第六十七話 四人目
(──四人を潰しに来た)
亮は、その言葉を繰り返した。
(じゃあ、あんたは俺を狙ってたんじゃないのか)
(狙っていた)
ゲオルグは、あっさり言った。
(意味が分からない)
(俺の中の子は、グロウの言うことを聞かん)
彼は言った。
(四人を潰せと言われて、こう考えた。……四人を潰すより、先に本体を喰った方が早い、と)
◇
亮は、その理屈に、背筋が冷えた。
(グロウは、そこまで読んでなかったのか)
(読んでいただろうな)
ゲオルグは言った。
(あいつは、俺に言った。……「行くなら、球を持たずに行け」と)
(なんでだ)
(分からん)
彼は言った。
(だが、俺は球を持たずに来た。……そして、いま持たされている)
◇
亮は、その言葉を頭の中で組み立てた。
球を持たずに来た男に、球を持たせた。
両手が塞がって、触れなくなった。
(──グロウは、これを見越してたのか)
(さあな)
ゲオルグは言った。
(あいつが何を考えてるかは、俺には分からん)
彼は言った。
(だが、あいつはこうも言った)
◇
(──「あの宿主は、たぶん、お前を殺さない」と)
亮は、その言葉に、何も返せなかった。
(俺は、笑った)
ゲオルグは言った。
(この島で、殺さない奴などいるかと)
彼は、球を抱え直した。
(だが、いま俺は生きている)
◇
(──ゲオルグ)
亮は呼んだ。
(なんだ)
(残りの三人は、どこにいる)
(知らん)
(近くにいるのか)
(いる)
彼は言った。
(俺が来たとき、三人とも斜面の下にいた)
◇
亮は、崖の縁から下を見た。
草地から続く斜面。木立が茂っていて、下までは見えない。
(何をしてる)
(見ている)
ゲオルグは言った。
(俺が先に来たのは、あいつらが「先に行け」と言ったからだ)
彼は言った。
(俺が失敗すれば、次が来る)
◇
(お前は、失敗したのか)
(失敗した)
彼は、あっさり認めた。
(球を持たされた。……この状態では、何もできん)
(じゃあ、次が来るな)
(来る)
ゲオルグは言った。
(三人まとめてだ)
◇
(三人?)
(一人ずつ来る意味がなくなった)
彼は言った。
(お前の手は、一度見せれば通じん。……次は、三人で来る)
彼は、尾根を指した。
(そこは一人ずつしか通れんが、三人なら、二人が斜面を登る)
(登れるのか)
(登れる)
彼は言った。
(時間はかかるがな)
◇
亮は、斜面を見た。
急ではあるが、木や草を掴めば登れる傾斜だ。
三方向から同時に来られたら、尾根の利点は消える。
(──何分だ)
(斜面を登るのに、十分はかかる)
ゲオルグは言った。
(つまり、あと十分か)
(いや)
彼は言った。
(もう、登り始めている)
◇
「──全員!」
亮は、六人に向かって叫んだ。
「斜面を見てください! 両側です!」
カマウたちが動いた。
テオドールが、右の斜面へ。ムーサが、左へ。
重信と外山が、その後ろに続く。
篠塚だけが、亮の隣に残った。
「篠塚さん」
「俺は、ここにいます」
◇
「あんた一人にしたら、意味がないでしょう」
篠塚は言った。
「篠塚さん、あなたは投げません」
「拾います」
彼は言った。
「あんたに誰かが触ろうとしたら、俺がその手を掴みます」
「掴んだら、あなたが喰われます」
「掴んでから考えます」
◇
(──来るぞ)
ゲオルグが言った。
右の斜面から、木の枝が揺れた。
人影が、一つ。
左からも、一つ。
そして、尾根の入口から、一つ。
三人。
◇
尾根から来たのは、若い男だった。
二十代半ば。アジア系の顔立ちをしている。
その顔を見た瞬間、亮は動きを止めた。
知っている顔だった。
(──ロイド)
(あ、どうも)
彼は、へらっと笑った。
(ぼく、来ちゃいました)
◇
(お前も、四人のうちの一人か)
(一人です)
ロイドは、あっさり認めた。
(なんでだ)
(帰りたいので)
彼は言った。
(前も言いましたよね)
亮は、その顔を見た。
キム・ジニョク。韓国のレスリング選手。十二歳のときに父を亡くした男。
◇
(ジニョクさんに、聞いたか)
亮は言った。
ロイドの動きが、止まった。
(……聞きました)
(なんて答えた)
(何も)
彼は言った。
(やっぱり、何も言いませんでした)
◇
(そうか)
(でも)
ロイドは言った。
(一回だけ、変なことがあったんです)
(なんだ)
(昨日の夜、この人が起きたんです)
彼は言った。
(自分で。……ぼくが寝てるときに)
◇
(何をした)
(歩いてました)
ロイドは言った。
(どこへ)
(岩場です)
彼は言った。
(貝を採ってる場所です。……ぼくが起きたとき、この人、岩場にいました)
彼は言った。
(両手いっぱいに、貝を持って)
◇
亮は、その言葉に、何かが喉に詰まるのを感じた。
(それで)
(食べてました)
ロイドは言った。
(一人で、黙って)
彼は、自分の掌を見た。
(ぼく、二十年この人の中にいて、この人が自分から何かした日を、初めて見ました)
◇
(ロイド)
(はい)
(それが、答えじゃないのか)
ロイドは、答えなかった。
(あの人は、生きようとしてる)
亮は言った。
(お前が帰るために、あの人が死ぬのを、あの人は望んでない)
◇
(……そうかもしれません)
ロイドは言った。
(でも、ぼくは帰りたいんです)
彼は言った。
(二十年、言葉が分からなくて、体も借り物で、名前も知らなくて)
彼は言った。
(ぼく、ずっと一人でした)
◇
(ロイド)
亮は言った。
(名前を、覚えたんだろう)
(覚えました)
(キム・ジニョク)
(はい)
(じゃあ、もう一人じゃない)
◇
ロイドは、その場に立ち尽くしていた。
両側の斜面から、二人が登ってくる。
もう、時間がなかった。
(──ロイド)
亮は言った。
(お前が俺に触れば、グードは喰われる)
(はい)
(そのあと、お前は帰るのか)
(帰ります)
(ジニョクさんを、置いていくのか)
◇
ロイドは、答えなかった。
その代わり、彼は一歩前に出た。
尾根に、足を踏み入れた。
「──篠塚さん」
亮は言った。
「はい」
「一つ、頼めますか」
「なんでしょう」
「あの人を、抱きしめてください」
◇
「……は?」
「触られたら喰われるのは、俺です」
亮は言った。
「あなたは、中身が入ってます。……あなたに触っても、何も起きません」
篠塚は、少し目を見開いた。
「それは、そうですが」
「じゃあ、掴んでください」
亮は言った。
「あの人が、俺に届かないように」
◇
篠塚が、走った。
左肩が外れたままの体で、尾根を駆けた。
ロイドが、それに気付いた。
避けようとした。だが、尾根は二メートルしかない。
篠塚の右腕が、その体に回った。
そのまま、二人が地面に倒れた。
◇
「──っ、」
篠塚が、呻いた。
左肩が、地面に叩きつけられていた。
それでも、腕は離さなかった。
「金松さん!」
「はい!」
「これ、いつまで持てばいいですか!」
「分かりません!」
◇
(──放してください)
ロイドが言った。
(ぼく、この人を傷つけたくないです)
(じゃあ、やめろ)
亮は言った。
(やめられません)
(なんでだ)
(帰りたいので)
彼は言った。
(それしか、ぼくには残ってないんです)
◇
そのときだった。
篠塚に組み伏せられたロイドの体が、動きを止めた。
抵抗が、消えた。
(──あれ)
ロイドの声が言った。
(あれ、なんで)
亮は、その様子を見ていた。
ロイドの──ジニョクの体が、脱力していた。
◇
(……ジニョクさん)
ロイドが言った。
(力を、抜いてる)
彼は言った。
(この人、いま、自分から力を抜いてます)
亮は、息を呑んだ。
(レスリングの選手だ)
彼は言った。
(篠塚さんの腕、外そうと思えば、たぶん外せます)
◇
(外さないのか)
(外しません)
ロイドは言った。
その声が、初めて震えていた。
(この人、抵抗してません)
彼は言った。
(ぼくが動かそうとしても、動かないんです)
◇
亮は、地面に倒れた二人を見た。
篠塚が、片腕でその体を押さえている。
押さえられている方は、まったく力を入れていない。
(ロイド)
(……はい)
(それが、答えだ)
(……)
(あの人は、二十年で初めて、お前に頼んだんだ)
◇
(頼んでません)
ロイドは言った。
(何も言ってません)
(言ってない)
亮は言った。
(でも、力を抜いた)
彼は言った。
(あの人は、言わない人だ。……お前が二十年、そう言ってた)
◇
ロイドは、しばらく黙っていた。
やがて、その体から、完全に力が抜けた。
(……分かりました)
彼は言った。
(ぼく、やめます)
(ロイド)
(でも、二人来ます)
彼は言った。
(斜面の、両方から)
◇
亮は、両側の斜面を見た。
右から、テオドールの叫び声がした。
左から、ムーサの声がした。
二人とも、登ってきた相手と揉み合っている。
そして。
尾根の後ろ──崖の縁の方から、足音がした。
◇
亮は、振り返った。
崖の縁に、人が立っていた。
斜面から登ってきたのではない。
崖を、下から登ってきていた。
二十メートルの岩壁を。
その男が、亮を見て、笑った。
(──四人目だ)
彼は言った。
(お前の後ろは、崖じゃない。……道だ)




