第34話 祈れ
「ねえ由香里ちゃん」
「何、彩々ちゃん?」
2人はソファに隣同士に座り、お互いに見つめ合っていた。睫毛の数も数えられる。相手の瞳に自分が映っている。一方は参加者の中でもトップクラスの可愛さを誇る岩倉、もう一方は子供らしい可愛さの白川、陳腐な表現ではあるが一方は鑑賞用の薔薇、もう一方は野に咲くタンポポと言えば両者の可愛さの違いが分かるだろう。
2人は白川の部屋にいた。岩倉がそこを訪れたのはミーティングを終えた直後のことである。他のメンバーが自分の部屋に戻っていく横で白川はよろよろと立ち上がることしかできず蒼白な顔でふらついているところに、岩倉が「大丈夫?」と声をかけた、ということであった。
「あのね、ありがとう……。今日、あんなことがあったから……怖くて……」
白川は頬を薄紅色に染めて視線を逸らそうとした。その肩を岩倉は優しく掴む。
「ううん。私も怖かったよ……。彩々ちゃんがお部屋に入れてくれて、すごく安心したよ。それに、最初に話しかけてくれたのは彩々ちゃんの方からだよ。彩々ちゃんのおかげだよ」
数日前から彼女たちは少しずつ話すようになっていた。自己紹介やグループ内の仕事に関するやりとりだけではなく、今や好きな食べ物や趣味などのプライベートな話をするまでに親しくなっている。
それは白川にとって新鮮すぎるものであった。単に都会の生活が真新しいだけではなく、上級国民の暮らしというものは彼女の想像を超えていた。そして、それは岩倉にとっても同じであった。
「由香里ちゃん……」
再び両者は目を合わせた。初めに踏み込んだ会話をする前から白川は岩倉に憧れを抱いている。犬塚が死んだ、というよりも再びメンバーの誰かが死んだことにより白川に訪れた恐怖はその想いをさらに高めていった。
「彩々ちゃん、羨ましいな」
その相手から思いもよらない言葉が聞こえてくる。彼女が首を傾けるとその髪がサラリと流れ、甘い香りが白川に届いた。
「えっ、私のどこが?」
白川は口をぽかんと開けて大きく目を広げた。
「だって、こんなに可愛くて、それで、自由で……」
岩倉はゆっくりと瞬きをしながら白川の肩に置いた手をスルリと肘まで滑らせた。学生服の上からでもその掌の熱は素肌にまで伝わり皮膚の上に温もりを残していく。
「柔らかくて……」
岩倉は手をそのまま滑らせ続け、白川の掌までたどり着くと、指を絡ませた。その瞳はいつも以上に艶があり、粘ついているように見えなくもない。
「そ、そんなことないよ……」
眉を下げ、頬の赤みを増し、白川は目の前の相手から離れようと頭のどこかで考えるも体を大きく動かすことはできなかった。2人の距離が徐々に近づく。
「ずるい……、こんなに素敵なのに」
岩倉は絡めた指をするりと放した。
「あっ……」
白川は思わず小声を漏らした。名残惜し気な声を聞いた岩倉は微笑むと白川のセーラー服のリボンに手を伸ばした。そこから鎖骨をかすめて首筋を辿り、顎のラインを撫でた。
「可愛い……」
白川は顔一面が紅く、小さく震えたまま目線をキョロキョロと動かしていたが、ついに岩倉と目線を合わせると目を閉じようと――。
岩倉はくすっ、と微笑むと手を引っ込めた。
「ごめんね、冗談だよ」
白川は胸に手を当てながら「も、もうっ……」と形式的な非難を行った。しかし、心臓は激しく鼓動し続けていたし、背中にじっとりと汗をかいていた。もしかしたら、お友達同士の仲良しの程度が少しだけオーバーするかもしれないと考えてしまっていた。
やがて落ち着いた白川は話題を何とか変えようと、なおも見つめ続ける岩倉に尋ねた。
「あのね……究君が言っていた……真妃ちゃんと比べて優先したのって……誰なのかな、って。もしかしたら由香里ちゃんかな? だって……」
しかし未だにおぼつかない口調であったため、岩倉にあっさりとイニシアチブを取られしまった。
「ううん、もしかしたら彩々ちゃんかもしれないよ。だって可愛いんだし」
(別の、別の話……)
可愛い、可愛いと目の前の少女から至近距離で連呼されて、白川は瞬きを繰り返し声を上ずらせながら思いつくがままの言葉を引っ張っていく。
「でもね、でもね、究君も大変だよね。……真紀ちゃんと誰かのどちらか1人しか助けられなかったって……」
「うん、そうだね……」
岩倉はわずかに目線を逸らすとソファにもたれかかった。白川もまた真似をしながら肩の力が抜けていくのを感じた。
「それが誰なのかみんなに教えないの、優しいよね。だって、もし、みんなが知っちゃったら、その人が……その……いじめられるかもしれないし……」
彼女はそう言いながらほんの一瞬、水鳥に心酔しているメンバーの顔を脳裏に浮かべた。しかしすぐにその数人だけに限った話ではないと気が付いた。犬塚よりも優先された人物ということは、つまり、その人を優先順位が自分よりも上かもしれないと思っても不思議ではないということである。
「うん」
「究君はみんなのことを考えて、仕事の出来で判断したって言っていたけれど、やっぱり、少しだけ見た目とかが……あるのかなって……」
もじもじと俯く白川に岩倉は再び近寄るとそっと尋ねた。
「今日、狙われていたのは自分だったのかなって不安にならない?」
「うん……。究君はもう大丈夫って、守ってくれるって言っていたけれど……」
「それなら……」
岩倉は小首をかしげると微笑み、手を前に差し出した。
「それなら、私、彩々ちゃんのことを守ってあげる」
「えっ……」
白川は再び顔を赤くした。同い年の、憧れの女の子から、グループを裏切るリスクを背負ってまで護ると言われたのである。
(やっぱり、由香里ちゃん、すごい。私と違ってしっかりしていて、それなのに私のことを守ってくれるなんて……)
「その代わり、その代わりね……」
岩倉は眉を下げると目を潤ませて頬を染め、そこに両拳を添えた。
「私のことも守ってほしいな……」
白石はオーバーヒートを起こし、ただコクコクと頷き続けることしかできなかった。つい先ほどまで自分を守ってくれると言っていた凛々しい騎士様が一転、庇護欲をそそるお姫様になって、その子から頼まれているのである。甘い匂いがガンガンと彼女の脳に直接流れ込んだ。守らないという選択肢はない。
*
二瓶は自分の部屋に小学生たちを半ば無理やり招き、夕食を一緒に食べているところであった。柳原、渡辺、日高の3人はダイニングテーブルについて下を向き、二瓶はその様子を目にしながらも、右隣の空席の方につい目が動いてしまっていた。数日前までは座る者がいたその席に。
今晩の夕食はミートスパゲティとコーンスープとシンプルである。ただし、それでもつい先ほど吐いていた渡辺や柳原にとってはやや胃に重すぎるメニューであった。その証拠に2人ともフォークを手に持ってはいても、口元に運ぶことはほとんどない。緩慢にクル……クル……とフォークにパスタを巻きつけている。日高は黙々と、ゆっくりと食べていたが、その動きは機械的であった。
二瓶は自分の分を半分ほど食べ終えていたが、2人の皿が手付かずに近い状態にあるのを見て、胃が締め付けられるような感覚を覚えた。いくら彼女たちが十分な栄養を摂っているとしても、精神的に安定する何かを摂っているとしても、毎日誰かが死ぬ姿を見て吐いているのである。当然顔色は悪い。
「ちょっとは……食べた方が……」
声をかけられた2人は背中を跳ねさせるとますます俯いて硬直した。
「……ごめんね。難しいよね……」
二瓶は瞼を少し下げ、テーブルの隅に置かれた自分のスマホを手元にやるとやや棒読みがちに「栄養ゼリー2つ」と呟いた。彼女の手元にパウチタイプの栄養補給ゼリーが現れた。
「ほら、ね、こっちだけでも飲んでおこうよ」
二瓶は蓋を外すと2人に押し付けるように手渡し、じっと2人を見つめ続けた。
「……うん」
渡辺は小さく声を出すと両手で栄養ゼリーを持ち、小さく咥えて喉を動かした。柳原も声こそは出さずとも同じようにゼリーを絞り出し、口の中に入れた。顔色が土気色から自然な色味に戻っていく。
二瓶はようやく頬を緩ませると再び自分の夕食に口を付け始めた。合い挽き肉の香ばしさがトマトを主体とした数々の野菜の旨味とともにパスタに絡みついており、噛むたびに口の中にとにかく旨さを溢れさせる。隠し味のニンニクが次の一口を無性に促す。コーンスープはやや薄味で、ミートソースの濃厚な味を飽きさせない。
(こんなに美味しいのに……)
老舗の洋食屋で出されるような誰もが幸せになるようなその味は、しかし、食べる人が全く受け入れようとしなければ、ただの塊となってしまう。仮に口にしても栄養のあるただの塊となってしまう。
「……」「……」
食卓には二瓶と日高が食器を動かす音が聞こえるくらいである。あとの2人は飲み終わったゼリーの容器をテーブルの上に置いて、膝に手を乗せて俯いている。
(少しくらい……何か話してくれても……)
二瓶の思いとは裏腹に誰も話さない。それは今日に限ったことではなく、彼女にとってそれは既に分かりきったことであった。
(私が独りで話しても……何か疲れるし……。でも、私がいなくなったらこの子たちはどうなるの?)
沈黙を破ったのは「ごちそうさま」という、二瓶が最後にコーンスープを飲み干した後に手を合わせて言った言葉であった。
「ごちそう……さま」
やや遅れて日高が追従すると、あとの2人も「……さま」「……ま」と何とか声を漏らした。
(……)
二瓶は虚し気に食べ終わった皿の上を見つめたが、しかしすぐに顔を上げた。
「よし、じゃあ、歯を磨いたら時間までここでゆっくりしていよう」
食事が終わったらあとは睡眠、というわけにもいかない。何故ならば、これから笠原の部屋に集合して明日の投票先を決めなくてはならないからである。何か意見を尋ねられることはなくても、行かないわけにはいかない。
(もし、今日、誰かが出席していなかったら……)
洗面所に向かう3人の姿を見送りながら、二瓶はふと考えた。
(メッセージを送って、部屋に入れる子ならお見舞いに行って……)
(でも、笠原先生はどうするんだろう? ……他の子は、思うんだろう?)
彼女はテーブルの上に目線を移した。いつの間にか片付いている。
(どうしよう……)
二瓶は悪い可能性を想像した。その人をゲームから降りた者として扱うのかもしれない。昨日、佐藤が投票で選ばれた理由と同じである。皆が背負っているものから自分だけが逃れるような者がいるならば、排除されても不思議ではない、と。
*
酒瀬川が空いた時間、つまり食事や睡眠などを除いた時間に何をしているのかと言えば、リビングの床に広げた紙の前に胡坐をかいて木のブロックにノミや彫刻刀を入れるこの作業であった。彼は10×10×25cmの木肌の綺麗な木曽桧を手探りで掘り出している。鉛筆で下線がざっくばらんに引いてある。彼の本職はラーメン屋であり、絵心があるとは言えないから何を作ろうとしているのか傍目には分かりにくいが、彼は仏像を彫りだそうとしていた。
座っている酒瀬川の横にはハードカバーの重そうな仏像の図鑑が置かれているが、開かれた形跡こそあれど今は閉じており、斜めに放り投げられている。しかし刃は淀みなく木を削っている。
(……)
やおら手を止めると酒瀬川は目を閉じた。脳裏に浮かべたのは彼が生まれてから長い間住んでいた町にある小さなお堂、そしてその中にあった地蔵菩薩の姿であった。彼が作ろうとしているのは誰が作ったのかも分からないその仏像である。つまり、酒瀬川にとってかくあるべしというのはそこにある木製のものであった。
自ずとその仏像だけではなく故郷の風景を思い出していく。お堂のあるやや開いた広場から民家と民家の間の、車の通れない細く曲がりくねった道を通ると突き当りに老婆が1人でやっていた八百屋があった。そこは開いているのか開いていないのかよく分からないことが多く、酒瀬川の知らないうちにシャッターがしまっていた。
そこから左折して坂道の方に向かうと今は同級生が開いている眼医者がある。酒瀬川はそこに行ったことがなかったが、あまり評判は良くなかった。
(そこからビニールハウスのある畑の前を通って、道なりに行くと……子供のころ住んでいた借家のあった場所だ……)
幼少の頃から高校を卒業するまで、そこを通った時の出来事を思い出していく。友達と下校しながら雪合戦をしたこと、野犬に追いかけられたこと、口裂け女の話が妙に気になってそこだけ自転車を速く漕いだこと……。
(違う。それは今考えることじゃない……)
彼は目を開くと頭を左右に振った。そうしてもう一度目を閉じて地蔵菩薩の姿を思い浮かべた。
酒瀬川は木材を丸刃の彫刻刀で慎重に削りながら、求める姿を彫りだそうとしている。何かやることがあるだけで落ち着き、恐怖を忘れることができる。その彼の脳内に不意に思いもしない考えが浮かんできた。
(俺は何をやっているのだろうか……)
目のピントがずれて手元がぼやける。脳が動きを止めようとするも手元は機械的に動いていた。刃が逆目に入る。強い振動を刃先から感じた。
彼は反射的に身を引いていた。そして、状況を飲み込むと恐る恐る手元を見た。
「割れてない……か、よかった……。それに……」
両手の甲に傷はない。裏返して手の平を見ても傷はない。
(どこも怪我していないな……)
酒瀬川は再び同じように彫刻刀を握ると今度は慎重に刃を動かし始めた。
(俺が生きているのは……みんなが犠牲になったからだ。……ここに限ったことじゃない。今までだってそうだった。それが世の中だ)
木の塊は何となく人の形を成してきている。
(死んだ後がどうなるのか……分からない……。色々考え方や宗教があるけれども、本当にどうなっているのかは……分からない……)
(死後の世界があるなら……彼らがそこで少しでも安らかになれば……。俺が今生きているのは彼らがいたからだ……)
彼は仏像を犠牲者の供養のために作っていることを再認識する。そこには罪滅ぼしの意味も含まれているだろうが、彼にその意識はなかった。
(誰かが勝てば誰かが負ける。厳しい話だ。だからといって、何でもかんでも好きにしていいわけじゃない……と思う)
しばらくして、彼は彫刻刀を床に置くと腰に手を当てうんと伸ばした。目の前には大まかに地蔵菩薩の形を取った木のブロックとその削りカスが紙の上に広がっていた。彼はブロックを除けてから紙を半分に曲げ、カスを中央に集め、体を伸ばして少し離れた場所に置かれたごみ箱に入れた。
不要なものはいつの間にか消えていくこの空間で削りカスが残っているのはそれが彼にとって成果を見える形にするものであったからだ。酒瀬川は紙を敷き直し、彫刻刀を握ったところで脇に投げてあったスマホの画面を見つめた。
「もうこんな時間か……」
彼は彫刻刀をケースにしまい、作りかけの木像とノミと一緒にまとめ、畳んだ紙の上に置いた。代わりにスマホを手に取るともう片手で補助をして立ち上がった。錆びた機械のように節々が傷んだ。
*
夏里は夕食を終えた後、大型のモニターに外国の観光ドキュメンタリーを流して時間を潰していた。彼女は特段それに興味があるわけではなかったが、少なくとも彼女にとって、直近のDVDが出ているテレビ番組の中ではそれくらいしか面白いと思えるものが浮かばなかった。
それはDVDを見ているというより、むしろ聞いているだけに近い。眠気が来るまでの時間を埋めているだけである。そうしていればあまり深いことを考えなくてもよい。犠牲になった誰かの死にざま、自分が死ぬかもしれない恐怖……。もっとも、今の夏里に限っては別に意識を逸らすことのできるものがあった。
彼女は皺まみれの手で毛量の減った白髪を撫でると、今日の話し合いで決められたルールを唱えた。
「『入室の承認も入室も強要しない』って……」
(ワタシ、仲間外れにされないよネ? 御法川サンも、江守サンも、そんなことをする人じゃないと思うけれどもネェ……)
夏里は首を横に振ると、音の出ているモニターに目を移した。
(明日のお茶会、どうしよう? 無理強いできないのよネ……。入室の承認を強要しないって、そういうことでしょ?)
(ワタシがお誘いするのも……お誘いくらいはいいのよネ? でも、それで断られても……何も言えないのよ……)
夏里はスマホを恐る恐る撫でてから手に取り、メッセージアプリの「7SUP」を開いた。
(確認するだけよ……。でも、寝ているかも……。どうしてさっき会ったときに聞いておかなかったんだろう……)
スマホをテーブルに置こうとしたが、寸でのところで手元に戻す。
(電話じゃないでしょ。どうしても今までの常識で考えちゃうわ……)
夏里は目を細めて、すぐに裸眼で扱うのは無理だと判断して老眼鏡をかけた。
『夏里です。寝ていたらごめんなさい。明日、――』
(無理に誘っているわけじゃないよネ)
何かに言い訳をしながらいつも以上にゆっくりと文章を入力する。
(『明日のお茶会はいつもより遅めの11時でいいですか?』 これだと……)
夏里はぼんやりと天井を眺めた。シンプルなベージュの壁紙には凹凸がいくつもあって、それが何かの模様のようにも見える。
(……)
彼女は姿勢を戻すと文章を書き直した。
『11時過ぎにお茶会を開こうと思います。よかったら来てくださいネ』
夏里は2度深呼吸をして、ようやく書いたメッセージを御法川に送信し、それから同じ内容を江守に送った。
(返事、返ってこないわネ……)
彼女は壁に掛かっているアナログ時計を見た。メッセージを送ってからすでに30分近く経っている。
(もう遅い時間だし、ワタシもいつもならもう寝るころよネ……)
流しっぱなしにしていたドキュメンタリーを何となく目にしながらも夏里はしばしば時計に意識を奪われている。仲間外れになるという最悪の可能性をなるべく考えないよう、モニターに映るインド市街の雑踏に集中しようとしているが――無理であった。
「どうしよう……」
ついに夏里は眉に皺を寄せ、狙いの定まらない指先でモニターの電源を落とした。同期していたスマホが自動的に再生を止めた。
(もう……もう、寝ようかしら……)
普通なら返事が返ってきてもおかしくない頃である。スマホの右上にある小さなランプは点灯していない。つまり、メッセージは届いていない。
(明日の朝になれば返事が来ているかもしれないし……。でも……)
彼女はブルリと震えると両腕で体を抱きしめた。その場から動くことができなかった。
返信が届いたのは夏里がもう寝室に向かおうかと考えた何度目かのことであった。振動したスマホに彼女は思わず距離を取ったが、鳴りやむとそれに飛びついた。
『ありがとうございます。行きたいと思います』
『わかりました。10時から広間に行かないといけないからですよね』
微妙に問いかけと違う返事が返ってきたが、言わんとすることは夏里に伝わった。
「ふーっ」
彼女は胸を撫で下ろし、口を持ち上げた。
『こちらこそよろしくお願いします』
そして、素早くメッセージを入力すると送信を2度繰り返した。
途端に疲れが体中を支配した。腰が重く、膝に力が入らない。夏里は椅子のひじ掛けを両手で掴み、全身の力を使って上体を持ち上げた。
(明日……なんとかなったわ……)
*
二瓶はリビングにある椅子に座りながら、今日の話し合いを思い返していた。
(佐藤君が……話し合いに出てこなかったのは、誰かに閉じ込められたからかもしれないんだよね……)
(だから入室のオート承認は危険で、そもそも誰かが部屋に来るのも誰かの部屋に行くのも危険……)
そこまで考えたところで彼女はある事実を見つけてしまった。
(私……、入室申請をオートで承認するようにしている……)
正確には既に知っていたが、単に目を背けていただけのことであった。この事実と先の事実を結び付けて考えようとしていなかった。
二瓶は首筋に嫌な汗が沸き上がるのを感じた。
(それに……)
彼女はつい先ほど自分が何をしたのか思い出した。笠原の部屋に全員で集まった後、なかなか動けない小学生3人をそれぞれの部屋まで送った。
(あの子たちも……)
(もしかしたら……もしかしたら……)
二瓶は短く呼吸を繰り返し、何とか平静を保とうとする。
(あの中に……いるかもしれないんだよね……)
部屋の中にはバニラと桃のような甘い香りが漂っている。その香りを何度も吸い込むうちに、彼女はようやく落ち着いて、自らの考えを否定した。
(そんなことする子はいないと思うけど……)
しかし、一方で二瓶はいてもおかしくないと思ってしまっていた。なぜならば小学生たちも自分が生き残るために誰かに投票しているのである。
目を部屋の端々向けて耳を澄ませる。何の音もしない。そのことが却って何かが潜んでいるような不気味さをもたらしている。彼女は大きく深呼吸をしてゆっくり立ち上がるとそっとリビングを後にした。
足音がタン、タンと鳴る。あまりにも静かな場所にいたためか、一度気にしてしまったためか、彼女は自分の他にもう1つ足音が聞こえているように思えてしまった。
(でもあくまで可能性……、あくまで可能性の話……)
二瓶は寝室のドアに手をかけると止めて、放した。
彼女はスマホを口元に持っていくとしばらく逡巡し……「鍵」とはっきり呟いた。寝室のドアに彼女の求めるものがいつの間にか取り付けられていた。二瓶は数歩進むと自身の通り過ぎた方を振り返り、ドアを閉めて――カチャリ、と音が鳴った。
*
君島たちとのミーティングを終えた後、鷲尾は松葉たちとともに若林の部屋に集まっていた。彼らは円状に並べられたパイプ椅子に座り、第2のミーティング、つまり共有すべきメンバーとだけ情報を共有するミーティングを行っていた。ただし、基本的に松葉の指示に合わせて発言するだけにすぎない。
「明日の投票先は基本的に君島さんたちと合わせましょう」
松葉が薄っぺらい笑いを浮かべたまま司会を進行する。
「まあ、明日の新情報次第ですね。昼過ぎに最終調整のミーティングをすることにしましょう」
鷲尾は目の端で慎重に松葉を観察しながら話を聞いていた。
(彼は、信用してよいと思えないけれども……)
鷲尾は松葉のグループに属していることになっている。だからこそ、この場にいるわけであるのだが、しかし、信頼関係を築いてはいない。
「さて――」
(表面上はこのゲームに普通に取り組んでいるようで、僕たちにもその顔を見せている……。でも、おかしい)
鷲尾は本能的な違和感を拭えないでいた。この「透明な殺人鬼ゲーム」では誰も信用しないのが普通である。しかし、グループのメンバーと他の参加者を比べれば前者の方に多少は親しく、グループの中でもさらに内々のグループにはさらに親しく感じ、そう動くのが自然だろう。――鷲尾は松葉の振る舞いにそれを全く感じていなかった。
しかし、このゲームはたかが50日であり、さらにこのゲームが終わった後には記憶に残るわけではない。その仕組みは分からないが、何をしても今後の日常に尾を引くのは自分の中だけである。
だからそれが世間に顔向けできないことであっても、自分から話さなければ誰にも知られることはない。
また、どのような扱いを受けていてもここにいる間だけ耐えればよいだけである。後で強請られることもない。もっともニニィの言うことが本当なら……。確実なことは言えないけれども……。
(それに半分、支配されている……)
鷲尾は他のメンバーを左回りに見た。別宮も長堂も若林も、松葉にある程度の信用をしているように見える。
(理由は松葉のカリスマ性もあるけれども……)
若林が緊張気味に話しているのを松葉はじっと見つめている。そこからは真剣さや緊張というものを見て取ることができない。
(やっぱり、今、僕たちの中から死者が出ていないからだろう。言うことを聞けば、ついていけば、死ぬことはないと証明している。運なのか実力なのかは関係ないことだ)
「次は長堂さん、お願いします」
「今日、元野口くんたちのグループは徳田さんに票を集中させていたよ。で、時田たちの方は藤田さんに票をまとめていたらしいね」
長堂が先ほどのミーティングでは伝えなかった情報を簡潔に述べていく。珍しいことではないが、わずかな緊張が部屋に走る。
「なるほど」
松葉の表情は変わらない。
「それなら投票先を変える必要はないでしょう」
(違う……。やっぱり、おかしい)
鷲尾は思わず深く息を吸い込んでしまったが何とか表情を取り繕った。ついに彼の中で認識が一線を越えた。
(今の話通りに考えればそうはならない。藤田さんに票を集めていれば……)
そう考えたくなくとも、生き残るためには最も合理的な選択であった。
(何より、松葉自身が前に言っていたことだ)
鷲尾は長堂の方を見た。背筋をまっすぐ伸ばし、足元をパイプ椅子の内に曲げ込んでいる。その顔はまっすぐ松葉の方を向いており、微笑みを浮かべている。
(長堂さんは嘘をついている可能性があるけれども、よく分からない。ただ、松葉はそれを見抜くことができている)
(彼は他人の嘘を見抜く能力は高いはずだ。それでも、投票先を変える必要はないと素早く見抜いてすぐさま判断できるほどなのか?)
既に鷲尾はそう思えなかった。
(ということは……彼は別のソースを持っている? 僕たちには教えていないソース……)
「では、次は鷲尾さん。お願いします」
松葉のねばついた目が鷲尾を見据える。鷲尾は小さく咳払いをした。
「ええ」
**
野焼き
僻地に行くとモクモクモクモクと当たり前のように野外焼却が行われている。法的には例外で認められているからって、何をしてもいいと思っているのか、少しくらいいと思っているのか、やりたい放題。警察や消防がグルだと目も開けられない。工場が同じ感覚で排水垂れ流したら大問題なのに。甘過ぎると思う。コスト云々言ってもそれが時代の流れなのだから、不平不満を口にするだけで新しい機器や手法を導入せず、社会に適応しないというのなら廃業するのが世の倣い。
あるいは電話やスマホが使えないから狼煙で通信しているのかも。猿並みだね。自分たちで自分たちの質を下げているのに相応の扱いには文句を垂れる辺りの低劣っぷりは理解できない。
もしよかったらブクマ登録や評価、感想をどれか1つでもいただけますととても励みになります。モチベが上がります。よろしくお願いします!




