、「えっと……あ、これ、友達がやったんだけどね」と前置きをしてから「暑い日とか寒い日にあいつらが来るでしょ」と言った。


 「うんうん」


 「そのときにね、飲み物を出すのよ。これどうぞ、って言って。そうすると向こう的には話を聞いてくれるように見えるじゃない。でもね……」

 大浜は目の前にその客人がいるかのようにジェスチャーを交えながら説明をしていき、ためらいを見せたが元木の圧に負けてしまった。

 「そこに、その、食事中なんだけど、その、下剤をたっぷり入れておくのよ」


 「えーっ!」

 室賀が仰々しく驚き、政所が両眉を上げ、元木と鰐部はとっさの愛想笑いを浮かべる。


 「これが意外と食いついて飲むんですって。それで、話を聞いている振りをしているうちに薬が効いてきて、勝手に帰ってくれるってことらしいのよ。たまにお手洗い貸してくれなんていうのもいるけれども、壊れているって言えば帰るしかないらしいわ」

 大浜は最も言いにくいことを言い終えたところで喉の渇きを覚え、フルーツティーを口元に運んだ。


 「それ、いいわねぇ」

 元木が意地の悪い笑みを浮かべた。政所は小さく頷いている。

 「この家に行ったらお腹を下したって経験ができるからですよね。そういうので行くと嫌な目に合うって脳が勝手に思って、知らず知らずのうちに遠ざかっていくんですね」


 「でも断られたらどうするのかしら」

 鰐部がチョコレートを手に持ちながら尋ねると大浜もチョコレートを手に取って、それから答えた。

 「もうそうしたら、イヤーな空気出しておけば向こうも帰るらしいわ。あっちが飲み物を断ったなら、こっちも相手の商品断っても不思議じゃないでしょ? ってことらしいのよ」


 「あっ、確かにそうかも」

 鰐部は大きく頷いた。

 「そう言えば思い出したんだけれど……」


 「なになに、教えてよ」

 元木は明るく飛びついた。


 「カメラで録画と録音していれば、帰らせやすいんですって。確か前、ネットで見た気がする」

 鰐部は「うん、確かそうだったわ」と呟いた。


 「法律的に大丈夫なのかしら?」

 室賀が何の気なしに尋ねると、元木が素早く突っ込んだ。

 「いいのよ。あんな奴らに人権なんてないでしょ」


 「あとはね」

 鰐部が遠慮がちに補足する。

 「帰ってくださいって言われても帰らなかったら法律違反なんですって。だから帰ってくださいって言って、あとは警察に電話すればいいらしいのよ」


 元木は満面の笑みを浮かべた。

 「そうすればさすがにもう来なくなるわよね。今度来たら試してみるわ。ありがとう」

 そう言うとチョコレートを手に取り、大口を開けて口に入れた。


 「今度」が訪れる保証はどこにもないが、彼女たちはそのことを考えないようにしている。楽観視しているのではなく、意図的に目を背けているのである。



*



 七里はようやく作り終えたからくり細工の時計が滑らかに、設計通りに動くのを見ながら達成感に浸っていた。

 それは針が回転して時刻を指し示すことはもちろん、下部に配置された太陽系の惑星を模した球体がゆっくりと回転運動をしており、1日で1年分進むようにできていた。さらに上部には月の満ち欠けが実際に空に浮かぶものとリンクするように変わる仕掛けとなっている。ただ七里に現在月がどのように見えているのか知る術はなかった。

 おまけに1時間ごとに異なる動物が現れて、秒針に合わせて少しずつ動いていくのである。したがって彼は飽きることなくそれを眺め続けていた。


 (なんで年寄りって素でタメ口聞いてくるのか分からないな)

 七里が不意にそう思ったのは、目の前で毛繕いをする造り物の猿の群れがどことなく昨日死んだ佐野の背格好に似ていたためであった。


 (別に仲良くもないし、上司でも親戚でもないし、あとは……客でもないし……、お互いに他人同士じゃないか)

 秒針がゆっくりと回っているのを見ながら彼は感情を昂らせることなく一定のペースで考える。

 (それなのに『これ捨てといてくれ』とか『おい、エレベーターはどこだ』とか……。『お前の部屋から音がしてうるさい』とか……。間違っていても謝らないで、誤解される方が悪いって……)

 日常的に接する老人たちと言えば仕事先で出会う他人、それから家の近所に住んでいる他人くらいであった。彼らはことごとくそういう態度であった。


 (年齢が上ってだけで偉いと思っているのか? 何でも命令で、決めつけだ)

 猿たちは相変わらず毛繕いを続けている。内部に仕込んである部品の数はそう多くないから、単調に決まった動きを繰り返すだけになっている。


 七里は時計から目を離すと床に寝転び天井を見上げた。

 (年寄りの次はおばさんだ。男の方は意外と丁寧語で話しかけてくれるし……、タメ口でも、対等なタメ口のときが多い)

 同じ会社で働く人々の彼に対する態度がそうであった。

 リストラされて妙に腰の低い上司は誰彼構わず丁寧語であった。経歴が不透明な男はほとんど同時に会社に入ってタメ口であるが、それ以外はあくまでも対等の存在として接していた。しかし、離婚して食い扶持を稼ぐために彼の後に入った中年女性は命令口調のタメ口であった。おまけに自分の方が偉く七里は雑用係か何かと思っているようで、例えば移動車の運転も決してやろうとはしないのである。


 彼は横を向いた。白い蝶の模型が2匹、円を描くように動いている。

 「絶対に追いつけないからな……」

 蝶は同じ歯車に固定されている。後ろの蝶が1cm動けば前の蝶も1cm動く。どうやっても、絶対にありえない。近づくことさえない。年齢も同じである。

 (実力でも何でもないのに、どうしてあんなに威張っていられるんだろうな)


 (それに、今は俺に普通に接しているおっさんたちもいつかは横柄になるんだろうな……)

 七里は喉が締め付けられるように感じ、大きく横隔膜を動かして無理矢理呼吸した。


 (何なんだろうな……。それで、先が短いからって何やっても許されて……)

 彼の脳裏に浮かぶのはニュースや新聞で度々見かける老人の特権であった。同じ罪を犯しても、年を取っているというだけで逮捕されないこともあり、刑務所に行かないことさえあり、病床を率先して埋めて、薬を嗜好品感覚で貰いに行って……。


 「俺はああなりたくないな……」

 七里が呟くと、ちょうど猿が座る岩壁が沈んでいくところであった。同時に蝶も動きを止めて岩壁の裏の窪みに吸い込まれていく。小さな地殻変動は、仮に次の展開がなかったとしても見ていて面白いものであった。


 (まあ、ああいう奴らに何を言っても無駄だな)

 鶏が現れて地面を突き始めた。どこかの庭先のようなところを右往左往して穀物の種を啄んでいるのか、昆虫を探しているのか、どちらとも取れるような動きであった。

 (俺の言葉なんて何とも思っていない、自分が正しいと思ってずっと生きていた

ああいう年寄りの中じゃ、そうなっているんだ。あいつらからしたら俺の方がイカレている。だから絶対に変わることなんてないんだ)


 (……それに、俺が変える必要なんてないんだ)

 七里は鼻で笑った。別に彼は老人の親でもなければ、家族でもない。だから無駄な時間や労力をかけて、相手が欠点を直すまで付き添う必要などないのである。さらには憎まれかねないのだから、結局、関わらないことが正解である。


 (自分が痛い目に遭わなければ変わるわけがない。こっちの正体が知られない方がいい。……ネットに晒すのが一番だ)

 鶏から離れたところで3羽のヒヨコが一列になって歩いている。

 (犯罪……じゃなくても、マナーの悪い奴はそうやって潰すしかない……)


 (それでも……あんまり、ひどかったら……)

 七里はからくり時計の傍に置かれた棚に目を移した。背の黒い大学ノートが数冊並んでいる。そのどれもが何度も開いて何かを書き込んだような形跡があった。

 (交換殺人……)

 七里はゆっくりと笑った。



*



 今日の話し合いは誰が選ばれるのか、3日連続でいわゆる無能な人物が選ばれるのか、それとも、全く別のことが起きるのか予想できない。大抵の参加者が気付いていることであるが、唐突に参加者の一番大事な人が公開されたように、がらりと展開が変わるような何かがあるかもしれない。それが自分を貶めるようなものであったら……? 死ぬ。


 広間の照明が落ちるとすぐ、天井近くにモニターが現れた。全員の視線が向けられる。

 「『透明な殺人鬼ゲーム』、23日目、これまでに死んだ人数は25人。もう半分が終わったね」

 ニニィが指で「25」の字をなぞっていく。指先の軌跡が青白い線を描き、最後に「25」の隅をちょんと突くと文字が溶けるように散っていった。

 「それはともかく今日の参加者も全員、投票は10分後です。では、スタート!」

 そしてニニィは普段通りの言葉を告げると、モニターとともに姿を消した。……何も、起こらない。


 「さて、今日も不要な人物を決めましょう」

 松葉がすくっと立ち上がった。

 「誰か、心当たりはありますか?」


 今日もまた前日同様の流れになる。つまり、不要な人物として選択されたら、命がけで自分の価値を証明しなくてはならない。あちこちで身を固くする音が聞こえる。


 「そもそもあんたの方がいらないんじゃない?」

 いきなり、決して聞き心地がよいとは言えない中年女性の声が広間に響いた。大勢の注意が一気に引き寄せられる。――徳田だ。

 「最近勝手に仕切って人のこと殺しているでしょ?」

 勝ち誇ったような、どこかで見たような面を下げた彼女は顎を高くして大股で立ち、意地の悪い目を松葉に向けた。


 空気が薄くなるような感覚を一部の参加者は覚えた。


 「私ですか」

 松葉の目がスッと細くなる。

 「私は初めの頃から全滅を避けるため話し合いに積極的に参加していますが。それからちなみに――」

 しかし口元には変わらず薄っぺらい笑みが貼り付けてある。

 「二ツ橋大学の経済学部修士卒で現在は四藤商事のアジア地区渉外リーダーを勤めています。つまり、頭が回るということですね」


 「だから何よ。殺していることに違いないでしょ? どうせ今までも人を殺していたんじゃない?」

 相も変わらず不遜な態度で松葉に攻撃を行う徳田はどんどん口を歪め、睨め付けている。


 「でしたら、徳田さんはゲームオーバーを避けるため全員のために何かされていましたか? 学歴はともかく――」

 松葉はそこで一旦口を閉じた。彼は知っている。徳田の顔がまだらに赤くなった。

 「現在何をされているのでしょうか?」


 徳田は口元をわなわなと震わせて押し黙った。しかし足を広げて眉を吊り上げ、松葉に敵意どころか殺意を送っている。


 松葉の後では大抵の肩書はかすんでしまう。まして、徳田の勤めている会社はある狭い分野でこそトップのシェアを誇っているが、その名前は同業者の他に知っている人はほとんどいない。まして、彼女が卒業した大学は地方の偏差値だけで選んだ学部であった。


 「そうなりますと、実力がない、つまり私たちが生き残るのに不要な人物は徳田さんになりますね。和を乱し、非力で、さして賢いわけではなく、突出した特技も……ありませんよね?」

 松葉は薄い笑いを貼り付けて徳田、というよりも他の参加者に対して宣言した。知られている。


 「それ……」

 徳田が声を漏らした。松葉は窓の外に止まる蠅を見るように目だけを向けた。

 「それ、女性差別よ! ミソジニーよ! ミソジニィー!」


 突然甲高い大声を上げて豹変した徳田のサマに参加者の間にざわめきが広がった。

 「ミソジニー?」

 「女性や女性らしさを嫌悪したり蔑視したりすることですね」

 若林の独り言に藤田が解説を入れる。


 「女子は力が弱いんだから、当たり前でしょ!」

 徳田は両手を大袈裟に動かしながら鼻息を荒くして松葉に掴みかからんとしている。


 「性別は関係ありませんよね。筋力があることもその人の実力です」

 ただ、松葉は全く動じることなく話し合いが始まった時と変わらないテンションで応じた。怯えることも怒ることもない。

 「それに……ここでは一層男女平等になっているはずですよね?」

 松葉はちらりと目線を下方に向け、それから首を動かして左を向いた。


 「ええまあ、そうですね」

 目の合った猪鹿倉がそれを肯定する。


 松葉は再び徳田を路傍の石のようにして見ると、「つまり差別ではなく、区別ですね」と端的に言った。

 「それに、徳田さんはまるでご自身が女性全体を代表しているように言っていますが、私は徳田さんだけに言っていますよ。性別も何もかも関係ありませんよね。実力。それが全てです」


 「そんなの……」

 徳田の頬がぶるぶると震える。

 「男社会のせいでキャリアを伸ばせなかったんだから、しょうがないじゃない! アタシの方がずっと嫌な思いしてるんだから!」

 唾を散らして掴みかからんばかりに吠え晒すも松葉は全く動じない。


 「過去がどうであったかはともかく、今は全ての人が平等です。むしろ、積極的に差を是正しようとして優遇されている場合もありそうなものですが」


 いくら徳田が持論を喚いたところで、これまでの相手ならまだしも、弁の立つ松葉に敵うはずがない。どれだけ面倒な相手と対峙して難しい案件を通し、資金調達をやってきたのか、徳田には想像することもできない。


 ついに何も言えなくなった徳田は首を不規則に動かして何かを探す素振りを見せた。そこにあるのは白い床と参加者の足だけである。

 「それ、そ、だから……、ねえ、吉野さん! そうですよね?」

 そして、この場で最も頼れる人物、グループのリーダーに婉曲的な助けを呼び掛けた。


 「あたしには、松葉さんの言っていることの方が正しいと思うけどねぇ」

 しかし、返事は求めているものではなかった。


 「えっ」


 「持っているもの全てが実力だろう? そもそも徳田さんから突っかかったんじゃないか」

 吉野は口元を歪めた笑いを向けると、自分の番は終わったと言わんばかりに両手の指を組んで背もたれに寄りかかった。


 吉野の態度がそうであった以上、もうメンバーの助力を得るのは難しくなった。仮にグループのメンバーであることを理由にしてより直接的な助けを乞えばこの場は何とかなるだろう。しかし、これが終われば、グループから外されることは想像に難くない。そして、暗黙の了解であるグループの存在を公にしたということで、参加者全員から投票される未来は予想できる。


 もう徳田は止まれない。止まったら負ける。負けたら死ぬ。できることは進み続けることだけである。もしかしたら、もしかしたら万が一勝って、生き残ることができるかもしれない、一縷の望みにかけるしかない。

 勝つか負けるか、この場合に限ってはそれ以外に選択肢はない。ウィンウィンにはならない。


 しかし、到底、松葉に敵うはずはない。何を言ってもあしらわれる。



 「盛り上がっているけれども、投票の時間でーす!」

 モニターとともに現れたニニィが広間を覗き込むように顔を近づけた。


 参加者は闇の中に孤立させられて、そこで死なせたい人と守りたい人を選択する。誰を選ぶのかはその人の自由であり、誰かに知られることは決してない。自分から表にしなければ誰にも知られることはないのである。その代わり票を集中させることはできなくなるが、ともかくどうするのかは全て参加者次第であった。


 面々が元の位置に戻ると、ニニィが声高らかに叫んだ。

 「今日の犠牲者は徳田梨帆さんでーす!」



*



 (何故、徳田は突っかかったんだ?)

 水鳥は透明なケースの中を静かに見つめながら考える。

 (勝ち目があるとでも思ったのか……? それとも吉野の差し金か?)


 辛うじて視界に入っている吉野はいつもと変わらない勝ち組の笑みを浮かべている。

 (このタイミングで仕掛ける理由……。昨日、吉野は例の提案に乗っていたが……)


 「はっじめまーす!」

 ニニィが人差し指を立てて天に掲げた。


 徳田は眉間に皺を寄せ、顔の血管を浮き上がらせ大きく口を開けて喉を動かし、ケースの壁を叩いていたが、突然左脚の外側を払い、そこを睨んだが、すぐに右脚、左腕、首元……と体の至る所を払い出し、そこから血が滲んでいて、床には半透明の赤色の――蛆のようなものがポトポトと落ちて、徳田の動きは激しくなっていき、肌からも服の下からも血が滲み、それらを取り払おうと暴れ回り、下に落ちていたそれらを踏んで、滑り、バタバタとなおも暴れまわるが、だんだんそれらの数は増していき、反比例するように徳田の勢いがなくなっていき、ついに動かなくなった肉の上を赤黒いそれらが黙々と動き回っていた。


 「うーん、やっぱり気持ち悪いね」

 ニニィの頭上に渦巻のアイコンが出現し、彼女はパチンと指を鳴らした。透明なケースがスルスルと床下に下がっていく。

 「それじゃあ、また明日ねー」

 最期にモニターとニニィの姿が消えると広間の照明は元に戻った。


 水鳥は素早くスマホを取りだすと「カードキー」を開き、画面をタップする寸前に吉野たちのいる辺りを見た。

 (吉野は……勝利の余韻と退屈さが混ざったように見える。他は……特に大きくリアクションしていない)

 観察できる時間は限られている。見続けていれば疑われる。だからこそ、親指が画面に触れるまでの一瞬に観察しているのである。


 (ミーティングのときに聞こう。彼女は仕事ができる)

 一瞬のうちに広間から水鳥の姿は消えた。




**



 今日の犠牲者 徳田梨帆

 一番大事な人 父


 自称仕事ができるサバサバ系。誰かが、特に自分が格下だと思い込んだ者が自分より優れた何かを1つでも持っていることを認めず、ひたすらに妨害する。上司は自分に矛先が向くのを嫌がる事なかれ主義のため、事態は黙認オブ黙認。屁理屈と裏工作でサボタージュをしかけてくるお局。優秀な新入社員はやめていき、残るのはやめることのできない者だけであった。

 その結果、男性社員からは「職場の膵臓癌」、女性社員は「行き遅れ加齢臭」と色んな思想の持ち主がすっ飛んできそうなあだ名を付けられており、蛇蝎の如く嫌われている。どっちのあだ名がひどいんだろう? っていうことで、居酒屋で和気藹々と協議されたけれども結論は出なかったんだって。

 ブクマ登録評価感想のどれか1つでもいただけますと本当に励みになります。助かります。

 よろしくお願いします! (*・ω・)*_ _)ペコリ

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