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2節 掠め取られたものを、数えているのです。


 「母さん」


 白い髪の、ほかと比べればほんの少しだけ小柄な子供は、帰ってくるなり制服を脱ぎもせずに、1人がけのソファに腰掛けた母の足元に跪き、小さな体に抱きついた。


 「如何した、吾子。」


 кербер(ケルベル)は元から、甘えたがりの気質が強いが、反面この母への態度は常に遠慮がちで、少なくとも母より大柄な人の姿で擦り寄ったことはない。いつも大きな犬の姿で、足元にすり着くばかりであるはずだ。

 少なくとも、呆然と見守るзима(ズィーマ)はそう記憶していた。


 「ია……が、来てしまいました。」


 「……は」


 「იაが、この街に来てしまいました。」


 母は、優しくкерберの髪を梳く。らしくなく、少年が震えていた。


 「10年前と、まるで同じ笑い方でした。」


 керберは言う、恐ろしいものを見たように。何かに怯えているように。

 同じくらい、どこか恍惚とした色が含まれていた。母の腹に埋めた表情は分からない。


 「左様か。」


 「10年あれば、幼子は、大人になるはずではなかったのですか。」


 禁忌についてを語るように、кербер(ケルベル)は繰り返す。


 「うむ、10年とは、ヒトには……まして幼子など、何一つ残さず変わるほどの時間であるはずだ。」


 「なら、どうしてიაは」


 「……そなたからიაを取り上げたのは、ミカエルであったの……。」


 「今日はエノクがいました、家族のように親しげに。」


 「……っ、左様か……であるならば、天使であろうな、無垢であれと、望まれて、そのように育ったのであろ。」


 10年前、ちょうどその時期、керберは行方をくらましていた。元々、そういうくせがあった。冥府に連なる彼は、息のしやすい場所、というのが大地の眷属とは異なる。

 だから、数十年のうち数年は、どこかに深呼吸をしに出かけている。

 ちょうど、それが10年前だったはずだ。


 「エノクはあの、吾子のお気に入り、吾子の理想を詰め込まれた人形。ミカエルに救われてエノクが育てたのなら、それは、間接的に吾子の理想とする無垢さが詰め込まれようというもの。」


 「なにも、იაでなくたって……」


 ぎり、と、歯ぎしりの音がした、ぶわ、と、定命あるものならば、即座に穢病に全身を腐り落ちさせるほどの、淀んだ空気が決して狭くない部屋を満たす。


 「人形なんて、他にいくらでも……。」


 「そなたが、その娘を欲しがったからであろ?」


 「…………。」


 優しい声で、優しいて付きで、母はкербер(ケルベル)に事実を突きつける。


 「現れないで欲しかったんです、今が、幸せだから。桜染先輩だけでよかったんですよ、ヒトなんて。」


 「うむ、恐ろしかろうな」


 「ままならないことに苦しむのは、嫌いです。」


 「うむ」


 керберの声が震えている、ぐす、と鼻をすする音がした。


 「この時代、იაを殺すことは儘ならぬものな、まして、この国では。」


 「桜染先輩だけでいい、殺意(愛情)なんて、忘れて耽溺していたかった。」


 「でも、幸せなんやろ?」


 思わず、зимаは口をついて出た言葉に後悔した。облак(オブラーク)も恐ろしいが、このкербер(ケルベル)はそれとは全く違う方向性で、恐ろしい。облакのお仕置きとは違う、ただの純然たる苦痛に、そのつもりになれば永遠に捉えてくることが出来る存在なのだから。


 「手ぇ届くとこに来てくれて、見えるところに居ってくれるんが、嬉しいんやろ?」


 じろ、と母の腹に埋めた顔をずらして、керберはзимаを睨めつける。

 けれど、зимаにとって桜井染野がそうであるように、髪の一筋まで余さず捉えたいほどに、その娘に執心していることは、керберの口振りから容易に推測できた。

 それなのに、嬉しくないなど、幸せでないなどとは言わせない。


 「茹でんぞ変温動物。」


 「あん、桜染ちゃんみたいなこと言わんといて、思い出してまうやろ?」


 「桜染先輩のことも記憶から消せ。」


 「い、や。」


 母の腰にしっかり抱きつきながら、苛立たし気な視線を向けるкерберを、зимаはしっかり笑みを浮かべて煽る。

 この仔犬はこの調子でいてくれなければこまる。


 「戯れ合うな、облакに怒られるぞ」


 母は深い溜息をつきながら、ふにゃりと笑い、керберの両頬に手を添えて顔を上げさせた。


 「кербер、今度こそ、იაを捕まえて、離すでないぞ、これは好機だ。」


 「無理です、母さん。」


 「……夜の子供らが、ここ最近うるさい。おそらくიაのせいであろう。……相手は天使だけではすまぬのだ」



 

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