第五十一話 届く声
「──金松さん」
篠塚が、低く言った。
「知り合いですか」
「……たぶん」
亮は、川の対岸を見つめたまま答えた。
二十メートル先で、痩せた若い男が笑っている。
顔は違う。当たり前だ。あれは別の人間の体だ。
だが、笑い方が同じだった。
(──やあ)
声が、また頭の中に流れ込んできた。
(ぼく、ロイドっていいます)
◇
「金松さん」
大貫が、亮の腕を掴んだ。
「あの人、なんか言ってるんですか」
「……聞こえてます」
「俺には、何も聞こえません」
「はい」
亮は、その意味を考えた。
この声は、亮の中にしか届いていない。
ロイドは、亮に向けて話しかけている。
──いや。
(グードの子だよね)
(グロウさんが、探してるよ)
この男は、亮ではなく、亮の中身に向かって話している。
◇
(グロウは、どこにいる)
亮は、心の中で問い返した。
届くかどうか分からなかった。
だが、対岸の男が、大きく頷いた。
(あ、通じた)
彼は嬉しそうに言った。
(よかった。ぼく、話すの下手なんで)
(グロウは、どこにいる)
(うーん)
ロイドは、首を傾げた。
(それ、ぼくが言っていいのかな)
◇
(あの人、たぶん、自分で会いに来ると思うんですよ)
ロイドは言った。
(ぼく、ここに来てから三日経つんですけど、その間に二回、会いました)
(三日)
亮は、その言葉に引っかかった。
(お前、いつからこの島にいる)
(三日前です)
(俺たちは、今日着いた)
(はい)
ロイドは、あっさり答えた。
(地域によって、着く日が違うんです)
◇
亮の背筋が、冷えた。
(──先に来てる連中がいるのか)
(います)
ロイドは頷いた。
(ぼくの地域は、三日前に予選が終わったので。……早く終わった地域から、順番に運ばれてきてます)
(じゃあ、水場も)
(もう取られてますよ)
ロイドは、川の上流を指した。
(そこ、下流です。上に行くと、もう人がいます)
◇
亮は、川の上流を見た。
木立の向こう。谷筋が曲がって、その先は見えない。
いま自分たちが飲んだ水は、誰かの領地を通ってきた水だ。
「──篠塚さん」
「はい」
「上流に、先客がいるそうです」
四人の顔が、一斉に強張った。
「それ、あの人が言ったんですか」
「はい」
「信用できますか」
◇
亮は、対岸の男を見た。
ロイドは、まだ笑っていた。
両手を体の横に下ろして、こちらを見ている。武器も、ボールも持っていない。
(お前、なんで教える)
(え?)
(俺たちは敵だろ)
(そうですね)
ロイドは、少し考えるような顔をした。
そして、答えた。
(でも、ぼく、グロウさんに教わったので)
◇
(教わった、って)
(ぼく、あの人に負けたんです。四年前に)
ロイドは言った。
(それで、あの人が船に乗るとき、ぼくに言ったんですよ)
亮の呼吸が、止まった。
(船に、乗った)
(乗りましたよ。優勝したので)
ロイドは、当たり前のように言った。
(あの人、二回目の裏の大会に出て、また勝ったんです。……ぼく、また負けました)
◇
亮は、その言葉を飲み込むのに、時間がかかった。
記憶の中で、グロウは坑道の入口へ歩いていった。
石を一つ、右手に握って。
黒い制服の男たちに向かって。
あそこで死んだのだと、亮は思っていた。
(生きてたのか)
(生きてましたよ)
ロイドは言った。
(怪我はしてました。すごく。……でも、次の大会まで、二年ありましたから)
◇
(二年)
(はい)
(その二年、あいつは何をしてた)
(知りません)
ロイドは、あっさり言った。
(でも、大会に来たとき、前より強かったです)
彼は、自分の右腕を軽く回した。
(ぼく、四年前は三十球で落としました。二年前は、六十球まで捕れるようになってたんです。……練習したので)
(それで)
(百二十球投げられました)
◇
亮は、拳を握った。
右手だけが握れた。
(あいつは、また同じことをしたのか)
(同じことです)
ロイドは言った。
(一人で残って、ずっと捕ってました。……お客さん、また怒ってましたよ)
彼は、少しだけ笑った。
(でも、勝ったので、望みを言えました)
(何を望んだ)
(星の外に出ることです)
◇
亮は、目を閉じた。
(子供は)
(え?)
(一緒に乗せろとは、言わなかったのか)
ロイドは、きょとんとした顔をした。
(子供って、誰ですか)
亮は、答えなかった。
答えられなかった。
二回目の大会は、二年後だ。
名簿の子供たちは、その二年前に回収されている。
◇
(あの人、一人で乗りました)
ロイドは言った。
(望みは一つだけって決まってるので。……ぼく、それを見てました)
(お前は、どうやってここに来た)
(三年前に、番号を持ってる人と喧嘩して、負けたんです)
ロイドは、へへ、と笑った。
(で、名簿に載って、逃げて、また裏の大会に出て、それでちょっと勝って、船に乗せてもらいました)
◇
(じゃあ、お前も)
(はい、地球に来ました)
ロイドは、自分の体を見下ろした。
(この人の中に入ったのは、二十年くらい前です。……この人、ぼくが来たとき、七歳でした)
(名前は聞いたか)
(え?)
(入るとき、この人に名前を聞いたか)
◇
ロイドは、しばらく黙っていた。
それから、首を傾げた。
(聞いてないです)
(そうか)
(聞いた方がよかったですか)
(……いや)
亮は言った。
(もういい)
ロイドの中にいるものと、グードの中にいるものは、違う。
同じ星から来て、同じように追われて、同じように誰かの中に入った。
だが、片方は名前を聞いた。
◇
(あの、それで)
ロイドが言った。
(グロウさん、あなたに会いたがってます)
(なんでだ)
(分かりません)
彼は言った。
(でも、こう言ってました。……グードが生きてるなら、会わないといけないって)
(会わないと、どうなる)
(うーん)
ロイドは、頭を掻いた。
(そこまでは、聞いてないです)
◇
ロイドが、片手を上げた。
(じゃあ、ぼく、行きますね)
(待て)
(はい?)
(ひとつ聞かせろ)
亮は言った。
(お前は、この島で誰かを殺す気か)
ロイドは、その質問を予想していなかったらしい。
目を丸くして、それから、当たり前のように答えた。
(殺しますよ)
◇
(帰りたいので)
彼は言った。
(ぼく、あの星に帰りたいんです)
(あんな星にか)
(あんな星でも、生まれたところなので)
ロイドは、少しだけ寂しそうに笑った。
(ここ、言葉が分からないし、体も借り物だし。……二十年いても、慣れないです)
彼は、木立の中へ下がっていった。
(また会いましょう)
◇
その姿が消えてから、亮はしばらく動けなかった。
「──金松さん」
篠塚が言った。
「何を話したんですか」
亮は、四人を見た。
大貫、外山、重信、篠塚。
この四人には、頭の中の声が聞こえない。
この島にいる連中の半分は、たぶん、亮と同じように会話をしている。
情報の量が、根本的に違う。
◇
「──上流に、先客がいます」
亮は言った。
「三日前から島にいる連中です。地域によって、着いた日が違うそうです」
「三日」
大貫の顔が、歪んだ。
「じゃあ、俺たち、いちばん最後ですか」
「たぶん」
「食料は」
「取られてるでしょうね」
◇
外山が、その場に座り込んだ。
「……なんすか、それ」
「外山さん」
「不公平すぎませんか」
彼は言った。
「俺ら、いちばん死んで、いちばん遅く来て、いちばん多く狙われて」
「はい」
亮は言った。
「不公平です」
「……」
「でも、こっちには五人います」
◇
「五人は、多すぎるって言ったのは金松さんですよ」
篠塚が言った。
「多すぎます」
亮は認めた。
「狙われます。囲まれます。……でも、五人いれば、五人で拾えます」
彼は、四人を見た。
「今回の規則は、当たっても死にません」
亮は言った。
「落ちたら死ぬんです。……だったら、落とさなければいい」
◇
四人が、顔を見合わせた。
「拾うってことですか」
重信が言った。
「はい」
「拾った奴が、次に死にますよ」
「じゃあ、その次の人が拾います」
亮は言った。
「五人で、回します」
◇
「……それ、最後の一人が死にますよね」
外山が言った。
部屋ではなく、木立の中だった。誰も、天井を見上げなかった。
亮は、答えなかった。
答えられなかった。
五人で回せば、四人までは助かる。だが、最後の一人が持ったとき、それを拾う者はいない。
◇
「──やりましょう」
大貫が言った。
「大貫さん」
「俺、ずっと、あんたの指示で投げてました」
彼は言った。
「十球しか当ててません。……その代わり、四十球外しました」
大貫は、自分の掌を見た。
「外した球で、誰も死ななかったんですよ。当てた球では、十人死にました」
彼は、顔を上げた。
「拾う方が、性に合ってます」




