第五十五話 ジニョク
夜が明けた。
四人は、大貫の傍らに座ったまま、朝を迎えた。
誰も、眠らなかった。
光が差してから、亮は初めてその体をまともに見た。
首から上がない。それ以外は、何も損なわれていない。柔道で鍛えた分厚い肩も、太い腕も、そのままそこにある。
外山が、途中で立ち上がって、木立の方へ走っていった。
戻ってきたとき、口元を拭っていた。
◇
「──埋めましょう」
重信が言った。
「道具がありません」
「手で掘ります」
彼は言った。
「このままにしておけません」
四人は、斜面の柔らかい土のところを、手で掘った。
深くは掘れなかった。三十センチほどが限界だった。
それでも、埋めた。
◇
篠塚が、最後に土をかけた。
彼は、その手を止めなかった。
黙々と、土をかけ続けた。必要以上に、何度も。
「篠塚さん」
亮が声をかけると、彼はようやく手を止めた。
「……すみません」
「謝らないでください」
「謝ります」
篠塚は言った。
「俺が、間違えたので」
◇
「篠塚さん」
「二つあったんですよ。二つ」
彼は言った。
「どっちが起動してるか、分からなくて。……で、近い方を拾ったんです」
「それは」
「近い方を拾うのは、正しいです」
篠塚は言った。
「拾うのが仕事の人間は、そうします。近い方から拾う。……そう体が覚えてます」
彼は、自分の手を見た。
「十二年、そうやってきました」
◇
「じゃあ、篠塚さんは正しかった」
「正しくても、死にました」
篠塚は言った。
「正しさで人が死ぬなら、正しさに意味がないんですよ」
亮は、その言葉に何も返せなかった。
この人は、あの地下で体を奪われて二十人を殺した。
そして今、自分の判断で一人を死なせた。
どちらも、彼の手だった。
◇
午前中、四人は移動した。
大貫を埋めた場所を離れ、島の東側へ向かった。
理由は二つあった。
一つは、位置が知られていること。
もう一つは、水と食料の場所から離れれば、人が少ないだろうということ。
飢えるが、狙われにくい。
「三日は保ちます」
重信が言った。
「水がなくても、三日は動けます。……その代わり、四日目には動けなくなります」
◇
島の東側は、崖だった。
高さは三十メートルほど。下は岩場で、波が砕けている。
崖の上は、草地になっていた。
視界が開けている。誰かが近づいてくれば、遠くから見える。
その代わり、こちらも遠くから見える。
「どうします」
「ここにします」
亮は言った。
「背後が崖です。……正面からしか来られません」
◇
昼過ぎ、篠塚が言った。
「──来ます」
亮は、草地の向こうを見た。
一人。
痩せた、背の低い男が、草を掻き分けて歩いてくる。
両手を、体の横に下ろしていた。
ロイドだった。
◇
「──金松さん」
外山が身構えた。
「あの人、昨日の」
「はい」
「敵ですよね」
「たぶん」
亮は言った。
「でも、武器を持ってません」
ロイドは、二十メートルほど手前で足を止めた。
そして、片手を上げた。
昨日と同じ、敵意のない仕草だった。
◇
(──やあ)
声が、流れ込んできた。
(一人、減ったね)
(見てたのか)
(音が聞こえました)
ロイドは言った。
(あの音、遠くまで届くんですよ。……この島で、昨日の夜は一回だけでした)
亮は、その言葉に引っかかった。
(一回だけ)
(はい。他は、誰も死んでません)
◇
(──なんでだ)
亮は聞いた。
(三十人近くいて、二日目の夜に一人しか死なないのか)
(みんな、待ってるんです)
ロイドは言った。
(七日間ありますから。……先に動いた方が損です)
(損?)
(動けば、体力を使います。飢えます)
彼は言った。
(それに、殺した相手のボールが、どこに転がるか分かりません。……拾いに行った先に、別の誰かがいるかも)
◇
亮は、その説明を頭の中で組み立てた。
このルールでは、当てた側にも危険がある。
当てたあと、球が地面に落ちるまでの数秒。その間に、相手側の誰かが拾えば、判定は移る。
そして拾われた球は、そのまま投げ返される。
(──膠着してるのか)
(そうです)
ロイドは言った。
(だから、みんな日本を狙ったんです。……五人いるから、当てやすいので)
◇
(で、なんの用だ)
亮は聞いた。
(グロウさんに、伝えました)
ロイドは言った。
(グードの子が、島にいるって)
(それで)
(会いに行くそうです)
亮の心臓が、鈍く鳴った。
(いつだ)
(今日か、明日か。……あの人、時間を言わないので)
◇
(ひとつ聞かせろ)
亮は言った。
(はい)
(お前の名前だ)
ロイドは、きょとんとした顔をした。
(ロイドですよ)
(違う。お前が入ってる、その人の名前だ)
◇
ロイドは、しばらく黙っていた。
(……なんで、それを聞くんですか)
(昨日、聞いてないって言っただろ)
(言いました)
(じゃあ、今から聞け)
亮は言った。
(そいつは、二十年お前を乗せてる。名前くらい知っておけ)
◇
ロイドは、その場に立ち尽くしていた。
やがて、目を閉じた。
しばらく、そのままだった。
目を開けたとき、彼は少し困った顔をしていた。
(……ジニョク、だそうです)
(ジニョク)
(はい。キム・ジニョク)
ロイドは言った。
(東アジア地域です。……ぼく、韓国っていう国にいたみたいです)
◇
(みたい、って)
(地名とか、あんまり覚えてないので)
ロイドは言った。
(ぼく、この人の目で二十年見てきたのに、名前も国も知りませんでした)
彼は、自分の掌を見た。
(変ですね)
(変だ)
亮は言った。
(今から覚えろ)
(はい)
◇
(ジニョクさんは)
亮は聞いた。
(何をやってた人だ)
(レスリングです)
ロイドは、今度は即答した。
(それは知ってるのか)
(それは、ぼくが手伝ったので)
彼は言った。
(この人、十二歳のときに、お父さんが死んだんです。それで、レスリングをやめようとしました)
◇
(ぼく、そのとき初めて話しかけました)
ロイドは言った。
(やめるなって)
(お前が?)
(はい)
彼は、少し照れたように笑った。
(ぼく、この人が投げ技かけるの、好きだったので。……ずっと見てたかったんです)
亮は、その言葉に息を呑んだ。
◇
──こいつが投げるとこ、もっと見たいなって。
雅人の声が、頭の中で反響した。
亮は、目を閉じた。
(ロイド)
(はい)
(お前、その人と喋れるのか)
(喋れます。……たまにですけど)
ロイドは言った。
(この人、あんまり喋らないので)
◇
(じゃあ、聞いてくれ)
亮は言った。
(この島で、あんたはどうしたいのか)
ロイドは、少し驚いた顔をした。
(ジニョクさんに、ですか)
(そうだ)
(……あの、それ、意味ありますか)
ロイドは言った。
(帰るのは、ぼくなので)
◇
(死ぬのは、その人だ)
亮は言った。
ロイドの動きが、止まった。
(お前が恩赦をもらって帰るとき、その体は地球に残る)
(……はい)
(その前に、この島で誰かに当てられたら、その人の首が飛ぶ)
亮は言った。
(お前じゃない。ジニョクさんの首だ)
◇
ロイドは、答えなかった。
草地の風が、彼の髪を揺らしていた。
やがて、彼は言った。
(……聞いてみます)
(ああ)
(でも、たぶん、何も言わないと思います)
ロイドは言った。
(この人、二十年、ぼくに何も頼んだことがないので)
◇
ロイドが、背を向けた。
(じゃあ、行きますね)
(ロイド)
(はい)
(グロウに伝えろ)
亮は言った。
(グードは、生きてる)
ロイドは、頷いた。
(伝えます)
◇
彼の姿が、草地の向こうに消えた。
「──金松さん」
篠塚が言った。
「何を話してたんですか」
「名前を聞きました」
「名前?」
「はい」
亮は言った。
「あの体の人の名前です。……キム・ジニョクさんだそうです。韓国の、レスリングの選手です」
◇
「金松さん」
外山が言った。
「なんで、そんなこと聞いたんですか」
亮は、少し考えてから答えた。
「あの中にいるやつが、覚えてなかったからです」
「……」
「二十年入ってて、名前を知らなかったんです」
亮は言った。
「それは、たぶん、いちばん悪いことです」
◇
夕方が近づいていた。
三日目が、終わろうとしている。
あと四日。
四人は、崖の上で、水も食料もないまま座っていた。
外山が、水平線を見ながら言った。
「……あと四日、生きられますかね」
「分かりません」
亮は言った。
「金松さん」
「はい」
「無理だったら、言ってくださいって言いましたよね」
外山は、少し笑った。
「まだですか」
◇
「まだです」
亮は言った。
「まだ、考えてます」
「そうですか」
「はい」
外山は、水平線を見たまま頷いた。
「じゃあ、いいです」
◇
その夜。
草地の向こうに、光が見えた。
小さな、揺れる光。
火だった。
誰かが、松明のようなものを持って、こちらへ歩いてくる。
一人だった。
その光が、二十メートルほど手前で止まった。
◇
火に照らされて、その顔が見えた。
白人の男だった。
背が高い。四十代くらいに見える。左の頬に、大きな傷があった。
その男は、火を掲げたまま、亮を見た。
そして、頭の中に、声が流れ込んできた。
(──久しぶりだな)
亮の呼吸が、止まった。
(グード。……大きくなったな)




