1節 不具の微笑
おかえりラブコメ!!のラブの部分!!
たとえどんな事があっても、日常は再開される。
「遅いな……珍しい。」
「ねー、LINE入れる?」
昼休みが始まってはや10分、облакと染野はкербер《ケルベル》を待っていた。普段なら5分でやってくるкерберが来ない。
今更、керберを待って食事を取らないという選択肢はないが、それにしても、連絡のひとつもなく遅れるのは珍しい。
「遅れました、すみません。」
開け放たれたままの教室の入口から、керберが2人に声をかけた。申し訳なさそうに眉尻を下げた、立派な体躯に不釣り合いの情けない表情は、どことなく人懐っこい大型犬を連想させる。
その、白い大型犬の傍らに、見慣れない人影がいた。
真っ黒な髪、どちらかと言えば日本人より大柄なкерберと比べればずっと小柄だが、日本人の平均と比べたら長身の少女。
アンティークドールのような、大きな瞳と柔らかい口元の少女は、керберの視線を追って染野とоблакを見た。学校指定の制服ではない、黒いワンピース、どちらかと言えば礼服寄りかもしれない形は、違和感がないとは言わないが、かろうじて制服の少女達の中に紛れることには成功している。
そんな秀麗な顔立ちも、そんな浮いた装いも、2つの強烈な特徴の前には霞んでしまう。
不自然に、本来なら肘のあるところで結えられた左袖。
染野とоблакを見る瞳は、一見した時は赤だが、髪の分け目の関係で前髪で見づらい右目は、薄緑色をしている。
あまりジロジロ見るのは失礼だとわかっていても、何度も、見間違いではないかと確認してしまう、欠損と特徴。
керберはごく自然に、彼女の右側に立っている。
「ええと、すみません、その、懐かれてしまって……数日こいつも連れてきていいですか……?」
「懐かれてって、動物みたいな……この子は?」
「妙な時期だけど、転校生です。Лиля」
керберが視線で促すと、Лиля、と呼ばれた少女は数度、керберと染野を見比べる。ぱち、ぱち、と数度瞬きを繰り返してから、染野とоблакに向き直った。
「はじめ、まし、て……?」
不安げに、ぶつぶつに途切れた言葉と、不自然な発音、恐らくその挨拶は染野とоблакに向けられたはずなのに、言い切ったЛиляはкерберを見上げた。
「продолжение」
「Ме……あ、わたし、の、私は、елизавета、呼ばれて……」
「елизаветаです。」
「елизавета、です。」
発音からして、スラヴ語系。教え含めるようなкерберの言い方からして、彼女はまだ、日本語が不自由なく使える、という段階似ないのかもしれない。
不安げに、染野たちとкерберを見比べている。
「はじめまして、染野です、エリザベータさん?」
「Лиля、呼んで……ください?」
どうにもたどたどしい言い方や、不安げな風情にあてられてか幼い子供に接するような言い回しになる。
1音ごとに、керберを振り返って正しいか確認している様子が微笑ましい。
「елизаветаの愛称です。Лиляって呼んでやって下さい。」
керберが補足を入れる。染野やоблакからして、ヒトの世話を焼くкерберというのが随分新鮮で、不思議な心地になる。
「よろしくね、Лиляさん」
「よろしく、ソメノ……」
染野が笑みかけると、Лиляはほっとしたように。笑みを返す。託児所の子供たちのような、あるいはそれよりずっと、裏のない無邪気な笑顔。
「染野さん」
「そ、そめのさん。」
керберが不躾な呼び捨てに訂正を入れる。気にしなくても染野は怒ったりはしないが。
「俺はоблак、よろしくな。」
облакも、普段はそこまで愛想が良くないくせに。керберが世話を焼いているのが面白いのか、人好きのする笑を浮かべた。
「よろしく、облак、さん。」
安堵した、人を信用しきった笑顔は、本当に、可愛らしい。
放課後、керберはелизаветаを自宅まで送っていた。本人は問題ない、と言うが、視野が狭い上に左腕のない少女を夕刻1人で歩かせようとは思わなかった。
染野とоблакといられないことに関しては、少なからず拗ねているし、елизавета自身もそれに気を使ってはくれたが。
会話があるわけでもなく、のろのろと歩く少女を、半歩後ろから見下ろす。長い黒髪と、華奢な肩。その首が細いのも知っている。
елизаветаが住まうのは、先日司祭の変わった正教会、新しく来た司祭が保護者であるらしい。
そこまでは、さほど距離はない。
握りつぶせるほど細い首は、すぐ目の前にある。
「еноx!」
手を伸ばしかけた、先の首が、するりと逃げた。
横を歩いていた少女が駆け出した。
「привет Лиля」
「привет」
柔らかな灰茶色の髪の、黒い服の司祭。どことなく中性的な印象を与える顔にほほ笑みを浮かべて両手を広げた司祭の腕の中に、елизаветаが飛び込んで行った。
司祭は優しくелизаветаの髪を撫でてから、ちら、とкерберを見る。
「елизаветаを送ってくださったのですね、ありがとうございます。」
「ああ、いや、どういたしまして。」
エノク、と呼ばれた司祭の柔らかい笑みで、長いまつ毛に縁どられ、細められた青い目の向こうから、底冷えするような殺意で射抜いた。
何故、かは、わかり切っているし、分かっていないのはелизаветаくらいのものだ。
「До завтра кербер」
「また明日、Лиля」
何も知らない子供のように、エノクの腕に抱かれてкерберを振り返る。人に頼らずには生きていけない、不具の子供。
いつ殺そうか、と、遠い未来を夢想した。




