第三十二話 はやくして
「規則を説明する」
白線の脇に立った係員が、抑揚のない声で言った。
黒い制服を着た男だった。地球で見た黒スーツとは服の形が違う。だが、喋り方は同じだった。
「当たった者は退場。最後まで残った一名を、C地区代表候補とする」
子供たちが、静かに聞いている。
「当たっても、死にはしない」
その一言に、何人かが顔を上げた。
「ここで死ぬことはない。ただし──」
係員は、手元の紙を見た。
「退場した者は、第四十七次人口調整対象のまま、三日後に回収される」
◇
亮は、白線の脇に立っていた。
誰にも見えない体で、二十人の子供を眺めていた。
(……上手いやり方だ)
この場では、誰も死なない。
子供たちは、目の前で人が溶けるのを見ずに済む。血も出ない。悲鳴も上がらない。ただ、当たった子が線の外に出されるだけだ。
そして三日後、彼らは別の場所で処理される。
誰も、自分がやったことの結果を見ない。
(……これなら、続けられるわけだ)
亮は、ぞっとした。
地球の地下室で、亮は自分が殺した人間が溶けるのを全部見た。見ると決めたからだ。三十人を超えたところで顔が思い出せなくなった。それでも見た。
この子供たちには、見るものすら与えられない。
◇
「始め」
係員が言った。
合図はそれだけだった。
子供たちは、しばらく動かなかった。
誰も、最初の一投を投げたがらなかった。
白線を挟んで、十人と十人が向かい合ったまま、ボールを抱えている。
やがて、向こう側の背の高い子が、一歩前に出た。
十歳くらいだろうか。この二十人の中では、いちばん体格がいい。
「──やるぞ」
彼は、そう言った。
「泣くなよ、みんな。……勝ったら、僕が絶対、みんなのこと何とかするから」
◇
「レド」
こちら側の誰かが、その名を呼んだ。
レドと呼ばれた少年は、振り返らずに投げた。
速くはない。だが、狙いは正確だった。
こちら側の一人が、避けそこねて足に当たる。
「退場」
係員が言った。
当たった子は、自分の足を見て、それから、線の外へ歩いていった。
溶けなかった。
誰も悲鳴を上げなかった。
線の外に出た子は、地面に座って、膝を抱えた。
◇
そこからは、早かった。
最初の一人が出たことで、何かの箍が外れたらしい。
子供たちが、投げ始めた。
悲鳴と、笑い声と、泣き声が混ざった。何人かは本気で楽しそうにしていた。何人かは泣きながら投げていた。何人かは、最初から座り込んで動かなかった。
線の外に、一人ずつ増えていく。
二十人が、十五人になった。
十五人が、十人になった。
亮は、その光景を見ていた。
地下の部屋で見たものと、まったく同じだった。ただ、床に染みが残らないだけだった。
◇
グードは、動いていなかった。
白線から三歩下がった位置で、ボールを抱えたまま、じっと立っている。
「──グード! 投げろよ!」
誰かが叫んだ。
「そこにいたら当たるぞ!」
グードは、答えなかった。
亮は、その横顔を見ていた。
目が、動いている。
白線の向こう。誰がどこにいて、誰がどっちに逃げるか。それを、一人ずつ追っていた。
(……見てる)
亮は気付いた。
(こいつ、足を見てる)
◇
グードが、初めて動いた。
右足を上げる。腕を振る。リリースは腰より下。
「ズッ」
球が、地面すれすれを滑った。
狙われた子は、跳ばなかった。跳べる高さではなかったからだ。
横に逃げようとした足首に、球が当たった。
「退場」
その子は、自分の足首を見て、それからグードを見た。
「……グード」
「ごめん」
グードは、そう言った。
それだけ言って、跳ね返ってきたボールを拾いに走った。
◇
「ごめん」
「ごめん」
「ごめん」
三人目まで、グードはそれを繰り返した。
当てるたびに、同じ言葉を言った。
四人目からは、言わなくなった。
亮は、その変化を見ていた。
(──やめろ)
声にならない声で、亮は言った。
(謝るのをやめるな)
だが、届かなかった。
この記憶の中では、亮は何も動かせない。
◇
十人が、六人になった。
六人が、四人になった。
残ったのは、グードと、レドと、あと二人。
二人は、もうまともに動けていなかった。息が上がって、白線から離れたところで、ただ立っている。
レドが、その二人を順に当てた。
「退場」
「退場」
線の外に、また二人。
残り二人。
グードと、レド。
◇
「グード」
レドが、白線の向こうから言った。
彼は、肩で息をしていた。
「お前、上手くなったな」
「……うん」
「あの大人に教わったんだろ。テレビに出てた人」
「うん」
「ずるいなあ」
レドは笑った。
悪意のない笑い方だった。
「僕にも教えてくれる人がいたら、勝てたかな」
グードは、答えなかった。
◇
レドが投げた。
速くはない。だが、正確だった。この子は、この数十分で明らかに上達していた。
グードは、横に跳んだ。
球が、砂を巻き上げて通り過ぎる。
跳ね返りを、グードが拾った。
そして、投げた。
地面すれすれを滑る球。
レドは、それを見て、跳ばなかった。
跳ばずに──前に出た。
「──えっ」
グードの声が漏れた。
レドは、球に向かって足を踏み出していた。自分から、当たりに行った。
「退場」
◇
「レド! なんで!」
グードが叫んだ。
レドは、自分の膝を見てから、線の外へ歩き出した。
「だって、勝てないもん」
彼は振り返らずに言った。
「勝てないなら、早いほうがいい。……いつまでも走ってると、みんなが見てるから」
亮は、その言葉を聞いて、拳を握った。
滝本という男の顔が浮かんだ。
──十一回だろ。俺たち十一人だ。ちょうどいいじゃねえか。
同じだった。
この星は、そういうことを子供に覚えさせる場所だった。
◇
「──残り、二名」
係員が言った。
亮は、顔を上げた。
二名?
白線のこちら側に、グードが立っている。
向こう側には、誰もいない──はずだった。
いた。
小さな影が、いちばん奥の隅に座り込んでいる。
四歳か五歳。この二十人の中で、いちばん小さかった子だ。
朝、列の端からグードに手を振った子だった。
◇
「ネル」
グードが、その名前を呼んだ。
女の子だった。ぼろぼろの布を体に巻いて、膝を抱えて座っている。
彼女は、一度もボールに触っていなかった。
投げていない。当てられてもいない。ただ、逃げ回っていただけだ。小さくて、すばしっこくて、誰も彼女を狙う余裕がなかった。
だから、最後まで残った。
「ネル、立って」
「やだ」
「いいから、立って」
「やだよ」
彼女は、膝に顔を埋めたまま言った。
「立ったら、あたる」
◇
グードは、ボールを持ったまま立ち尽くしていた。
白線の脇で、係員が時計のようなものを見ている。
時間制限があるらしい、と亮は思った。
「グード」
ネルが、顔を上げた。
「……グードが勝ったら、いいことあるんでしょ」
「……」
「番号もらえるんでしょ。おっきいごはん食べれるんでしょ」
彼女は、立ち上がった。
膝が震えている。それでも、両手を体の横に下ろして、まっすぐ立った。
「じゃあ、はやくして」
◇
グードは、動かなかった。
右手にボールを握ったまま、白線の三歩手前で固まっている。
「はやくして」
ネルが、もう一度言った。
「怖いから、はやくして」
亮は、二人の間に立っていた。
誰にも見えない体で、誰にも届かない声で、それでも叫んでいた。
(──投げるな)
(頼むから、投げるな)
グードの腕が、ゆっくりと上がった。




