第四十九話 五人
移送されるまでに、六時間あった。
待機区画は、また別の部屋だった。
広い。四十人以上入れる部屋に、五人しかいない。パイプベッドが並んでいるのに、ほとんどが空のままだった。
亮は、床に座り込んでいた。
右肩が痛い。左腕も、六球投げただけで張っている。使い慣れていない筋肉が、悲鳴を上げていた。
「──金松さん」
柔道の男が、水のボトルを差し出した。
「飲んでください」
「……ありがとうございます」
亮は、それを受け取った。
そして、顔を上げた。
◇
「すみません」
「はい?」
「名前を、教えてください」
男は、面食らった顔をした。
「……いまさらですか」
「いまさらです」
亮は言った。
「五日前から、あなたにずっと投げてもらってました。……名前を聞いてませんでした」
男は、少し困ったように頭を掻いた。
それから、名乗った。
「大貫です。大貫健。柔道の九十キロ級でした」
◇
「大貫さん」
「はい」
「ありがとうございました」
「やめてください」
大貫は、顔をしかめた。
「俺、素人ですよ。五十球投げて、当てたの十球もないです」
「その十球で、うちが生きてます」
亮は言った。
「あなたが投げてくれなかったら、二回目の三十秒で全滅してました」
大貫は、答えなかった。
答えずに、ボトルの蓋を握りしめていた。
◇
あとの二人にも、名前を聞いた。
一人は、外山という若い男だった。二十四歳。競泳の背泳ぎで、去年の日本選手権に出たという。
もう一人は、重信という三十代の男だった。ハンドボールの実業団選手で、あの地下にいたあいだ、ずっと拾い役をやっていた。
どちらも、亮は一度も名前を呼んでいなかった。
「……すみません」
亮は、二人にも頭を下げた。
「いや、俺らも」
外山が、慌てて手を振った。
「俺、金松さんのこと、ずっと『プロ野球の人』って呼んでました」
◇
五人が、床に輪になって座った。
誰も、雅人の話をしなかった。
亮も、しなかった。
いま口に出したら、たぶん立ち上がれなくなる。それが分かっていた。
代わりに、亮は言った。
「本戦がどういうものか、誰か聞いてますか」
「聞いてません」
「予選が十七の地域でやってる、っていうのだけです」
重信が言った。
「あと、勝ち残った二十二名を移送するって言ってましたよね」
◇
その言葉に、部屋が静かになった。
二十二名。
黒スーツは、三回戦の前にそう言った。
勝ち残った二十二名を、本戦会場へ移送する、と。
「──五人ですね」
篠塚が言った。
「はい」
「二十二人残るはずの試合で、五人です」
亮は、自分の手を見た。
その差の十七人は、亮の判断で減ったものだ。
誰も撃たない時間を作ろうとして、そのぶん試合が長引き、そのぶん人が死んだ。
◇
「──移送を開始する」
扉が開いた。
黒スーツが五人。移送される人数と同じだった。
「所持品は不要。ゼッケンはそのまま着用しろ」
亮は、立ち上がった。
通路を歩き、階段を上り、五日ぶりに地上へ出た。
夜だった。
空気が、湿っていた。夏の夜の匂いがした。虫の声がした。
五日ぶりの外だった。
◇
亮は、思わず立ち止まった。
虹ヶ丘アリーナの駐車場に、黒いセダンが並んでいる。五日前と同じだった。
だが、数が違う。
あのとき、亮が数えるのをやめるほど並んでいた車は、いま五台しかなかった。
「乗れ」
黒スーツが言った。
亮は、後部座席に乗り込みながら、アリーナを振り返った。
窓のない建物が、夜の中に黒く立っていた。
二百人が入って、五人が出てきた。
◇
車は、二時間ほど走った。
高速道路を降りて、細い道を進み、やがて海の匂いがした。
港だった。
小さな港だ。漁船が数隻、暗い水面に浮かんでいる。
その桟橋に、船が一隻停まっていた。
漁船ではない。白い、大型のクルーザーだった。
「乗船しろ」
◇
船内は、驚くほど普通だった。
絨毯が敷かれ、椅子があり、照明が柔らかい。壁には絵まで掛かっている。
五日ぶりに、亮は椅子というものに座った。
外山が、小さく笑った。
「なんすかね、これ」
「……分かりません」
「めっちゃ普通の船じゃないですか」
「そうですね」
「なんか、余計に怖いんですけど」
◇
食事が出た。
温かい米と、焼いた魚と、味噌汁だった。
誰も、すぐには手をつけなかった。
やがて、大貫が箸を取った。
「……食っときましょう」
彼は言った。
「体力が要ります」
亮は、その言葉に頷いて、箸を取った。
五日ぶりの、まともな食事だった。
味は、ほとんど分からなかった。
◇
船は、六時間走った。
夜が明けた。
甲板に出ることは許されなかったが、窓からは外が見えた。
海しかなかった。
どの方角にも、陸が見えない。
「……どこまで行くんだ」
重信が呟いた。
亮は、窓の外を見ていた。
自分がどこへ運ばれているのか、まったく見当がつかない。
◇
やがて、陸が見えた。
島だった。
緑が濃い。山があり、崖があり、砂浜がある。人工物は、何も見えなかった。
港も、家も、道もない。
「……無人島だ」
外山が言った。
船は、その島に近づいていった。
◇
上陸したのは、砂浜だった。
船は、沖に停まったままだ。小型のボートで、五人ずつ運ばれる。
亮が砂を踏んだとき、既に浜には人がいた。
二十人ほど。
全員、体格が異常だった。そして、全員が違って見えた。
肌の色。髪の色。骨格。
外国人だった。
◇
「──ようこそ」
浜の中央に、テントが立っていた。
その前に、黒スーツが立っている。日本で見たのと同じ服装だった。
「本戦会場へ、ようこそ」
彼は、日本語で言った。
周囲の外国人たちは、反応していない。
各自が、それぞれの言語で説明を受けているのだと、亮は気付いた。中の声を通しているのか、別の仕掛けがあるのかは分からない。
「集合が完了した。人員を確認する」
◇
黒スーツが、端末を読み上げ始めた。
「北米地域、二名」
浜の一角で、二人が手を挙げた。
「南米地域、一名」
一人。
「西欧地域、三名」
「東欧地域、一名」
「アフリカ北部地域、二名」
亮は、その数を聞きながら、背中が冷えていくのを感じていた。
一人。二人。三人。
どこも、そんなものだった。
◇
「東アジア地域、二名」
「南アジア地域、一名」
「オセアニア地域、一名」
「中東地域、二名」
読み上げが続いていく。
合計しても、三十人に届かない。
そして。
「日本地域」
黒スーツは、そこで一度、端末から目を上げた。
「五名」
◇
浜が、ざわついた。
二十数人の視線が、一斉にこちらを向いた。
亮は、その視線の意味を、遅れて理解した。
(──多い)
どの地域も、一人か二人か、多くて三人だ。
日本だけが、五人いる。
「……なんで、うちだけ」
外山が、小声で言った。
◇
「不思議か」
黒スーツが言った。
彼は、日本の五人を見ていた。
「他の地域では、予選の最終戦で、双方が全力で潰し合った。……当然だ。勝ち残る人数を増やしても、恩赦は一つしかない」
彼は、端末を閉じた。
「多く残しても、意味がない」
亮は、その言葉を聞いた。
──意味がない。
◇
「日本地域だけが、違った」
黒スーツは言った。
「殺さずに勝とうとする者が、繰り返し現れた。……三回戦では、投げない人員を保護するために、両チームが計測を潰し合った」
彼は、篠塚を見た。
「効率が悪い。試合は長引き、こちらの手間も増えた」
黒スーツは、そこで初めて、わずかに口の端を上げた。
「だが、興味深いとは思う」
◇
浜の外国人たちが、まだこちらを見ていた。
その視線は、敵意ではなかった。
もっと単純な、値踏みの視線だった。
(──五人いる、と思われてる)
亮は、理解した。
この島にいる連中にとって、日本の五人は、いちばん大きな塊だ。
真っ先に潰すべき相手だ。
◇
「規則を説明する」
黒スーツが言った。
「この会場に、白線はない」
亮は、顔を上げた。
「天井もない。……ゆえに、これまでの方式は使用できない」
彼は、傍らの箱を開けた。
中に、黒い輪のようなものが並んでいた。
「全員、これを首に装着しろ」




