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第16話 欺け

 柘植は自分の部屋に戻ると、そのまま床にフラフラと座り込んだ。そのまま2、3分、じっと壁を見つめながらゆっくりと呼吸をして、立ち上がると洗面所へ向かった。

 (何とか上手くいった)

 今日の話し合いはほとんど全て、柘植の想定していた通りであった。柘植は衣類を全て脱衣籠に入れて、盗聴器、盗撮カメラが自分に仕掛けられていないのか確認する準備をすると、その流れで浴室へ入った。

 湯船に浸かって初めて柘植は心から安堵をした。失敗すれば死んでいたのであるから、当たり前だ。



 言わずもがな、柘植は瑞葉の胸を揉んでも触ってもいない。河本の座っている場所からはいかにもそう見える動きをして、柘植が下衆の面を、瑞葉が怯えた顔を見せただけである。河本の座る場所から見えやすい場所にいて、河本以外の視界から柘植たちが外れたその一瞬だけ、そうしただけである。



 柘植が入浴を終えて脱衣籠に何も残っていないこと、つまり何も仕掛けられていないことを確認してから、リビングで今日のことを振り返っていると――何せ致命的なミスがあったら明日以降死にかねない――、瑞葉から「入室申請」が届いた。柘植が応じると、同じく風呂上がりの瑞葉が目を輝かせながら現れて、何か曖昧にはにかみながら柘植に近寄った。


 「ありがとう。上手くいった。さすが、瑞葉」

 柘植がそう伝えながら頭を撫でると、瑞葉はこぼれそうなほどの笑みを浮かべながらぐりぐりと頭を動かした。


 「怖くなかった? 大丈夫?」

 柘植が心配すると瑞葉は目を合わせて、ハーモニカをやや小さく「ピー」と吹いた。

 「よかった。何かあったら言ってくれ」


 瑞葉がこくこくと頷くのを見ながら、柘植は彼女を観察する。

 (何ともないわけがないか……。年の割に、というか下手な大人と比べてもしっかりしていても……)

 瑞葉の小さな肩がほんの少し上がって、薄い眉がほんの少し下がっている。指先に力がしっかりと入っていない。

 「私も、困ったときは瑞葉に相談するから」

 柘植が瑞葉の発言を先読みすると、瑞葉はまた頷いて返事をした。


 「今日の夕食はサンドウィッチにしようか。覚えているうちに振り返っておきたい。瑞葉、戸棚から水を持ってきてくれる?」

 その後ろ姿を見ながら、柘植は瑞葉の内心を読み取ろうとする。

 (本人の自覚がなくても、怖気づくことがあった。演技をして緊張したこと、全員の注目を浴びたこと、投票されて死ぬかもしれなかったこと、河本の死にざまを見たこと……、どれも少しずつ理由になるが、最も強かったのは最後2つのことだろう)


 柘植は瑞葉と寝室の前で合流すると、そうは言っても高々十数歩の距離であるが、

 扉の鍵を開けた。

 (逆に、河本を騙したことや河本に悪意を向けられたことについては、大して気にしていないようだ。彼女は世界の残酷さを分かっている。私と同じだ)



 サンドウィッチは柘植の想像していた通りのよくある三角形のもので、玉子、ハム、ツナ、BLT、チキンカツと具材の種類が豊富な分小振りであった。柘植はそこに野菜スープを加えると、瑞葉と向かい合って食べ始めた。


 「今日の話し合いを振り返ろう」

 柘植が河本の写真にバツ印をつけた。

 「出だしは問題なかったと思う。身に覚えのない疑いをかけられた男性らしく、それでも袋叩きにならない程度に牽制はできていた」


 瑞葉は次に自分の意見を尋ねられると分かっていた。すぐさまメモ帳に書いていく。

 『影島さん、君島さんは探っていて、松葉さんと吉野さんは疑っていて、他の人は驚いたり、安心したり、半信半疑でした』


 瑞葉は柘植が河本の相手をしている間、その陰から他の参加者たちを観察していた。発言力のある人物を中心に、誰にも気取られないように。怯えながら周囲をチラチラと見るのはごく自然だ。


 「それから、同じグループのメンバーは庇わなかった。やはり河本にはそこまでの求心力がなかったらしい。……能力も、か。有能なら吉野が介入していたはずだ」

 「吉野のところの人数はこの通りだろうだから――」

 柘植はホワイトボードを指差した。

 「数を減らすには早い。伏兵がいるのかもしれない」


 柘植がわずかに間を空けると、その意図を察した瑞葉はすぐにメモ帳に自分の意見を書いた。

 『諦めたのかもしれないです』


 「そうだな。思っていた通り河本は役に立たなかったようだ」

 柘植は野菜スープを飲むと、またホワイトボードの方に向き直った。

 「それで、煽ったら案の定河本は我を忘れた」


 『上手でした』

 瑞葉はにっこりと微笑んでいる。それがお世辞ではないと柘植には分かった。


 「ありがとう。瑞葉が誰か……住本にメモを渡したのも自然だったし、いい人選だった」

 柘植が褒めると、瑞葉はふわふわと浮いているかのような心地よさそうな表情を取った。瑞葉の普段よりもオーバーなリアクションは今日の話し合いで相当に神経を遣った反動だろうと、柘植は思った。


 柘植がサンドウィッチに手を伸ばすと、瑞葉も同じ具材のものに手を付ける。水を飲むと、同じことをする。

 「美味しい?」

 瑞葉は嬉しそうに頷いた。

 「うん、よかった。私もそう思う」

 柘植がそう言うと、瑞葉は先ほどよりも深く頷いた。


 「あとは、水鳥がフォローに入ったのも違和感はなかった。取り巻きが感情的になっていたからああするのが妥当だ。私が彼に直接尋ねたら不審だっただろう」

 柘植は、水鳥が高橋や100人目の件で、優しい自分のイメージを維持するのが難しくなっていると推測していた。そこを遠回しに突いた。

 「笠原にアプローチせずに済んだのは助かった。変に協力関係にあると思われると面倒だ」

 柘植は水を飲んでから、最後のサンドウィッチを食べる。それからもう一度水を飲み、一息つくと、話に戻った。


 「瑞葉が話せないことも、私たちが一緒にいることも、当たり前であると伝えることができた。あとになってわざわざ文句を言ってくることもないだろう。それから、私たちを狙えば次は自分が理不尽に狙われる、私たちを狙っても反撃される、とイメージを送ることもできた」

 柘植は韜晦して、自分たちがその他大勢の同類であるとその他大勢から思われるようにしながら、賢い人物にだけはその牙と爪が鋭く研がれていることを見せようとしていた。


 夕食を終えた瑞葉が、いつの間にかペットボトル以外のものが片付いているテーブルの上でペンを走らせた。

 『でも、どのグループにもいないって知られてしまいました』


 「そうだね。だからもう、どこかのグループと対立はできない。好んで狙われないように、特に松葉には気を付けよう。吉野のところとも穏便にしておきたい。何もしなければ先に騒がれるだけだったとは言え、あのグループと接点ができたのは厄介だ」


 『時々見られていました』


 「そうだね」

 柘植たちは自分たちを忌み嫌う河本の視線に気づいていた。だから――。

 『それで、たくさん調べました』


 「ああ。使わずに済んだのは何よりだったが、保険はいくらあっても悪いことはない」

 柘植が視線を向けた先には、段ボールに詰められた新聞や雑誌の束があった。ある日の新聞の1ページが表にされていた。河本と顔つきの似た男性の顔写真があった。

 『――W県警は、児童買春・児童ポルノ禁止法違反などの疑いで河本雅昭容疑者(27)を逮捕し――』


 (自分の出身を広間で話すなど、自分から弱点を明かすようなものだ)



*



 吉野の部屋は重い空気に包まれていた。自分たちのグループの中から初めて誰かが死んだこと、それから、ミーティングの開始早々谷本が言うように――。


 「吉野サン、どうして河本サンを庇ってあげなかったの?」

 吉野の言う通りにしていれば、自分たちは助かって、さらに2000万円をもらえると「透明な殺人鬼ゲーム」をどこか楽観視していたためである。


 谷本の訴えに吉野は重い体を椅子から持ち上げると、じっと谷本を見て、それから全体に向き直った。

 「そりゃ、ここにいる全員がそうじゃないか」

 その言葉は事実で、自分と自分の一番大事な人が生き残るために河本を見捨てた分、部屋の空気は余計に重たいわけであった。何人かが目を逸らす。


 鰐部が吉野の顔色を窺いながらも、口を開く。

 「でも、私たち、吉野さんが守ってくれるから、そのお返しに守りの票を入れているのよ」


 「アタシはこのグループを守っているじゃないか」

 そう言うと、吉野はピンと来ている人と来ていない人を確認した。

 「つまりね、このゲームのルールの一つに『投票時に参加者が8割を超えていなかったらゲーム―オーバー』ってのがある。だから、今の参加者の2割以上が全員欠席したら問答無用で参加者全員が死ぬ」


 「だから、1つのグループに2割以上の参加者がいたら、それだけでアウトだろう? そんなことするつもりがなくても、傍から見たら大差ない。その可能性があったと言われて、そのグループのメンバー全員が順番に犠牲になるだけだ」

 「つまり、今の参加者の数に合わせてグループを小さくする必要がある」

 最後に吉野がはっきりと言い切った。ざわめきが起こる。ようやく全員が理解した。


 (全員は助からないのネ……)

 (じゃあ、吉野さんと一緒にいる理由って……)


 「アタシも、ここにいる皆のできるだけ大勢と生き残りたいと思っているよ。だから話し合いのときに、いつも舵取りをしているじゃないか」

 吉野は、誰かの考えそうなこと、実際に考えていたことの説明を始めた。

 「その分、目立っているからね。他の参加者からマークされている。守りの票が入れられているからできることだよ。アタシに守りの票を入れる理由はね、このグループ全員の生存率を高めるため。アタシが死んだら、この中で誰がリーダーシップを発揮するんだい? 役割を果たせていないと他から思われたら、一気に投票されて死ぬよ。どっちが生き残るのに有利だい?」

 吉野は力強く言った。誰も反対できない。人前に出て話して、誰をどう采配して、まとめ上げて……。彼女たちの中に吉野ほどできる者はいない。さらに、吉野は全てを伝えているわけではない。具体的な数字も、他のグループとのやりとりも、分からない者は知る必要がないと考えている。


 「それからさ」

 吉野は柔らかい椅子に腰を掛けた。たっぷりと時間を設けても、誰も意見を言わなかったからだ。

 「河本サンの場合、あれは自業自得じゃないかい? いきなり言いがかりをつけて、それも無策でさ。収拾のつけようがない。あれは助けないのが正解だったよ。全員、間違っていなかった」

 吉野は優しい口調になった。それは罪の意識を取り除き、連帯感を高める効果があった。


 「一緒に生き残ろうよ。2,000万円も必ず渡すからさ」

 何とかそれらしくフォローを入れて場の空気を和らげると、吉野は手を挙げた。

 「賛成の者は手を挙げてくれないか?」


 ここで、手を挙げないという選択肢はなかった。そうすれば、このグループから弾かれる、つまり、死ぬ。

 満足そうに吉野が手を下ろすと、他のメンバーも倣って手を下ろした。


 「それじゃあ、いつもの話をしようか。明日の投票先は今日と同じにはできないから、そうだね――」




 全員が帰った後、吉野は指輪の宝石を眺めながら今日の出来事を思い出していた。

 (そりゃ、あそこに手を出したらいけないでしょ)


 (あのガキがアタシに向けたあの目は、あのときのあの目と瓜二つだったねえ。餌を取られそうになった時のメスのヤマカガシの目。およそ爬虫類とは思えない、次に手を出したら殺すと言わんばかりの、あの意志の込められた目だ)

 吉野は子供の頃の出来事を思い出していた。田んぼのあぜ道を歩いていた吉野はそこにメスのヤマカガシがカエルを咥えてゆっくりと飲み込もうとしているのを見つけた。意地悪か単純な興味か忘れてしまったが、吉野はそのカエルを近くに落ちていた枝で突いた。ヤマカガシは吉野の方を振り向いた。そして、全身から容赦のない敵意を剥き出しにした。彼女に殺意を向けた者がそれまでいなかったから、強く印象に残っていたのであった。


 (あのガキはどうしてあの……柘植に思い入れがあるのか、不思議だねえ)

 吉野は指を動かして宝石の輝く様子を眺める。醜い顔が様々な角度から映りこむ。

 (何でもいいか。今は他の勢力を削る方が優先だね)


 (あのとき、アタシがカエルを落としたら飛びかかってきたはずよね。だけど、カエルを咥えていなかったら逃げていたと思うのよ)


 吉野は、柘植たちのためにそれ以上頭を使うことは無駄だと考えた。そして、明日以降の動きについて考え始めた。



*



 「水野、逆ロシアンルーレット、行きます!」

 時田の部屋には連日のようにメンバーが集まっており、大人は酔いも回って、宴会芸を楽しんでいた。煙がモクモクと立ち込める室内は、賃貸物件なら家主がキレるくらいにヤニが染みついていそうなものだが、不思議と毎日何の痕跡も残さずに清掃されている。あまりの無臭具合に時田が不安になるくらいである。


 アルコールと副流煙と、それから雑多な食べ物の匂いが混ざったそこはまさにどこかの大衆酒場さながらであった。違うところはテーブルの上に置かれているものがどれも最高級であること、それから、半数近くが未成年であることである。


 「水野ぉー、当たり引くなよぉー」

 中川が囃し立てると他がどっと笑った。水野は「しゃあ!」と気合を入れると、たこ焼きを1つ選んだ。中身は5/6でわさび入りである。中に煙草を入れるほど彼らは邪悪ではないし、本物の拳銃は当然使わない。結果は――。

 「みず! みずぅ!」

 当たりを引いた水野が苦しげにリアクションを取ると室内は大爆笑に包まれた。水野は部屋を飛び出し台所の陰へ口をゆすぎに行った。


 「ぅあー、何度やってもダメですね」

 少しげっそりした水野が戻ってくると、それもまた笑いを収める。彼も笑いながら次を指名しようとしたが、時田の視線を感じてやめた。


 「つうか、さ」

 時田が言い出した。何かがあると何人かは分かったが、いったい何がなぜ今なのかは分からない。

 「今日のアレ、ヤバかったよな! あのおばさん!」

 そう言って視線を自分に集めると、煙草を吸い、灰皿に押し付けた。


 「俺もさ、ああ言うのが会社にいたんよ」

 思い出しただけで時田の口元はヒクつく。

 「てめえの発注ミスでモノが足りなかったってのによ、それ、俺らが盗んだから足りてないとか言いやがったんだぜ。意味分かんねえよな?」


 「っすね」

 畚野が素早く相槌を打つ。


 「んなもん発注書見りゃすぐわかるだろ? したら、今度はお前らが書き換えたって言い始めてよ。俺らがする暇あるわけねえだろ」

 時間が経って滑稽な話として昇華しているつもりでも、どうにも頭にくることには変わらない。酔っているせいでブレーキが利きにくくなっているようだ。時田は自分の気を逸らすために缶ビールに口をつけると、中身を飲み干した。


 「結局、何とかなったけどさ、工期遅れて、最後の方大変でさ、それでも頭一つ下げなかったぜあのおばさん。ま、クビになったんだけどな」

 最後のオチを言って溜飲が下がった時田は再び煙草に火を点けると、煙を体に流し込んだ。


 「俺もある」

 田名網が珍しく大勢の前で自分から話し出した。時田の話を聞いていたときから言いたかったのである。

 「目視工程で、俺が何も見ないで流していたって、いきなりすっ飛ばしてマネージャーに言った奴がいたんだ。それで、ライン停止。直の始めからの分、全数分解して再確認だった」

 普段の柔らかい態度を忘れたのか、鋭い目つきで淡々と田名網は語る。


 「えぐいっすね」

 同じくライン工の加藤には大まかに想像がついた。その時の工場の空気や田名網の心情が分かるからこそ、自然と感想が口から出てきた。


 「んで……あったんすか?」

 野口が興味半分で聞いた。


 「そりゃなかったよ。マジでおかしいの。そしたら不良品が行かなかったのは偶然とか言いやがんだぜ。じゃあどうやってこっちに不良品取り分けたと思ってんだよって」

 田名網は失笑した。それで、幾分か気が楽になったようだが、それでもまだ目は鋭いままだった。


 「で、俺の方が入ったの後だったからさ、工場全体が疑ってキレてて中々だったよ、あれ」

 田名網は話を終えると缶ビールをゴクゴクと飲み、缶をテーブルに置いたときには元の調子に戻っていた。


 「あー思い出した!」

 中川が声を張った。

 「俺もあった。あのアマ……」

 そこまで言って中川はビールに口をつけた。


 「そいつ何したんすか?」

 畚野が間を埋める。それに、この流れでそれしか言われなければ気になってしまう。


 「それが、納品まで時間あるからさ、俺がサービスエリアで休憩してたらさ、いきなり警察に声かけられて睨まれた」


 「で、ついてったらさ、アマが血、流して俺のトラックのとこに立ってんの。で、警察が『轢いただろ』って。血、付いてるって。んなわけねえよ。停めたときにチェックしてるっての、だいたいぶつかれば分かるって」


 「アマが騒ぐから俺、完全に悪者扱いな。カメラなんかそんなにない時代でよ、荷物だけでも下ろさせてくれって言っても聞かないで、事務所に電話すると俺が疑われてな」

 苦労話を語る中川はいささか得意気ではあったが、それでも不快そうに指でテーブルをトントンと叩いている。

 「まあ、何とかなってな。たまたま見てた人がいて、それで、だ」


 「よかったっすね」

 畚野がおべっかを使うが、中川はいつものように大きい顔をせず、歯に何か引っかかったようなキレの悪い態度である。それもそのはず、たまたま見ていた人は彼の想像の産物だからだ。つまり、実際はさらにひどい目にあったのである。


 「まあな。ただ、会社も客も疑われるようなお前が悪いってことになって、ボーナス減らされた。ふざけんなよって話だろ?」


 「中川さん、それで折れたんすか?」

 畚野が尋ねているのは泣き寝入りしたかしていないかではない。どうやって元を取り戻したのかである。彼がこのように尋ねたのは、中川が先ほどの表情から一転、ふんぞり返って、にやけ顔を作り、煙草を咥えているためである。


 「それが、高校の時の先輩に相談したら、俺が見つけてやるってなってな。そいつと親、見つけて、あとはもう、な? 200万で片付いて、150万先輩に渡してって感じ。ボーナス分は取り返したってわけよ。マジ、裁判するより早いし、先輩すげぇ」

 中川は「な? すげぇだろ?」と隣にいる畚野と時田にドヤ顔を見せた。彼のやったことは、要は脅迫である。つまり、彼の先輩というのはTeam.何とかの人である。



 他のメンバーも次々と同じような話を思い出す。話し手は、自分は正常であると認めてほしい。聞き手は、今日の話し合いで得られなかった傍観者の立場に愉悦を覚える。あのときは、見て見ぬ振りをしたら次は自分の番と暗黙のうちに考えてしまった。自分に絶対的な自信がある人間は少ない。



 飲み会はお開きとなった。皆、口々に挨拶をしながら帰っていく。泥酔しながら姿を消す中川たち、ほろ酔いで帰る高邑たちに混ざって子供たちもスマホを取り出し、「カードキー」を立ち上げる。


 「お前らはああいう奴らと一緒にならないようにしろよー!」

 時田が子供たちの背中に向かって叫んだ。


 森本はその言葉が聞こえなかった振りをした。眠たかった。

 (大人になりたくないな……)

 「カードキー」のボタンを押すと、彼は一瞬のうちに自分の部屋へと戻っていた。


 (世の中、変な人ばかり……。子供部屋おじさんとか、オトナ女子とか、見た目は年相応なのに頭は成長しないで、それなのに、年を取っているだけで偉そうに……。オトナ女子、こどもおばさん、こもどおばごん……)

 半分しか回っていない森本の頭に謎のフレーズが浮かんだ。三角眼鏡をかけた太ったおばさんの姿がイメージされた。下半身はトカゲだ。ギャグマンガのキャラクターにいそうだと彼は無理矢理笑った。


 (嫌だな。怖い。ああいう人と一緒にいると巻き込まれやすい? 守ってくれるのは誰だろう?)

 森本は重たい瞼をこすりながら考えた。いざとなった時に助けてくれるのは、法か、コネか、それとも武力か? このゲーム中は? このゲームが終わった後は? ベッドまでの長い道のりを壁にぶつかりよりかかり進み、彼は考えた。



*



 佐藤はリビングにある1人用のソファに腰かけて、通学カバンをじっと見ていた。それは彼が普段使っていた物であり、知らないうちにできていた傷や撚れは、改めてまじまじと見るとこんなものだったのかと佐藤に思わせるものであった。


 (やっぱりそうだったんだ)

 佐藤はカバンをソファの脇に置くと、ごく自然に立ち上がった。それは学生服姿も相まって、登校前の一光景のようであった。

 (どうして僕は何もしなかったんだ?)


 佐藤はうつむきながら小刻みに歩き始めた。フローリングはよく磨かれているが、流石に彼の顔までは映らない。

 (誰も助けてくれないんだ。自分がそう思って、自分でするしかないんだ)

 佐藤は今日の話し合いが終わった辺りから、氷漬けにされていた何かが融けて露わになる様に、学校での一連の出来事がだんだんくっきりと見えるように感じていた。


 (どうして僕は、首に真綿がかかっていても、それがじわじわと絞めていても、何もしなかったんだろう?)

 彼は体を半ば自動的に動かしてキッチンへ進み、考え続けた。ジグソーパズルのピースが1つはまると他も次々にはめられるに、見えてくる。気のせいかもしれないと自分を誤魔化していただけだった。


 (どうして、自分が崖際に立っていることを薄々自覚していたのに、誰かが助けてくれると思っていたんだ?)

 佐藤は突き当りの壁に寄りかかり、後頭部をコンとぶつけると、視線を横に動かした。悪いことなら、誰かが止めてくれる。止めてくれなかったということは、悪いことではない。自分の考えすぎだと勝手に信じていただけだった。


 「周りが何もしなかったのは、他人事だからだ」

 佐藤は視線の先にあるテーブルの角に向かって言った。

 「矛先が自分に向かないように、気のせいだと思うことにしていたんだ。細かい、大袈裟、お前がおかしい……」

 背中で反動をつけて、体を起こした。

 「自分も呑まれていた」


 佐藤は再び歩き始めた。今度は来た道を引き返して、リビングへ戻っていく。

 (それに、どうして、あいつらに善悪の判断を任せたんだ?)

 ふらふらと歩いて行く先に何かあるわけではないが、そこに向かって語る。

 「何が遊びだ。善意だ」


 (どうしてあいつらがいつか善人になると思っていた? どうして待たなきゃいけない? なるかも分からないのに)

 佐藤は眉根を寄せて目を閉じた。結局自分は体のよいおもちゃだった。本人たちにしか分からないように、ただただ間接的に、集団で、もやのかかった攻撃をする。

 (それで僕が屋上から飛び降りれば、最後に攻撃した1人が罰ゲーム、くらいの感覚なんだ。何の罪悪感も持たないで、そのまま大人になって、結婚して子供ができて、本当に何とも思わずに生きていくんだ)


 彼はその場に座り込んだ。床は冷たくなかった。むしろ、尻の着いた場所から暖まっているように佐藤には思えた。彼は顔を手で拭い、ゆっくりと目を開けた。

 「逃げよう。逃げなきゃ。取り返しがつかなくなってからじゃ遅い」

 彼のパズルが完成した。通学カバンはすでになくなっていた。


 「ここを生きて出る。そして、逃げる。次に誰が狙われるか、そんなの知らない」

 佐藤は寝室に向かい、ベッドに潜り込んだ。この逃亡計画を立てているうちは余計なことを考えずに済むのだから、一石二鳥である。


 (まず、一応親に言ってみよう。多分、根性が足りないとか言われそう。それでも、まぐれで転校できるかもしれない。それが一番いいよね。だめだったら、おばさんのところは引きこもりの従姉がいて無理で、じいちゃんは今、老人ホーム)

 (家出しよう。銀行にある分を全部下ろして、日本にいたら、警察に見つかったら、連れ戻される。中学生の言うことを信じてくれるはずがない。そうしたらおしまいだ。国外に行く。偽造パスポートはどこにあるんだろう? いくらくらいだろう? 英語? それとも台湾語? どこか郊外で肉体労働を探そう。明日から、生き残るために、勉強しよう)

 佐藤の脳裏に計画がスラスラと浮かんでいく。彼はとっくに無意識下で考えていたのである。ただ、表にするまでは気づかなかったことがあった。

 (どうして僕が全てを捨てて苦しまないといけないんだ?)

 その理由はいくらでもあった。目を付けられないようにできなかったから、強い味方がいなかったから、戦うことができなかったから、運が悪かったから……。しかし彼はそれを考えても今更どうしようもないと知っていた。

 「……でも、死ぬよりましかな?」

 死ぬと考えた途端にこれまでの犠牲者の末路が目に浮かんでしまった。佐藤は慌てて頭を振ると、逃亡計画に集中して、そのうち夢を見始めた。



*



 仲良し。あの場ではそれしか書かれなかった思いが、別のノートに発散されていく。暗い寝室の中、デスクライトの下にはいくつもの文章が読みやすい文字で記されていた。


 『つげさん――――――――』

 『――――つげさん――――』

 『――つげさん――――――』

 『――――――つげさん――』



**



 僻地



 僻地に行くとごく当然のように方言タメ口で話しかけられる。何が怖いかって、現地の人の思考が「見た目同じで日本語話す日本に住む奴や! ちゅーことはワイらと価値観が全て同じに決まっている! え、少し違う? なら異常者や! 異常者や!!! 村八分!!!」なところ。その上、こちらが(譲歩して)善意を見せると「あ? ヨソもん? 何やならカースト底辺からやな。ちな有料で強制加入や。昇格はないやで。どぶさらい! 土着ダンス! どんどこ団!」な、メジャーな宗教も真っ青なところ。そうして都会と今までの人生を否定し敵とし、集団監視し、自分たちがいないと基本的欲求を叶えられないようにして、仲間内だけの言葉を使うように……。あれ?

 ※勿論、本当にごく一部の話を大袈裟にしているだけです。ちゃんとしたりっぱなところばかりです。まいにち、ゆぱれでぐまにができます。ゆぱ! ゆぱ!

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