第二十六話 捕るだけなら
「捕るだけなら、何人いますか」
篠塚は、一瞬だけ考えて、答えた。
「……十七人、全員です」
「本当に?」
「捕るだけなら、誰でもできます。上手いか下手かの話です」
篠塚の目が、鋭くなった。
「金松さん。まさか」
「あいつは、外すことで自分のチームを殺してます」
亮は言った。
「外すってのは、接触がないってことだ。……こっちが捕ったら、どうなりますか」
篠塚の顔から、血の気が引いた。
それから、色が戻った。
「──接触です」
◇
「投球として成立します。あいつのチームからは、誰も減らない」
篠塚の声が、早口になった。
「あいつは、外して味方を殺す気でいる。でも俺たちが全部捕ったら、あいつの投球はぜんぶ成立してしまう」
「そうです」
「──捕れば、敵が助かる」
亮は頷いた。
「捕りましょう」
◇
「聞いてくれ」
亮は、十七人に向き直った。
右腕はぶら下がったままだ。声しか出せない。
「これから、あいつは投げてくる。狙いはこっちじゃない。わざと外して、自分の後ろの十二人を殺すつもりだ」
十七人が、白線の向こうを見た。
「だから、捕る」
「……捕る?」
柔道の男が聞き返した。
「避けるんじゃなくて、捕るのか」
「捕れば、あいつの投球が成立する。成立すれば、向こうの十二人は死なない」
「待てよ」
男の顔が歪んだ。
「向こうは敵だぞ」
「知ってる」
「なんで俺たちが体張って、敵を助けなきゃいけないんだ」
「助けなくていい」
亮は言った。
「捕りたい人だけ、前に出てくれ」
◇
沈黙が落ちた。
誰も動かなかった。
当然だと亮は思った。あの球を捕るということが何を意味するか、この十七人は二日前に見ている。篠塚の球を捕った亮が、どうなったか。
「……いいよ、俺やる」
最初に前に出たのは、水泳の男だった。
「なんでだ」
「いや、あの」
彼は、頭を掻いた。
「昨日まで一緒の部屋で寝てたんで。……向こうの奴ら」
「──俺も行く」
「俺も」
二人、三人と、前に出てきた。
最終的に、九人が白線の前に並んだ。
◇
「三十秒の計測を開始する」
天井の声が言った。
鷲尾がボールを構える。
「へえ」
彼は、こちらの並びを見て、首を傾げた。
「壁を作ったのか。……無駄だよ。君たちに、あれを捕る技術はない」
「捕らなくていい」
亮は言った。
「体に当てて、落とすだけでいい」
「──何?」
「捕らなくても、当たれば接触だ」
鷲尾の顔から、笑いが消えた。
「そうか。当たれば死ぬんだったな。……そういうことか」
◇
「一人目、行きます」
水泳の男が、白線の前に立った。
「──待ってください」
篠塚が止めた。
「腕を組んで、体の前に。顔と首は絶対に隠す。……当たった場所から溶けます。腕なら、少しだけ長く喋れます」
「……そっすか」
男は笑った。
「じゃあ、遺言くらいは言えるわけね」
「そういう意味じゃないです」
「わかってるって」
彼は腕を組んで、膝を落とした。
鷲尾の肘が、耳の横まで上がった。
◇
「ヒュッ」
球が来た。
狙いは、水泳の男ではなかった。
その左、三メートル。誰も立っていない空間へ。
外しに来た。
「──行けェ!」
水泳の男が、横に跳んだ。
捕るのではない。届かせるのでもない。ただ、自分の体を球の通り道に投げ出した。
球は、彼の脇腹に当たった。
「XV34、アウト」
天井の声が言った。
◇
「接触を確認」
その一言に、亮は目を閉じた。
男は、床に倒れた。脇腹から輪郭が崩れ始めている。
「……なあ」
彼が言った。
「向こう、減らなかったよな」
「減りませんでした」
篠塚が答えた。
「よかった」
彼は、それだけ言った。
あとは、何も言わなかった。
◇
「──くだらないね」
鷲尾が、跳ね返ったボールを受け取った。
「一人使って、一人助けた。差し引きゼロだよ」
「ゼロじゃない」
亮は言った。
「あいつは、自分で決めて出た」
「同じことだろ」
「同じじゃない」
亮の声は、自分でも驚くほど静かだった。
「お前には、一生分からないだろうけどな」
◇
二投目。
柔道の男が飛び出して、肩で受けた。
三投目。
拾い担当だった若い男が、腕で受けた。
そのたびに、天井の声が接触を確認し、XY側からは誰も減らなかった。
そのたびに、XVから一人ずつ減った。
受けたボールは床に落ち、こちらの手に戻る。だが、こちらに投げられる人間はいない。緩い球を返して接触を成立させれば、それはまた鷲尾の手に渡る。
その繰り返しだった。
十七人が、十四人になった。
「……金松さん」
篠塚が、掠れた声で言った。
「これ、続けられません」
「分かってます」
「こっちは十四人。向こうは十二人と、あいつです」
篠塚は、亮を見た。
「このまま一対一で交換していけば、ほとんど同時に尽きます。……それでも、あいつだけは残る」
◇
「そうだよ」
鷲尾が言った。
「気付くのが遅い」
彼はボールを指で回しながら、白線に近づいてきた。
「君たちは、僕のチームを守るために死んでる。僕はそのチームをどうとも思ってない。……こんなに割に合わない交換、見たことがないよ」
亮は答えなかった。
「もうやめたら? 僕が外すたびに、僕の後ろの誰かが死ぬ。それでいいじゃないか。君たちは何もしなくていい」
「……」
「君は優しいね、金松くん」
鷲尾は言った。
「優しい人間は、僕らにとっていちばん使いやすい」
◇
亮は、その言葉を聞きながら、鷲尾の顔を見ていた。
二日前、この男は開会式で最初に黒スーツへ食ってかかった。銃を向けられても、五秒睨んでから下がった。
昨日、作戦に入らないと言った。他人の号令で半歩ずれるのは無理だ、と。
──俺は俺の判断で死ぬ。
亮は、口を開いた。
「なあ、鷲尾さん」
鷲尾の動きが、止まった。
「……誰に話しかけてるの?」
「あんただよ」
亮は言った。
「そこにいるんだろ」
◇
「無駄だよ。この体はもう僕のものだ」
「あんた、言ってたよな」
亮は続けた。
「他人の号令で半歩ずれるのは無理だって。二十年、自分の判断で殴って、自分の判断で避けてきたって」
鷲尾の指が、ボールの上で止まった。
「その口で、いま何を喋ってる」
「──やめろ」
鷲尾が言った。
声の高さが、変わっていた。
「あんたが今やってるのは、他人の号令で腕を上げることだ」
「やめろと言っている」
「鷲尾さん」
亮は、白線の一歩手前まで出た。
「あんた、俺に借りは返すって言っただろ。俺の判断だ、誰の号令でもねえって」
◇
「あれ、嘘だったのか」
鷲尾の腕が、震え始めた。
肘が耳の横まで上がったまま、そこで止まっている。振り下ろされない。
「──黙れ」
その口が言った。
「黙れ、黙れ、黙れ」
鷲尾の顔が、歪んだ。
怒りではなかった。何かを内側から押さえつけようとして、押さえきれていない顔だった。
左手が、勝手に動いた。
自分の右腕を、掴んだ。
「……っ、」
◇
「──金松」
声がした。
喋り方が、違っていた。
抑揚のない、粘つくような喋り方ではなかった。開会式で黒スーツに食ってかかった、あの男の声だった。
「金松、聞け」
鷲尾は、自分の右腕を左手で押さえつけたまま、亮を見ていた。
その目に、焦点が合っていた。
「こいつ、俺の中にいる」
「鷲尾さん!」
「長くはもたねえ。……いいから聞け」
彼は、歯を食いしばった。
「俺に、投げさせろ」




