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空人形、襲われる

 八月十日 水曜日

「ッ――ハッ、ハァッ!!」

 私はベッドに横たわったまま覚醒する。眠りを妨げたのは夏の暑さではなく、七年前に味わった恐怖。

 ああ、またこの夢だ。忌わしいあの日の夢。

 私が――視力と脚を失ったあの事故が起こった日の夢。

 それは何の変哲もない日だった。

 私はいつものように縹と一緒に公園で遊ぶためにボールを持って固いアスファルトの上を駆けていた。

 ここまで思い出して、私はいつも自問する。

 何故あの日に限って、いつもボールを持たせている縹の代わりに私はボールを抱えたのだろう?

 何故あの日に限って、滅多に車の通らないあの道路に大きなトラックが走っていたのだろう?

 そして、何故――。

 視力と脚を失うのが縹でなく、私でなければならなかったのだろう?

「…………馬鹿ね」

 思考をカットし、自嘲ぎみに呟く。

 そう、そんなことを考えても意味は無い。事故の原因を突き止めても、私の眼と脚は元には戻らないのだから。

「何が馬鹿なんだい?」

 突如、傍から声が聞こえてきた。

 …………ええと、ナースコールのボタンは、と。

「ああ、駄目駄目。もう逃げるのは嫌だよ」

 ふわっと良い香りがしたかと思うと私の両手は優しく押さえつけられていた。言わずもがな、満月の手によって。

「……一つ質問するけれど、いま何時かしら?」

「八月十日、午前四時二十三分だよ、深緋。最終的に返事を貰うまであと五日だ」

「そう、こんな朝方に御苦労さまね。さらっとスカウトの話を付け加えるのは止めてくれない?」

「あっはっは、重要なことだからね。君にとっても、アタシにとっても」

 満月はそう私の耳元で囁く。

 というかこの態勢、絵的に大丈夫? 身体の自由がきかない女の子の上に、しかも両手を押さえる形で、病院外の人間がのしかかっている訳なのだけれど。

 そんな私の心配をよそに満月は言葉を紡ぎ続ける。

「それで、深緋。何が馬鹿なんだい?」

「大したことじゃないわ。ありもしない答えを探すことが不毛なことだって気づいただけよ」

「や、答えならある。深緋を襲った不幸は禍渦によるものさ。決して偶然が重なって起こったことじゃあない」

 また、その話? まったく他人の妄想を聞かされるのは中々根気が必要ね。初めて知ったわ。ああ、それはさておき……。

「よくさっき私の考えていたことがわかったわね。縹でもそこまで私の心の中を読めないわよ?」

「あっはっは、簡単なことさ。いま、半分だけ同調リンクさせてもらっただけだからね。別に痛くもなんともないだろう? 私のコードは超極細なんだ」

「?」

 意味のわからないことを自慢げに話す満月。本格的にこの人の、主に頭が心配になってきたわ。

 そうして私が何も言わないでいると再び満月が口を開いた。

「まあ、心の中を読んだというよりは、流れ込んできたイメージを見ただけなんだけど。そんなことより話を戻そう。深緋、前にアタシが話したことを覚えているかい?」

「ふっふっふ、ちゃ~んと覚えているですぞ~」

「何で赤い雪男のモノマネをしているのかはともかく」

 あら、スルーされたわ。そういうときは緑の恐竜で受け答えるのがマナーでしょう? 折角、あなたの痛い妄想をなかったことにしてあげようと思ったのに。

「もう一度言おう。全ての不幸は禍渦によって引き起こされる。つまり、君の視力と脚を奪ったのは禍渦なんだよ。トラックの運転手でもなく、君の妹でもなく、ね」

 私が何かを言う前に満月は、その身を私の手の届かない位置にまで避難させる。残念、たまたま払った手が彼女の顔面に、たまたま当たるかと思ったのに。

「今日はこれで退散するよ。もうすぐ看護士さんが身回りに来るだろうからね。今度会うのは五日後だ」

「そう。また会えると思うと嬉しくて涙が出そうだわ」

「あっはっは、嘘でも嬉しいね」

 その言葉を最後に満月は病室から出て行った。

 独りになった途端、鳴りを潜めていた睡魔が再び襲いかかってきたが、それを抗うことなく受け入れる。

 今度は何も夢をみませんように。そう願いながら私は眠りに落ちた。


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