第四十話 乗れるのは
「十七人分だ」
その言葉に、ロイドは何も返さなかった。
球を持ったまま、白線の向こうで立ち尽くしている。
やがて、彼の後ろから声が上がった。
「おい、投げろよ!」
「何やってんだ!」
残る十人の男たちだった。彼らにとって、ロイドは味方だ。そして、この状況で唯一まともに投げられる人間でもある。
「……はい」
ロイドは、球を構え直した。
もう、笑っていなかった。
◇
二十六球目。
グロウは、捕った。
二十七球目。捕った。
二十八球目。捕った。
ロイドが投げるたび、グロウは球を包み込み、白線の向こうへ転がして返す。
三十球を超えた。
ロイドの膝が、震え始めていた。
三十五球目。ロイドが投げようとして、腕が上がらなかった。
「──代わる」
別の男が、球を奪った。
◇
そこからは、総がかりになった。
十一人が、順番に投げた。
速い球。低い球。高い球。二人が同時に投げようとして、係の男に止められた。この大会にも、最低限の決まりはあるらしい。
グロウは、全部捕った。
膝を落とし、両手を差し出し、包み込み、転がして返す。
同じ動作を、何十回も繰り返した。
背中の布は、もう赤くない。黒くなっていた。
◇
観覧席から、野次が飛び始めた。
「つまらん!」
「投げ返せ!」
「金を返せ!」
着飾った男が、杯を床に叩きつけた。
進行役が、慌てて何か言い訳をしている。
亮は、白線の脇に立って、その光景を見ていた。
(──四年前と同じだ)
二万人が熱狂した、とクスターは言った。
だが、ここにいる二百人は、熱狂しなかった。
人が死なない試合は、彼らにとって、ただの退屈だった。
◇
六十球を超えたあたりで、投げる側が崩れ始めた。
まず一人が、球を持ったまま座り込んだ。
「……もう、無理だ」
「立てよ!」
「無理だって! あいつ、何回投げても捕るんだよ!」
二人目が、投げるのをやめた。
三人目が、白線から離れた。
残った者たちも、次第に間隔が空いていった。投げるまでの時間が長くなり、球の勢いが落ちていく。
グロウは、その間、一言も喋らなかった。
ただ、構えていた。
◇
最後の一投は、ロイドだった。
休んで、少し回復したらしい。彼はもう一度、グロウのフォームで構えた。
右足を上げる。左肩が入る。腰が落ちる。
完璧だった。
亮の目にも、それは完璧に見えた。
球が、地面すれすれを滑った。
五センチ。跳ねない。
グロウは、膝を落とした。
両手が、それを包み込んだ。
◇
音は、しなかった。
グロウは、球を抱えたまま、前のめりに崩れた。
膝から、肘から、そして額から、岩の床に落ちた。
球は、腕の中にあった。
「……グロウ!」
観覧席から、子供の声が飛んだ。
着飾った大人たちが、一斉にそちらを見た。
グードが、席から身を乗り出していた。
「グロウ!!」
◇
白線の向こうで、ロイドが座り込んだ。
「……もう、いいです」
彼は、両手を床についた。
「ぼく、投げません」
「おい、ロイド!」
「無理ですって」
彼は、笑おうとして、失敗した。
「あの人、七十二球捕りました。ぼく、数えてました」
ロイドは言った。
「ぼく、三十球で落とすんです。……なんで七十二も捕れるんですか、あの人」
◇
残った十人も、誰も球を拾わなかった。
白線の向こうに、十一人が座り込んでいた。
こちら側には、うつ伏せに倒れた男が一人。
その男は、まだ球を抱えていた。
沈黙が、円形の坑道を満たした。
「……あー」
進行役が、間の抜けた声を出した。
「あー、その、これは」
彼は、観覧席を見上げた。
誰も、答えなかった。
◇
「──勝者、グルー」
仕方なく、という調子で、進行役は言った。
拍手は、まばらだった。
何人かが、金の話をしながら席を立ち始めていた。
「望みを、一つ叶えよう」
進行役は、白けた顔で言った。
「起きられるならな」
◇
グロウは、動いた。
まず片手を床につき、次に膝を立て、それから、ゆっくりと上体を起こした。
立ち上がるまでに、たっぷり三十秒かかった。
顔が、真っ白だった。
抱えていた球が、腕から落ちて、床を転がっていった。
「……望みだったな」
彼は言った。
「聞こう」
「星の外に出たい」
◇
観覧席の一角が、ざわついた。
「ほう」
進行役の顔つきが、少し変わった。
「珍しくもない望みだ。過去にも例がある」
「知ってる。四年前に見た」
「ならば話が早い」
進行役は頷いた。
「Ω地区の移送船を一便、用意させよう。……それで、あなたはこの星から出る」
「俺は出ない」
「──は?」
◇
「俺は出ない」
グロウは、もう一度言った。
「代わりに、十七人乗せろ」
進行役の動きが、止まった。
観覧席の一角も、静まり返った。
「……十七人?」
「子供だ。全員、番号を持ってない」
「あなたは?」
「俺はここに残る」
グロウは言った。
「それでいいだろ。俺一人が乗るはずの席を、十七人で分ける。数が増えるだけだ」
◇
進行役は、しばらく黙っていた。
それから、上の観覧席を振り返った。
最上段に、これまで一度も声を出さなかった一団が座っていた。
金の縁取りのある布を纏った、五人ほどの人影。
その中の一人が、わずかに手を上げた。
進行役が、深く頭を下げた。
「……申し訳ありません、グルー殿」
彼は、亮が初めて聞く敬語で言った。
「不可能です」
◇
「なんでだ」
グロウの声が、低くなった。
「席は空いてるはずだ。俺が乗らねえって言ってんだぞ」
「席の問題ではありません」
「じゃあ何だ」
「移送船に、席はありません」
進行役は言った。
「星外への移送は、肉体では行えないのです」
◇
亮は、その言葉に顔を上げた。
「我々の体は、この星の外では保ちません。……ですから、移送とは、肉体を置いていくことを意味します」
進行役は、淡々と続けた。
「船に乗るのは、意識だけです。器を捨て、意識だけを容れ物に移し、それを飛ばす」
「……」
「そして、着いた先で新しい器を見つけなければ、意識は長く保ちません。……多くは、着く前に消えます」
◇
「それでもいい」
グロウは言った。
「ここにいたら、確実に死ぬんだ。消えるかもしれない方がましだ」
「ご理解いただけていないようですね」
進行役は、少しだけ苛立ったように言った。
「問題は、そこではありません」
彼は、指を一本立てた。
「容れ物です」
「あ?」
「意識を容れて飛ばすための艇は、極めて小さい。……そして、極めて高価です」
進行役は言った。
「今回、Ω地区がご用意できるのは、一艇のみです」
◇
グロウの表情が、抜け落ちた。
「……一つ」
「はい」
「十七人だぞ」
「一艇です」
「聞いてなかったのか! 十七人だって言ってんだよ!」
「うかがいました」
進行役は、事務的に頷いた。
「そのうえで申し上げております。乗れるのは、一つだけです」
◇
坑道の中が、静かになった。
亮は、その場に立ち尽くしていた。
三度目だった。
二百人が集められて、恩赦は一名。
二十人の子供が集められて、番号は一つ。
そして今、十七人の子供に対して、艇は一つ。
この星は、必ず一つしか用意しない。
そういう仕組みで、何十年も回ってきたのだ。
◇
「──グロウ!」
観覧席から、子供が駆け下りてきた。
着飾った大人たちの間を縫って、階段を転げるように降りてくる。
グードだった。
白線の手前で、係の男に腕を掴まれる。それでも、彼は叫んだ。
「グロウ! いま、なんて言った!?」
グロウは、答えなかった。
その顔は、亮の位置からは見えなかった。
ただ、立ったまま、動かなかった。
◇
「グルー殿」
進行役が言った。
「望みを変更されますか。それとも──」
彼は、書き物板のようなものを取り出した。
「乗せる者の名前を、一名、お聞かせ願えますか」




