第五十四話 音で拾う
「──音です」
亮は言った。
昼を少し過ぎた頃だった。五人は岩陰に戻り、酸っぱい実を分け合って食べていた。
「音?」
外山が聞き返した。
「見えないなら、聞けばいい」
亮は言った。
「ボールが地面に落ちる音は、必ずします」
◇
「落ちてから聞いたら、遅くないですか」
重信が言った。
「遅いです」
亮は認めた。
「だから、落ちる前の音を聞きます」
彼は、四人を見た。
「投げる音です」
◇
「人がボールを投げるとき、必ず音がします」
亮は言った。
「腕が空気を切る音。服が擦れる音。足が地面を踏む音。……そして、指からボールが離れる音」
彼は、自分の左手を持ち上げた。
「俺は十四年、それを聞いてきました」
◇
「金松さん」
大貫が言った。
「それ、あんたにしか分からないやつじゃないですか」
「はい」
「じゃあ、意味ないでしょう」
「意味あります」
亮は言った。
「俺が、方角だけ言います」
◇
「投げた瞬間、俺が方角を叫びます。……右、左、正面、上。それだけです」
亮は言った。
「皆さんは、その方向へ走ってください。当たった人を探すんじゃなく、ボールが行った方向へ走る」
「暗いですよ」
「暗いです」
「転びますよ」
「転びます」
亮は言った。
「それでも、走ってください」
◇
篠塚が、少し考えるような顔をした。
「金松さん。……一つ、いいですか」
「はい」
「その作戦、金松さんが最初に狙われたら終わりですね」
部屋の空気が──いや、岩陰の空気が、止まった。
「はい」
「向こうも、それは考えます」
「考えるでしょうね」
◇
「だったら、逆に使いましょう」
篠塚が言った。
「逆に?」
「金松さんを、囮にします」
彼は言った。
「向こうは、まず金松さんを狙う。……なら、金松さんの周りに、拾える人間を四人置けばいい」
「篠塚さん、それは」
「金松さんが当たります」
篠塚は、はっきり言った。
「そのボールを、俺たちが拾います」
◇
「拾った人が、次に死にます」
亮は言った。
「その次の人が拾います」
篠塚は言った。
「昨日、そう決めましたよね」
「……はい」
「五人で回します。……金松さんが最初で、そのあと四人。合計五回、生き延びられます」
彼は言った。
「五回のあいだに、夜が明けます」
◇
亮は、四人の顔を見た。
誰も、反対しなかった。
「──一つだけ、条件を出します」
亮は言った。
「なんでしょう」
「順番を決めます」
亮は言った。
「拾う順番です。……誰が二番目で、誰が三番目か。今、決めます」
◇
「なんでですか」
外山が聞いた。
「暗い中で、誰が拾いに行くか迷ったら、二人同時に走ります」
亮は言った。
「そうすると、二人ともボールに触ります。……そのとき、どっちが最終接触者になるか分かりません」
「あ」
「順番を決めておけば、迷いません」
◇
本当は、それだけではなかった。
順番を決めるということは、誰が最後に死ぬかを決めるということだ。
その決定を、亮は自分の手でやろうとしていた。
──お前は、選べるようになったら、選ぶ人間だ。
昨夜の声が、頭の中で反響した。
(……そうかもな)
◇
「じゃあ、俺が二番目で」
大貫が言った。
「大貫さん」
「拾う方が性に合ってるって言いました」
彼は言った。
「三番目は俺です」
重信が続いた。
「四番目、俺で」
外山が言った。
「じゃあ、俺が最後ですね」
篠塚が、あっさり言った。
◇
「篠塚さん」
「はい」
「それ、あなたが死ぬってことです」
「そうですね」
「変えましょう」
「変えません」
篠塚は言った。
「俺、いちばん拾うのが上手いんですよ。……いちばん上手い人間を最後に置くのが、いちばん長く生き延びます」
◇
「理屈が通ってます」
重信が言った。
「通ってます」
亮も認めた。
通っているから、断れなかった。
「──決まりです」
篠塚が言った。
「金松さん、外山さん、順番は覚えましたね」
「はい」
◇
日が傾いた。
島の夕暮れは、驚くほど短かった。
空が赤くなったと思ったら、十五分ほどで暗くなった。木立の下は、それより早く闇になった。
五人は、岩陰から移動した。
同じ場所にいれば、位置が知られている。
新しい場所は、川から少し離れた、開けた斜面だった。
◇
「なんで、こんな開けたところに」
外山が聞いた。
「音を聞くためです」
亮は言った。
「木が多いと、音が反射します。……方角が分からなくなる」
彼は、地面に座った。
「あと、月が見えます」
空を見上げると、木立に遮られない空があった。
月が出ていた。半分ほどの月だった。
◇
「──配置します」
亮は言った。
「俺が中央。四人は、俺を中心に、二十歩ずつ離れて四方に」
「そんなに離れるんですか」
「近いと、拾いに行く距離が短すぎます」
亮は言った。
「ボールは、俺に当たったあと、必ずどこかへ跳ねます。……近くにいると、跳ねた先に間に合わない」
◇
四人が、散った。
闇の中で、四つの影が二十歩ずつ離れていく。
やがて、亮は一人になった。
誰の顔も見えない。声を出せば聞こえる距離だが、姿は見えない。
月明かりが、斜面をうっすらと照らしていた。
亮は、目を閉じた。
◇
目を閉じると、音がよく聞こえた。
虫の音。
風が葉を撫でる音。
遠くで水が流れる音。
自分の心臓の音。
(──久我さん)
亮は、思った。
あの人は、これを四十年やってきた。
自分の心臓の音を、邪魔だと感じながら。
◇
どれくらい経ったのか、分からなかった。
一時間かもしれない。三時間かもしれない。
そのとき。
──しゃ、と音がした。
布が擦れる音だった。
亮の目が開いた。
(──右)
◇
「──右っ!!」
亮は叫んだ。
同時に、体を捻った。
風を切る音がした。
次の瞬間、亮の右の脇腹に、衝撃が来た。
「──ぐっ」
息が止まった。
球が、体で跳ねる。
跳ねて、闇の中へ飛んだ。
◇
「──大貫さん!!」
亮は叫んだ。
どこへ飛んだのかは、見えなかった。
だが、音がした。草を擦る音。斜面を転がる音。
「右下です! 斜面の下!」
闇の中で、足音がした。
大貫が走っている。
──間に合え。
亮は、地面に手をついたまま、その音を聞いていた。
◇
どん、と鈍い音がした。
人が、地面に倒れる音だった。
「大貫さん!」
「──取った!」
声が返ってきた。
「取りました! 金松さん、俺、取りました!」
亮は、その場に崩れた。
首の輪は、鳴らなかった。
◇
(──ほう)
頭の中に、声が流れ込んできた。
昼間の、若い早口の声だった。
(拾ったか)
(拾った)
(見えていないはずだが)
(聞いた)
亮は言った。
(お前が投げるときの、服の音を聞いた)
◇
沈黙があった。
(……面白い)
声が言った。
(では、次だ)
(次?)
(我々は二人いる)
その言葉と同時に。
別の方向から、風を切る音がした。
◇
「──左っ!!」
亮は叫んだ。
だが、それは亮を狙っていなかった。
闇の中で、鈍い音がした。
人の体に、何かが当たる音。
「──っ!」
大貫の声だった。
◇
亮の頭が、真っ白になった。
大貫は、いま最終接触者だ。
その大貫に、もう一つのボールが当たった。
二つの球が、闇の中にある。
どちらが起動していて、どちらが落ちたら誰が死ぬのか。
──分からない。
「──重信さん!」
亮は叫んだ。
「三番目! 行ってください!」
◇
「どこですか!」
「分かりません!」
亮は叫んだ。
「音を聞いてください! 転がってる音を!」
闇の中で、複数の足音がした。
誰かが走っている。誰かが転んだ。
草を掻き分ける音。
そして。
──ぱん。
◇
乾いた音がした。
破裂音だった。
小さい。花火よりも小さく、しかしはっきりと、島の夜に響いた。
誰かが、倒れる音がした。
亮は、動けなかった。
誰だ。
誰が死んだ。
「──金松さん!」
声がした。
◇
「金松さん、無事ですか!」
重信の声だった。
「無事です! 重信さんは!」
「無事です!」
「大貫さんは!」
返事がなかった。
亮は、立ち上がった。
右肩の痛みも、脇腹の痛みも、どこかへ行っていた。
「大貫さん!!」
◇
「──こっちです」
篠塚の声だった。
亮は、その方向へ走った。
闇の中で、何度か転んだ。左手をついて、また立った。
篠塚の声のする場所に、人が二人いた。
一人は篠塚。
もう一人は、地面に横たわっていた。
◇
月明かりが、うっすらとその輪郭を照らしていた。
大貫だった。
首から上が、なかった。
亮は、その場に膝をついた。
声が出なかった。
篠塚が、その傍らに座り込んでいる。
彼の手には、赤いゴムボールがあった。
◇
「……間に合いませんでした」
篠塚は言った。
「俺、こっちの球を拾ったんです」
彼は、手の中の球を見た。
「二つあって、どっちが起動してるか分からなくて。……近い方を拾いました」
彼は、亮を見上げた。
「間違えました」
◇
「篠塚さん」
「順番、俺が最後だったのに」
篠塚は言った。
「二番目の人を、先に行かせました」
亮は、その肩に手を置いた。
右手は動かないので、左手だった。
何を言えばいいのか、分からなかった。
◇
(──一人減ったな)
頭の中に、声が流れ込んできた。
亮は、闇の中を睨みつけた。
(四人だ)
声は言った。
(まだ多い)




