第六十六話 触られたら終わり
「──触られたら終わりです」
亮は、六人に説明した。
崖の上の草地。ヴィナが座り込んだまま、少し離れたところにいる。
「四人来ます。球は持ってません」
「球なしで、何をするんですか」
外山が聞いた。
「俺に触ります」
亮は言った。
「触れば、俺の中のやつが喰われます」
◇
「喰われたら、金松さんはどうなるんですか」
重信が聞いた。
「生きてます」
亮は言った。
「体は残ります。……ただ、意識が戻らなくなるかもしれません」
「かもしれない、って」
「そういう人を、一人見ました」
亮は言った。
「三回戦の前です。……その人は、目を開けませんでした」
◇
カマウが、ムーサとテオドールに伝えた。
二人が、顔を見合わせた。
テオドールが、何か言った。
(──守る、と言っている)
カマウが伝えた。
(なんでだ)
(お前が、貝の場所を教えたからだそうだ)
カマウは言った。
(こいつは、単純な男だ)
◇
「──どう守りますか」
篠塚が聞いた。
「金松さんの周りを囲むのが、いちばん単純です」
「それだと、四人が俺たちを狙います」
亮は言った。
「囲んでる人間を一人ずつ排除すれば、いずれ俺に届きます」
「じゃあ」
「距離を取ります」
◇
亮は、草地の地形を見回した。
崖の縁がある。その先は、二十メートル下の岩場だ。
背後が崖なら、後ろから回り込まれない。
「俺が、崖の縁に立ちます」
「──待ってください」
篠塚が言った。
「それ、追い詰められたら終わりですよ」
「はい」
「なんでそんなことを」
「一人ずつしか来られないからです」
◇
亮は、崖の縁を指した。
草地から崖の縁までは、細い尾根のようになっている。幅は二メートルほど。
両側が、斜面だ。
「ここを通るには、一人ずつ来るしかありません」
亮は言った。
「四人が同時に来られない」
「金松さん」
「四人まとめて相手にするより、一人ずつの方がましです」
◇
「その一人を、どうするんですか」
外山が聞いた。
「投げます」
亮は言った。
「六球しか投げられませんよね」
「六球あれば足ります」
彼は言った。
「四人です」
◇
昼過ぎまで、何も起きなかった。
七人は、崖の上で待った。
誰も、貝を採りに行かなかった。
空腹より、いま動く方が危険だった。
「──金松さん」
篠塚が、隣に座った。
「一つ、聞いていいですか」
「はい」
「あんた、その子を守りたいんですか」
◇
「はい」
「なんでですか」
亮は、その質問に、すぐには答えられなかった。
「……分かりません」
彼は言った。
「十四年、俺の中にいました。俺が甲子園に行けたのも、プロになれたのも、たぶんあいつのおかげです」
「恩ですか」
「違います」
亮は言った。
「恩なら、返せば終わりです」
◇
「じゃあ、なんですか」
篠塚が聞いた。
亮は、しばらく考えた。
「……あいつ、俺に名前を聞いたんです」
彼は言った。
「六歳のときです。……空き地でボールを投げてたら、後ろから声をかけられて、名前を呼ばれました」
「はい」
「俺、あのとき、友達がいませんでした」
◇
「父も母もいなくて、誰とも喋らない子供でした」
亮は言った。
「その俺の名前を、あいつが最初に呼んだんです」
彼は言った。
「宇宙人が、名前を呼んだんですよ」
篠塚は、しばらく黙っていた。
「……なるほど」
彼は言った。
「じゃあ、守りましょう」
◇
最初の一人が来たのは、午後三時頃だった。
草地の向こうから、ゆっくりと歩いてくる。
大柄な白人の男だった。四十代くらいに見える。両手は空だ。
「──来ました」
重信が言った。
亮は、崖の縁へ移動した。
尾根の先端。両側が斜面。背後は二十メートルの崖。
◇
(──そこか)
男の声が、頭の中に流れ込んできた。
(賢いな。一人ずつしか行けん)
(そうだ)
(だが、そこから逃げられんぞ)
(逃げる気はない)
亮は言った。
(球を持ってないな)
(要らん)
◇
(触ればいいだけだ)
男は言った。
(お前の中の子は、いま弱っている。……抵抗できん)
(知ってる)
(じゃあ、諦めろ)
男は言った。
(お前は死なん。……体は残る)
彼は言った。
(悪い話じゃないだろう)
◇
亮は、左手に球を持った。
カマウが持っていたものを、朝のうちに借りていた。
(──投げるのか)
(投げる)
(当たっても死なんぞ)
男は言った。
(お前が持っている限り、地面に落ちるまでの時間がある。……その間に、俺は近づける)
(知ってる)
亮は言った。
(だから、当てない)
◇
男が、足を止めた。
(当てない?)
(そうだ)
亮は言った。
(当てたら、あんたは拾いに行く。拾えば判定が移る。……あんたは死なない)
彼は言った。
(そのあと、あんたは俺に近づく)
(そうだな)
(だから、当てない)
◇
亮は、球を構えた。
狙いは、男ではなかった。
その足元、一メートル手前の地面。
(──何をする気だ)
亮は、投げた。
球は、男の足元の地面に当たって、跳ねた。
そして、斜面を転がっていく。
◇
男が、その球を目で追った。
斜面を、赤いゴムボールが転がっていく。
草を掻き分けて、加速して、下の木立へ。
(──何のつもりだ)
男が言った。
(球を捨てたのか)
(捨てた)
亮は言った。
(あんたが、拾いに行くと思ったからだ)
◇
(行くわけがないだろう)
男は言った。
(俺は、お前に触りに来ている)
(そうだな)
亮は言った。
(でも、あんた、いま目で追った)
男の動きが、止まった。
◇
(球が転がったとき、あんたは目で追った)
亮は言った。
(一秒くらいだ。……それだけ、俺から目を離した)
(それがどうした)
(尾根は、二メートルしかない)
亮は言った。
(そこを歩くには、足元を見る必要がある)
◇
男は、自分の足元を見た。
尾根の入口。両側が斜面になっている。
草に覆われていて、地面がどうなっているかは見えない。
(──俺が、足を踏み外すと思っているのか)
(思ってない)
亮は言った。
(あんたは、慎重に来る。……時間をかけて)
彼は言った。
(俺は、その時間が欲しかった)
◇
その瞬間、亮の後ろで音がした。
カマウが、走っていた。
尾根ではない。草地を、大きく迂回して。
二時間六分で四十二キロを走る男が、脱水と空腹の体で、それでも走っていた。
(──何をする気だ)
男が振り返った。
その後ろに、カマウがいた。
◇
カマウの手に、球があった。
斜面を転がっていった球を、ムーサが下で拾い、投げ上げ、カマウが受け取っていた。
三人がかりの受け渡しだった。
(──投げるぞ)
カマウが言った。
彼は、投げた。
男の背中に、球が当たった。
◇
「──っ!」
男が、体を捻った。
球が、地面に落ちる。
男は、それを見た。
拾うか、拾わないか。
拾えば、亮に近づくのが遅れる。
拾わなければ、死ぬ。
◇
男は、拾った。
当然だった。
そして、球を抱えたまま、亮を睨んだ。
(──卑怯だな)
(そうか?)
(お前は、俺に球を持たせた)
男は言った。
(球を持っていれば、投げなければならん。……三十秒の計測はないが、地面に落ちれば俺が死ぬ)
◇
(そうだ)
亮は言った。
(あんたは、球を持ってる限り、両手が塞がる)
彼は言った。
(俺に触るには、手が要る)
男は、自分の両手を見た。
球を抱えている。
これを離せば、地面に落ちる。落ちれば、死ぬ。
◇
(──投げれば済む話だ)
男は言った。
(誰に投げる)
亮は言った。
(ここには、七人いる。……全員、拾う訓練をしてる)
彼は言った。
(あんたが投げれば、必ず誰かが拾う。そうしたら、また判定が回る)
彼は言った。
(あんたは、また球を受け取ることになる)
◇
男は、しばらく黙っていた。
(──お前、これをずっとやる気か)
(やる)
亮は言った。
(何日だ)
(あと二日だ)
亮は言った。
(二日、あんたに球を持たせ続ける)
◇
(そんなことができるか)
(できる)
亮は言った。
(俺たちは、拾うのが仕事だ)
彼は、後ろの六人を示した。
(あんたが投げれば、拾う。拾ったら、また投げ返す。……あんたは、ずっと球を持ってることになる)
彼は言った。
(触りに来る暇がない)
◇
男は、球を抱えたまま、動かなかった。
やがて、彼は言った。
(──一つ、聞いていいか)
(なんだ)
(お前、それで何がしたい)
彼は言った。
(俺を殺すわけでもない。逃げるわけでもない。……ただ、球を持たせるだけだ)
◇
(時間を稼いでる)
亮は言った。
(何のために)
(二日だ)
亮は言った。
(七日目まで、あと二日ある。……その二日、誰も死なせないためだ)
(七日目に、全員処理されるぞ)
(かもしれない)
◇
(かもしれない、で二日か)
(そうだ)
亮は言った。
男は、しばらく亮を見ていた。
それから、球を軽く放り上げて、受け止めた。
(──お前の名前は)
(金松亮)
(覚えておく)
◇
男は、球を抱えたまま、尾根の入口から離れた。
そして、草地を戻っていく。
(──おい)
亮は呼び止めた。
(なんだ)
(あんたの名前は)
男は、振り返らなかった。
(……ゲオルグだ)
彼は言った。
(ドイツだ。ハンマー投げをやっていた)
◇
亮の呼吸が、止まった。
──ハンマー投げ。
グロウが言っていた。
俺はこの体に入ってた。宿主はドイツ人だ。ハンマー投げをやっていた男でな。
(──待て)
亮は言った。
(あんた、グロウを知ってるか)
男の足が、止まった。
◇
(……知っている)
彼は言った。
(同じ会場から来た)
(西欧の予選か)
(そうだ)
ゲオルグは言った。
(あいつと、俺と、あと一人だ。……三人だけ残った)
彼は、初めて振り返った。
(あいつが、俺の中の子に言った)
◇
(なんて言った)
(この島に、グードという子がいる、と)
ゲオルグは言った。
(そいつを狙う奴が四人いるから、先に潰せ、と)
亮の背中が、凍りついた。
(──グロウが)
(そうだ)
ゲオルグは言った。
(俺は、その四人を潰しに来た)




