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第13話 捧げるな

 鷲尾は静かにスマホを見つめて広間にアクセスできる時間を待ち続け、そして、時間が来るとすぐさま「カードキー」を使った。次に鷲尾の視界に入っていたのはただの白く広い空間であった。中央付近に様々な大きさの白いブロックが置かれているだけで、他には何もない。鷲尾はそのやや歪な円状に並べられたブロックの方をちらりと見ると、近くの壁の傍まで歩いていった。


 (……)

 音を発するものは鷲尾以外にない。壁も、床も、天井も、単調に白一色である。染み一つない。


 壁際に辿り着いた鷲尾はそのまま沿うように歩き続ける。滑らかな壁面に何か出っ張るものがあれば一目で分かる。

 (盗撮カメラは……今のところない。盗聴器も……ない)

 鷲尾は角を曲がり、再び歩いていく。広い空間にただ独りでいる恐怖をものともせず、今日死ぬかもしれない恐怖を押し殺し、毅然と進んでいく。


 (今日までに広間に残されていた物は4日目のタブレットだけだった。もしかしたら朝一番に回収されていたのかもしれないが、投票を終えて誰もいなくなったこの広間を記録する意味は、物が見つかるリスクを考えたら、ない)

 見えるものに集中しながらも、鷲尾はこれまでにメンバー間で共有してきた情報について考えていく。


 (物の小ささには限度がある。仕掛けることで得られるリターンは大きい。しかし、見つかるリスクの方が大きいだろう。だから普通は仕掛けない。松葉さんや影山さんがこの作業をやり続けたがる理由はそれだ。危険なことはしないだろうから探しても無意味だと思い込んでいる隙、その隙を突いて来る参加者がいる可能性がある)

 時折鷲尾は立ち止まり、壁を背にして広間を見渡した。音がしなくても誰かが来ているかもしれないから、または、まさに今来ると気配を感じたからである。誰も来なかったが、仮に誰かが来たとしても、ただ歩いているだけなのだから何も疚しいことはない。


 しばらくして部屋を一周した鷲尾は、そこの壁際に座り「ににぉろふ」を使って文庫本を取り出した。ページをめくる音が静かな空間の中でやけに大きく聞こえる。

 鷲尾はすでにこの小説をもう何度も読んでいる。だから、内容に集中しなくても、あるいは目を通していなくても、大まかに書いてあることを知っている。意識を向けるべき方向は広間を訪れる別の参加者の動向であり、参加者間の関係性である。


 不意に音がした。鷲尾が顔を上げると、そこにはオーバーブラウス姿の女性……仁多見の姿があった。


 「おはようございます」

 鷲尾の言葉に仁多見は分かりやすくキョロキョロしてから、つまり音のした方を向くのではなく、音のするものを探してから「あ、おはようございます」と返事をした。仁多見が鷲尾の方へ近づいていく。


 「あ、私、何か眠れなくて、それでここに来たんです」

 そう言う仁多見の目の下には小さく隈ができており、無理に明るい表情をしているように見える。眠れずに早朝散歩をして気を紛らわすのはごく自然のことである。


 「僕も部屋にいても落ち着けなくて、ちょっと別のところで本でも読もうかと思いまして」

 鷲尾がにこやかに対応した。


 「ですよね! やっぱり、こんなところ、楽しめないですよね」

 「ええ」


 仁多見と鷲尾の会話は途切れた。鷲尾には仁多見が固まっているのが見える。用事が済んで他に用事もないのにフリーズしている。鷲尾が苦笑いをする。返事はない。鷲尾が何か声をかけようかと思い立ったそのとき、仁多見は途端に再起動した。


 「あっ、じゃあ、私、これで」

 「どうも」


 鷲尾が再び文庫本に目を落とし、仁多見が遠ざかっていく足音を聞いていると、――止まった。鷲尾が顔を上げると、疑いの眼差しを向ける仁多見の姿があった。

 「ところで、それ、どんな内容ですか?」


 鷲尾はここ数日で知った仁多見の知能レベルを思い出し、それに合わせて答えることにした。仮に、この本の芯のところを仁多見に話したとしても、伝わらないに違いない。

 「主人公がカジキや鮫と戦う話ですよ」


 「バトルものって感じですか?」

 仁多見が視線を上に向け、人差し指を顎に当てる。


 「そんな感じです」

 鷲尾は適当に相槌を打ちながら、早く自分への興味をなくしてくれないかと思った。やることがあるから早起きして広間にいるのに、ずっといられたら困る。それでいて自分は彼女からものを聞き出すのに向いていないし、とても困ることを起こされそうだ。鷲尾はそう思った。


 鷲尾にとって幸いなことに、仁多見はそれ以上追及してくることはなかった。鷲尾の目の端には、彼女がブロック群の方へ向かっていき、その一つに腰を掛けて本を読み始めるのが見えた。


 無言の中、鷲尾は片手間に本をめくりながら、何かの本に熱中している仁多見と少し経ってから現れてすぐにいなくなった武藤、壁に寄りかかって何か音楽を聞いている三石、それから次々に出入りする参加者を観察していった。


 (彼女……乙黒さんだ。上手いことやっている)

 鷲尾は、しばらくしてから現れた乙黒が、時田にぎこちなくも話しかけているのを横目でじっと見た。時田は警戒していない。


 (今日話しかける理由は……何だろう? 時田さんたちのグループに女性はいなかったはず。内容を聞き取れればいいけれども、遠いな……)

 鷲尾は本を閉じると、自分のスマホを取り出して数歩進む。


 「――だから、今日のh……」

 時田が声量を途端に落とした。がさつなようで周囲に注意を払っている。警戒していないのはあくまで乙黒に対してだけであった。


 鷲尾はそれ以上危険を冒すのを止めた。その場でそれらしく伸びをすると「カードキー」を使って広間から姿を消した。



*



 「頭痛え……」

 坂本は起きてすぐに白髪交じりの頭を抑えた。酒臭い息を吐くとそのわずかな振動がまたガンガンと頭に響く。坂本は目をこすって、再び生じたその痛みに苛立ちながら枕元のスマホを手に取り、「ににぉろふ」を立ち上げた。


 「酔い覚まし、水」

 出てきたそれらをすぐに口の中に流し入れると、坂本はぼーっとベッドに座ったまま虚空を見つめて、何もしなくなった。


 「あー……」

 何かの音を発するが、到底意味があるとは思えない。


 坂本は昨日も時田たちと一緒に夜遅くまでどんちゃん騒ぎをしていた。好きな物を好きなだけ食べて、旨い酒や煙草を好きなだけ楽しんで、ふらっふらの頭で――その後のことは彼の記憶にはなかった。


 彼はおもむろに枕元に手を伸ばすと、煙草とライターを手に取って、火を点けた。煙を肺の奥まで届かせてから灰を落とすと、「あぁー」と声を出して、また止まった。


 (昨日、飲み忘れた)

 酔い覚ましの効果が現れ始めてから最初に坂本が考えたことは、昨日寝る前に酔い覚ましを飲み忘れたという、誰でも明らかに分かることだった。頭の痛みが引いていき、内臓脂肪の付いた腹の下で胃が動き始め、くっきりと顔に付いた枕のしわが消えていく。


 「大体さあ……」

 一服を終えた坂本はペットボトルに残った水を飲み干し、立ち上がって洗面所へ向かった。いつの間にか吸い殻も空のペットボトルも消えていた。ベッドは整えられて、汚れ一つ残されていない。サイドテーブルには煙草の箱とライターが重ねて置かれており、その横に灰皿とスマホが並べられている。風呂場の方から小汚い呻き声、それから壁や床に水がぶつかる音が聞こえてくる。



 やや経ってから下着姿の坂本が洗面所から出てきた。彼は腹をかきながら寝室へ戻り、再びベッドに倒れ込むと渋々スマホを手に取った。それから親指を何度か動かし、「7SUP」に大した連絡が来ていないことを確認して、スマホを放り投げた。コン、と小さな音がした。スマホにも床にも傷一つ付いていない。


 天井を見ながら坂本は考える。

 (馬にすっかなあ……)


 (最近、舟もツイてるしなあ……)


 (台の調子も、分かるようになってきたしなあ……)


 彼は少し前に会社をクビになった。再就職は……形だけの就活をする以外、あとはギャンブルか家で寝転がっているだけであった。いつか何とかなると思っている彼は毎日貯金を減らして、夢を見ている。


 坂本はごろりと寝返りを打つと同じ思考のループを始めた。競馬、競艇、パチンコ、競馬……。どれも上手くいったときを思い出し、自分にある博打の才能を肥大化させていく。ただ現実逃避しているわけではない。そうやって少ない頭を動かしていれば、死が眼前に迫っている恐怖、連日の死に様を思い出さなくて済む。そうやって正気を保ち、このゲームを生き残るための行動を間違えないようにしているのである。


 「クソッ!」

 坂本は突然、目の前のベッドサイドランプを殴り飛ばした。床に落ちた音がした。坂本の拳がヒリ、ヒリと痛む。

 (何で俺が! こんな目に合わなきゃいけないんだよ!)


 そうやっても何も解決しない。坂本はため息をつくと立ち上がり、スマホを拾ってから寝室を出ていった。すでにランプは元の位置に戻っている。


 坂本が向かった先はリビングだった。彼はそこに置かれた本革のソファにドシンと座り込むと、「煙草、焼きそば、水」と呟いた。それらは目の前にすぐさま現れた。箸とライター、灰皿も一緒に、であった。坂本は飛びつくように煙草の箱に手を伸ばすと、しばらく煙を周りに漂わせて、それから焼きそばに手を伸ばした。


 (何でこんなにうめぇんだ?)

 程よい硬さの熱々の麺を噛み切ると、たっぷりと野菜や果物が使われた甘辛くまろやかなソースが口の中に広がっていく。噛む度にキャベツやもやし、ニンジンが歯ごたえにアクセントを添えて、小麦の甘みを引き立たせる。豚肉の旨味も、鉄板で焼いたような香ばしさも、全て坂本の好み通りである。


 あっという間に食べ終えた坂本はソファの上で寝転がると、食後の一服をしながら今度は今日の宴会、そこで何の芸をするかについて考え始めた。


 (何も思いつかねぇ。あー……)

 酔っぱらった後は流行りの芸人や二昔前の一発屋の真似をして、全く似ていなくてもそれはそれで十分だった。問題は場が暖まる前で、彼は、これまで小ネタを披露することで乗り切ってきたが、これというものを持っていなかった。


 (まぁ何とかなるだろ……)

 坂本は焦点の合わない瞳で煙越しに向かいのソファを眺めながら、そういうことにした。彼は、宴会芸を仕入れるのに「ににぉろふ」を使おうと思いつきもしなかった。どうにも思いつかなくても体を張れば何とかなると自分を安心させた。


 それからのいわゆる空き時間を坂本はこれということもせずに過ごした。このゲーム中に役に立ちそうなことも、このゲームを終えた後の就職に有利になることも行わず、血糖値が上昇するその勢いに身を任せて、眠りに落ちた。


 坂本は、例え目覚ましをセットしなくても、話し合いが始まる前に起きることができる。長年勤務時間が不規則かつ遅刻したときにはいつも痛い目を見たという経験に加えて、ここで遅刻すれば即ち死ぬという冗談じみたフレーズが嘘ではないと骨身に滲み渡っているからである。



*



 室賀久美子は自分の部屋に依藤と利原を招き、昼食後のコーヒーを飲むところであった。照明を落とした室内には落ち着いた曲調のジャズが流れ、そこで何種類もの豆を焙煎しているかような香りが深く、しかし強すぎない程度に漂っている。


 利原が上品にカップを持ち上げて、コクリと飲んだ。

 「美味しいわね、やっぱり。この苦みがいいのよね」


 「あら、私のは酸味が強いわ。キリマンジャロがベースになっているのかしら」

 室賀はそう言うとミルクを入れて、もう一口飲んだ。

 「このくらいがちょうどいいのよ」


 2人がそれとなく依藤の方に目を向けると、彼女はその意を察した。

 「でも本当に不思議よね、『コーヒー』って言っただけなのに。私のはブルーマウンテンに近いわ」


 3人は再びコーヒーを飲んだ。1杯がいくらになるのか分からないその味や香りは室内の雰囲気と相まって3人の心を軽くする。毎日誰かが残酷に死ぬ様を見ているのであるから、その選択は自分たちがしているのだから、暗くて当然だ。

 ただ、ずっとそうしたアピールをしていれば、疎まれる。全員条件は等しいのに自分だけがかわいそぶっていれば、死ぬ。


 「ところで」

 室賀が口にした。

 「依藤さんは宝石のお店で働いているのよね? イメージなんだけど、やっぱりお給料って……いいの?」


 「ええと、宝石店と言っても、モールの一画に入っている所だからそんなにすごくないですよ」

 依藤は小さく笑いながら答えた。年収については、正直なところ割にあっているのかよく分からなかった。最も、正直に答える必要はないのだが。


 「色々な宝石がたくさんあるんでしょ? キレイで飽きなそうね」

 室賀が踏み込んで質問する。少し前のめりになっているせいで、腹の肉がだるんと重力に引っ張られている。彼女の贅肉が宝石になったら大層儲かるだろう。


 「ええ。でも、うちの店には、ほんと、大して置いてないですよ。ダイヤモンドがほとんどで、あとは皆さん知っているものがいくつかあるくらい」

 依藤は手を小さく振りながら否定した。そして、ほんの少し感じた気まずさをごまかすようにカップの取っ手に指をかけた。


 「そうなのよね。私の近所にもジュエリーショップがあるけれども同じ感じよ。珍しい宝石なんかはまた別の専門店があるのよね」

 利原は背筋を伸ばして依藤に同意した。依藤が「そうなんですよ」と答えると横から室賀が「へえーっ」と感心の声を上げた。


 「利原さんのところも? 羨ましいわ。うちの近所なんてそういうところがないから。いいわねぇー」

 彼女の頭の中では何かの動画で見た煌びやかな光景が広がっている。その想像に引用しているのは最上級国民の豪邸であって宝石店ではないが、とりあえず輝いていればそれでいいらしい。

 「ねぇ、そこって従業員割引なんかあったりしない?」

 室賀が両手を前で組んでテーブルの上に乗せ、目を光らせた。


 「ええと、ありますよ」

 依藤はためらいがちに答える。その質問が来たということは次の質問もだいたい予想できるからだ。実際、そうであった。

 「良かったら今度お願いできないかしら?」

 何をとは言わなくてもはっきりと分かることだ。依藤が割引で買って、それを室賀に店頭の値段よりも安く売ることを、である。


 「ええと……」

 依藤はたじろいだ。まず、まだ出会ってから今日で7日目である。さらに――。

 「そうね。もし、私たちが生きてここから出られたら、私もお願いしたいわ」

 利原の言う通り、この話はお互いが生き残ることを前提としている。


 利原も室賀も強く要求しているわけではないが、静かな期待の眼差しを依藤に送っている。依藤がほんの一瞬返事を遅らせただけで2人は前のめりになる。依藤は結局、期待に応えることにした。

 「そうですね。せっかくこうして仲良くなれたんですし、あれですよね、願掛けも込めてということで」


 依藤の会社は社内規定で転売を禁止している。しかし依藤はそのことをすっかり忘れていた。ただし、たとえ思い出したとしても何も焦ることはない。誰かと誰かのうち片方でも相手を覚えている気がなければ、ゲームクリアと共にお互いの存在を忘れるからである。

 それでも自分に新たな価値を付加することは、このゲームで生き残るのに有利だ。理屈の上では投票先に選ばれにくくなる。最も誰が誰にどの票を入れたのか、本当のところは分からないが。



*



 広間はざわついている。話題は勿論100人目が誰の子供なのかであり、少なくとも自分ではないと分かっている参加者たちは好奇心半分、生き残りをかけた駆け引き半分で近くの人に尋ねている。この件に関してはグループ間の境界を跨いで会話をしていても何ら不自然ではない。


 「とざいぃ、とうざぁーい、『透明な殺人鬼ゲーム』、7日目。全員揃ってぇ、10分後に投票、はじまりぃー」

 モニターの中のニニィがSD化された自分の人形を操りながら開始の合図を告げると、薄暗さを残してモニターは影も形もなくなった。


 「それじゃ」

 食い気味に野口が音頭を取る。

 「昨日の続きなんだけど……どうだった?」

 ただし、漠然とした問いかけである。具体性を欠いた進行で生じた隙を影山が逃さない。

 「まあ待て。公衆の面前で言いにくい話だろう。まずは、自分が100人目の母親だと分かったのかどうかだ。名乗り出ないのか?」


 囁き声や衣擦れの音がいくつか重なり、意味のない雑音を作り上げる。全員に聞き取れる言葉はない。


 「つまり、全員自分ではないと言っているのと同じだ。1人、嘘をついている。それでいいな?」

 影山の視線にはこれまで以上の熱が込められている。嘘をついている。それはつまり――。


 「それ、昨日と変わらなくねぇか?」

 時田が横槍を入れた。


 「いや、昨日は必ずしも嘘をついているとは限らなかった。自覚がない場合もある。今日は、違う。俺たちを騙すか、あるいは確認しようともしなかった」


 「騙すって……」

 青い顔をした大浜がぼそりと声に出す。静かな空間に響いた。影山がゆっくりと首を動かし、大浜の方を向いた。

 「少なくともその母親が投票を欠席すれば2人、欠席したことになる。参加者の人数が不正確で、条件……参加者が8割を超える、それを満たしていなかったらゲームオーバー、全滅だ。避けるためには、誰が100人目の母親か明らかにしなくてはならない」

 影山は苦虫を噛み潰したような顔をする。例え全員が全員、持っている能力や性質を駆使して生き残るために全力を尽くしても、ゲームオーバーになったら元も子もない。


 「よっ、と」

 かけ声にしては大き目の声を出して吉野が立ち上がった。自然と全体の注意が向く。

 「予想外の全滅を避けるには、投票先を100人目にするしかないね。母親が名乗り出なければ、やむを得ない」


 (どうして……そんなこと言えるの……)

 田辺は息苦しさを感じて下を向いたまま、スカートから覗く自分の足にぼんやりと焦点を当てる。彼女は、もうじき起こりうることが昨日までとそう変わらないことに気が付いていない。何か特別な感情を以て無意識のうちに優先順位をつけているだけなのに。


 誰も名乗り出ない。

 (誰だ……?)

 (あいつは……違う)

 (一体……)

 幾多の視線が方々に飛び交い、母親の正体を探し出そうと、動き、姿勢、諸々の小さな隙を観察する。


 吉野が言葉を変えて、揺さぶりをかける。

 「正体を隠した方が生き残るのに有利。そのために100人目を切り捨てる。そう判断しただけ。もう、外野が口出しすることじゃないね」


 (どこだ……どこにいる?)

 (違う、いない……)

 (いない? これ以上は悪者になっちゃうねえ。次は……)


 吉野は次の手に移る。さぞ親身であるような、自分にも経験のあるような顔をして、似つかわしくない優しい声を作る。

 「日本の法律では、確か……『妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの』が中絶することを認めている。要するに母親は名乗ることが自分の健康を著しく害すると判断した。全く正当じゃないか」

 罪悪感を、もし感じているのなら、取り除くように、安心させるように。


 しかし、本当のところは違う。不意をつくことで、安堵や動揺といったボロを出させることが目的である。


 (分からない……)

 (何故だ……)

 (調べていないところか? 誰だ……)

 影山も松葉も、他の手練れにも見抜けない。母親は絶対に参加者の中に潜んでいるはずなのに、誰一人として分からない。


 (まさか、ここまでのペテン師がいるとはねえ……)

 吉野も内心、感心している。数々の詐欺師を見抜き、時には地面師を暴いて生き抜いてきた彼女がここまで全く分からないというのは、判断材料が少ないとはいえ稀である。


 (かわいそうだけど……でも……)

 住本は影山と松葉のいる中間辺り、ちょうど夏里のいるところを何となく眺めながらそう考えた。自分が生き残るためには他の誰かを犠牲にしなければならない。それは、このゲームに限った話ではない。


 「もう出てこないなら、アタシが言うことは何もないよ」

 吉野が話を無理気味に終わらせて座った。続きは他の話し手に任せることにしたのだろう。何も話さずに他の参加者の観察を始めた。


 その姿を影山がちらりと見る。野口が今度こそ話を始めようとする。が、影山の方が早い。ためらいがない。大勢の前で説明をする経験に圧倒的な差がある。

 「それなら誰か、この件を続けたい者はいるか?」


 返事はない。母親が誰なのか知りたいと思う者は多くいるだろうが、これまでの会話で誰一人として見抜くことができないでいる。さらに、どれだけ知りたいと思ったとしても、影山や吉野のように話を仕切る腕があるとは限らない。言葉の選択だけではない。声の調子や表情、ジェスチャーも使いこなさなければ、ただ話をしているだけの人になる。それどころか、注目を集め大ポカをすれば無能という印象を与えてしまう。それだけで投票しても仕方がない人物、あるいは投票しても問題のない人物とレッテルを貼られかねない。


 「いないのなら……、全員に共有しておきたいことはないか?」

 影山の問いかけに答えるものは……いない。話すつもりがない者もいれば、イニシアチブを取ろうと牽制し合っている者もいる。相手が何某と分からずとも微妙な空気の流れを感じ合っている。


 「それならさ」

 一番素早く反応で来たのは――野口だ。若さゆえに反射神経に分があった。

 「これ、知ってる? ににぉろふって、英語でも反応するんだ」

 大したことのないような話題でいて、自分のレベルを高く見せることができる情報だ。それでいて、ほぼ、無意味だ。野口は自信に満ちあふれたにやけを小さく口の端に浮かべている。


 「それなら、ドイツ語とロシア語にも対応しているのか教えてもらえませんか?」

 猪鹿倉がちくりと刺し、野口の気分をしぼませた。切り返せない野口相手に猪鹿倉は、口には出さずに冷たい表情で返事を待っている。野口の立場がどんどんと悪くなる……。その沈黙を――野太い声が切り裂く。


 「英語に反応するんなら何語でも反応するだろ」

 助けに入ったのは……中川だ。そう言ったきり明後日を向いて、相手の話を聞くそぶりはない。他の参加者は興味半分、無関心半分といったところで、どちらにしても口を挿もうとしていない。


 (……)

 猪鹿倉も特に何とも思っていない。単に野口の勢いを削げればそれでよいのだろう。妙な空気が流れて、そして――。


 「さあさあ、投票の時間なりぃー」

 ニニィのそれらしい口上と共に舞台は暗転し、誰が誰に投票したのか、建前が何であろうと誰にも分からないのだから……。そして、舞台は再び幕を開けた。


 「今日の犠牲者は、Not enteredでしたぁー」



*



 田名網はニニィのアナウンスをとっさに理解することができなかった。

 (のれんたー? そんな奴いたか?)

 ただし、言葉の意味が分からなくても、その正体は分かってしまった。視界に入れさせられた黒塗りのケースから推測できる。


 広間中央に置かれていたケースは明らかに小さく、その表面を「自主規制」の文字が横向きにスクロールしている。


 (そう……か)

 田名網がそう思うように、大半の参加者たちが感じるものは、まず自分が選ばれなかったという安堵、それからケースの中にいる誰かに対する様々な感情、そして、これから見せられる光景に対する嫌悪と恐怖であった。


 「始めまぁーす」

 ニニィの言葉とともにケースは2回小さく振動した。


 (いつもこうなら……まだ……)

 中で何が起こったのかは連日の流れから明らかである。しかしその方法は誰にも分からない。想像さえしなければただの事実として終わる。これまでの現実と何一つとして変わらない。


 「さよなら三角また来て四角」

 ニニィが言葉に合わせてジェスチャーで形を作っていく。

 「四角は豆腐、豆腐は白い、続きは自分で調べてねっ」

 そして、最後にニニィがウインクを放つとモニターが消え、黒いケースは沈んでいった。


 ゲームの参加者たちはいつも通り自分の部屋に帰っていく。田名網も他と同じように自分のスマホをポケットから取り出そうとして、落とした。

 「あっ」

 間抜けな声を田名網は思わず出してしまう。おまけにスマホを拾おうと屈みながら半歩前に出たときに、つま先で軽く蹴ってしまった。彼のスマホは滑らかな床面を2、3歩先まで滑っていった。


 (年取るとこれだよ)

 頭の中で思ったところに体が行かない。それが目測の問題なのか、それとも体の問題なのか、その両方だろうかと田名網は考えながら、今度こそスマホを拾い上げて、気が付いた。


 (いつもと何か違う?)

 何が違うのかは、田名網には分からなかった。

 (俺には関係ないこと、だな)

 彼はそう判断すると「カードキー」を使い、自分の部屋へ戻っていった。



**



今日の犠牲者 Not entered

一番大事な人 Hidden Information


 様々な考えがあると思う。法律には従うべきであろう。で、この赤ちゃん、名前がないままだと何かと不便だから、100番目の参加者ということで、大和言葉で「百」は「もも」と読むし、XXなら桃子、XYなら桃……太郎と呼ぶのはどうだろうか。妖怪退治したり鬼退治したりできそうな感じがしてくるね。他にも、チャンバラやったり、憑依したり、魔法少女やったり、そのお兄ちゃんやったり、RPGつくったりしそうな名前の候補は色々あるし、ジェンダーレスやグローバリズムや、画数や苗字との語呂や何やかんやを考えたらきりがないけれども、後の祭りだよね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです。 自分は登場人物が多くて折衝と駆け引きが多い話はあんまり好きじゃないんですが、この小説はどんどん読めて続きが気になります。 [気になる点] 胎児なら、1番大事な存在は母親にな…
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