第21話 奪うな
大分間が空きましたが、何とか2020年中には間に合いました。
昨年も大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。
Kバイン
(彼はまだ、子供だったのに……。中学生だったのに……)
笠原は床に正座をして水墨画をじいっと見つめていた。「ににぉろふ」を使って初日に取り出したその画は彼の自宅にあるものと全てが同じである。画の中の松の木は荒々しい岩肌から迫り出しており、その合間を縫うようにして静かに滝が流れている。
(俺たちはなんてことをしてしまったんだ……)
彼の脳内を占めているのは中学校の校長としての立場上、濱崎のことであった。
(どんなにガラが悪く見えても、……実際に悪事を働いていたとしても、彼は子供だった。大人が、社会が、正しい道を歩ませることができたはずだった……)
笠原はうつむいて視線を水墨画から逸らし、拳を床に叩きつけた。ドン、と鈍い音が返ってきて彼の拳はじわじわと痛み出した。
当然彼は数々の未成年犯罪者が出所してからも再犯に手を染めることを知っている。しかし、それでも更正する者がいるのだから、その労力は無駄ではないと固く信じていた。
(それに、彼女も高校生だ……)
笠原は再び水墨画に視線を戻した。教え子の中に雰囲気の似た子が何人もいたことを思い出し、彼は奥歯を強く噛みしめた。
関口の死は彼が予想して防ぐことのできたものではない。彼自身もそのことをはっきりと理解している。
(どうにか、できなかったのか……)
それでも、目の前で起こったことなのだから何かできることがあったはずだ、と笠原は強く自分を責め続ける。そうすることで間接的にせよ自分が子供を殺したという罪を償うことができるかのように。何もこのゲームだけの話ではないのに。
彼は深く呼吸をしてスッと立ち上がるとその場から動かずにうつむいた。足元のカーペットは毛羽立ちもせず新品同様で、笠原が座っていたところだけほんの少し凹んでいる。見ているうちにそこは自然に元のように戻った。
「俺はいつまで迷っているんだ……」
(取捨する、したんだ! 昨日はただ、単に3人死んだだけだ! 子供であろうが仲間でなければ……なければ……敵だ!)
笠原は強く自分に言い聞かせる。今までは決意したつもりに過ぎなかったと自分の甘さを責め立てる。
「このままでは俺の子供たちまで殺されてしまう……」
(この世界で、この世界だからこそ子供には平等に公平に接するべきだと俺は思っていたが……)
彼は松の葉の一葉一葉を紐解くように見つめながらここで会った子供たちの姿を思い返していった。初日にモニターを見るときの不安げな様子、このゲームが現実と判明したときの絶望的な表情、誰かの死を見たときの戦慄した有様、自分を騙そうとする白々しい顔、すがりつくような子供たちの目線……。
(そうだ。俺の子供たちだけを守る。他はどうなっても、いい)
笠原はゆっくりと水墨画から目を逸らした。
(そうだ! 正しい! だから俺の子供たちは誰も死んでいない! 全員生きている。昨日あんなことがあっても無事だった。他に望むことはない!)
彼は奥歯を噛みしめた。壁紙の模様が妙に鮮明に見えていた。
*
柘植と瑞葉のスマホが同時に振動したのは彼らが岩倉常治、つまり岩倉の父に関する資料を読んでいたときであった。柘植は目を上げるとそこに表示されていた通知をちらりと見て眉間に皺を寄せた。
「『ににぅらぐ』の差出人がニニィだ」
柘植がスマホを手に取り瑞葉の方を見ると、すでに彼女は自分のスマホに届いた通知を柘植に見えるように向けていた。
「ありがとう、瑞葉。見てみよう」
柘植にお礼を言われた瑞葉は喜びのオーラを放つと一緒に画面が見えるようにずいずいと柘植に近寄っていく。
『ニニィです。昨日はごめんね。きちんと謝りたいので10時に広場に集まってください』
表示されているニニィの絵は普段と異なり、掌を合わせて頭を下げている。
「大体30分後か……。瑞葉のも……同じだね。行こう」
(ニニィは何者だ?)
もう何度か考えたことであるが、柘植はこの新たな手がかりを元に再度考え直してみることにした。
「瑞葉、聞いてくれ。ニニィは一見AIのように決まったパターンで動いている風に見える。しかしあのリアクションはどうにも性格が、知性があるように思える。極めつけは昨日の件だ」
柘植は説明しながら瑞葉の言葉にしない反応を観察し、彼女が考えていることを推量していく。
「もうああいうことはないと思うから、安心していいだろう。それで、ニニィは自分の無知を責められて逆ギレした。私たちは強制的に各々の部屋に戻されてスマホや部屋の機能がダウンした。その後復旧したが『ににぅらぐ』で質問ができなくなっていた。……今もか」
瑞葉はメモ帳にさらさらと自分の意見を書くと、柘植に見せた。
『ニニィは人間だと思いますか?』
「分からない。瑞葉も……同じか」
柘植が正解した証拠に瑞葉が喜んでいる。柘植に当ててもらったことと柘植と意見が一致したことが嬉しいのである。昨日の今日で変なスイッチが入りっ放しになっていると柘植は思った。元々その傾向は十分すぎるくらいにあったが。
「感情があるように思える。一個人としての性格が言動に反映されている。それも織り込み済みのAIはあってもおかしくないが、声量や声調が自然すぎるし、この謝るという行動が人間に見えて仕方がない」
柘植は口元に手をやって眉間に皺を寄せた。考えて分かるものではないし分かってもこのゲームで有利になるとは思わないが、気になることには変わりない。
「それでも、人間離れしたところが諸々にある。外部のシステムか何かで補助しているだろうが。これくらいだ。残りの時間、岩倉常治の資料を少しでも片付けていこう」
柘植はそう言うと一部をぼかしたまま元の作業に戻った。瑞葉が特に気にする様子もなく作業を始めたのを横目で確認して柘植は少しほっとした。
(人間が子供を成す具体的な方法を知らなかったのはあまりにも不自然だ。わざとやっていたのか? 全て演技で台本通りなのか?)
*
広間にはほぼ全ての参加者が集まっていた。いつもと違う時間に集まっているせいか、ほぼ円形に並べられているブロック群の近くに全員がいないせいか、どうにもざわついている。
話し声がそこかしこから聞こえる。話題は昨日の出来事、とりわけ自分たちが部屋に戻された後のことであり、参加者の表情にはそのパニックの跡が残っている。次第にその音は減少し、完全に静かになってから数十秒後、広間の明かりが弱まり天井近くに複数のモニターが現れた。
「みんな、集まってくれてありがとうね」
ニニィが現れた。昨日と比べて変わったところはない。参加者たちは口を開かない。衣擦れの音が次の言葉を待つ。ニニィが決心したように頷いた。
「昨日は自分が間違っていたのに怒っちゃってごめんなさい。これからもよろしくね。それから、ルールなんだけどね――」
ニニィの頬に紅潮のマークが現れる。
「その……恥ずかしいから、キス以上はダメってことにします。ちゃんとルールブックにも反映したからね。じゃあまた後でね」
そう言い残してニニィは映っていたモニターとともに消えた。広間が明るくなった。
「おい! ふざけんなよ!」
中川が拳を振り上げて大袈裟に吠えた。その声に気の弱い何人かがビクッと反応したが、それだけだ。
「『ににぅらぐ』使わないとっす」
畚野が自分のスマホで「ににぅらぐ」を立ち上げると、中川の前に差し出した。他の参加者も質問をぶつけるために、あるいは「ルールブック」の変更を確認するためにそれぞれのスマホを操作し出した。
「おい! おい!」
中川が大声で怒鳴るが、スマホの中のニニィは反応するそぶりを見せない。モニターも出現しない。
「影山さんと関口さんに謝りやがれってんですよ……」
妹尾が弱くかすれた声を出した。他の何人もが思っていることであったが、自分から言い出すほどのことでもないと考えていた。
広間の明かりが弱まる。モニターが現れる。
『影山さんと関口さんに謝らないの?』
モニターに質問がポップアップした。
「もう謝ったよ」
ニニィがさらりと言った。その態度にカチンと来た時田がモニターに向かって叫んだ。
「悪いと思ってんならよぉ! 誠意見せろよ!」
『何か補償はないの?』
「ないよ。みんなはあの2人に養われていたわけじゃないよね?」
ニニィの答えはシンプルだった。ニニィは片頬に人差し指を当てると、首をかしげた。
「それに、あの2人が死んだ方がみんなには得、だよね」
参加者たちは言い返せなかった。事実だ。このゲームでは他人が死ぬことが、自分が生き残るために必須である。同じグループのメンバーも何も言えない。もはや誰もが知っていることでも、全員知らない振りをしている。集団でこのゲームに臨んでいると公表するようなことはできない。つまり、彼らの死で自分たちが不利益を被ったとは口に出せない。
次に口を開いたのは仁多見だった。
「ねえ、間違っちゃったなら、中止にしようよ」
『このゲームは続くの?』
「続けるよ。当たり前でしょ」
ニニィの返事にわずかの期待を持っていた何人かが落胆の音を出した。
「おかしいだろ!」
「失敗したならもう終わりでいいだろ!」
「お願い! 助けてよ!」
「ねえ、ニニィの失敗にかこつけて関係ない要求を通そうとしても無駄だよ。そういうのさもしいと思わないのかな? 人としてどうなの? よくないよ」
異常なシチュエーションであっても論理的に判断すればニニィの言うことは最もである。しかしそれを感情的に理解できるのか、理解できても納得できるのかは別問題であった。
「……」
しかし、参加者たちは押し黙ってしまった。大勢で喚けばもしかしたらニニィにも誤魔化しが効いたかもしれない。だが、リスクとリターンを抜きにしても誰も次の言葉を継げなかった。憎々しげに、不安げに、冷静に、モニターの中のニニィに目を向けている。
「それじゃ今日のゲームが始まるまで、またね。質問があったら『ににぅらぐ』を使ってね」
ニニィは今度こそそう言い残すとモニターとともにその姿を消した。つられるように次々と参加者たちは広間から姿を消していく。大半にとってわざわざ残り続ける理由はない。それ以外もこのまま残り続ければ不気味に思われると分かっていた。
柘植は自分の部屋に戻ると流れるように洗面所へ向かった。
(確かにルールは書き換えられていた。私たちが生き残るのに少しは有利になったというくらいか。私も瑞葉も色仕掛けで誰かを動かすことはできない。……そもそも不利になったのは数人か)
考えながらも彼は半ば自動的に今まで着ていた服を脱ぎ、脱衣籠に放り込む。それからすぐそばに用意してある同じものに手を伸ばした。目を一瞬離した隙に脱衣籠の中は空になっていた。
(盗聴器は仕掛けられていない。誰かが服に忍ばせていたらここに残っている)
(キス以上をルール違反にした理由……。ただ人数が増えるからという理由はもはや成立していない。ニニィの言う通り恥ずかしいからというのも……にわかに信じがたい)
柘植は着慣れたワイシャツのボタンをてきぱきと留めていく。
(不都合……監視網に死角ができるのか? 脱出のきっかけができるのか? ゲームが成立しなくなる何かがあるのか? 考えても分からない。抜け道を探す時間があるなら真っ当にゲームを乗り切るのに使う方が適当だろう)
ジャケットを素早く羽織り洗面所を出た彼は台所の椅子に腰を掛けた。瑞葉からの入室申請はまだ来ていない。
(自分の失敗を覆い隠すため……ではない。先に謝っていたから。それならば、キス以上をルール違反にしたのは――)
考えてもあまり意味がないと結論付けても気にならないわけではない。柘植は瑞葉との一話題にできるくらいには時間をかけようとそのまま続けた。
(――見たくないから、か? それならば、何故?)
*
今日参加者たちが広間に集合するのはこれが2度目であるが、先ほどのニニィの説明に納得している者もしていない者も昨日までとは何か違うと感じている。影山がいなくなったからである。初日から参加者をある程度まとめており、法や倫理を行動の規範としていた人物がいなくなった。そうなれば次に何が起こるのか分からない。この機を逃すまいと目をぎらつかせる者たちもいる。イニシアチブを取れれば話を誘導することが容易になる。
加えて昨日、参加者たちは眼前に自身の死の可能性を見てしまった。どこかやつれて見えるのは決して栄養や睡眠の不足だけが原因ではない。
そして、始まった。広間が薄暗くなり、モニターが現れた。
モニターの中のニニィはシルクハットをかぶり、片手にステッキ、反対の手にパイプを持って、どことなくイギリスの男性のような恰好をしている。
「Now, let’s 11th day game started! Everyone is present! The selection will be operated in 10 minutes. Ready go!」
彼女はその見た目通り英語でいつもの台詞を告げるとモニターごと姿を消した。
「え?」
素っ頓狂な声を出したのは1人だけではない。とっさに聞き取れなかった人たちがキョロキョロと周りを見渡した。
「あれだよ」
素早く立ち上がったのは野口だ。自信満々と書いてあるような顔だ。
「今日のゲームが11日目で、全員出席していて、10分後に投票があるっていう、いつもの言葉だよ」
少なからず感心が集まったことに野口は気を良くした。その勢いのまま彼はさらに続けた。
「あのさ、このゲームって、人数が50人になるまでここで生活するじゃん? 今、87人だから、今日入れて37日」
野口は気取ってごく当たり前の事実を話した。参加者たちの視線に興味と警戒が入り混じっている。何人かが、自分たちが不利になるような話ならすぐに止められるようにと構える。
「でさ。もちろんみんな死にたくないと思うんだけど、ずっと、なんか窮屈なままってのも、疲れるじゃん? 今日、明日、死ぬかもしれないのに」
次の言葉は前の言葉のすぐ後に続いた。
「だからさ、もっと自由にさ、明るく活動しない?」
誰もとっさに中断することができなかった。
野口の提案を否定する者は……いない。狼狽えの顔は幾つか見える。見えるが、好意的な表情が見え隠れする中に紛れている。
(確かにそうかもな……)
高円寺は弛んだ胸肉の下で大きく肺を膨らませた。ここは息苦しい。毎日誰かが死ぬ様を見なくてはならない。さらに悪いことに死ぬのは自分かもしれない。
そうだからなのか、それにもかかわらずなのか、ここではほとんどの物を揃えることができる。今まで購入できなかったものを自分の物にして、消費することができる。つまり、見せびらかすことができる。
(明るく、ね。最近若返ったみたいだし……)
利原は頬のシミがあった場所を知らず知らずのうちになぞった。
参加者たちは自分の容姿やスタイルが整いだしている自覚がある。誰かに自慢したい、アピールしたいという欲が無意識下でふつふつと沸き始めている。自分の高まった価値を披露してこのゲームを生き残り易くしたい。図らずとしてもそれが理由である。
(面倒な提案だ)
(ふむ……)
(そんな不謹慎な……)
水鳥、松葉、笠原……、参加者の考えは一様ではないがそれを口にする者はいない。影山のように勢いよく切り返し他人をリードしていくことができる人間は決していないわけではない。ただその度胸を今は持っていない、あるいは反対しない方が生き残るのに有利であると判断しただけである。
全体を俯瞰している人たちには見えている。野口の言葉は参加者から蓄積した焦燥や恐怖からの唯一の抜け口であるように捉えられ始めている。これを抑圧すれば今後の信用を維持するのが難しくなる。
「反対の人、いる? ……いない?」
野口はざっと参加者を見回した。途中何人かと目が合うが、その誰からも否定の言葉は出てこない。野口の口元がニィと持ち上がった。
「じゃ、採用ってことで」
三石が構えた。
「そr――」
予め準備していた三石の質問は実に手慣れた様子で松葉に遮られた。
「例えばどういうことが自由で明るい、ということでしょうか?」
松葉は薄く笑っている。目を吊り上げて小さく犬歯を見せる三石の方を見ようともしていない。ただ、野口にとっては誰が質問してもよかったらしい。胸を張ると松葉の方を向き鼻高々にして口を開いた。
「例えば? じゃさ、ここを自由に使うってのは? 部屋でも運動できるけどさ、やっぱり広いところで動きたくね?」
野口は片手にポケットを突っ込み、顔の向きを変えずに前かがみになる。挑発としかとることができない行動にも関わらず本人には自覚がないようである。何人かが露骨に表情を曇らせた。年下のタメ口や舐めた態度に我慢がならないのだろう。
「後はさ、普通にイベントとか? とにかく、このなんか暗くならなきゃいけない空気、無くした方が俺たち全員ポジティブに行けるし」
小さなざわめきの中でいくつもの目配せが飛び交った。そのほとんどは作戦めいたものではなく単に野口の案を受け入れるかどうか足並みを揃えようとするものである。明るくした方が楽になるが自分だけがそうしていれば浮く。不謹慎のレッテルを貼って殺される。逆に自分だけが暗くしていれば空気を読めないとレッテルを貼って殺される。
(この流れはそうなるね……)
(昨日のことで追い込まれているのは否めない……)
(さて、これからどうしましょうか)
初めて話し合いをリードできている野口はその調子のままに止まることもなく「誰かアイディア、的な?」と言った。すぐその問いに答えたのは傍から見れば意外なことに小学生の森本であった。
「あの、それなら僕、ここに来る前やれなかったゲームとか漫画とか、そういうのがいいと思います」
「それよ! そういうので人生楽しもうって話でさ、せっかくならみんなでいいのを教え合えばもっとよくね?」
野口が森本を褒めると森本は顔を赤くして体を縮めた。野口は機嫌よく「他に誰かいる?」と続けた。
「なら」
素早く意見を出したのは福本だ。ちらりと吉野の方を見る。
「お洒落した方がいい? 服は無理だけどバッグやアクセサリーとかで」
やや控えめな声色を使いながらも「服は――」の件で沼谷や長岡たちの姿を一瞥し、彼女は視線を野口に移した。
「いいね! やっぱりそういうのってテンション上がるじゃん? でも服出せないの謎仕様じゃね? アニメのキャラかよ、って」
野口が相槌を入れる。静かな笑い声が起きた。同じグループのメンバーからだけではない。別のところからも笑いが漏れている。それをきっかけに半ば独り言のような声がこぼれ始めた。
「料理……はできませんが、美味しいものを紹介し合うことはできるかな?」
「往年の映画を一気見なんてどう?」
「しばらくぶりに水彩画に挑戦しようかしら」
「金があったらカメラをやろうと思ってたっけ」
どの意見にも野口は肯定的で活力のある言葉を返す。誘い笑いが連続する。
(将棋……将棋……)
(そんなことどうでもいいよ……ここから出たいよ……)
(というか今までと別に変わらなくね?)
参加者たちの所有欲や承認欲がチクチクと刺激されていく。誰かが欲を解放するのを見聞きすれば自分もまたそうしたくなるような、そうしてもよいような、そうしなくてはならないような感覚が知らず知らずのうちに彼らの中に染み込んでいく。思考の軸が弱ければ楽な方に楽しい方にと流されていく。
「明日のことは分からないし、自分最優先じゃね? 後悔したくないし」
野口がドヤ顔で決めると彼の両隣から拍手が始まり、広がった。飛び飛びの幾人が音につられて感心の態度を示した。
(言い得て妙だ)
柘植は両腕を組みながら目だけを静かに動かし観察する。
(ここにいる誰もが自分と自分の最も大事な人の命を最優先に考えている。……ここに限った話でもないが)
視線の先で御法川と江守が皺の目立つ口をポカンと開いている。左を見れば橋爪が前のめりになってウズウズと話す番を待っている。
(ただ、当然全てについてそう考えているわけではない。そこをぼかされているのに気づいていない)
そして何より、今日の投票先について話していない。その必要があるのかないのかは不明だが、全く触れてもいない。時間を忘れているのか、すでにどこかで決まっているのか、そして――。
「Now, it’s time to select!」
ニニィがパイプを吹かすと辺りは黒煙に包まれたように何も見えなくなって、参加者たちはそれぞれの考えを基に選び、煙が引くと、そこには透明なケースが置かれていた。
「Today, she is the casualty!」
中に入っているのは本村雅美だった。
*
小野は部活で鍛えた足腰の力が抜けてさぁっと血の気が引くのを感じた。
(これ、もし自分が投票先になっていても……分からなかった……)
彼は自分が同年代の野口に何となく乗せられていたと気が付いた。
(反論もできずに……死んでいた……)
ケース越しに野口たちが隠し切れないにやつきを浮かべているのを目にしながら、小野は胸の中に苦く燃えるものを見つけた。彼らのやり方が真っ向から騙すのではなく遠回しに、善意の振りをして害をなすように思えたからであった。
(でも僕には事前に知ることも、大勢をまとめることも、できない……。目を付けられたら殺される)
小野は透明なケースに入っている本村の姿が一瞬自分自身のように見えてしまった。大きな背中全体に冷気が広がり頭の毛が持ち上がる。
(違う。あれは僕じゃない)
「it’s time to execute her!」
ニニィの流暢な英語が広間に通った。
本村は蒼白な顔に驚きを浮かべてケース中央に棒立ちしていたが、その場にペタンと座り込んだ。表情は変わらず、その左腕は体の横に投げ出されており、右腕が腹の上で小さく上下していたが、その右腕が持ち上がって、口を開けて、その中に潜りだして、左腕がそれを取り出そうと弱々しい力を振り絞って、右腕がどんどん奥へ進んで、右肩が外れて、口唇が青紫色になって、両脚が2度踏ん張りを利かせたかと思うとだらんと脱力し、左腕が胸の上に落ちて、ふうっと首が後ろに傾いた。
「See you all tomorrow!」
ニニィがシルクハットを脱いでお辞儀をすると透明なケースが床に沈み始める。いつの間にかモニターも消えていた。
参加者たちは自分の部屋に戻っていく。小野には目の端に映る誰もが心なしか浮足立っているように見えた。
(今日野口くんが選ばれなかったってことは、賛成の人が多かったってことだ)
**
今日の犠牲者 本村雅美
一番大事な人 母
ニニィにアブられる前は3直明けで、朝日を浴びながら家に帰って寝るところであった。お金を貯めるだけ貯めて、その都度男性アイドルのコンサートを見に行くのが生き甲斐。特定のアイドルに肩入れするわけでもなく、基本的には流行に乗っかって応援するアイドルをどんどんと変えるタイプで、自宅のアパートには歴代のアイドルのグッズが所狭しと飾られている。「完全に忘れ去るわけではないのでただのミーハーとは違う」というのが本人の弁。思い出の詰まった数々の(燃えやすい)グッズのために積極的に火の用心の夜回りに参加していた。火をナメていると本当に大惨事になりかねないよ。
登場キャラクターの一覧はまた後日作ります。遅れ遅れですみません。




