第五十六話 二年
(──グロウ)
亮は、心の中でその名を呼んだ。
(そうだ)
男は答えた。
火に照らされた顔は、記憶の中の男とは似ても似つかない。白い肌、高い鼻、左頬の傷。四十代の白人だった。
だが、話し方が同じだった。
(グード、聞こえてるか)
亮は、心の中で首を振った。
(あいつは、眠ってる)
(眠ってる)
(力を使い果たした。……もう三日、返事がない)
◇
男の顔から、表情が抜けた。
(──何をした)
(俺の肩を治した)
亮は言った。
(頼んだのは俺だ)
(お前が頼んだのか)
(そうだ)
火が、大きく揺れた。
男が、松明を握り直したからだった。
(お前)
その声が、低くなった。
(あの子に、何を頼んだ)
◇
「──金松さん」
篠塚が、亮の前に出ようとした。
「下がってください」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょう」
篠塚は、亮の腕を掴んだ。
「あの人、殺気が出てます。……俺、そういうのは分かります」
亮は、その手を外した。
「知ってる人です」
「知ってる人が、いちばん危ないんですよ」
◇
(俺の親友が、体を乗っ取られかけてた)
亮は言った。
(あいつの腕が壊れて、それでも投げさせられてた。……止めるには、俺が球を捕るしかなかった)
(それで、あの子に治させたのか)
(そうだ)
(断らなかったのか、あの子は)
(断らなかった)
亮は言った。
(俺が、決めるのはお前だと言ったからだ)
◇
男の動きが、止まった。
(──なんと言った)
(決めるのはお前だと言った)
亮は、繰り返した。
(俺の中にいるけど、俺のものじゃない。だから、やるかどうかはお前が決めろと)
男は、答えなかった。
火が、静かに燃えていた。
やがて、その口が動いた。
(……そうか)
◇
(あの子は、なんと言った)
(椅子の話をした)
亮は言った。
(キデ星では、宿主を椅子と呼ぶんだろう。……あいつは、自分が俺の椅子なのかと思ってたと言った)
(……)
(自分の方が、座られてる側なんじゃないかと)
男は、松明を持ったまま、動かなかった。
(それで、違ったんだねと言った)
◇
長い沈黙があった。
波の音がした。崖の下で、岩に波が砕けている。
(──名前は)
男が言った。
(あ?)
(お前の名前だ)
(金松亮)
(亮か)
男は言った。
(あの子は、お前に名前を聞いたか)
◇
(聞いた)
亮は言った。
(一九九三年の夏だ。俺が六歳のとき、空き地でボールを投げてた)
(……)
(あいつは、そう驚かなくていいよ、亮くん、と言った)
亮は言った。
(名前を、先に呼んだ)
◇
男が、松明を地面に突き立てた。
両手が、自由になった。
亮は身構えたが、男は殴りかかってこなかった。
その場に、片膝をついた。
そして、頭を下げた。
(──すまなかった)
亮は、その姿に面食らった。
(何を謝ってる)
(あの子を、お前に押しつけた)
◇
(俺は、あの子を船に乗せた)
男は、頭を下げたまま言った。
(行き先は選べない。着く先に誰がいるかも分からない。……ただ、生きろとだけ言って、放り出した)
(……)
(あの子は、名前も知らねえ星に落ちて、六歳のガキの中に入った)
男は言った。
(それが、どういうことか。……俺は、十四年考えなかった)
◇
(考えても、仕方ないだろ)
亮は言った。
(仕方ないで済ませていいことじゃねえ)
男は顔を上げた。
(俺は、あの子に「勝手に入るな」と言った。「名前を聞け」と言った。「嫌がったら出ていけ」と言った)
彼は言った。
(あれは、俺が言っていい台詞じゃなかった)
◇
(なんでだ)
(俺が、あの子を選んだからだ)
男は言った。
(十七人いた。艇は一つだった。……俺が、あの子を選んだ)
亮は、その言葉を聞いて、動けなくなった。
(残った十六人は、その日のうちに回収された)
男は言った。
(それを決めたのは、俺だ)
◇
(あんたは、二年後にもう一度大会に出たな)
亮は言った。
(誰から聞いた)
(ロイドだ)
(……あいつか)
男は、少しだけ笑った。
(勝ったんだろう)
(勝った)
(それで、星を出た)
(出た)
◇
(二年、何をしてた)
亮は聞いた。
男は、しばらく答えなかった。
(……探してた)
(何を)
(十六人を)
亮の呼吸が、止まった。
(回収されたんじゃないのか)
(回収されて、どこへ行ったかを探した)
男は言った。
(生きてるかもしれねえと思った。処理場ってのがどこにあるのか、誰も知らねえからな)
◇
(見つかったのか)
(見つかった)
男は言った。
(一年半かかった。D地区の北に、施設があった)
(……)
(誰も、いなかった)
男は、そう言った。
(名簿はあった。名前が二十並んでた。全部に、線が引いてあった)
◇
(それで、大会に出たのか)
(他にやることがなかった)
男は言った。
(あの子が、生きてるかどうかも分からねえ。……でも、確かめる方法が一つだけあった)
(星を出ることか)
(そうだ)
彼は言った。
(船に乗って、飛んで、どこかに着いて、誰かの中に入って。……それから、十四年探した)
◇
亮は、その言葉を頭の中で組み立てた。
この男は、十四年、地球のどこかにいた。
そして探し続けた。名前も知らない星の、名前も知らない誰かの中にいる子供を。
(──見つかったのか)
(見つからなかった)
男は言った。
(見つかったのは、今日だ)
彼は、亮を見た。
(お前が、この島に来たからだ)
◇
亮は、その言葉に、何かが喉に詰まるのを感じた。
(あんた)
(あ?)
(そのために、デスドッジに出たのか)
(違う)
男は、あっさり否定した。
(俺は、この体に入ってた。宿主はドイツ人だ。ハンマー投げをやってた男でな)
彼は、自分の腕を見た。
(そいつが選手だったから、集められた。……偶然だ)
◇
(十四年探して、見つからなくて、諦めかけてた)
男は言った。
(そこに、あいつらが来た。デスドッジをやると言われた。……笑ったよ)
(笑った?)
(この星まで来て、また同じことをやらされるのかと思ってな)
彼は言った。
(で、会場に集められて、見回して、一人ずつ確かめた。……いなかった)
◇
(お前は、日本にいた)
男は言った。
(十七の地域で予選をやってると聞いて、俺は思った。……あと十六箇所ある、と)
(……)
(この島に来て、ロイドから聞いた。日本にグードの子がいると)
彼は言った。
(十四年で、いちばんいい報せだった)
◇
亮は、しばらく黙っていた。
それから、言った。
(グロウ)
(なんだ)
(あんた、この島で誰を殺した)
男の動きが、止まった。
◇
(──三人だ)
彼は答えた。
(予選でか)
(この島でだ。予選では、十一人)
男は言った。
(隠す気はねえ。俺は、勝つために来てる)
(なんで)
(帰るためだ)
◇
(帰って、どうする)
亮は聞いた。
(あの星に、もう誰もいないんだろ)
男は、答えなかった。
(十六人は死んだ。カツも死んだ。あんたが帰っても、誰も待ってない)
(そうだな)
(じゃあ、なんで帰る)
◇
(名簿を燃やす)
男は言った。
亮は、その答えを予想していなかった。
(……名簿)
(D地区の施設にあった名簿だ)
男は言った。
(あそこには、四十年分の名簿が積んであった。何万人分もだ。全部に線が引いてあった)
彼は、火を見つめた。
(あれを燃やす。それだけのために帰る)
◇
(それ、意味あるのか)
亮は聞いた。
(ない)
男は、あっさり答えた。
(名簿を燃やしても、死んだ奴は戻らねえ。管理局はまた作る。……何も変わらん)
(じゃあ)
(それでも、燃やす)
彼は言った。
(誰かが線を引いたなら、誰かが燃やさねえと、釣り合わねえだろ)
◇
亮は、その言葉を聞いて、長く黙っていた。
この男は、二十年近く、そのために生きている。
十七人を助けようとして、一人しか乗せられず、十六人を死なせて、その子を探して十四年。
そして見つけたいま、その子を持っている人間の前に立っている。
(グロウ)
(なんだ)
(あんた、俺を殺しに来たのか)
◇
男は、松明を引き抜いた。
火が、その顔を照らした。
左頬の傷が、揺れる光の中で深く見えた。
(──そうだ)
彼は言った。
(お前が死ねば、あの子も死ぬ)
(分かってる)
(分かってて、聞いたのか)
(聞いた)
亮は言った。
(あんたの口から、聞きたかった)




