第三十一話 枠は、一つ
「知ってたの」
グードは、そう言った。
振り返ったまま、爪先立ちをやめて、両足を地面につけて。
グロウは、空き地の入口から動かなかった。
「ああ」
「いつから」
「最初からだ」
子供は、それ以上何も言わなかった。
亮は、その小さな背中を見ていた。
泣くのだろうと思った。子供なのだから、泣いていいはずだった。
だが、グードは泣かなかった。
紙をもう一度見上げて、自分の名前をもう一度確かめて、それから、乾いた声で聞いた。
「僕、いつ死ぬの」
◇
「三日後だ」
グロウは、隠さなかった。
「回収車が来る。名簿の順に乗せられて、そのまま処理場に行く」
「痛い?」
「知らん」
「……そっか」
グードは、頷いた。
その反応の速さに、亮はぞっとした。
この子供は、驚いていない。
名簿に自分の名前があったことにも、三日後に死ぬことにも、驚いていなかった。ただ、日程を確認しただけだった。
(──何度目だ)
亮は思った。
(この子は、何度この紙を見上げてきたんだ)
◇
周りの子供たちが、少しずつ散っていった。
誰も泣いていなかった。誰も騒いでいなかった。
名前を見つけた子は黙って建物に戻り、見つからなかった子は、その背中を見送っていた。慰めもしなかった。慰める言葉が、この場所には無いのだろうと亮は思った。
「──グード」
グロウが言った。
「一つだけ、道がある」
子供が、振り返った。
「代表選考会だ」
◇
「地区の代表は、毎年選考会で決める」
グロウは、空き地の方へ歩き出しながら言った。グードが、その後ろをついていく。亮もついていった。
「勝ち上がって代表になれば、番号が刻まれる。名簿からは自動的に外れる。……人口調整の対象は、番号を持たない者だけだからな」
「僕、出られるの?」
「本来は出られない。登録されてない人間は、申請そのものができないからな」
「じゃあ──」
「推薦枠がある」
グロウは足を止めた。
「地区の登録選手は、一人だけ推薦できる。俺はC地区の九十一番だ。……使ってない枠が、一つある」
◇
「使ってくれるの!?」
グードの声が、跳ね上がった。
「使う」
「やった!」
子供は、その場で飛び上がった。
両手を上げて、二回、三回と跳ねた。
亮は、その姿を見ていられなかった。
グロウも、見ていなかった。
彼は空を見上げていた。緑色の空に、白い太陽と赤い太陽が並んでいる。
「グード」
「なに!」
「選考会は、明日だ」
「うん!」
「……相手を、聞かないのか」
◇
子供の動きが、止まった。
「相手?」
「推薦枠は、C地区に十九ある」
グロウは言った。
「登録選手が十九人いるからな。そして、今年その枠を使った奴が、全員お前と同じところから選手を出してる」
「……えっ」
「名簿を見ただろう。二十人載ってた」
亮は、息を呑んだ。
──第四十七次 人口調整対象。二十の名前。
「明日、その二十人が集められる。全員、番号を持ってない子供だ」
グロウは、ようやく子供の方を向いた。
「勝ち残った一人だけが、代表になる」
◇
「……あとの、十九人は」
「三日後に、回収車に乗る」
グードは、口を開けたまま立っていた。
亮は、その横で立ち尽くしていた。
二十人が集められて、一人だけが助かる。
残りは死ぬ。
(──同じだ)
背筋が、一気に冷えた。
二百人が集められて、恩赦は一名。
同じだった。地球でやられていることは、この星が孤児に対してやっていることの、そっくりそのままの拡大版だった。
あの黒スーツたちは、新しい残酷さを発明したわけではなかった。ただ、自分たちが子供の頃から見てきた仕組みを、別の星に持っていっただけだ。
◇
「なあ、グロウ」
グードが言った。
「十九人って、誰?」
「知ってる顔もいるだろうな」
「……うん」
子供は、孤児院の建物を振り返った。
小さな窓が並んでいる。その向こうに、さっきまで一緒に紙を見上げていた子供たちがいる。
「僕が勝ったら、みんな死ぬの」
「そうだ」
「僕が負けても、みんな死ぬの」
「一人以外はな」
グードは、しばらく黙っていた。
それから、地面に落ちていたボールを拾い上げた。
「じゃあ、出る」
◇
「いいのか」
「だって、出ないと二十人死ぬもん」
子供は、ボールを両手で抱えたまま言った。
「出れば、十九人でしょ。一人減る」
亮は、その言葉を聞いて、動けなくなった。
(……六歳だぞ)
この子供は、いま、そういう計算をした。
二日前、亮が自分に禁じた計算を。人数を数えて、少ない方を選ぶという計算を、この孤児院では六歳の子供が当たり前のようにやっていた。
「グード」
グロウが言った。
「一つだけ、約束しろ」
「なに」
「勝て」
「……うん」
「他は考えるな。友達のことも、名簿のことも、全部あとだ。明日は勝つことだけ考えろ」
◇
その夜、亮は孤児院の中を歩いた。
誰にも見えない体で、廊下を抜け、部屋を覗いた。
子供たちは、床に敷いた布の上で寝ていた。ベッドは無かった。詰めれば三十人は入りそうな部屋に、四十人近くが並んでいる。
誰も、泣いていなかった。
一人だけ、起きている子がいた。
グードだった。
部屋の隅で膝を抱えて、暗がりの中で自分の右手を見ている。指を、何度も握ったり開いたりしていた。
亮は、その隣に座った。
座っても、床の感触はあった。だが、少年はこちらを見なかった。
(……なあ)
亮は、届かないと知りながら話しかけた。
(お前、それで地球に来たのか)
◇
朝が来た。
子供たちが、順番に建物の外へ出されていく。
二十人。
いちばん小さい子は、四歳か五歳に見えた。いちばん大きい子でも、十歳を超えていないだろう。
全員が、赤いゴムボールを持たされていた。
その列の脇に、大人たちが立っていた。地区の登録選手だ。それぞれが、自分の推薦した子供の後ろに立っている。
グロウも、そこにいた。
亮は、周りの大人たちを見た。
誰も、子供の顔を見ていなかった。
自分の枠を埋めるために連れてきただけだ、という顔をしていた。
◇
列が動き出したとき、亮は建物の壁に貼られたものに気付いた。
色褪せた紙だった。何年も前のものらしい。端が破れて、めくれ上がっている。
そこに、男の写真が印刷されていた。
右腕だけが異様に太い、背の高い男。腕を振り抜いた姿勢で止まっている。
その下に、文字があった。
亮には、それが読めた。
──C地区代表 グルー。第三十九回 デス・ドッジ選手権 優勝。
◇
亮は、列の脇に立つ男を見た。
同じ顔だった。
だが、写真の男より、はるかに痩せていた。頬がこけ、目の下に影がある。ポスターの中で笑っている男とは、別人のように見えた。
子供たちの列の中から、小さな声がした。
「……あの人、テレビに出てた人だよね」
「うん」
「なんで孤児院なんかに来るんだろ」
「知らない」
亮は、その会話を聞いていた。
そして、グロウの顔を見た。
男は、聞こえないふりをしていた。
◇
会場は、孤児院から歩いて十分ほどの場所にあった。
大きな建物ではなかった。屋根のない、四角い囲いだけの広場だ。地面は乾いた砂で、中央に一本、白い線が引かれている。
亮は、その線を見た。
地下の部屋にあったものと、同じ形だった。
二十人の子供が、線を挟んで、十人と十人に分けられていく。
グードは、白線のこちら側にいた。ボールを両手で抱えて、しっかりと立っている。
その向かいに、十人の子供が並んだ。
全員、知っている顔だった。同じ部屋で寝ていた顔だ。
いちばん端にいた小さな子が、グードを見て、小さく手を振った。
グードは、振り返さなかった。




