第四十二話 先に行ってろ
「──渡さねえ」
グロウは、壁の隙間から外へ向かって叫んだ。
「十六人だろうが一人だろうが、渡さねえよ」
「そうか」
クスターの声は、変わらなかった。
「では、こちらから入る。……結果は同じだ」
「入ってこいよ」
グロウは、床に落ちていた石を拾った。
「一人ずつ潰してやる」
その背中を、亮は見ていた。
撃たれた背中。血で黒くなった布。震えている膝。
この人は、本気で言っている。そして、本気だからこそ、勝てないと分かっていた。
◇
「──グロウ」
小さな声がした。
レドだった。
彼は、立ち上がっていた。
「僕、行く」
「座ってろ」
「行くよ」
レドは、闇の中で言った。
「グロウが戦ったら、グードが乗れなくなるでしょ」
グロウの動きが、止まった。
「……お前」
「僕、選考会でも早く出たじゃん」
レドは言った。
「いつまでも走ってると、みんなが見てるから」
◇
彼は、狭い入口の方へ歩き出した。
誰も止めなかった。
二人目が立ち上がった。三人目が立ち上がった。
「レド、待って」
「僕も行く」
「一緒に行こ」
子供たちが、順番に出ていく。
誰も泣いていなかった。押し合いも、譲り合いもなかった。ただ、列になって、外へ出ていった。
亮は、その列の脇に立っていた。
止められなかった。触れられなかった。声も届かなかった。
この記憶の中で、亮にできることは何ひとつなかった。
◇
最後に、ネルが立ち上がった。
彼女は、グードの前を通るときに、一度だけ足を止めた。
「グード」
「……ネル」
「あたし、あっちで待ってるから」
「あっちって、どこ」
「知らない」
彼女は言った。
「でも、待ってる」
そして、列の最後尾について、外へ出ていった。
◇
外で、声がした。
「──回収する」
クスターの声だった。
「ここでの処理は行わない。車に乗せろ」
金属の扉が開く音がした。
子供たちが乗せられる音がした。誰も暴れていない。誰も叫んでいない。ただ、足音が続いた。
やがて、扉が閉まった。
車が、動き出した。
その音が遠ざかっていくのを、亮は狭い部屋の中で聞いていた。
◇
処刑の場面は、なかった。
子供たちがどうなったのか、この記憶は見せなかった。
グードが見ていないからだ、と亮は思った。
見ていないものは、記憶に残らない。
だから、この子の中には、十六人が消えた瞬間が存在しない。
ただ、車が遠ざかる音だけがある。
──それが、いちばん残酷だった。
◇
夜が明けた。
坑道の一角に、Ω地区の男たちが来ていた。
白い布を敷いた台の上に、それは置かれていた。
銀色の、細長いもの。
長さは、五センチほどだった。
亮は、それを見た瞬間、息を呑んだ。
一九九三年の夏。愛知県の空き地。草の間に落ちていた、玩具のような、細長いもの。
同じだった。
◇
「これが、艇です」
技師らしい男が言った。
「意識を移し、指定した方向へ射出します。到達までの時間は保証できません。……三十年かかることもあれば、三日ということもある」
「着く先は」
「選べません」
男は言った。
「生存可能な環境を自動で探します。……見つからなければ、そのまま飛び続けます」
「着いたら、どうなる」
「艇が開きます」
技師は、銀色の細長いものを指した。
「そこから、像を出せます。……姿を、短い時間だけ見せられる機能です」
「像?」
「体ではありません。触れれば抜けます。ですが、相手の目には人の形に映りますし、声も届きます」
技師は言った。
「向こうで最初に話しかけるときに、お使いください。……それが済んだら、消えます」
グロウは、頷いた。
「準備しろ」
◇
グードは、台の前に立たされた。
小さな体が、朝の光の中でさらに小さく見えた。
「痛い?」
子供が聞いた。
「痛みません」
技師は答えた。
「器を離れるだけです。……ただ、戻れません」
「うん」
「本当に、よろしいのですね」
グードは、頷かなかった。
振り返って、グロウを見た。
◇
「グロウ」
「なんだ」
「僕、向こうで何すればいいの」
グロウは、少し考えてから答えた。
「生きろ」
「それだけ?」
「それだけだ」
「……つまんない」
グードは、口を尖らせた。
グロウは、笑った。
亮がこの記憶の中で見た、初めての笑い方だった。
「じゃあ、もう一つ言っといてやる」
彼は、膝をついて、子供と目の高さを合わせた。
◇
「向こうに、誰かいるはずだ」
「うん」
「お前は、そいつの中に入る。……そうしねえと、消える」
「うん」
「そのとき、勝手に入るな」
グロウは言った。
「話せ。名前を聞け。……そいつが嫌がったら、出ていけ」
「でも、出ていったら死んじゃうよ」
「それでも出ていけ」
◇
グードは、しばらく黙っていた。
「なんで?」
「番号のねえ奴の中に、勝手に入るのはな」
グロウは言った。
「あいつらと、同じことだ」
亮は、その言葉を聞いて、動けなくなった。
──そいつは俺の中にいる。出ていくかどうかは、そいつが決める。お前が決めることじゃない。
二日前、地下室で、亮が敵に向かって叫んだ言葉だった。
その理屈を、亮は自分で見つけたと思っていた。
違った。
亮の中にいた少年が、この朝、この男から受け取っていたのだ。
◇
「……わかった」
グードは、頷いた。
「ちゃんと聞く」
「よし」
グロウは、立ち上がった。
背中の布が、また赤く滲んでいた。もう、隠す気もないらしい。
「グロウ」
「あ?」
「グロウは、来ないの」
「……」
「一緒に来てよ」
グードが、その手を掴んだ。
◇
坑道の入口の方で、金属の音がした。
黒い制服の男たちが、姿を現していた。
その先頭に、白い制服が見えた。
時間切れだった。
「──離せ」
グロウは、子供の手を振りほどいた。
乱暴な外し方だった。
「グロウ!」
「行け」
「やだ!」
「行けって言ってんだろうが!」
◇
技師が、装置を起動した。
台の上の艇が、低く鳴り始めた。
グードの体が、光に包まれる。
その輪郭が、少しずつ薄くなっていく。
「グロウ!!」
子供が叫んだ。
「グロウ、待ってよ! 僕、一人じゃやだ!」
グロウは、答えなかった。
答えずに、坑道の入口へ向かって歩き出していた。
石を一つ、右手に握って。
◇
その背中に、子供の声が追いすがった。
「ねえ! グロウ!」
グロウは、足を止めなかった。
止めずに、片手だけを軽く上げた。
開会式で黒スーツを睨みつけた男が、白線を越える前に見せた仕草と、同じだった。
そして、こう言った。
「──先に行ってろ」
◇
光が、弾けた。
台の上から、銀色の細いものが飛び上がった。
坑道の天井の裂け目を抜けて、緑色の空へ。
白い太陽と、赤い太陽の間を通り抜けて。
亮は、それを見上げていた。
誰にも見えない体で、誰にも届かない声で、それでも呟いた。
(……いってらっしゃい)
◇
ざあ、と音がした。
◇
目を開けたとき、亮は泣いていた。
自分で気付くまでに、少し時間がかかった。
枕が濡れている。頬も濡れている。理由を思い出すまで、二秒ほどかかった。
「──金松さん」
篠塚の声だった。
ベッドの脇に、三人が立っていた。篠塚と、雅人と、久我。
「うなされてました」
「……すみません」
「いえ」
篠塚は、少しだけ首を傾げた。
「その子、無事でしたか」
亮は、答えられなかった。
答えられないまま、頷いた。
◇
(グード)
亮は、心の中で呼んだ。
(お前、ちゃんと聞いたな)
返事はない。
(一九九三年の夏。あの空き地で、俺に名前を聞いたよな)
沈黙。
(そう驚かなくていいよ、亮くん、って言ったよな)
亮は、天井を見上げた。
(お前、あの朝の約束、守ってたんだな)
◇
扉が開いたのは、その直後だった。
黒スーツが三人。
部屋の四十四人が、一斉に立ち上がった。
「三回戦の説明を行う」
真ん中の男が、端末を開いた。
「開始は、六時間後。会場は同じ地下フロア、第三区画」
亮は、拳を握った。
右手だけが握れた。
「対戦形式を伝える」
黒スーツは、端末から目を上げなかった。
「残存四十四名を、二十二名ずつに分割する」
◇
ざわめきが起きた。
また分割だ。四十四人が、また同士討ちをさせられる。
「なお」
黒スーツは続けた。
「この試合をもって、日本地区の予選を終了する」
部屋が、静まり返った。
「──予選?」
誰かが聞き返した。
「予選だ」
黒スーツは、初めて顔を上げた。
「勝ち残った二十二名は、本戦会場へ移送する」
彼は、淡々と言った。
「同様の予選は、現在、世界の十七の地域で進行している」
第三部「キデ星」 完




