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空人形、決壊する

 八月十三日 土曜日

 今日は朝から雨が降っているらしい。雨粒が窓を叩く耳障りな音がずっと私の病室に響いている。

 だが、そんな音など気にならない。私の頭の中には三日前からずっと満月の言葉が渦巻いている。

『君の視力と脚を奪ったのは禍渦なんだよ。トラックの運転手でもなく、君の妹でもなく、ね』

 ああ、耳障りな言葉だわ。特に『君の妹でもなく』の部分が。

 そんなこと言われなくてもわかってる。

 あの事故はあの子のせいじゃなく、私のせい。

 あの日、私はいつもボールを公園に運んでくれる縹の代わりにボールを抱えて家を出た。でも縹はそれを良しとはせず、私の後を追いかけてボールを渡してと訴えた。

 頑張って逃げたけれど、あっという間に私は縹に捕まったわ。運動は苦手だったのよ、昔から。

 兎にも角にも後は単純な話。

 縹とボールの取り合いになって、私の腕からボールが道路にこぼれた。そして、ボールを追いかけた私はトラックに撥ねられ、その場から動かなかった縹は無事で済んだ。

 ただ、それだけ。

 子どもだったとはいえ、いつもの縹の役目を横から掠め取った私が悪いのよ。

 だから私はあの子が、縹が私の眼と脚を奪ったなんて思っちゃいないし、勿論禍渦なんてものでもないわ。奪った者がいるとするならそれは私なのよ。

 どう? 大人の意見でしょう?

 ……。

 ………。

 …………。

 でも、私はそんなに大人じゃない。

 頭ではわかっていても、納得はできないのだ。

 未だ世界を見つめることのできる、世界を自由に走り回れる縹が妬ましい。

 もう七年も経つというのに気を抜くとすぐにそんなドス黒い感情が溢れてくる。だから私は考えることを止めたのだ。

 思い出さなければ、考えないようにすれば、そんな感情は生まれて来ない。だから私は、人形になることを決めた。

 縹が私に会いに来ても、耐えられるように。

 醜い私を晒さないで済むように。

「なのに、アイツのせいで!!」

「ひゃっ、びっくりした!! きゅ、急にどうしたの?」

「……縹?」

「あれ、お姉ちゃん気づいてなかったの? いつもは直ぐわかるのに……」

 いつの間にか縹が私の部屋に入ってきていたらしい。満月のおかげで心の奥底から噴き出してきた汚い感情を処理するのに必死で気がつかなかったようだ。

「少し……、考えごとをしていたのよ」

 努めて優しい声を出そうとするが、縹には通じなかったようだ。

「お姉ちゃん……、何か怒ってる?」

「……怒っていないわ」

 ――やめて、縹。

「嘘だよ」

「怒ってないったら」

 ――お願い。

「嘘」

「本当よ」

 ――お願いだから。

「う――」

「五月蠅い!!」

 ああ、もう止まらない。

「ええ、怒ってるわ!!」

 いままで胸のうちに仕舞っていたものが堰を切ったように流れ出す。まるで全てを飲み込む濁流のように。

「何故、あなたは私に会いに来るの!? そんなに自由に歩き回れる姿を見せびらかしたい? そんなに私の見えない世界が見えるのを自慢したいの?」

「……………………」

「それとも父さんと母さんに言われて来てるの? あの人たちから可哀相なあの子に構ってあげてって?」

 縹は何も言わない。何も言わず私の罵声を黙って聞くつもりらしい。

「あはははっ、そんなことあるわけなかったわね!! 自分たちの娘がまともな身体じゃなくなったら、会いにも来ない人たちだもの!! そんな気をつかう筈がないわ!!」

 依然として言い返すこともしない縹に、私は再度問いかける。

「ねえ、縹? どうしてあなたは私に会いに来るの?」

 だが、縹の答えはない。代わりに返ってきたのはあの声。

 私に余計なことを思い出させた、あの声だ。

「残念だけど、妹さんは答えられないよ」

「…………満月。何か用かしら? 約束の日は明後日だったと思うけれど?」

 会いたい訳ではないが。

「深緋ごめん、ミスった」

 こちらの言葉を無視し、まったく謝罪の意を感じさせない調子で彼女は言う。

「アタシの予想より二日早く禍渦が生まれたみたい」

 その言葉と同時に私の周りが嫌な気配が覆われた。


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