↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/70

第三十四話 久我

 目を開けたとき、亮は自分がどこにいるのか分からなかった。


 天井が白い。空が緑ではない。太陽が一つもない。


 パイプベッドの軋む音がして、ようやく現実が戻ってきた。


「……っ」


 起き上がろうとして、右肩に痛みが走った。それでようやく、完全に戻った。


 汗をかいていた。頭のてっぺんから足の先まで、びっしょりと。


 亮は、自分の手を見た。


 大きい。指が太い。爪の形も、皮の厚さも、二十歳の男の手だった。


          ◇


(グード)


 亮は、心の中で呼んだ。


(起きてるか)


 返事はない。


(今の、お前の記憶だよな)


 沈黙。


(……ネルって子のこと、覚えてるか)


 沈黙。


 亮は、天井を見上げたまま、しばらく動かなかった。


 起きていないのに、記憶だけが流れてきた。それが何を意味するのか、亮には見当もつかない。


 ただ、一つだけ分かることがあった。


 あの少年は、六歳のときに一度、全部を失っている。


          ◇


 照明が戻っていた。


 二回戦が終わってから、一日が経ったらしい。三回戦まで、あと二日。


 部屋の中は静かだった。


 XT・XU組の二十九人は、それぞれのベッドの周りで何かをしている。ストレッチをしている者。壁に向かって座っている者。二人一組で、床に何かを書きながら話し込んでいる者。


 誰も騒いでいない。


 こちら側では、何人かが固まって座り込んでいた。二回戦のあと、まだ誰も立ち直っていない。


 亮は、ベッドを降りた。


          ◇


「篠塚さん」


 壁際に座っている男に、声をかけた。


 篠塚は、胸に何も着けないまま、膝を抱えていた。


「おはようございます、でいいんですかね」


「たぶん」


「金松さん、顔色が悪いですよ」


「……変な夢を見ました」


 亮は、その隣に腰を下ろした。


 言うべきかどうか、迷った。


 迷って、言うことにした。この人は、拓海の番号を二度手放した人だ。黙っているのは失礼な気がした。


「篠塚さん。あいつらの星の話です」


「はい」


「あの星では、番号のない人間は、人間として数えられないそうです」


          ◇


 篠塚は、何も言わなかった。


 自分の胸のあたりに目を落として、それから、小さく笑った。


「なるほど」


「すみません」


「なんで謝るんですか」


「言わない方がよかったかと」


「いや」


 篠塚は首を振った。


「腑に落ちました。……あいつら、俺をどうするか決めてないんじゃなくて、決める必要を感じてないんですね」


 亮は、答えられなかった。


「金松さん」


「はい」


「その話、どこで聞いたんですか」


          ◇


 亮は、少し迷ってから答えた。


「俺の中にいるやつの、記憶を見ました」


「……そんなことがあるんですか」


「初めてです」


 篠塚は、しばらく黙っていた。


 それから、意外なことを聞いた。


「その子、元気でしたか」


 亮は、その質問に虚を突かれた。


「……六歳でした」


「六歳」


「孤児院にいて、名簿に載って、三日後に殺される予定でした」


 篠塚は、膝を抱えたまま天井を見た。


「……向こうも大変なんですね」


「篠塚さん」


「いや、同情はしませんよ」


 彼は言った。


「俺の中にいた奴は、俺の肩を壊して味方を殺させた。……ただ、そういう場所から来たんだって思うと、少しだけ話が分かる気はします」


          ◇


 雅人は、ベッドの上で起きていた。


 右腕は固定されたままだ。左手で、部屋の隅にあった水のボトルを開けようとして、失敗している。


「貸せ」


「あ、悪い」


 亮は左手でボトルを受け取って、膝で挟んで蓋を回した。二人がかりで一本の水を開けるのに、二十秒かかった。


「情けねえな、俺たち」


「投手が二人揃って、これだ」


「もう投手じゃねえよ」


 雅人は、水を飲んでから言った。


「なあ亮。三回戦、どうすんの」


「考えてる」


「投げ手いねえぞ」


「知ってる」


「あっちの二十九人、投げられる奴たくさんいるっぽいけど」


 雅人は、部屋の反対側を顎で示した。


「向こうと当たったら、詰みじゃね」


          ◇


 そのときだった。


「──失礼」


 声がした。


 亮は顔を上げた。


 目の前に、あの小柄な男が立っていた。


 部屋の奥、いちばん壁際のベッドに座っていた男だ。近くで見ると、思っていたよりさらに小さい。亮より頭一つ以上低い。四十代の半ばだろうか。髪に白いものが混じっている。


 この二日、彼は誰にも話しかけなかった。


「少し、お話しできますか」


          ◇


「……どうも」


 亮は立ち上がった。


 男は、丁寧に頭を下げた。


久我(くが)と申します。クレー射撃をやっておりました」


「金松です」


「存じております。プロ野球の方ですね」


 久我は、雅人にも軽く会釈をした。


「野上さんも。……お怪我のところ、失礼します」


 雅人が、面食らった顔で会釈を返した。


 亮は、この男の話し方に落ち着かないものを感じていた。


 丁寧すぎる。この部屋で、こんな喋り方をする人間は一人もいない。


          ◇


「二回戦の話を、少しだけ伺いました」


 久我は言った。


「そちらのチームは、内部で分割されたそうですね」


「……はい」


「大変だったでしょう」


「そっちは、違ったんですか」


「私どもは、一回戦がXTとXUでした」


 久我は、静かに答えた。


「二十九人が残りました。……始まりは、九十九人でしたので」


 亮は、その数字を数え直した。


 九十九人が、二十九人。


「……こっちより、ひどい」


「ええ。一回戦は、ひどいものでした」


 久我は、あっさり言った。


「私は、ほとんど隅で膝を抱えておりました。……ほとんど、です」


「……」


「ですが、二回戦は違います」


 久我は言った。


「二回戦では、一人も死んでおりません」


          ◇


 亮の背中が、ぞわりとした。


「どうやって」


「その二十九人を、さらに二つに分けられました。十四名と、十五名です」


 久我は言った。


「昨日まで同じ部屋で寝ていた者同士です。……ですので、相手側と話をつけました」


「話を」


「両方とも降参いたしましょう、と」


「──そんなことができるんですか」


「できません」


 久我は、少しだけ笑った。


「そもそも、降参という規則がありませんから。申し出は無視されました」


「じゃあ」


「ですので、全員で座りました」


 彼は言った。


「十四名と十五名が、白線を挟んで向かい合ったまま、その場に座り込んだのです。……どちらも、一球も投げませんでした」


「……それで」


「向こうは困ったでしょうね。座っている人間を見ていても、勝負になりませんから」


「勝敗は」


「時間切れで、両チーム敗北とされました」


          ◇


 亮は、言葉を失った。


「両チーム敗北って」


「はい。ですから、本来は全員処分されるはずでした」


 久我は、あっさりと言った。


「ですが、そうすると三回戦の人員が足りなくなる。……向こうにも都合がありますから」


「じゃあ、あなたたちは」


「賭けに勝ちました」


 久我は、亮の目を見た。


「あちらは、私どもを殺す気がないのです。少なくとも、一度に全員は。……あの規則は、そこまで考えて作られていません」


          ◇


 亮は、この男を見直した。


 小柄で、痩せていて、この部屋でいちばん弱そうな人間が、二十九人を座らせて、管理側の規則の限界を測っていた。


 自分がやってきたことと、同じだ。


 いや、違う。


 亮は隙間を突いて、その場をしのいだ。この人は、向こうの限界そのものを測りに行った。


「久我さん」


「はい」


「あなた、何者ですか」


「ただの射撃屋です」


 久我は、そう言ってから、少し首を傾げた。


「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか」


「……なんでしょう」


「金松さんは、中の声と、お話しになれますか」


          ◇


 亮の呼吸が、止まった。


 この男は、いま、何でもないことのようにそれを聞いた。


「……できます」


「そうですか」


 久我は頷いた。


「珍しいですよ。この部屋で、はっきり会話が成立している方は、私の知る限り四人だけです」


「あなたも」


「ええ。私のは、よく喋ります」


 久我は、自分のこめかみを指で軽く叩いた。


「うるさいくらいに」


          ◇


「……何を喋るんですか」


「たいていは、私に指図をします。誰と組め、誰を切れ、と」


「従ってるんですか」


「聞いてはいます。従うかどうかは、別です」


 久我は、そこで初めて、少し困ったような顔をした。


「ただ、今朝は少し様子が違いまして」


「……」


「あなたのことを、しきりに言うのです」


 亮の指先が、冷たくなった。


「金松さん」


 久我は、丁寧に言った。


「あなたの中にいるのは、ずいぶん有名な子らしいですね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。