第35話 動くな
北舛は広間の中央に立っていた。彼女には他の参加者――ニニィの指示通り集まった参加者の姿がぼやけているように見えていた。これから何が起こるのか分からないのに何故か温かい湯に浸かっているように感じている。その理由は、彼女の隣に水鳥がいるからであった。
「優香ちゃん、ニニィは何を話すつもりだと思う?」
水鳥の視線は北舛だけを優しく捉えている。スラリした立ち姿はサマになっており、どこからカメラで撮られても完璧であるように見えた。ぼーっと見とれていた北舛は「優香ちゃん?」と少し困ったように囁く水鳥の声で我に返った。
「え?」
「ニニィは何を話すつもりなんだろうね? 優香ちゃんは何か分かる、かな?」
「うーん、分かんないよ……」
尋ねられた北舛は眉根を下げると、水鳥と目をじっと合わせるようとしたが、すぐに頬を染めると目を逸らした。
水鳥はその仕草に悪戯っぽい微笑みを返し、「大丈夫。僕もよく分からないんだ」とウィスパーボイスで告げた。
「そうなんだ、えへへ……」
分かりやすく頬を掻いた北舛はしまりのない笑顔を浮かべる。
(よかったぁ。一緒なら怒られないもんね)
それ以上会話が続くことはなかった。ただ隣に水鳥がいるというだけで北舛は全身に温かいものが流れていた。水鳥が他の誰かに話しかけないということも輪をかけて彼女を幸せにした。自分との沈黙をとても大切にしてくれているように彼女は感じていた。
しかしその幸福も永遠には続かない。いつの間にかモニターが現れていた。北舛が顔を上げると、モニターの中のニニィはバインダーを片手に持っていた。分厚い紙束が挟まっている。ニニィはその数枚をめくると、原稿を読み上げた。
「はい。今日はお集まりいただきありがとうございます。 誠に突然のことではございますが、本日の投票を持ちまして『透明な殺人鬼ゲーム』を終了することになりました。皆様におかれましては――」
(えっ……、ええーっ!)
北舛は声を出すこともできなかった。ニニィの言ったことを脳が受け入れることができない。しかし、つい先ほど聞こえた言葉は紛れもなく「本日の投票を持ちまして『透明な殺人鬼ゲーム』を終了することになりました」であった。
彼女が前を向くと、そこには妙に反応の薄い他の参加者の姿が映っていた。
(みんなも同じ? びっくりしすぎて何もできないんだよね?)
左方にいる参加者も右方にいる参加者も棒立ちしている。小学生も老人も、男性も女性も皆一様にリアクションを取っていない。作業服を着ている人も学生服を着ている人もスーツを着ている人も……動かない。
(あれ? どうしよう……)
北舛は背を丸めて両腕を抱え込んだ。
(どうしたら、いいのかな……)
しかし、それはどうするべきかを自分で考えているわけではない。どうしたらよいか他人の指示を仰げないかと鈍く頭を動かしているだけに過ぎなかった。従って状況は何も変わらない。誰かがニニィに噛みつく声もざわめきも聞こえない。
(どうしよ……)
「優香ちゃん……」
その状況から彼女を救ったのは彼女の期待通りの人物であった。北舛は胸がはね上がるのを感じ、水鳥の方を素早く振り向いた。声の主は満面の笑みを浮かべながらもどこか顔の表情に不自然な硬さがある。彼のものとは思えない何とも言えない違和感がどこかに浮かんでいるように北舛は思った。しかし、すぐにそんなことは気にならなくなった。
「このゲームが終わった後、また……会えないかな?」
「えっ?」
北舛は目を丸くすると、再び起こった予想しようとしてもしきれない幸運な出来事を脳内で処理しようと試みた。
「そうだ、今度撮影を見に来てよ。そのあと一緒にディナーなんて、どうかな?」
(え、それって……、それって……!)
さらに追い打ちをかけるように情報が加わる。北舛は今一度水鳥の顔を見た。冗談を言っているとは到底思えない。真剣そのものであった。
「う、うん……」
彼女は深く頷いた。既に頭の中にこのゲームが終わった後の光景が浮かんでいる。映画のメイキング映像で見たような大きなカメラやたくさんのスタッフがいる中で、彼が自分にだけ分かるよう微笑んでいる。光景は変わり、高層ビルの高級レストランの一等席に水鳥と座っている。赤ワインを楽しみながら煌びやかな夜景に包まれている。やがて水鳥が小箱を取り出したところで、北舛は我に返り意識を広間に戻した。照明が眩く目の焦点が合わない。
(あ、あれ?)
彼女は強く目をこすった。
視界がだんだんとぼやけていく。あまりにも幸せすぎるからだろうと思いながらも目をこする。目の前にいる水鳥の姿が滲んでいく。北舛は自分に喝を入れようと瞳を閉じて、開いた。――そこはすでに見慣れたと言えるようになってしまった部屋の壁紙であった。
「そうだよね……」
彼女は静かに目を閉じた。しかし、一度目を覚ました彼女が再び眠りにつくことはできなかった。それほど深く充実した睡眠であった。つい先ほどまでの出来事は今になって思えば夢であることは明らかだった。
(究君があんなことを言うわけ……ないよね。でも、でも、もしかしたら……)
北舛は横になったまま背を伸ばすと掛布団をどかし、大きく伸びをした。それからスリッパを履いて洗面所へ向かった。
(今日、ニニィの発表することって、いいことかもしれないよね。夢みたいに……。ゲームが終わるって話かも。それなら……)
(『このゲームが終わった後、また……会えないかな?』)
北舛は妙に鮮明な作り物の台詞を頭の中で繰り返した。洗面所に着いて鏡を見ると、そこにはしまりのない顔が映っていた。
*
広間には昼前にもかかわらずほとんどの参加者が集まっている。昨日ニニィの言った新情報を真っ先に知ることでこのゲームで有利に立ち回ろうとしているのかもしれない。またはニニィの言う通りにしなければ不利になると思っているのかもしれない。ただ、ニニィは一言も「集まるように」とは言っていない。
柘植と瑞葉は広間の隅の方に隠れるようにして立っていた。彼らの前には時田と中川たちが大柄な体躯に似合わずひそひそとしながら固まっている。他の参加者もそこまで露骨ではないもののある程度まとまって待っていた。
そして、定刻になると天井近くにモニターが現れた。中のニニィは左右に小さく揺れながら参加者の方を見つめた。
「最近マンネリが続いているよね? だからここでテコ入れしまーす」
その表情を読み取ることはできない。そもそも彼女の顔のパーツは動かない。さらに、普段なら必要に応じて描かれている、それをフォローするような感情記号もない。何を発表するのか、次の言葉があるまで分からない。そして――。
「今回はなんと、みんなの一番大事な人を発表します!」
広間の空気が一瞬で凍り付いた。
そこにいる参加者たちは一様に怯え、表情をこわばらせた。その中で一際怯えているのは……二瓶の周りにいる小学生たちだったが、周囲にそれを気にする参加者はほとんどいない。自分のことに注意を持っていかれている。
そして、瑞葉が柘植の服の裾をギュウウと握って引っ張っていた。
(まずい! まずい! まずい!)
柘植は体の筋肉が不自然に硬直し、脱力するのを感じた。体が反射的にバランスを保ち立っているに過ぎないが、いつ倒れてもおかしくない。
(瑞葉! 瑞葉は?)
隣にいる彼女を素早く見る。ポーカーフェイスを貫いて立っている。しかし、それは恐怖で固まっているだけだと多少の付き合いがある柘植には分かった。
(死ぬ! 死んでしまう!)
呼吸が荒くなる。心臓が早鐘を打ち、頭に血がドクドクと流れる。視界は急にクリアになって、時間がゆっくりと流れていく。しかし決して逃げ場はない。ニニィが次に起こす行動を待つことしかできない。
(殺す、か? あと、30人、今、ここで。……できない。捕まるし、逃げられる。『ににぉろふ』で毒ガスの類は出せなかった。どうする? どうやって生き残る? どうする?)
柘植は脳内で思考を激しく巡らせているが、この状況を打開する方法を思いつかない。無情にもニニィの次の言葉が柘植の耳に入ってきた。
「はいっ。公開しました! 『投票箱』の参加者リストのところに情報が加わったよ。あと、ここのモニターにもしばらく映すからね、バイバイっ」
ニニィを映していたモニターの表示が切り替わり羅列された名前がスクロールされ始めた。各モニターにそれぞれ別の名前が流れている。
柘植は吐き気をこらえて震える手でスマホを持ったが、できることはない。力なくモニターを見た。そして、上から下にスクロールする沢山の名前の中に自分と瑞葉を見つけた。
『柘植廉 一番大事な人 能登竹緒』
『西堀瑞葉 一番大事な人 佐原絹江』
(私、じゃない?)
頭を巡っていた血液がサーッと体中に戻っていく。隣にいる瑞葉がふらふらとよろつくのが柘植の目の端に映った。モニターを見ていない。ジャケットを握りしめた手で姿勢を辛うじて保っている。柘植はすぐさま誰にも何かを気取られないように「カードキー」を使い、震え出した瑞葉と一緒に自分の部屋に戻った。
*
自分の部屋に戻った柘植はすぐに瑞葉の様子を見た。顔は青ざめており、瞬きをしておらず、唇が震えている。
「瑞葉、瑞葉? 大丈夫か? 何とかなった。安心して」
ガタガタと震えている瑞葉としゃがんで目を合わせ、柘植は彼女の肩を軽く揺すった。
「落ち着いて、大丈夫だったから、落ち着いて……」
柘植は呪文のように唱え続ける。瑞葉の精神状態を慮っていることはもちろん、彼はある懸念を抱いていた。
(このままだと、今日の話し合いで悪目立ちする。つまり……2人とも死ぬ!)
彼らはただでさえ一度目立った存在である。それに加えて、普段は一般的な小学生らしく怯えている瑞葉が明らかに見て分かるように混乱していたら、その理由はつい先ほど発表された内容だと考えるのが普通であろう。そうすれば瑞葉と彼女の一番大事な人との間に何かがあると考えられて、投票される。本当に何かがあるのかどうかのかは関係ない。可能性、あるいは疑念を抱くことができれば何でもよいのである。自分が死ななければ何でもよいのである。
柘植は必死に「瑞葉!瑞葉!」と呼びかけると、やがて彼女の目の焦点が合った。
「ほら、瑞葉の一番大事な人は私になっていない。佐原絹江という人物になっている」
柘植はスマホを素早く操作すると「投票箱」の名簿を見せる。瑞葉は大きく目を見開くと膝の力が抜けたようして柘植の方へ倒れ込んだ。彼は不器用にその頭を撫でた。
瑞葉は脱力したまま柘植にされるがままにしていたが、すぐにしがみつきながらもぞもぞと右手を動かした。そしてポケットからメモ帳を取り出し、そこに素早く、瑞葉にしては雑な文字を書いた。
『ちがいます、つげさんです』
「うん。信じているから」
再び混乱し青ざめそうになる瑞葉をなだめつつ、柘植は初日の彼女を思い出した。嬉しそうにメモ帳を見せられて、彼女の一番大事な人が誰なのか、それは自分自身であると打ち明けられたときの、あの瑞葉の振る舞いを。その中で、最も印象に残っているのは例のメモを見せた時の瞳であった。記憶の中、かすれかかった色味の中でその色だけは爛々と鮮やかであった。
(あの桃色の瞳は、間違いない)
「大丈夫、分かっているから。大丈夫」
(瑞葉から見れば、私には瑞葉が嘘をついているように見えてしまっている。そうすれば、一緒にいるメリットがないということになる。それどころか、今まで裏切っていたとも捉えられかねない。何故私が彼女の一番大事な人になのかは一旦置いておくとして、その私から不審に思われるのは不本意だろう)
「分かっているから。分かっているから」
(普段は冷静で物分かりがよい子供だが、完全にパニックを起こしている。しかし、瑞葉の言う通り彼女の一番大事な人が私ならば、……間違いなくそうなのだが、ニニィがその通りに発表していれば、私も彼女も死んでしまっていた)
「大丈夫、信じているから」
柘植はできる限り優しい声を出しながら彼女の背を撫で続けた。彼が信じたのは自分自身の観察と経験、彼女の言葉であった。
数分後、瑞葉は落ち着きを取り戻しが、彼女は未だ柘植に張り付いたまま、自分のスマホに表示した「投票箱」の『一番大事な人 佐原絹江』と書かれた自分自身のプロフィールを見つめていた。柘植は新たに生じた疑問について瑞葉に尋ねた。
「瑞葉、その佐原絹江さん? がどういう人物か知っている?」
瑞葉は柘植の方を向くと素早く首を横に振った。
(私の一番大事な人の名前は間違っていない。他の人のも同じ苗字の人物が多かった。ニニィは嘘をついて場をかき乱すことはしないだろう。ゲームが成立しなくなる。しかし、嘘をつく可能性は……、今までついたことはないようだが……)
いくつかの矛盾していそうな仮定を元にしばらく考えて、柘植が導いたのは彼自身にとってもっともらしい、しかしやや無理がある結論であった。
「おそらく……この人物は、瑞葉が記憶を失う前の知り合いだと思う」
瑞葉は小首をかしげた。
「ニニィが公開したのは本人の言う通り参加者の一番大事な人だろう。ただし、このゲームに巻き込まれた直後の一番大事な人の名前だ。私と瑞葉が出会ったのはこの空間に拉致された後だ。ニニィが参加者たちに一番大事な人を伝えたのはその後だから、瑞葉の知らないうちに変わっていたと考えるのが一番それらしいと思う」
柘植は話しながら彼女を見つめた。瑞葉は聞き終えると少しの間、彼の顔を見つめてからコクリと頷いた。
「助かった……」
柘植はようやく安堵すると体の力が抜け、瑞葉にしがみつかれたまま床に座り込んだ。瑞葉が柘植からようやく離れると、柘植は「大丈夫」と一言伝えた。
彼は「ににぉろふ」を使って水入りのペットボトルを2つ取り出すと、その1つを瑞葉に渡してから喉を潤した。
「ただしまだ、ニニィが嘘をついている可能性も決してないわけではない。まずは、今日の話し合いで他の参加者がどういう反応をしているのかを確認するべきだと思う」
瑞葉が頷くのを確認して、柘植は方針の確認を行う。
「今、広間に戻るのは不自然だ。何が起こっているのか気になるけれども……。私と瑞葉の様子を見ていた人がいるかもしれないし……」
柘植は「ににぅらぐ」を立ち上げた。今のところ、ニニィは参加者と会話をしていない。
「少なくともモニターに向かって怒鳴り散らしていた人はいないようだ。参加者間で何かあったかもしれないが……それは問題にならないだろう。注意がそちらに向く」
柘植は再び水を飲むと、深呼吸をし、ごくりと唾を飲んだ。
(助かった……。それに、人としての一線……いやそれは今更の話だ……)
*
(意外と大した話じゃなかったじゃん)
橋爪はメンバーとともに自分の部屋で昼食を食べながら、新しく発表された情報が自分の死ぬ確率をそう高めないことに安堵していた。
誰かの一番大事な人は誰になるかと問い尋ねられれば、多くの人が彼らと同じ苗字の人物を思い浮かべるだろう。つまり、同じ苗字の一番大事な人とは大抵血縁の誰かのことである。そう推測するのは、少なくとも日本では自然なことであろう。
当然、参加者の中には一番大事な人と自身の苗字が異なっている者もいる。
「つうかさ」
一足先に食べ終えた三石が口を開いた。
「一番大事な人が身内じゃない奴って、何なん?」
彼はペットボトルに入ったコーラをゴクゴクと飲むと、誰も返事をしないのをいいことにまたもや思ったままのことを口にした。
「普通の家で暮らしていれば親が一番大事な人になるんじゃね?」
恐ろしいのは、一番大事な人が血縁者ではないというだけで、ある種のレッテルを貼る人間がいるということである。つまり、家族とさえもまともな人間関係を築けない社会不適合者というレッテルである。
「いや、もしかしたら普通じゃない家かもしれなくね。的な?」
やんわりと否定したのは小嶋だった。昼食の塩ラーメンは丼に麺が半分ほど残っているが、彼は箸を一旦止めていた。
三石はその言葉に表情を変えることはなかったが、口を付けようとしたペットボトルを床に置くと首の筋を伸ばした。
「逆に尊敬できないほどの親から生まれたわけじゃね? それで、そんなところで育ったってことは、ヤバい奴なんじゃね?」
さらにはその人間の資質自体に問題があると邪推することが可能である。
「実際、颯真クンそうだったし。血は水よりも濃いって」
そして、彼はどこかで偶然聞いた、無学にしてはそれらしい言葉、しかし、まったく当てはまらない言葉を使った。
「いや、いろいろあるんじゃね? 普通に超お世話になった人とか、苗字の違う親戚とか、そっちを親よりも尊敬してるとか。あと、親の苗字、違うことだってありえるんじゃね?」
小嶋の口調はやや険のあるものへと変わっている。
三石の細い目がゆっくりと小嶋を捉えた。対する小嶋は無意識のうちに顎に力を入れ、掌を丸めている。「でもさ」――両者の間に割って入ったのは橋爪であった。
「虎王クンのは同じ苗字だから家族だろ。まあ例外はあるんじゃね? 逆に血は水よりも濃い、的な? 苗字が同じでも、違っていても、アレな奴はアレだし、そうじゃないパターンもあるし、まあ、微妙なところじゃね?」
「的な?」
三石が目線を上に逸らしてそう繰り返した。橋爪が「そうそう的なっ」と上ずった声で相槌を打ち、「祐二クンもそれでいい感じ?」と早口で言う。
「ん、まあ、そうじゃね? 怜誠クンの言うことも割とあるし」
小嶋はそう答えると箸を掴み、麺を小口ですすった。
(あっぶね!)
橋爪は緊張を隠そうとしていたが、坊主頭に湧き出た汗のせいで露であった。両者とも後腐れを起こすこともなさそうだが、もう一度同じことが起きれば何が起こるのか彼でも分かるというものであった。
(仲間割れ、殺し合い、つか、その隙に殺されてたかも)
最悪の結末から気を逸らすために橋爪は「つうか、それよりさ、これ……」と明るい声を出した。そして、スマホの画面を拡大すると、全員から自身のスマホが見えるようテーブルの中央に置いた。
「こいつの……ヤバくね? 俺でもニュースで名前、聞いたことあるし」
*
広間には既にほとんどの参加者が集まっており、隣同士でひそひそと会話をする姿がやけに目立っている。理由はほとんど全員が分かっていた。午前中にニニィが発表した情報、つまりスマホに反映されたそれを見た者であれば誰かと事前に話していなかったとしても、今日、話し合うテーマは分かっていた。
薄暗くなるとそこは一瞬のうちに静かになった。その代わりにモニターの中のニニィが甘ったるい少女のような声を出した。
「はーいっ、それでは『透明な殺人鬼ゲーム』、18日目の開始です。投票は10分後、全員参加していますね。始めてくださいっ」
「まあ」
吉野は真っ先にヒキガエルが潰されたような声を出して、注目を集めた。次の台詞を言うまでにもったいぶりなおのこと注意を引き付け、ほくそ笑むと「みんな話が聞きたいだろう」と一点を指差した。
「彼と、阿伊居宇江雄との関係さ。どうして彼の一番大事な人が世間を騒がせている大量殺人犯なんだい?」
「お答えします」
宣告が終わるや否や素早く立ち上がった人物、君島は今までと変わらずはっきりと言い切った。
「阿伊居と私は同郷で、同い年でした」
(真っ向から肯定か。同じ名前の別人、システムのバグ……。言い訳は思いつくが、まあ、調べられれば終わりだ。それならばここで決着すると判断したのか)
柘植は君島の言葉に周りと同じように驚きながら、件の人物に暗い愉悦を浮かべている人物たちを視界の隅に見つけた。
「彼は私の親友でした。当時から頭がよく回りましたから、毎日退屈していました。だからこそ私たちは親しくなったのです」
君島は柔らかく手を握ったまま、どこか声に温かみを持たせて説明を行っていく。
「それだけで一番大事な人になるのかよ!」
時田がいつも以上の大声でヤジを飛ばす。口元のにやけが隠しきれていない。君島はただ事実を伝えていく。
「互いに学び、考えることが好きな性格でありながらも、地域柄浮いてしまっていましたから、唯一理解し合えるのがお互いだけでした。だから、彼が私の一番大事な人になっているのでしょう」
「でも、元々犯罪者だったんじゃない?」
鳥居が冷たく口を挿んだ。君島はほんの一瞬、冷めた目で相手を見た。
「高校を卒業するまで一緒でしたが、今、振り返っても彼は全く普通の性格でした。それは違うと断言します」
「なんとでも言えるじゃねえか!」
時田が吠えるが、君島はつられて声を荒げることもない。ただ、淡々と説明していく。
「そこで別れた後、彼に何が起こったのか、実のところわかっていません。勿論警察にも協力して彼に関するあらゆる情報を伝えました。しかし、捕まっていないというのが現状です」
(君島のグループのメンバーは誰もフォローに入らない……。見限ったということか。彼の周りだけ妙な隙間が空いている。どういうやり取りがあったかはわからないが……)
そして、このどうでもいいゴシップに終止符を打ったのは吉野だった。
「へえ。君島サンがどうやら悪人じゃないってことは分かったよ」
醜い顔を歪ませて口から放ったのは、参加者にとって耳触りの良い大義名分であった。
「でも、阿伊居は今でも生きている。誰かを殺すかもしれないわけだ。家族や友人が襲われるかもしれない。ただ、今ならさっさと始末することができるじゃないかい?」
君島はゆっくりと瞬きをした。
「それは、私に票を集めるということですか」
「身内が襲われた後じゃあ後悔してもしきれないだろう?」
「阿伊居の居場所はこれからも探し続ける。私財を投じて調べている。彼がなぜそうなったのかを白日の下に曝し、同じことが二度と起きないようにして、そして、法の裁きを下す必要がある。それが、民主主義です」
「どうせ、死刑だろう? 裁判が長引いて、最高裁で確定して、それから奴が地獄に落ちるまでに、どれだけの時間がかかる? どれだけの税金がかかる?」
2人のやりとりのどちらが真っ当なのかはともかく、参加者の心情がどちらに傾いていくのは明白なことであった。第一、阿伊居云々を抜きにしても自分が死ななければ誰が代わりに死のうが大差ない。
君島に冷たい視線が次々と突き刺さっていく。
「私は脳外科医だ。医者だ。もしも、このゲーム中に誰かが怪我をしたら、体調を崩したら、感染症が流行ったら、誰が診断して治療する?」
客観的に自分自身に投票するべきではない理由を述べていくも――。
「宮本さん助けられなかったし」
「ここ、体調が悪くなることないでしょ?」
話が通じなくなった集団には再考をしようともしない。
「可能性は0ではない。何が起こるか分からない」
「てめぇが助かりたいだけだろぉ!」
「代わりに誰に死ねって言ってるの?」
何を言っても、もはや聞く耳を持つ者はわずかであり、その彼らが表立って見方をするかと言えば、できない。翌日の投票先が自分になるのが明白であるためであった。
「冷静に考えてほしい。この『透明な殺人鬼ゲーム』は未知の領域だ。自分自身が助かりたいという思いはもちろんある。しかし、だからこそ、医師が必要だ。このゲームが終わったら必ず阿伊居を探し出し、罪を償わせる」
君島は瞳に、一言一句に、強い力を籠めながらも、その声や表情を荒げることもなく伝えようとするが、一度傾いた天秤は元に戻ることもなかった。
「あんたが見つける前に身内が殺されたら世話がないだろう?」
最後に吉野がもはや隠すまでもなく嘲笑うと、徳田や沼谷が同じような薄汚い笑みを浮かべ、ひどく濃縮されたインクが湖に落とされたように、薄まることもなく広がっていった。
「はいっ、それでは投票の時間になりました」
ニニィの合図とともに参加者の周囲は洞窟内部のように真っ暗になり、スマホのバックライトがぼんやりと光る中、それぞれが思い思いの投票を行い、そして、元の明るさに戻ったとき、透明なケースの中にいたのは大多数の予想する人物であった。
「今日の犠牲者は君島浩樹さんです」
*
参加者たちの視線は円状に並んだ白いブロックの中央に置かれた透明なケースに固定されており、そこから体を動かすことができない。しかし、その表情を変えることくらいの自由は利いている。彼らがとったリアクションは多様であった。
昨日と変わらず自分が助かったことに安堵する者、影山に続いて君島がいなくなることでこれからの展開に不安を感じざるを得ない者、成り上がりの上級国民の失墜に薄暗い悦びを感じる者……。誰が誰に入れたのかはその人だけが知ることであるが、しかし、いくつかのあからさまな表情は物語っていた。
君島は自分が透明なケースに入っていることを把握すると、ゆっくりと目を閉じて穏やかな表情をとり、床に座ってあぐらを組んだ。そして、背筋を伸ばすと目を閉じ、両膝に両手を置き、指を動かし始めた。
「始めます」
ニニィは静かに言った。
親指と人差し指で輪を作る。次に親指と中指で、その次に親指と薬指で、その次に親指と小指で、……それを繰り返していく。
(サ、タ、ナ、マ……)
それは眼前に迫った死と痛みに対する恐怖から自分の精神を遠ざけるものであった。
すぐに君島の吐く息が白くなる。その色はどんどんと濃くなって、弱くなっていき、肌が土気色になり、全身の動きが止まっていき、指が微動だにしなくなって、白い煙が出なくなった。
「みんな、また明日ね」
冷凍された君島の入ったケースは白い床に沈んでいった。
ニニィの映っているモニターが消えると参加者は体の自由を取り戻した。彼らは
思い思いに自分たちの部屋に戻っていった。いつもなら吐き気を抑えきれない者は君島の静かな死に方に胸を撫で下ろしていた。
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今日の犠牲者 君島浩樹
一番大事な人 知人男性(大量殺人鬼 阿伊居宇江雄)
その分野では十本の指に入る脳外科医。子供の頃、高IQ故に話の合う相手がいなかった。唯一の理解者は同レベルのIQを持っていた阿伊居のみで、小学校から高校まで彼らは魂の友としてお互いを認め合っていた。上京のときに別れたのが最後。以来報道で阿伊居を見る度に何とかしてやりたいが、彼の行いは到底許されるものではないとジレンマを抱えていた。それでも阿伊居がいなければ自分はこの世にいなかったと恩を感じており、いつか昔のように彼と再び友情を結びたいと願っていた。
なおニニィがアブったときはちょうど脳手術の前であった。患者は中東の石油会社の大幹部。君島が死ぬということはほぼ間違いなくこの患者も近いうちに死ぬということであるし、後に手術を控えている人たちも軒並み助かる見込みが絶望的になるということである。
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