12節 相引と、致しましょう。
閉館時間を告げるアナウンスが、水族館に響く。
「……あっ!」
シャチを熱心に観察していた染野の声に、зимаはやっとそちらに関心をむける。シャチの口に、何か、羽のようなものが見える。
口に含んだ魚に寄ってきていた鳥を捕まえたのだろう。なるほど、今日一日で知った染野の好みの現象だ。
「帰ろ、桜染ちゃん、閉まってまうから」
「え……ええ、そうですね。」
残念、とも安堵とも、どちらとも取れる表情で、染野は出口までの最短の道へ歩き出す。зимаはその手を緩め、今度こそ、指を絡めようとする。染野はそれを、受け入れない。
行きよりも混んでいる交通機関を使って、彼女の家まで送り届ける。
「はなしてください。」
「うん?」
家までもう、あと少しという道の途中で、染野は立ち止まった。зимаに捕らわれている右手を見つめている。
「はなして、もう、デートはおしまいでしょう?」
「……せやなァ」
自分の手の中にある、小さな手を手首を返して確認する。白い指に絡みついていたはずの黒い蛇は、とうに居ない。
彼女の言葉通り「デート」はおしまいのようである。
手を握る力を緩めると、染野の手はするりと抜けていく。
だから手を伸ばして、その手首から捕らえた。
右手は、疼かない、痛まない。
だって染野自身が宣言してしまったのだ、「おしまい」だと。
「離して。」
「だーめ。」
「離しなさい。」
「…………ッ!!」
染野が、зимаを見た。
花吹雪の舞う瞳が、その青の鮮やかなままзимаを見た。細やかに光を反射する、水族館で見た、魚群のように。
その目で、зимаを見た。
その歓喜たるや。
зимаが目を見開いた、それを、観察するような注意深さで。敵意と拒絶を込めて、染野がまっすぐ見ている。
見つめる強さも、睨む熱量もなく、зимаを見ている。
抱きしめたい、口付けたい、今ならそれが叶うのだから。
「離しなさい。」
ゆっくり、噛んで含めるように、ただ声だけは低く、染野は繰り返した。
臓腑の奥が震える、熱を含むような、重量を持つような。
攫ってしまおうか、誰にも邪魔をされない場所で、その心も臓腑の奥までも、暴き立てて見せようか。
そう思いながら、染野の手を、зимаは離した。
「ほめて。」
握られた手をさすり、踵を返そうとした染野は、зимаのその、小さくこぼした言葉に動きを止める。
その呟きは切実な願望であり、賭けであった。
もしそれを染野が聞き流したなら。
「褒めて、1日、いい子にしとったやろ。」
染野の視線がさまよう。
それか、その言葉を完全に拒絶したなら。
「褒めて、桜染ちゃん、そしたら俺、いい子で今日は帰るから。」
染野が、一歩、зимаに近づいた。ずっとзимаに握られていた右手が、持ち上がる。
зимаが屈むと、怖々とした仕草で、染野はзимаの頭を撫でた。
「いい子、でした、ね?」
「うん。」
最後、зимаを見つめた染野の目にあったのは、同情であった。それを、少し不思議に思いながら、зимаは愛する少女の優しい愛撫に、目を細めた。
果たして、染野は賭けに勝利した、染野という存在を、脅かしかねない、小さな小さな賭けに勝利したのだ。
「もう、いいかしら」
「うん、ありがと、今度こそおしまい。もう帰るわ。」
「そう。」
同情だとしても、それはзимаにとってささやかな勝利であった。嫌悪でも、侮蔑でも、恐怖でもない感情を己に向けさせた、その眼差しを知っただけでも。
染野は今度こそ手をはなして、踵を返す。立ち去っていくそめのを今度こそ、見えなくなるまでただ見つめた。
染野は賭けに勝利した、もしあの賭けにまけていたなら、зимаは染野のことを捕らえて、攫ってしまうつもりだった。
だから次の欲が湧いた。次は、その同情の理由を知りたい。あれほど嫌悪していた存在に、思わず手を伸ばしてしまった理由が知りたい。
染野の見えなくなった道を、鮮やかにすぎる青緑の蛇が這っていく。
ひとつの考察。
あの同情の眼差しの理由。
桜井染野が魔法少女となった理由。
あの時、己の四肢が爆ぜることも厭わなかった理由。
桜井染野は、自分を救いたがっている。
何故にして救われたいかの、その根源はわからない。そして恐らく染野自身も、救われたいという自覚がないのだろう。そこまでは、зимаがひとつの回答として導き出せること。
己を躊躇わず損なって、そんな手段で人を救うことで、『救える己自身』という構図に擬似的な救いを得ているのだろう。
だとしたらзимаは、その染野を救うために何をしてやれるのだろうか。




