第四十一話 名前を一つ
「──夜明けまで待て」
グロウは、そう言った。
進行役は、書き物板を閉じた。
「よろしいでしょう。艇の準備にも時間がかかります」
彼は、わずかに首を傾げた。
「ですが、グルー殿。……お決めになれますか」
グロウは、答えなかった。
答えずに、白線の手前に立っている子供の腕を掴んで、坑道の出口へ歩き出した。
◇
隠れ家に戻ったのは、深夜だった。
石を積んだだけの狭い部屋に、十七人の子供が集まっている。誰も寝ていなかった。
グロウが座り込むと、背中の布から新しい血が滲んだ。
誰も、そのことに触れなかった。
「──話がある」
彼は言った。
「大会は、勝った」
子供たちの顔が、ぱっと明るくなった。
誰かが、小さく歓声を上げた。
「星の外に出る手段も、用意される」
「やった!」
「じゃあ、みんな助かるの?」
グロウは、その質問に答えるまでに、長い時間をかけた。
◇
「一人だ」
部屋が、静かになった。
「乗れるのは、一人だけだ」
子供たちは、意味を掴みかねていた。
誰も、質問しなかった。
やがて、いちばん年長らしい少年が──レドが、口を開いた。
「……あとの十六人は」
「ここに残る」
「残ったら、どうなるの」
「回収される」
グロウは、隠さなかった。
「三日以内に、この場所も見つかる。……もう見つかってるかもしれん」
◇
誰も、泣かなかった。
亮は、部屋の隅に立って、その光景を見ていた。
十七人の子供が、床に座って、黙っている。
一人も泣かない。
選考会の日と同じだった。この子たちは、悲しむより先に、状況を飲み込む訓練を受けている。
(……泣けよ)
亮は、届かない声で言った。
(誰か、泣けよ)
◇
「くじ引きにしよう」
誰かが言った。
十歳くらいの子だった。
「石を十七個用意して、一個だけ色を塗って、それで──」
「駄目だ」
グロウが遮った。
「なんで! それがいちばん公平だろ!」
「公平だな」
グロウは認めた。
「だが、それだと死ぬ」
「……え?」
「乗ったやつは、着いた先で新しい器を探さなきゃならん。……番号も持ってない、投げ方も知らねえガキが、知らねえ星でそれをやれると思うか」
◇
部屋が、静まり返った。
「向こうがどんな場所かは、誰も知らん」
グロウは言った。
「言葉も通じねえ。体もない。……そんな状態で、生き延びる見込みがある奴じゃなきゃ、席が無駄になる」
「じゃあ、誰が乗るの」
「決めるのは俺だ」
グロウは言った。
「そのために、俺が勝った」
◇
子供たちが、顔を見合わせた。
やがて、一人が言った。
「グードでしょ」
部屋の空気が、動いた。
「──えっ」
グードが顔を上げた。
「だってグード、選考会で勝ったじゃん」
「そうだよ。十九人抜いたんだよ」
「レドにも勝ったし」
「うん」
レドが、あっさり頷いた。
「僕、負けたもん」
◇
「待って」
グードが、立ち上がった。
「僕、勝ってない」
「勝ったよ」
「勝ってない! あれ、無効になったんだ! 番号ももらえなかった!」
「でも、いちばん最後まで立ってたじゃん」
子供の一人が、当たり前のように言った。
「じゃあ、勝ちでしょ」
グードは、口を開けたまま立っていた。
反論の言葉を探して、見つけられずにいる顔だった。
◇
亮は、その光景を見ていた。
胸の奥が、締めつけられていた。
この子たちは、押しつけているのではない。
譲っているのでもない。
ただ、いちばん勝つ見込みのある者を、当たり前に前に出そうとしている。それが自分たちの命を諦めることだと分かったうえで、議論の余地なく決めている。
(……お前ら)
亮は思った。
(お前ら、なんでそんなに慣れてるんだ)
◇
「僕は乗らない」
グードが言った。
「いいから乗れ」
グロウが言った。
「乗らない!」
「グード」
「だって、僕が乗ったら、みんな死ぬんでしょ!?」
子供の声が、割れた。
「僕が投げたときも、みんな退場したんだよ! それで、誰も助からなかったんだよ! なのに、また僕なの!?」
◇
誰も、答えなかった。
グードは、両手で顔を覆った。
「もういやだ」
初めて、この子が泣いた。
「もういやだよ。……なんで僕なの」
亮は、その小さな背中を見ていた。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、触れられなかった。
この子は、いま六歳だ。
そして十四年後、亮の中で、同じことを言う。
──僕が出れば、みんな助かるんでしょ。
(……お前)
亮は、目を閉じた。
(ずっとそれ言ってるじゃないか)
◇
小さな足音がした。
ネルだった。
グードの前まで歩いてきて、その袖を引っ張った。
「グード」
「……」
「あたし、あのとき、走ったでしょ」
グードが、顔を上げた。
「なんで走ったか、まだ怒ってる?」
「……怒ってない」
「じゃあ、教えてあげる」
◇
ネルは、両手を後ろに組んだ。
「グードが外したの、見えたよ」
「……」
「あたし、あのとき、すごくうれしかった。グードが、あたしに当てたくないんだって分かったから」
彼女は、あっさり言った。
「でも、そのままだと、どっちも代表になれないでしょ」
「……」
「だから走った。あたしが勝手にやったの。……グードのせいじゃないよ」
グードは、何も言えなかった。
「今度も、あたしが勝手に決める」
ネルは言った。
「グードが乗って」
◇
亮は、拳を握った。
右手だけが握れた。
六歳の子供が、四歳か五歳の子供に、そう言われている。
この星は、そういう場所だった。
子供が、自分の死に方を自分で決めることに慣れている場所。
(……ふざけるな)
亮は思った。
誰に向かってでもなく、この星の何もかもに向かって。
(ふざけるな)
◇
「決まりだな」
グロウが、立ち上がった。
膝が震えていた。それでも立った。
「夜明けに、坑道へ戻る。……グード、来い」
「グロウ」
「あ?」
「グロウは、どうするの」
グロウは、しばらく答えなかった。
それから、子供たちの方を見た。
「俺はここに残る」
「なんで! グロウも乗ればいいじゃん!」
「席は一つだって言っただろ」
「じゃあグロウが乗ればいいよ! グロウのほうが強いもん!」
◇
グロウは、その子供の頭に手を置いた。
血のついた、大きな手だった。
「俺はな」
彼は言った。
「四年前に、一人乗せそこねてる」
部屋が、静かになった。
「そいつも、番号を持ってなかった。俺が推薦して、勝たせて、……そのあと、守れなかった」
グロウは、自分の手を見た。
「今度は、乗せる」
◇
そのときだった。
外で、音がした。
金属が地面を擦る音。それから、複数の足音。
子供たちが、一斉に息を呑んだ。
グロウが、立ち上がった。
「──ランプを消せ」
誰かが、慌ててランプを吹き消した。
闇の中で、亮だけが見えていた。記憶の中の亮には、光が要らないらしい。
石を積んだ壁の隙間から、外の様子が見えた。
◇
坑道の入口に、明かりが並んでいた。
十、二十、それ以上。
黒い制服の男たちが、松明のようなものを持って、整列している。
その先頭に、白い制服の男が立っていた。
クスターだった。
彼は、拡声器を口元に当てた。
そして、闇に向かって、静かに言った。
「──グルー。中にいるのは分かっている」
◇
「投降しろ、とは言わない」
クスターの声が、坑道に反響した。
「あなたが投降しないことは知っている。……だから、条件を言う」
グロウは、壁の隙間から外を見ていた。
その横顔を、亮は見ていた。
「子供を、十六人出せ」
クスターは言った。
「残りの一人は、好きにしろ。……夜明けに艇が出ることは、こちらも把握している」
◇
グロウの息が、止まった。
「なぜ十六人か、疑問だろう」
クスターは続けた。
「私は、あなたの望みを潰しに来たのではない。むしろ逆だ」
彼は言った。
「一人を星の外へ出す。これで、名簿は綺麗に片付く。……十七人が消えたことになる」
「──お前」
「そのほうが、記録が楽なのだよ、グルー」
クスターは、事務的に言った。
「あなたが選んだ一人は、通してやる。その代わり、他の十六人を、今、ここで渡せ」




