第四十四話 七人
「──甲本さんなら」
亮は、答えるまでに少し時間をかけた。
「たぶん、そっちです」
「なんでですか」
「あの人は、いつも人数の少ない方に立ってました」
篠塚が、笑った。
白線の向こうで、声を出して笑った。この男が声を出して笑うのを、亮は初めて見た。
「そうですね」
彼は言った。
「あの人、そういう人でした」
◇
「──試合を開始する」
黒スーツの声が、部屋に落ちた。
チャリーン。
あの、駄菓子屋のレジみたいな音。
「コイントスの結果──先攻、XAチーム」
亮は、思わず顔を上げた。
こちらだった。
三度目にして、初めて先にボールを持つ。
天井から落ちてきた赤いゴムボールが、こちら側の前列に収まった。
◇
「──全員、陣形!」
亮は叫んだ。
二十二人が動いた。
横に広がり、前後に間隔を空ける。人と人の間に、大人が二人並んで通れるほどの隙間を作る。
二日前に篠塚が教え、亮が引き継いだ形だった。
だが、白線の向こうを見て、亮は息を呑んだ。
久我のチームが、まったく同じ陣形を組んでいた。
◇
「……同じだ」
雅人が、隣で呟いた。
「あいつら、同じことやってる」
「向こうに十一人いる」
亮は言った。
「二回戦を一緒に戦った連中だ。篠塚さんの講義を、全部聞いてる」
「じゃあ」
「読み合いになる」
亮は、白線の向こうを見た。
久我が、こちらを見ていた。
その口が、わずかに動いた。声は聞こえなかったが、亮には分かった。
──お手並み拝見。
◇
こちらの前列に、ボールを持った男が立っていた。
柔道の選手だ。この二日で、亮の指示を一番よく聞いてくれる男になっていた。
「金松さん、誰に投げます」
「──待ってください」
亮は、白線の向こうを見渡した。
二十二人。
誰が投げられて、誰が投げられないのか。それを見抜かなければ、この試合は始まらない。
久我は言っていた。あちらは投げられる者が七人いる、と。
◇
(──足だ)
亮は、思い出した。
甲本拓海の教えだった。
人間は、球が来る前に体重を移す。どちらに逃げるかは、足が答えを出している。
ならば逆も言えるはずだ。
投げる人間は、投げる準備を足でしている。
亮は、二十二人の足元を見た。
「──前列、左から四人目」
亮は言った。
「その男の右足が、半歩前に出てる」
◇
「あと、中列の右端。……体が半身になってる」
亮は、指を折りながら続けた。
「後列の中央寄りに二人。あの二人は膝が高い。走れる体勢だ」
「金松さん」
柔道の男が、目を見開いていた。
「そこまで見えるんですか」
「見えません」
亮は正直に答えた。
「たぶん、そうだろうって言ってるだけです」
だが、四人までは絞れた。
久我の言う七人のうち、四人。
◇
「投げてください」
亮は言った。
「狙いは、左から四人目です」
「当たらなかったら」
「たぶん当たりません」
亮は言った。
「見るために投げます」
◇
柔道の男が投げた。
速くない。狙いも甘い。
白線の向こうで、その男が横に跳んだ。
──跳んだ、その動きを、亮は見ていた。
軽い。
膝の使い方、着地の位置、次の一歩への繋ぎ方。逃げ慣れている人間の動きではない。
あれは、球を捕りに行ける人間の動きだ。
「──投げ手です」
亮は言った。
「あの人は、投げます」
◇
ボールは、壁に跳ね返って中央へ戻った。
こちらの前列が走った。向こうの前列も走った。
白線を挟んで、四人が同時にボールへ手を伸ばす。
先に触れたのは、向こうだった。
「──確保されました!」
誰かが叫んだ。
「陣形! 崩すな!」
亮は叫んだ。
「向こうが投げてくる! 全員、俺の声を聞け!」
◇
白線の向こうで、ボールが渡っていく。
前列から中列へ。中列から、後列へ。
亮は、その動きを目で追った。
(──後列?)
投げ手が前列にいるなら、前で投げるはずだ。
ボールは、後列のいちばん端まで運ばれた。
そこに立っていたのは、小柄な男だった。
久我だった。
◇
「──久我さんが投げる!」
亮は叫んだ。
久我が、ボールを両手で持った。
構えは、驚くほど小さかった。腕を大きく振りかぶらない。肩の高さで、片手に持ち替えただけ。
そして、投げた。
速くない。
山なりでもない。まっすぐ、腰の高さを飛んでくる。
狙いは──
(誰も、いない)
亮の背中が冷えた。
◇
球は、人と人の間の隙間を通り抜けた。
壁に当たって、跳ね返る。
誰にも当たらなかった。
「──外した!」
誰かが叫んだ。
「向こうの投球、失敗だ!」
だが、亮は喜べなかった。
久我は、あの位置から、こちらの陣形の隙間を正確に射抜いた。
初見で。
(──射撃だ)
亮は思った。
この人にとって、狙うというのは、そういうことだ。
◇
「三十秒の計測を開始する」
天井の声が言った。
「投球側から、接触を伴う投球がない場合、投球側から一名を排除する」
亮は、白線の向こうを見た。
久我は、動じていなかった。
跳ね返ったボールを、こちらの前列が確保する。それを黙って見ている。
「──久我さん!」
亮は叫んだ。
「今の、わざとですか!」
「まさか」
久我は、丁寧に答えた。
「外しただけです。……私は、当てるのが下手なもので」
◇
嘘だ、と亮は思った。
この人は、外すことで自分のチームから一人を減らそうとしている。
いや。
(──違う)
亮は、気付いた。
計測は、投球側にかかる。ボールを持っている側が投げなければ、その側から一人減る。
いま、ボールはこちらにある。
計測がかかっているのは、こちらだ。
◇
「金松さん! 三十秒来ます!」
「──分かってる」
亮は、前列を見た。
ボールは、柔道の男の手にある。
「投げてください」
「誰にですか!」
亮は、白線の向こうを見渡した。
二十二人。
その中に、両手を体の横に下ろしたまま立っている男が一人いる。
XW3。
構えていない。避ける気配もない。
いちばん当てやすい標的が、そこにいた。
◇
「──篠塚さんは、外してください」
亮は言った。
「え?」
「あの人には投げない。誰か他の人を狙ってください」
「でも、あの人がいちばん」
「分かってます」
亮は言った。
「それでも、外してください」
柔道の男は、少しだけ迷ってから、頷いた。
「……了解です」
◇
彼は投げた。
狙いは、亮が投げ手と見立てた男だった。
球は、その男の足元へ。
男は跳んだ。軽々と跳んで、着地して、そのまま前へ出た。
そして、跳ね返ってきた球を、片手で拾い上げた。
「──速いっ」
誰かが呻いた。
「二十秒!」
天井の声が、計測を切り替えた。
「投球側から、接触を伴う投球がない場合──」
◇
男が、投げた。
速かった。
久我の球とは、別物だった。腕が耳の後ろまで回り、体重が乗り、指先で弾かれる。
「──右ィッ!」
亮は叫んだ。
二十二人が半歩ずれる。
球は、通路を抜けた。
抜けて──そこにいた男の、肩に当たった。
◇
「XV27、アウト」
天井の声が言った。
亮の頭が、真っ白になった。
半歩ずれたはずだった。ずれた先に、球が来た。
(──読まれた)
二日前、篠塚が号令を出していたのを、向こうの十一人は聞いている。
号令のタイミングも、半歩の幅も、全部知られている。
「金松さん!」
「──号令を、やめます!」
亮は叫んだ。
「今から、俺は何も言いません! 自分の判断で動いてください!」
◇
白線の向こうで、久我が小さく頷いたのが見えた。
そして、拍手をひとつ。
「早い」
彼は言った。
「その判断が、二球目で出るとは思いませんでした」
「久我さん」
「ええ」
「あなた、それを待ってましたね」
◇
「待っていました」
久我は、あっさり認めた。
「号令は、聞かれた瞬間に弱点になります。……私どもは、二回戦でそれを学びました」
「じゃあ、あなたたちは」
「号令を使いません」
久我は言った。
「代わりに、決めてあります」
◇
その言葉と同時に、向こうの二十二人が動いた。
全員が、同時に。
誰も声を出していない。
だが、二十二人が一斉に半歩ずれた。
亮は、その光景に鳥肌が立った。
「──何をした」
「拍数です」
久我は言った。
「一定の間隔で、全員が同じ方向へずれ続けています。……試合が始まってから、ずっと」
彼は、自分の胸を軽く叩いた。
「心臓の音で数えています。私は、それが得意なもので」




