第七十三話 保留
照会には、四時間かかった。
その間、十七人は草地にいた。
黒スーツは、三人とも動かなかった。草地の入口に立ったまま、端末を見ている。
誰も、何も食べていない。
誰かが、火を焚いた。イリヤだった。
十七人が、その火を囲んで座った。
◇
「──金松さん」
外山が言った。
「これ、どうなるんですかね」
「分かりません」
「照会って、宇宙にですよね」
「たぶん」
「四時間で届くんですか」
「分かりません」
亮は言った。
「でも、待ってます」
◇
火の向こうで、ハビエルが何か言った。
(──音楽が欲しい、と言っている)
ロイドが伝えた。
(音楽?)
(アルゼンチンでは、火を囲むと歌うそうです)
亮は、その言葉に少し笑った。
(歌えばいい)
(言っていいですか)
(言ってくれ)
◇
ハビエルが、歌い出した。
言葉は分からない。
低い、ゆっくりとした歌だった。
三小節ほど歌ったところで、彼は止まった。
照れたらしい。
だが、テオドールが続きを引き取った。別の言語で、別の歌だった。
◇
ムーサが、手で膝を叩き始めた。
単純なリズムだった。
カマウが、それに合わせて何か歌った。
重信が、笑い出した。
「──なんですか、これ」
「知りません」
亮は言った。
「でも、悪くないです」
◇
(──亮くん)
頭の中で、グードが言った。
(なんだ)
(僕、これ知ってる)
(また孤児院か)
(うん)
少年は言った。
(夜、みんなで壁にもたれて、誰かが歌うんだ)
彼は言った。
(歌が終わると、次の子が歌う)
◇
(同じだな)
(同じだね)
グードは言った。
(星が違っても、同じだ)
亮は言った。
ボールを投げる理屈が同じだったように。
名前を呼ばれると返事をするように。
夜に火を囲むと、誰かが歌い出す。
◇
篠塚は、火から少し離れたところに座っていた。
亮は、その隣に行った。
「篠塚さん」
「はい」
「歌わないんですか」
「歌えません」
彼は言った。
「音痴なので」
「そうですか」
「甲本さんも、音痴でした」
◇
「二人で、代表の遠征に行ったとき」
篠塚は言った。
「バスの中で、みんなが順番に歌わされたんです」
「はい」
「あの人、絶望的でした」
彼は言った。
「音程が、一個も合ってなかった」
彼は、火を見ていた。
「あんなに下手な人、後にも先にも見たことがないです」
◇
亮は、その話を聞きながら、拓海の顔を思い出した。
あの人の歌は、聞いたことがない。
聞く機会が、なかった。
「──篠塚さん」
「はい」
「俺、その話を覚えておけません」
「……そうですね」
「消されるので」
「はい」
◇
「でも」
亮は言った。
「あなたは、覚えてます」
篠塚は、火を見たまま頷いた。
「覚えてます」
「じゃあ、いいです」
亮は言った。
「俺が忘れても、誰かが覚えてれば、それでいいです」
◇
深夜になった。
黒スーツの一人が、端末から顔を上げた。
「──回答があった」
全員が、立ち上がった。
火が、揺れた。
「本国の判断を伝える」
彼は言った。
「識別番号の重複について」
◇
「重複した番号は、いずれも無効とする」
亮は、その言葉に眉を寄せた。
「無効?」
「そうだ」
黒スーツは言った。
「識別できない番号は、番号として機能しない」
彼は言った。
「したがって、当該人員は、識別番号を持たない個体として扱う」
◇
草地が、静まり返った。
「──全員がですか」
亮は聞いた。
「そうだ」
黒スーツは言った。
「この場にいる十七名は、全員が識別番号を持たない」
彼は、端末を閉じた。
「番号を持たない個体の扱いは」
◇
「──保留だ」
亮は、その言葉に、息を吐いた。
六日前、篠塚が言われたのと同じ言葉だった。
殺す規則も、生かす規則も持っている。
どちらを使うかだけ、決めていない。
「じゃあ、俺たちは」
「処理されない」
黒スーツは言った。
「少なくとも、今日は」
◇
「恩赦は」
亮は聞いた。
「該当者なし」
黒スーツは言った。
「識別番号を持たない個体に、恩赦は与えられない」
彼は言った。
「本大会は、優勝者なしで終了する」
◇
誰も、声を上げなかった。
六人が、それぞれの回線で伝えた。
十七人が、その意味を理解するのに、少し時間がかかった。
やがて、ハビエルが言った。
(──俺たち、生きてるのか)
(生きてる)
亮は言った。
(何日)
(分からない)
◇
(保留は、いつまでだ)
ハビエルが聞いた。
(分からない)
亮は言った。
(明日、決まるかもしれない。……十年決まらないかもしれない)
(十年)
(篠塚さんは、六日間保留されました)
亮は言った。
(その六日で、この島まで来ました)
◇
「──移送を行う」
黒スーツが言った。
「全員、船に乗れ」
「どこへ行くんですか」
亮は聞いた。
「元の場所だ」
彼は言った。
「日本地域の者は、日本へ。……それぞれの地域へ戻す」
◇
「記憶は」
亮は聞いた。
黒スーツは、端末を見た。
「……処理対象は、恩赦を受けた個体の宿主のみだ」
彼は言った。
「本大会に、恩赦該当者はいない」
彼は言った。
「したがって、記憶処理の対象者もいない」
◇
亮は、その場に立ち尽くしていた。
──消えない。
甲本拓海のことも。
野上雅人のことも。
滝本健吾も、山室亘も、真柴も、大貫健も、久我も。
全部、残る。
(──グード)
(うん)
(残るってさ)
(うん)
(よかったな)
◇
(……うん)
少年は、それだけ言った。
声が、少し震えていた。
亮は、それに気付かないふりをした。
◇
浜へ降りる途中で、グロウが亮の隣に来た。
(──金松)
(なんだ)
(俺は、この体で日本には行かん)
彼は言った。
(ドイツに戻る)
(そうだな)
(もう、会わんかもしれん)
◇
(グロウ)
(なんだ)
(名簿を燃やすんだろ)
亮は言った。
(帰れなくなったな)
グロウは、少し黙った。
(そうだな)
彼は言った。
(燃やせなくなった)
(悪かった)
(謝るな)
◇
(俺は、二十年あれを考えてた)
グロウは言った。
(燃やすことだけをな)
彼は言った。
(だが、今日、別のことを見た)
(何をだ)
(三百回だ)
◇
(名簿には、線が引いてある)
彼は言った。
(消せん。燃やすしかないと思ってた)
彼は言った。
(だが、線の隣に、数字を書くことはできる)
彼は、亮を見た。
(三百対一だ)
◇
(それが、記録に残る)
グロウは言った。
(Ω地区に送られる)
(そうだな)
(読むのは、担当者だ)
彼は言った。
(そいつが、どう思うかは知らん)
彼は言った。
(だが、燃やすより、こっちの方がましだ)
◇
浜に着いた。
ボートが待っていた。
十七人が、順番に乗っていく。
グロウは、最後まで残った。
(──グード)
彼は言った。
(うん)
少年が答えた。
(お前、名前を聞いたな)
(聞いた)
◇
(俺は、聞かなかった)
グロウは言った。
(この体の男に、名前を聞かなかった)
彼は言った。
(十四年、名前も知らずに借りてた)
彼は、自分の掌を見た。
(今日、聞いた)
◇
(なんて名前だった)
グードが聞いた。
(ヨナス)
グロウは言った。
(ヨナス・ヴェーバー。ハンマー投げの選手だ)
彼は言った。
(十四年、俺の投げ方を邪魔しなかった男だ)
彼は、ボートに乗った。
(……遅かったな)
◇
(グロウ)
グードが呼んだ。
(なんだ)
(また会える?)
グロウは、しばらく答えなかった。
(分からん)
彼は言った。
(でも、探す)
◇
(十四年探したんだ)
彼は言った。
(今度は、居場所が分かってる)
彼は、亮を見た。
(金松亮の中だ)
(そうだ)
亮は言った。
(じゃあ、簡単だ)
グロウは言った。
◇
ボートが、沖へ出た。
船へ向かっていく。
亮は、そのボートに乗りながら、島を振り返った。
崖が見えた。
草地が見えた。
大貫を埋めた斜面が、闇の中にあった。
◇
(──大貫さん)
亮は、心の中で呼んだ。
返事はない。
当たり前だった。
(三百回でした)
亮は言った。
(あなたが、一回目でした)
◇
船が動き出した。
島が、遠ざかっていく。
外山が、甲板の手すりに寄りかかっていた。
「──金松さん」
「はい」
「帰れるんですかね」
「帰れます」
亮は言った。
「保留ですけど」
「保留か」
外山は、少し笑った。
「まあ、いいです」
◇
「金松さん」
「はい」
「俺、来年オリンピックなんですよ」
外山は言った。
「背泳ぎで、代表争いしてて」
「……そうですか」
「山室さんって人、いましたよね」
彼は言った。
「競歩の」
◇
「はい」
「あの人、来年のオリンピック出るつもりだったって」
外山は言った。
「聞きました」
「じゃあ、俺が出ます」
彼は、水平線を見ていた。
「代わりとかじゃないですけど」
彼は言った。
「出ます」
◇
夜が明けた。
水平線に、陸が見えた。
日本だった。
亮は、その光景を見ながら、自分の右肩に触れた。
動かない。
プロ野球選手としての人生は、たぶん終わっている。
◇
(──亮くん)
(なんだ)
(肩、治そうか)
グードが言った。
亮は、その言葉に、少し笑った。
(お前、力使い果たしただろ)
(少し戻った)
(無理はするな)
(無理はしないよ)
少年は言った。
(でも、投げたいでしょ)
◇
亮は、水平線を見ていた。
六日前、この海を渡ってきた。
五人で来て、四人で帰る。
その四人のうち、一人は番号を持たない。
(──グード)
(うん)
(ゆっくりでいい)
亮は言った。
(急がなくていい。……何年かかってもいい)
◇
(分かった)
少年は言った。
(じゃあ、ゆっくりやる)
(ああ)
(亮くん)
(なんだ)
(帰ったら、何する?)
亮は、少し考えてから答えた。
◇
(壁に、投げるか)
(壁?)
(お前と会った場所だ)
亮は言った。
(あの空き地、まだあると思うか)
(分かんない)
グードは言った。
(十四年前だから)
(じゃあ、見に行こう)
◇
船が、港に入った。
六日ぶりの陸だった。
黒スーツが、四人を車に乗せた。
六日前と同じ、黒いセダンだった。
だが、後部座席のドアは、内側から開いた。
亮は、それを確認してから、乗り込んだ。
第四部「無人島」 完




