第六十一話 三十キロ
(──お前の言ったことを、考えてた)
グロウは言った。
彼は、木立から出て、二十メートルほど手前で足を止めた。
両手には、何も持っていない。
(あの子は、自分の口で言ったと、お前は言った)
(言った)
(十四年で初めてだと)
(そうだ)
亮は言った。
(俺は、それを聞いた)
◇
(それで、確かめに来た)
グロウは言った。
(何をだ)
(お前が、あの子に何をさせてるかをだ)
彼は、亮の左手を見た。
球が、そこにある。
(お前は、いま自分で決めた)
グロウは言った。
(誰も、お前の代わりに決めなかった)
◇
(──金松さん)
イリヤの声がした。
(あれは、誰だ)
(知り合いだ)
(敵か)
(分からない)
亮は言った。
(昨日、俺を殺すと言った)
イリヤの気配が、鋭くなった。
(下がるか)
(いや)
亮は言った。
(話をさせてくれ)
◇
(グロウ)
(なんだ)
(あんた、俺を殺しに来たんじゃないのか)
(来た)
彼は、あっさり言った。
(だが、いま見ていた)
グロウは言った。
(お前らが、三回球を回すのをな)
◇
(見てたのか)
(木の裏にいた)
彼は言った。
(当てて、拾って、また投げて、また拾った。……三回続いた)
(続いた)
(四回目で落ちた)
(落ちた)
亮は言った。
(一人死んだ)
(そうだな)
◇
(それでも、三回続いた)
グロウは言った。
(あれを見て、思い出した)
(何をだ)
(四十三回選手権の決勝だ)
亮の背筋に、何かが走った。
(カツの試合だ)
◇
(あいつは、六人の球を捕り続けた)
グロウは言った。
(一時間半だ。……あの試合も、途中までは誰も死ななかった)
(途中まで)
(そうだ)
彼は言った。
(あいつが捕っている間は、誰も死なん。……だが、あの試合が終わったあと、二十人が死んだ)
◇
(孤児院の連中か)
(そうだ)
グロウは言った。
(あいつは、誰も殺さずに勝った。……その結果、二十人が名簿に載った)
彼は、亮を見た。
(誰も殺さずに勝つと、そうなる)
(それは、あいつのせいじゃない)
(分かってる)
◇
(だが、結果はそうなった)
グロウは言った。
(俺は、それを二十年考えてる)
彼は、その場に座り込んだ。
草の上に、あぐらをかいた。
武器も持たず、逃げる姿勢も取らず。
(──座るのか)
(疲れた)
グロウは言った。
(俺も、水を飲んでねえ)
◇
亮は、少し迷ってから、川の方を示した。
(飲め)
(あ?)
(水だ。上流は確認した)
グロウは、亮を見た。
それから、笑った。
(お前、俺が誰か分かってるか)
(分かってる)
(俺は、お前を殺しに来た)
(知ってる)
亮は言った。
(それでも、水は飲め)
◇
グロウは、川に膝をついた。
両手で水を掬って、飲んだ。何度も飲んだ。
その背中を、亮は見ていた。
二十年前、坑道の入口へ歩いていった背中と、まったく別の体だった。
だが、飲み方が同じだった。
急いで、無造作に、必要な量だけ。
◇
(──ありがとよ)
グロウは、口元を拭って言った。
(グロウ)
(なんだ)
(一つ聞かせろ)
(言え)
(カツは、なんで投げなかった)
◇
グロウの手が、止まった。
(……あいつに、聞いたことがある)
(なんて言った)
(覚えてない、と言った)
亮は、その答えに面食らった。
(覚えてない?)
(試合の途中から、記憶がないと言った)
グロウは言った。
(気付いたら終わってた、と)
◇
(それだけか)
(それだけだ)
彼は言った。
(俺は、何か理由があると思った。信念とか、覚悟とか、そういうもんだ)
(違ったのか)
(違った)
グロウは言った。
(あいつはただ、捕ってた)
◇
(一つずつ、来た球を捕ってただけだ)
彼は言った。
(次の球を捕る。その次の球を捕る。……それを一時間半やったら、終わってた)
亮は、その言葉を聞いて、目を閉じた。
自分が、ずっとやってきたことと同じだった。
次の三十秒をどうするか。その次の三十秒をどうするか。
それだけを考えて、ここまで来た。
◇
(グロウ)
(なんだ)
(あんた、賭けると言ったな)
(言ってない)
彼は、あっさり言った。
(言ってないのか)
(考えると言った)
グロウは言った。
(で、考えた)
◇
(結論は)
(賭ける)
彼は言った。
亮は、息を吐いた。
(ただし、条件は変えん)
グロウは言った。
(お前は、この島で誰も殺すな)
(──待て)
亮は言った。
(それは無理だ)
◇
(無理か)
(無理だ)
亮は、自分の左手の球を見た。
(俺は、いまこれを持ってる。投げなければ、俺が死ぬ)
(投げろ)
(誰かに当たる)
(当てろ)
グロウは言った。
(当てて、相手に拾わせろ)
◇
(拾えなかったら)
(死ぬな)
彼は言った。
(それは、お前が殺したことになるのか)
亮は、その問いに、答えられなかった。
(当てるのはお前だ)
グロウは言った。
(だが、拾うかどうかは、向こうが決める)
◇
(──それは、詭弁だ)
亮は言った。
(詭弁だな)
グロウは、認めた。
(だが、このゲームは、そういう作りになってる)
彼は言った。
(当てただけじゃ死なねえ。……落ちたら死ぬ)
彼は、亮を見た。
(つまり、当てるのと殺すのが、切り離されてる)
◇
(誰が、こんな作りにした)
亮は言った。
(黒服だ)
(なんでだ)
(決まってる)
グロウは言った。
(俺たちに、誰かを見殺しにさせるためだ)
亮は、その言葉に息を呑んだ。
◇
(当たっただけなら、助けられる)
グロウは言った。
(助けられるのに、助けなかった。……そう思わせるための作りだ)
彼は言った。
(前のやり方なら、当たった時点で終わりだ。誰も何もできねえ)
(今度は、できる)
(できる)
グロウは言った。
(できるのに、しなかった奴が出る)
◇
(それが、狙いか)
(そうだ)
彼は言った。
(人を殺すより、見殺しにさせる方が、人間は壊れる)
亮は、その言葉を聞いて、二日目の夜を思い出した。
闇の中で、大貫の首が飛んだ。
篠塚が、近い方の球を拾った。
──正しくても、死にました。
◇
(グロウ)
(なんだ)
(俺は、投げる)
亮は言った。
(当てる。……拾ってもらえるように、いちばん人数の多い方に投げる)
(拾えなかったら)
(そのときは、俺が殺したことにする)
亮は言った。
(詭弁は使わない)
◇
グロウは、しばらく亮を見ていた。
(──お前)
(なんだ)
(それ、続けたら壊れるぞ)
(知ってる)
亮は言った。
(もう、だいぶ壊れてる)
グロウは、少し笑った。
(そうか)
◇
(じゃあ、条件を変える)
彼は言った。
(変えるのか)
(変える)
グロウは言った。
(誰も殺すな、は無しだ。……あれは、無茶だった)
(じゃあ、何だ)
(数えろ)
◇
(数える?)
(お前が当てた球のうち、拾われた数と、落ちた数を数えろ)
グロウは言った。
(七日目に、俺に言え)
(それだけか)
(それだけだ)
彼は言った。
(落ちた数が、拾われた数を超えてたら、俺はお前を殺す)
◇
亮は、その条件を頭の中で組み立てた。
当てた球の半分以上を、相手に拾わせる。
それは、当てるだけでは足りない。
拾いやすい位置に、拾いやすい球を投げなければならない。
──速い球では、駄目だ。
◇
(分かった)
亮は言った。
(できるのか)
(やる)
(数え間違えるなよ)
(間違えない)
亮は言った。
(俺は、名前を覚える方は間違えた)
彼は言った。
(数は、覚えられる)
◇
グロウは、立ち上がった。
(グロウ)
(なんだ)
(あんたは、どうする)
彼は、少し考えるような顔をした。
(俺も、投げる)
(誰を狙う)
(誰でもだ)
グロウは言った。
(俺は、勝つ気で来てる。……それは変わらん)
◇
(じゃあ、俺と当たるかもしれない)
(当たるだろうな)
彼は、あっさり言った。
(そのときは、どうする)
(投げる)
グロウは言った。
(お前に当てる。……拾えるように投げてやる)
彼は、亮を見た。
(拾えなかったら、それまでだ)
◇
グロウが、木立の方へ歩き出した。
(──グロウ)
亮は呼び止めた。
(なんだ)
(グードが、伝えたいそうだ)
グロウの足が、止まった。
(……なんだ)
亮は、頭の中の声を聞いた。
薄い、かすれた声だった。
◇
(──三十キロまで、ありがとう)
亮は、そう伝えた。
グロウは、振り返らなかった。
背中を向けたまま、しばらく動かなかった。
やがて、片手を軽く上げた。
二十年前、坑道の入口へ歩いていったときと、同じ仕草だった。
(──先に行ってろ)
彼は、そう言って、木立の中へ消えた。




