↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/72

第四十六話 撃ち方

「──断ります」


 亮は言った。


「そうでしょうね」


 久我は、少しも驚かなかった。


「ですが、他に手がありますか」


「探します」


「三十秒で?」


 亮は、答えられなかった。


 天井の声が、また計測を始めていた。ボールは向こうにある。投げなければ、向こうから一人減る。


 どちらに転んでも、誰かが死ぬ。


          ◇


「金松さん」


 久我は、丁寧に言った。


「私は、四十六年生きました。うち四十年は、的を撃つことに使いました」


 彼は、球を軽く持ち上げた。


「二十九人を、二回戦で一人も死なせずに通しました。あれは私の人生でいちばん上手くいった仕事です。……もう、十分なんですよ」


「そんな言い方はやめてください」


「本音です」


「本音でも、やめてください」


 亮は言った。


「俺は、その言い方をする人を何人も見送りました」


          ◇


 久我の動きが、止まった。


「──二日前」


 亮は続けた。


「十一人が、自分でボールを抱えて死にました。全員、同じ顔をしてました。あなたと同じ顔です」


「……」


「その人たちの名前を、俺は覚えてます。それだけです。それしか、俺にはできなかった」


 亮は、白線の向こうを見据えた。


「だから、断ります」


          ◇


 久我は、しばらく黙っていた。


 それから、小さく息を吐いた。


「困りましたね」


「はい」


「では、こうしましょう」


 彼は、球を構えた。


「私が投げます。あなたが捕ってください」


「──え?」


「捕れば、接触です。計測は止まる」


 久我は言った。


「そして、球はそちらに渡る。……そのあと、どうするかは、あなたが決めてください」


          ◇


「久我さん、それは」


「私の球は、速くありません」


 久我は、あっさり言った。


「四十六歳ですから。……ですが、狙ったところには行きます」


 彼は、亮を見た。


「あなたの左腕に投げます。使える方の腕です」


「……」


「捕れますね?」


 亮は、膝を落とした。


 左腕を、体の前に出す。


 右腕は、ぶら下がったままだった。


          ◇


 久我が投げた。


 速くない。


 だが、真っ直ぐだった。ぶれない。回転が均一で、軌道が一切揺れない。


 あれは、狙って投げている人間の球だ。


 球は、亮の左腕の内側に、吸い込まれるように入ってきた。


 左手だけで抱え込む。右腕が使えないので、腹に押しつけて挟む形になった。


「──確保!」


 雅人が叫んだ。


          ◇


「お上手です」


 久我が言った。


「久我さん」


「さあ、あなたの番です」


 亮は、球を左手に持ったまま立ち上がった。


 十人。


 白線の向こうに、十人が立っている。


 そのうち四人が投げ手だ。この四人が残っている限り、こちらは削られ続ける。


 そして、右端に一人。


 両手を体の横に下ろした男が、こちらを見ていた。


          ◇


(──投げ方は、一つじゃない)


 亮は、思った。


 拓海は、逃げる先に置いてくる球を投げた。


 グロウは、地面を這う球を投げた。


 久我は、狙ったところへ真っ直ぐ通す球を投げた。


 そして自分は、右肩が壊れている。


 どれも使えない。


(──なら)


 亮は、左手の球を見た。


(左で投げるか)


          ◇


 亮は、左足を引いた。


 二十歳になるまで、亮は一度も左で投げたことがない。キャッチボールの遊びで放ったことすら、記憶にない。


 だが、投げるという運動の骨格は知っている。


 下半身から順に力が上がっていき、最後に指先で解放される。


 その順番だけは、体が知っている。


「──金松さん」


 久我が、少し驚いたように言った。


「左を?」


「一球だけです」


          ◇


 亮は、投げた。


 ひどい球だった。


 速くない。回転もめちゃくちゃで、狙いも大きく外れた。白線を越えた球は、誰もいない場所へふらふらと飛んでいく。


 誰にも当たらない。


「──金松!」


 雅人が叫んだ。


「接触ねえぞ!」


 分かっている。


 このままなら、計測が切れて、こちらから一人減る。


 だが、亮の目は、球ではなく、その先を見ていた。


          ◇


 球は、白線の向こう、いちばん右端に飛んでいた。


 XW3の、すぐ横へ。


 篠塚が、その軌道を目で追った。


 当たる位置ではない。彼が動かなければ、球はそのまま壁へ届く。


 だが。


 篠塚は、動いた。


 半歩だけ。


 そして、その肩に、球が触れた。


          ◇


「接触を確認。計測を停止する」


 天井の声が言った。


 部屋が、静まり返った。


 篠塚は、肩に触れた球が床に落ちるのを見て、それから、亮を見た。


 その顔に、少しだけ、呆れたような色があった。


「……金松さん」


「はい」


「今の、わざとですね」


「外しました」


「嘘つき」


          ◇


 亮は、答えなかった。


 篠塚は、足元に落ちた球を見下ろした。


 拾わない。


 しゃがみもしない。


「金松さん」


「はい」


「俺、投げませんよ」


「知ってます」


「じゃあ、なんで俺のところに投げたんですか」


          ◇


「あなたが、いちばん確実に受けてくれるからです」


 亮は言った。


「──ふざけてますね」


「はい」


「投げない男に、接触だけさせるって」


「そうです」


 亮は言った。


「あなたは、誰も当ててない。俺も、あなたを当ててない。……いまの一球で、誰も死んでません」


 篠塚は、しばらく黙っていた。


 それから、天井を見上げた。


「……甲本さんが聞いたら、笑いますよ」


          ◇


「──なるほど」


 久我が、白線の向こうで手を打った。


「そういう手がありましたか」


 彼は、亮を見た。


「あなたは、私に当てなかった。私も、あなたを殺せない。……そして、その方が接触を受け続ける限り、両チームとも減りません」


「はい」


「ですが、金松さん」


 久我の顔から、笑みが消えた。


「それは、あの方一人に、全部背負わせるということです」


          ◇


 亮の呼吸が、止まった。


 そのとおりだった。


 この方法が続く限り、球は必ず篠塚のところへ飛ぶ。両チームの三十秒を、あの人一人が受け止め続けることになる。


 誰も死なない。


 その代わり、一人だけが、永遠に的になる。


「──金松さん」


 篠塚が言った。


「いいですよ、それで」


「篠塚さん」


「俺、捕るのが仕事なんで」


          ◇


「──中止する」


 天井の声が、それを断ち切った。


 全員が、動きを止めた。


 部屋の隅から、黒スーツが歩み出てきた。


「両チームともに、勝敗を確定させる意思が認められない」


「規則は守ってます」


 亮は言った。


「知っている」


 黒スーツは頷いた。


「だから、規則を追加する」


          ◇


「これより、識別番号XW3を、競技から除外する」


 部屋が、凍りついた。


「──は?」


 亮の口から、間の抜けた声が出た。


「当該人員は、いずれのチームにも属さない。接触の対象にもならない」


 黒スーツは、端末を見たまま言った。


「実質的に、この試合において存在しないものとして扱う」


          ◇


「……ちょっと待ってください」


 亮は、白線に駆け寄った。


「除外って、どういう意味ですか」


「そのままの意味だ」


「その人は、どうなるんですか」


「試合終了まで、そこにいろ」


 黒スーツは、篠塚に向かって言った。


「動くな。触るな。触れられるな」


          ◇


 亮は、篠塚を見た。


 白線の向こう側で、彼は立ち尽くしていた。


 二日前、彼は番号を失った。そして今日、番号を返された。


 その番号は、いま、競技から除外された。


 あの人は、いる。呼吸している。目を開けている。


 だが、この部屋には存在しないことになった。


「……篠塚さん」


 篠塚は、答えなかった。


 答えずに、少しだけ、笑った。


 その笑い方が、亮にはいちばんきつかった。


          ◇


「計測を再開する」


 黒スーツが言った。


 ボールは、篠塚の足元に落ちたままだった。


 誰かが、それを拾いに行かなければならない。


 白線の向こうで、久我が動いた。


 彼は、篠塚の足元から球を拾い上げて、それから、亮を見た。


「金松さん」


「……はい」


「もう、逃げ場がありませんね」


          ◇


「一つだけ、聞かせてください」


 亮は言った。


「なんでしょう」


「あなた、なんであの人にこだわるんですか」


 久我は、球を持ったまま、少し考えるような顔をした。


 そして、答えた。


「私は四十年、的を撃ってきました」


 彼は言った。


「クレー射撃というのは、飛んでいく皿を撃つ競技です。……四十年、私は一度も、生き物を撃ったことがありません」


          ◇


「四日前に、初めて撃ちました」


 久我は言った。


「一回戦です。……九十九人が二十九人になった、あの試合です」


 彼は言った。


「私は、ほとんど隅にいました。……ほとんど、です」


 亮は、初めてそれを聞いた。


 この人は、二回戦で一人も死なせなかったと言った。


 だが、その前の試合の話は、していなかった。


「三球だけ、投げました」


 久我は言った。


「三球で、三人死にました。……外さないもので」


 彼は言った。


「その次に、あの方を見たんです。……投げないと決めた人を」


          ◇


「私には、もう無理です」


 彼は、球を構えた。


「一度撃った人間には、戻れない。……ですから、まだ撃っていない人に、そのままでいてほしかった」


 久我は、亮を見た。


「それだけです」


 そして、腕を上げた。


「──さあ、金松さん」


 彼の目が、初めて鋭くなった。


「本気で行きます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。