↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/75

第四十五話 心臓の音

「──心臓の音」


 亮は、その言葉を繰り返した。


 白線の向こうで、二十二人が同時に半歩ずれる。


 声はしない。合図もない。ただ、全員が同じ拍で動いている。


「メトロノームと同じです」


 久我は言った。


「試合前に、私の脈で拍を取って、全員に覚えてもらいました。……四時間ほど、それだけを練習しました」


「四時間」


「ええ。他にやることもありませんでしたから」


          ◇


 亮は、拳を握った。


 この人は、待機区画の六時間のうち、四時間を使って二十二人に拍を叩き込んだ。


 その間、亮が何をしていたか。


 動かない男のベッドの脇に座っていた。


(──負けてる)


 準備の量で、完全に負けている。


「金松さん」


 柔道の男が言った。


「どうします」


          ◇


 亮は、白線の向こうを見た。


 二十二人が、一定の間隔で、左へ半歩、右へ半歩と揺れ続けている。


 規則的だ。


 規則的だということは。


(──読める)


「聞いてください」


 亮は、周りに集まった仲間に言った。


「向こうは、一定の拍で動いてます。だったら、こっちも数えればいい」


「数える?」


「あの人たちの動きを、目で数えるんです」


          ◇


「俺は野球をやってました」


 亮は言った。


「投手は、走者を刺すために、相手のクセを数えるんです。何秒でスタートを切るか、何回目のモーションで走るか。……あれと同じです」


「でも、あの速さで数えるって」


「ゆっくりです」


 亮は言った。


「一定の拍って、思ってるより遅い。人間が二十二人で揃えられる速さには、限界があります」


 彼は、白線の向こうを見つめた。


「三回見れば、次が分かります」


          ◇


 こちらのボールだった。


 跳ね返りを、こちらの前列が確保している。


「三十秒の計測を開始する」


 亮は、目を細めた。


 ──右。


 ──左。


 ──右。


 拍が、体に入ってきた。


 思ったより、遅い。人間が二十二人で揃えられる拍は、心臓の鼓動より少し遅い程度だ。


「──今です」


 亮は言った。


「次の拍で、あの人たちは左に来ます。……その先を狙ってください」


          ◇


 柔道の男が投げた。


 球は、白線を越えた。


 二十二人が、左へ半歩ずれる。


 ずれた先に、球があった。


「ドッ」


 鈍い音がした。


 白線の向こうで、一人が膝を押さえて崩れた。


「XU8、アウト」


          ◇


 こちら側が、わずかにざわめいた。


 歓声は上がらなかった。この二十二人は、もう歓声を上げるような状態ではない。


 亮は、白線の向こうを見た。


 久我が、こちらを見ていた。


 そして、頷いた。


「見事です」


 彼は言った。


「三球で解かれるとは思いませんでした」


「久我さん」


「ですが、金松さん」


 久我は、静かに言った。


「これで、あなたも同じ立場になりました」


          ◇


 亮の背筋が、冷えた。


「解かれた仕掛けは、次から使えません」


 久我は言った。


「私どもは、これから拍を捨てます。……そして、あなたも号令を捨てた」


 彼は、両手を広げた。


「お互い、指揮の手段を失いました。ここから先は、二十二人が二十二人分の判断で動く。……何が起きるか、私にも分かりません」


「……」


「そういう試合になります」


          ◇


 そこからは、消耗戦だった。


 誰も、指揮を執らなかった。


 誰も、陣形を維持できなかった。


 球が飛ぶたびに、二十二人がそれぞれの判断で避け、跳ね返りを拾い、また投げる。誰かの避けた球が、後ろの誰かに当たった。


 亮は、それを何度も見た。


 拓海が二日前に警戒していた崩れ方だった。


 ──五十人が固まってれば、一投で二人、三人死ぬこともある。避けた奴のせいで、後ろの奴が死ぬ。


          ◇


 二十二人が、十八人になった。


 向こうも、十七人になった。


「亮!」


 雅人が、後列から叫んだ。


「右! こっち来る!」


 亮は、体を捻った。


 球が、脇腹をかすめて通り過ぎた。


 右腕が使えないので、避け方が半分になる。左に逃げるのは早いが、右へは体を回すしかない。


「サンキュー」


「礼はいい! 次来るぞ!」


 雅人は、動かない右腕をぶら下げたまま、亮の後ろを走り回っていた。


 投げられない。捕れない。それでも、目だけは使える。


          ◇


 時間の感覚が、なくなっていった。


 何分経ったのか、何球投げられたのか、亮には分からなかった。


 ただ、人が減っていく。


 十八人が、十五人になった。


 向こうも、十三人になった。


 その中で、一人だけ、動いていない男がいた。


          ◇


 XW3。


 篠塚は、白線から五歩下がった位置に立っていた。


 両手を体の横に下ろしたまま。


 球が飛んでくれば、最小限の動きで避ける。それ以外は何もしない。投げない。拾わない。


 誰も、彼を狙わなかった。


 こちら側は、亮が全員に伝えていた。あの人には投げるな、と。


 向こう側は、彼に球を渡さなかった。渡しても投げないと分かっているからだ。


          ◇


 だが、それは長く続かなかった。


「──おい!」


 向こう側の誰かが叫んだ。


「そこの! なんで突っ立ってんだ!」


 篠塚は、答えなかった。


「投げろよ! こっちは減ってんだぞ!」


「俺は投げません」


 篠塚は、静かに答えた。


「あぁ!?」


「投げないと決めました」


          ◇


「ふざけんな!」


 その男が、篠塚に詰め寄った。


「お前がサボってるぶん、俺たちが死んでんだよ!」


「そうですね」


「そうですねじゃねえだろ!」


「はい」


 篠塚は、否定しなかった。


「俺のせいで、あなたたちが死にます。……それは本当です」


 亮は、白線のこちら側でその会話を聞いていた。


 胸の奥が、締めつけられた。


          ◇


「じゃあ、なんで」


「二日前に」


 篠塚は言った。


「俺は、体を取られてました。……そのとき、二十人くらい溶かしました」


 男が、言葉を失った。


「投げたのは俺の腕です。俺の指です。……俺じゃなかったって、みんな言ってくれます。優しいですよね」


 篠塚は、自分の右手を見た。


「でも、感触が残ってるんですよ」


          ◇


「だから、もう投げません」


 彼は言った。


「あなたが俺を殴っても、罵っても、それは変わりません。……好きにしてください」


 男は、拳を握ったまま立っていた。


 殴らなかった。


 やがて、その拳を下ろして、背を向けた。


「……勝手にしろ」


          ◇


「──XA、十二名。XB、十名」


 天井の声が、途中経過を読み上げた。


 亮は、荒い息をしていた。


 右肩が焼けるように痛い。何度も体を捻ったせいだ。避けるだけで、これほど体力を使うとは思っていなかった。


 白線の向こうを見る。


 十人。


 その中に、久我がいた。


 彼も、息を切らしていた。四十六歳の体で、一時間近く避け続けている。


          ◇


「金松さん」


 久我が言った。


「そろそろ、決めましょうか」


「……何をですか」


「勝ち方です」


 彼は、跳ね返ってきた球を受け取った。


「このまま続ければ、どちらかが全滅します。……私どもが十人、そちらが十二人。数の上では、あなたが有利だ」


「……」


「ですが、あなた方には投げ手がいない」


 久我は言った。


「そちらで一番投げられるのは、あの柔道の方でしょう。……もう腕が上がっていません」


          ◇


 亮は、後ろを見た。


 柔道の男が、膝に手をついていた。肩が大きく上下している。


 その通りだった。


 彼は素人だ。この一時間で、五十球近く投げている。


「対して、私どもには、まだ四人残っています」


 久我は言った。


「投げられる者が、四人」


 亮は、白線の向こうを見た。


 十人のうち四人。


 こちらは十二人のうち、たぶん一人。


          ◇


「詰みですね」


 久我は、あっさり言った。


「ですので、提案があります」


「……なんでしょう」


「あなたが投げてください」


 亮は、久我の顔を見た。


「俺は、肩が」


「存じております」


 久我は言った。


「一回戦で、四十人以上を溶かした腕でしょう。……もう振れないことも、聞いています」


「じゃあ、なんで」


「一球だけです」


          ◇


「一球投げて、私に当ててください」


 部屋の空気が、止まった。


「──何を言ってるんですか」


「私が消えれば、あちらの十人は指揮を失います」


 久我は、平然と言った。


「拍も号令も使えない状態で、頭がいなくなる。……そちらの十二人なら、押し切れるでしょう」


「久我さん」


「代わりに、条件があります」


 彼は、白線の向こうから亮を見た。


「XW3の方を、最後まで残してください」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。