第25話 黙るな
作中のニニィの台詞は例によってGoogle翻訳ですので、間違いがあると思います……。
老人にしては遅めの朝食を終えた田渕は何もすることがなくなった。正確に言えばここならほとんど何でも用意できるのだから、意志があれば大抵のことはできるのだが、発想がなかった。そこで彼は広間に行って他の参加者を観察することにした。
広間には数人の男女がいた。白いブロックに座って何か話しているものもいる。壁際に座って本を読み、音楽を聞いているものもいる。メンツは違ってもそこで行われていることはこれまでとそう変わらない。
1つ違っているのはやけに荒い息と床を軽快に走る音が聞こえることだ。
(長堂……早速広間を使っているのか)
田渕は彼女が活き活きとトレーニングする様子をじっと見つめた。長堂は見られていることに気づいていない。身に着けているのは動き易そうな私服であるがトレーニングウェアではない。それでも広い場所を動き回ることのできる解放感をのびのびと味わっている。
(他にも使うようなのはいるのか?)
田渕の視界に昨日設置されたホワイトボードがあった。そこに書かれた文字を見ようと彼は目を凝らしたが、年相応の視力には限界があった。
(よくもまあ、昨日一昨日人が死んだ場所で大騒ぎできるものだ。何がスポーツ選手だか……。親の面が見たいものだ)
それでも特にすることのない田渕は長堂が動く音を耳で追いかけていた。彼のすぐ目の前の、傷一つない白っぽい床に目を落としながら、田渕は物思いに耽っていた。
(ここが事故現場や墓場なら……騒いでも良い場所とは誰も思うまい。俺たちの感覚は麻痺している。この場所に飲まれている。このゲームに限った話じゃない、声の通る奴が言ったことは、例え道徳的に狂っていても、それが世の常識になる)
田渕は俯いたまま頬を掻き、目だけを上に向けた。彼と同じように独りで静かにしている者もあれば、長堂の出す音につられるようについ声のボリュームが大きくなった中年女性たちもいる。
(その方が自分が儲かるからだ。資本主義だ。自分の信条があってそうするならいい。誰かが言っているからそうした、という奴が最も邪悪だ。騙された善人の振りをして、責任を取らない)
彼は手を前に出し、両方の袖口を視界に入れた。ホームレスの服にしてはほつれや破れが少ない。
(俺へ軽蔑の視線を送っていた連中に、芯からそうしている奴は少なかった。誰彼がやっていたから前倣えをしていた奴がほとんどだった。その癖いざとなると博愛主義のように振る舞いはじめる……。現に、ここでは身の上を隠していてまともな服を着ているから、あの視線で俺を見る奴は少ない)
やがて、数人の男子が広間にやって来た。田渕は顔を上げてその声のする方を見た。その中には野口がいた。
長堂は足を止めて袖口で額の汗を拭った。
「あ、ごめん、もう交代の時間だね」
彼女はスマホで時間を確認しつつ「ににぉろふ」でタオルを取り出すと、汗を拭いて首にかけた。その顔は血色がよく、自然に明るい表情を作っていた。
「まあ、まだ少し時間あるし」
他の男子を後方に残して野口はやや雑に対応する。その目と微笑みに憶したのである。
「そうなんだ。私、もういいから野口君たち使ってよ」
「あ、いい? あざっす」
野口は小さなお辞儀のように頭を動かすと一緒に来た他の男子たちの方を向いた。
「もういいって!」
少し経つとそこにバスケットゴールが2つ現れた。
すぐに声が聞こえ始める。元気のあると言えば聞こえはいいが、どちらかと言えば騒がしい声が、床にボールを叩きつける音や走り回る音に混ざって、田渕の耳に届いた。
彼らは何も違反していない。広間の半分を自由に使うのは話し合いで決まったことである。第一、うるさいと思うなら自分の部屋に戻ればいい。広間に居なければならない理由は特段ないことになっている。監視や偵察のために来ていても、その理由を濁して静かにさせることはできない。
「おっしゃあ! スリーポイントォ!」
ガッツポーズを決めた野口に味方のチームが「ナイッシュ!」と声をかける。田渕にはその称賛が形式だけのおべっかに聞こえなかった。心から楽しんでいると思えてしまう。
(こいつらは誰かが人に暴力を振るったら、止めずに加勢するだろう。昔こういうやつらに狩られかけた……。園さんは逃げる間もなく叩き殺されたんだ……)
過去の陰惨な体験はどうしても頭に残っている。自分の少し前に、あだ名通り公園に住んでいた仲間が死んだのだからなおのことであった。
(その公園でも、次の夜には若者たちがバカ騒ぎしていた……)
田渕はかつて仲間とよく一緒に飲んでいたワンカップを無性に口にしたくなった。
「こっち! パス! パス!」
橋爪の大声が響く。彼目掛けて竹崎の投げたボールは手を伸ばした野口の指先を掠めて軌道が変わり――彼らが使っている範囲から大きく外れた。
ボールは田渕の少し手前でバウンドして、そのまま田渕の方に跳んでくる。彼はとっさにボールを手で押さえた。
田渕は自分に向かって近づいて来る足音の方を見た。野口と目があった。無言でボールを野口の方へ転がした。奇妙な間が流れる。
「準クンちょいノーコン過ぎって!」
田渕の前で野口が発した言葉はそれだった。それだけだった。先の言葉をコートに向けた後、野口は振り返ることなくその群れに戻っていった。
*
沼谷は昼食にステーキ定食をがっつりと食べていた。しかしその量は巨体に見合っていない。そこで彼女は量を増やす代わりに、小器用にも定食を味わいながらデザートに何を食べようかとその味を想像していた。
(今日はショートケーキにしようかなー。それともチョコレート?)
分厚い牛肉は中にわずかな赤みが残っており、本人は食べ比べたことはないが、沼谷好みの焼き加減となっている。噛めば歯切れよく、肉汁が口の中に広がり、オニオンソースが一層肉のうまみを強調する。
(モンブランはちょっと気分と違うし、チーズケーキ…… あっ、これご飯と合う)
沼谷は口を動かしながらソースをステーキに絡め白米の上に乗せた。そして、口が空になった途端に次の分を頬張った。先ほどの味に甘みが加わり、止まらなくなる。
(この前食べたシュークリームも美味しかったし、ロールケーキもいいかも)
付け合わせのニンジンのグラッセも高級ホテルで出てもおかしくない。ニンジン本来の風味を残しつつ全体にまろやかなバターの甘みが染み込んでいており、口の中をリセットする。
(アイスクリームはステーキの脂と合わなさそうだけど、ちょっと気分かも。あとはパフェ? 果物のもいいけどプリンもいいし……、クレープもありね)
沼谷は色々な種類の色々な味を想像しつつ、舌でも味も楽しんでいる。一度に食べれば気持ち悪くなることは誰にでも想像できることは勿論、イメージしながら食べるだけでも普通なら胃もたれしそうなものである。
(あー、別に我慢することもないのよね。タダだし)
昼食をすぐに食べ終えた沼谷は口元を拭うと「あぁー」と頬をだらりと下げた。それからスマホを手に取ると「ににぉろふ」でデザートを次々と取り出し、テーブルの上にずらりと並べた。食べ終わった食器はいつの間にか消え去っており、甘ったるい色がこぼれそうなくらいに並んでいる。
(少し前だったらこんな贅沢できなかったのよねぇ)
(吉野さんの言う通りにしていれば、このゲームから生きて出られるし、おまけに2000万円ももらえるし、家族に会えないのは寂しいけれど、あと30日くらいの我慢……)
沼谷はまずシュークリームを手に取ると、目を細めて大口を開けた。
(この後、何のドラマを見ようかな?)
*
水鳥の部屋にはほとんどのメンバーが集まっておりミーティングが行われていた。メンバーが全員揃っていないことには誰も触れていない。理由は単純であり、ここにいない人たちは何か仕事を行っているためである。
鳥居は珍しく前の席に座り水鳥の顔を自信たっぷりに見つめていた。
「昨日の指紋の件だけどね」
水鳥が優しい声で話を切り出すと、部屋の中に緊張が走った。
「もう一回説明しようか。昨日の投票前に僕たちはまとまって座っていたよね? 升美ちゃんが投票用紙を用意して、両隣から配って、集計して、回収した。だから僕たちしか触っていない紙、つまり僕たちの指紋しかが付いていない紙は僕たちの誰かが投票したことになるんだ」
(事前に教えてくれても良かったのに。究君、イジワル)
鳥居は心の中でこぼしながらも、体には無駄な力が入っていない。顔の筋肉がリラックスしている。
この件は事前に計画されたものではなかった。直前にやることだけを伝えられた鳥居はその通りに何とか行って、最後に言われた通り使用済みの投票用紙を回収していた。さりげなくやってしまえば誰も気にする者はいなかった。
(でも、そんな一面を見せてくれるのは私……たちに心を許しているからだよね?)
「それにね、指紋を調べていけば、誰がどの記号を描いていたのか分かるんだ」
水鳥は途端に瞳を潤ませ、しかし口元に微笑みを残してメンバーたちの顔を左端から1人ずつ正視していく。
「もしも、この中に僕たちを騙そうとしている人がいたら分かるんだ」
その表情は、「不本意ではあるが君たちを守るには仕方ない。僕は嫌われてもいい」と言うも同然であった。メンバーの何人もが「たち」を心の中で消していた。
「そういう人がいたら僕たち全員が困るよね?」
水鳥が柔らかく説明を終えると熱烈なレスポンスが返ってきた。
「そうよね! 究君は何も悪くないし!」
大川が声を張る。乙黒はうんうんと頭を動かし、犬塚に至っては涙を浮かべている。
「みんな、ありがとう」
水鳥は頬を緩ませて微笑んだ。それは家族に見せるような照れ臭さをわずかに含んだものであった。
「それで、結果だけどもね」
感動ムードに包まれていた部屋の空気がスッと冷めていく。衣擦れや浅い呼吸の音が静かな部屋でいやに目立つ。
ただ、一部のメンバーがいないことを考えれば結果は推測できる。
「全員、三角を描いていたよ」
一気に空気が弛緩した。
「よかっ、たぁ……」
加藤は無意識の内に誰でもない誰かに話しかけるように漏らした。声量の割に注目を浴びなかったのは全員がそう思っていたからに他ならない。
「本当にごめんね。でも、こうしないと絶対に安心できないよね? 先に教えていたら嘘をつかれるかもしれないし……」
水鳥は眉を下げて力なく笑い、緩慢に手振りを添えた。困っているが自分からは頼りに行こうとしないような、ある種の母性を刺激するような表現である。
(究君も疲れているし、何とか助けてあげないのに)
鳥居は特に強くその煽りを受けた。腹の奥がじわりと熱を持った。
「それじゃあ、この話はおしまいにしよう。ちょっと遅くなったけれども、今日のミーティングを始めようか」
最後に儚い笑いを浮かべ、水鳥の表情はいつも通りの優しい微笑みに戻った。
「まず――」
(あの子たち、ちょっとはまともな意見出せないの? ずっと……)
鳥居は自分の中で意見を組み立てながら、いつも大したことを言わないメンバーを見下した。
メンバーたちをそれぞれの部屋に帰し終えてから、水鳥は唇を白くなるほどに噛んだ。それから硬い木の椅子に腰を下ろし、「水」と呟いた。ペットボトルが傍らの机に現れた。
(少なくても昨日の話に関して、野口と組んでいるのは時田たちと長堂……、松葉たちだ)
彼は水を一口飲み、静かに目を閉じた。
投票用紙を回収した理由は他にもあった。
先の騙そうとしている人を探すのも目的の一つである。しかし、それはほんの表面の部分であり、いわば隠れ蓑であった。水鳥はもっともらしい解答を見せることでその内奥に目が向くことを避けていた。
それは、他のグループのどことどこが手を組んでいるのかを炙り出すことであり、さらには相手のグループの中にいる裏切り者を把握することである。しかし――。
水鳥は昨日の話し合いの光景を再び思い出す。座っていた位置、記入するのに使っていた筆記用具の種類……。それらを今までの言動と照らし合わせ、付着している指紋を同じものが隣に来るように数珠つなぎにすれば誰が何を描いたのかが分かるはずであった。
しかし、実際はそう上手くいかなかった。個人がどの選択肢を選んだのか特定することはできず、何とか分かったのはグループの傾向だけであった
(もう少し露骨に裏で組んでいるところが分かればよかったけれども……)
水鳥は飲みかけのペットボトルを手に持つと椅子の合間を縫って寝室へ向かった。寝室のドアには鍵がかけられている。
(裏切り者は他のメンバーの陰で野口と組んでいるのか? それとも、野口たちと組んでいるのに彼の意見に賛同しないほど馬鹿な集団なのか? 僕の作戦を読んですぐに投票先を偽ることのできる集団なのか? それとも――)
彼はポケットから鍵を取り出してドアを開けた。そして、中に入ると内側から鍵をかけ直した。
(やはり僕たちの中に野口のグループ、またはそこと組んでいるところと通じている人物がいるのか? 自分の1票くらいなら本来の味方の意向を無視しても結果にほぼ影響はない)
水鳥はベッドに腰掛けるとペットボトルとスマホをサイドテーブルに置いた。
(今のところ彼女たちの中に裏切り者はいないと考えるべきだろうか。ファッションが不満のはけ口になっているおかげで、ささくれ立った空気が緩和されている)
「流石に疲れた……」
彼は夜通し指紋を調べ、投票者と投票先を結び付けようと作業を行っていた。それはメンバーたちが思っているよりも、水鳥自身が思っていたよりもはるかに作業量が多かった。
(30分だけ、仮眠を取ろう)
水鳥はもう一口水を飲むと、ベッドに入った。徹夜明けの彼は一時の安らぎにすぐさま誘われた。
*
投票の時間、つまり話し合いの時間が迫るにつれて広場には参加者が集合しつつあるが、先ほどまでの賑やかさはない。流石に大勢の前ではしゃぎちらし、そのままその足で話し合いに参加するのは体面が悪いと分かっているようである。それに汗臭い。
高橋は円形に置かれている大小さまざまなブロックの一ヶ所に独り静かに座っている。
(みんなずるい)
視線の先には同性の華やかな姿があった。学生服を着ていても私服であっても装飾品や化粧が似合っている、一回り年下も二回り年上も、綺麗に決めている、高橋はそう思うと胃が燃えるように感じた。
(服を選べないのって何なの? 不公平でしょ……)
必ずしも彼女だけが服装で損をしているわけではないが、高橋は自分と同じようにみすぼらしい姿の参加者を眼中に置いていなかった。
参加者が集まるにつれ広間の空気がヒリつき、そして、部屋が暗くなると天井近くにモニターが現れた。ニニィはフリルまみれの淡い色のドレスを着て、リボン付きの扇子を持っている。
「Ce que je veux, c'est un moniteur haute performance et Perroquet jaco. Les participants d'aujourd'hui sont tous. C'est le début du treizième jour.」
ニニィが参加者に告げたのは日本語でも英語でもない言葉であった。モニターがブゥンと音を立てて消えた。
(今日も昨日と同じ? 野口君は分かってるの?)
高橋は昨日のような展開を予想して彼を探した。
野口は目を泳がせていた。片手をポケットに入れてスマホを握り、何かを待っている。
1秒、2秒……ひそひそ声のやり取りが行われている。ある者は誰かが答えを出すのを期待し、ある者は聞き取ることのできた内容が正解か確認し合っている。しかし、誰も表に出ない。
野口もまた声を出さない。それでも視線は集まる。彼の額に汗がじわりと吹き出した。
しかし――。
「あ、あの……」
助け舟は野口の思いもよらないところから来た。仁多見だ。
「今のフランス語で、よく聞き取れなかったけど、今までと同じことを言っていたと思います。あと、何かを求めるとか、多分ですけど」
「仁多見さん、すっげ」
野口はポケットから手を出すと制服のズボンで手のひらを拭った。仁多見は照れくさそうに髪を撫でて野口に向き直った。
「そんなじゃないよ。それで、今日は何を話すんですか?」
訝しさを帯びた視線が仁多見に刺さるが、当人は気づいていない。野口は顎を高く上げた。
「みんなここでの生活に慣れてきたと思うんだけど、これから何があるか分からないよな? だからさ、全員が後悔しないで生きるために、全員、情報を共有しない?」
時田と中川は口元をニタつかせ、君島と松葉は目を細め、吉野は鼻をピクつかせる。そして……、水鳥は澄ましている。感情を隠すことに長けた彼の真意は読み取ることができないが、できる人には容易に推察できる。
「だって、できることがあるのに隠しているのって、自分だけ得をしている訳だろ? それ、不公平じゃん」
不公平も何もそれは当たり前のことだが、野口と同じ意見の者には刺さる言葉であった。このゲームで生き残るためにどんなに卑怯でも、あらゆる手段を使うのは当然の権利である。……何もここだけで行われている話ではないが。
「その前に、先ほどニニィが何を求めていたのか考える方がよいでしょう」
君島がさらりと否定する。野口が話の手綱を握ろうとするが、その隙を与えない。
「そちらの方が全体にとって有益な情報が混ざっているかもしれないですから」
「確かにそうですね」
さらに松葉が追従する。野口の勢いを削いでいく。
「そのために、まず、フランス語を知っている人たちに協力してもらいたいものです。仁多見さんの他に誰かいませんか? フランス語に長けている人は?」
参加者たちは首や視線を左右に動かし、誰かが表に出てこないかと探し始めた。ざわざわと広間に音が広がる。――しかし、誰もいない。
「考え方を変えるべきです。ニニィがこのゲームに求めていることは何でしょう? そこから予想できるかもしれません」
猪鹿倉が抑揚を抑えた声で話の流れを変える。
「目的は……私たちが右往左往しながら死んでいく様子を観賞することでしょう。それについて異論はないかと思われます」
君島は苦い顔をして答えた。それはニニィにとって自分たちが玩具や消耗品であると認めるようなものであった。
「求める展開は何でしょう? 2つ3つ言っていたようです」
「……」
猪鹿倉の質問に答えることは、考えが浮かんでいたとしても、難しい。何故ならば、それはおそらく一層残酷な展開であり、思いつくということはつまり、その展開を期待していると烙印を押されかねないからである。
(殺し合いとか? 無理心中とか?)
(裏切り?)
(口論?)
(どうでもいいよ……。助けてよ……)
誰もが前に踏み出せない。野口や時田たちでも前に踏み出せない。間違えればバッシングの対象となる。つまり、死ぬ。
その沈黙を破ったのは君島だった。
「今の状況に満足していないとしても、軌道修正をしたいのならばすでにより強く干渉していたでしょう。つまり、過激な展開か抑え目な展開を望んでいると考えるのが理に適っています」
彼は落ち着いた声で述べた。そうすることで誰かが突っかかってくるのを避けようとしていた。
「具体的にはニニィにしか分かりませんが……」
「証拠はあんのかよぉ!」
しかし、時田が噛みついた。思惑通りに行かなかった君島は表情を希薄にして、口から音を出した。
「すでにニニィはルールの改正を実行済みであり、彼女の意に反した場合、ルールは強制的に変更されると思料されます。つまり、現状の加減を要求していると判断するのは合理的です」
「いやまあそんな言うなら、まあ……」
時田は顔を引きつらせた。彼は君島の言うことを上手く脳内で処理できなかったが、他の人には概ね伝わっていると思ってしまった。そう誤解させるような口ぶりだった。
「何、そう決めつけることでもないだろう?」
汚い声が参加者の意識の外側から聞こえた。吉野だ。顎を上げて君島を目にしているが、同時に野口のことは全く意識していないのがありありと分かる。
「本当に伝える気があるなら日本語で言ってこないかい? だからさ、取るに足りないことを言っている。そうに違いないよ」
吉野の言うことは正論であり、反論するまでに少しばかり時間を要するものである。その間を吉野は逃さない。
「これ以上ニニィの言ったことを考えても時間の無駄、せっかく全員集まっているんだ、有意義な話をするべきだね」
「例えばどういう話をするつもりでしょう?」
薄笑いを貼り付けた松葉が尋ねた。君島が眉をひそめ表情を険しくする。
「そうだねぇ……。広間は禁煙、広間に来るときは臭いを落としてから、というのはどうだい? どうにもいい気がしなくてね」
吉野がごく当然のように口にすると、示し合わせたように近くに座る中年女性たちが頷いた。
しかし、喫煙者にとっては全く愉快でない。
「それ、自由だろ!」「そうだ!」
時田が鼻の穴を膨らまして吠えた。すぐ後に中川が追った。加藤もこめかみに青筋を浮かばせて無言の反抗を示している。
理由はシンプルである。煙草を吸っているということだけで投票先の候補となれば、死ぬからだ。だからこその威嚇であった。
「副流煙を吸わないのも自由だろう?」
ただ、吉野には効果がない。反社会的集団を相手にすることもある彼女に時田たちが力をちらつかせたところで、ただのお遊戯に他ならない。
「何も禁煙しろとは言っていない。ここで吸わない、臭いを持ち込まない。部屋で吸っても消臭してから広間に来ればいいじゃないか」
「そんなこと言ったら化粧の臭いもキツいじゃねえか!」
今度は中川が噛みつく。口からつばきを飛ばし、プルプルと震える指を吉野のいる辺りに向けている。
「世間ではこれくらい普通だし、あたしは気にならないけどねぇ」
吉野は顎を上げて鼻で笑った。
「誰のことを言っているのか、教えてもらえるかい?」
中川は――名前を言えなかった。代わりに話を前に戻した。
「それでも、自由だろぉが!」
「僕は吉野さんに賛成ですね」
続きを考える余裕も与えず、松葉が割り込んだ。浅く指を組みながら中川を見ているが、その目と表情はちぐはぐである。
「ただ、どちらも譲らないのならば多数決でしょう」
松葉の言葉を受けて、吉野は重い腰を上げた。
「まあ、それでいい。じゃあ、『広間は禁煙とし、広間に煙草の臭いを持ち込まない』、この提案に賛成……いや、反対の人は手を挙げようか」
時田や中川が手を挙げる。彼らと同じグループの喫煙者も周りの様子を窺いつつ、時田たちの圧に押されつつ、手を挙げる。
「まあ自由、だよな?」
野口たちも、味方の体を取るためにおずおずと手を挙げる。
ただ、他にはいなかった。わざわざ劣勢に加わるのは意味がないし、そうでなくても、どちらに転んでも困ることではないと誰もが思っていたらしい。その様子を見渡した吉野は人数を数えることもなく、口元に笑みを浮かべた。
「決まりだね。何、違反したからってすぐ大騒ぎするって話じゃない。注意する権利と、注意されたら従う義務ができただけだろう?」
そう言うと彼女は腰を下ろした。
「……」
不自然な沈黙ができる。その空白を埋めようと野口が立ち上がった。
「それじゃあ、次は――」
ただ、時間が来れば、結局何を議論していようが、決められたことをするだけである。
「Il est temps de choisir. Ah, et je voudrais tricycle motorisé.」
ニニィが口元を扇子で隠しながらそう告げると、参加者の周りは一気に暗くなった。他の誰にも分からない中でそれぞれが投票をすると、周りの景色は1つを除いて元に戻っていた。
「Il est la victime d'aujourd'hui. Et un sablier!」
そして、透明なケースの中には長岡陸が入っていた。
*
(話についていけなかったけど、今日も助かったぁ……)
まず始めに高橋は自分が元いた位置にいることを確認し、胸が軽やかに広がるのを感じた。
(それで……)
次に彼女の意識が向いたのは透明なケースの中である。
(あの流れでどうして小学生の彼が選ばれたんだろう?)
高橋には笠原があっという間に青ざめていくのが見えた。さらにはその周りにいる子供たちと二瓶も青ざめていた。
(やっぱり自分とか知り合いに似ている子だと、辛いよね)
ただでさえこの後まずまずの確率でグロテスクなことが起こる。そこに入っているのが近しい誰かや自分だと想像してしまうのは無理もないことである。
(あっちの男の子たちもポカンとしてる……、向こうの女の子たちも何か泣きそう……)
高橋は再びケースに注意を向けた。
長岡は蒼白な顔をして座り込んでおり、口を大きく開けて動く気配もない。突然長岡の下半身が持ち上げると、その股座から赤黒い粘性のある液体と共にピンク色の太い紐――直腸が現れて、ゆっくり、ゆっくりと体外に引き出され、その先に現れた赤い筒に沿って周回し、痙攣し、時折腹の中で何かに引っかかってテンションがかかり、外れ、その様を長岡は焦点の定まらない瞳で見つめ、ちぎれた腸間膜のぶら下がった空腸が出てきて、ひときわ強く張ったと思うと長岡の体がビク、と動き、十二指腸までが筒に巻き取られてクルクルと数度回った。
モニターの中でニニィが顔を前に突き出し、上目遣いとなった。
「Pouvez-vous me les donner? S'il vous plait. À plus!」
そして、最後に何かを告げて姿を消した。
長岡の死体が入ったケースが床に沈み切り、参加者の体に自由が戻ると、途端にそこら中で嘔吐が始まった。同時に参加者たちは次々に姿を消していく。
(気持ち悪かった……)
高橋は未だ立ち上がれずに胸を抑えてゆっくりと息を吸った。
二瓶は隣で吐いている渡辺の背中をさすりながら、自分も吐きそうになるのを手で口を押えて我慢しようとしている。しかし指の隙間から吐物が漏れて、床にポタポタと垂れている。田辺が胸を抑えて四つん這いになっており、その背中を見かねた鰐部が撫で擦っている。
(早く部屋に戻ってアニメの続き、見ないと……)
高橋は分かっていた。たとえ彼らに手を差し伸べたところで、自分が生き残る確率が上がるわけではない。つまり、自分に得はない。明日死ぬかもしれないのだから、野口の言うように限られた時間は自分のために使わなくてはならない、と。
(あ……、別に座りながらでも『カードキー』使えばいいんだ……)
彼女はスマホをポケットから取り出し、何度か触った。彼女が自分の部屋に戻る前の一瞬、そのひと際臭う集団の中でべたりと座り込み、天井を虚ろな視線を向けている笠原の姿が見えた。
**
今日の犠牲者 長岡陸
一番大事な人 母
業間休み中に何となく席を立てず教科書の先を読んでいたところをニニィにアブられる。将来の夢はホームレス。自分の生まれ育ちと才能では千載一遇の機会がない限りどうあっても上級国民になれないことを自覚しており、だったら元の取れない年金を払う必要もなく、介護奴隷になることもない道を、とすでに考えていた(軽犯罪法違反)。幸いなことに彼は賢くかつ健康であったが、何かあってホームレスになれなかったら自殺する予定だった。よもまつ。
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